ペルクの秘密
「あ、兄貴! それで一体なんの用でございましょうか!」
「現金なやつだなあ」
こてんぱんにしてからというもの、ダンジョンマスターの対応は一八〇度変わり、実に殊勝な態度を見せていた。
「足もみましょうか!」
「いやいいよ。それより脚舐めさせてよ」
「……はい?」
なんてことないような調子で頼むと、彼はぽかんと間抜けな面を見せた。返事を待たずににじり寄ると彼は慌てて後ずさる。逃してたまるかと、アルマはこれまでにないくらいの速さで動き、肩を掴んだ。
「冗談ですよね……?」
「まさか。俺は冗談は言わない“質”なんだ」
まさに冗談ではないからこそ“質”が悪い。怯える彼のズボンの裾を上げ、その脚に舌を這わせようとしたところで気づく。
ようやく思い当たったのだ。ゴブリンと戦った直後にペルクと交わした会話の中で感じた違和感を。あの時アルマは『ダンジョンなんだからモンスターぐらい出るよ』と言い、ペルクは『確かにそれはそうですけど』と返した。
この会話の中で彼はこの塔がダンジョンだということを否定していない。つまり、モンスターも出ず普通の手段ではダンジョンマスターと出会えないにも関わらず、ペルクはここがダンジョンだと知っていたということだ。
丁度その時、外の階段を登ってきたペルクが窓から顔を出した。身体を震わせていたダンジョンマスターは口をあんぐりと開け、「あ……な……」なんて言っている。きっとまだ来るのかと驚いているのだろう。先ほどの会話の真意をペルクに尋ねようとしたところで、ダンジョンマスターが叫んだ。
「ペルク! なぜお前がいる!」
怒鳴られたペルクは顔を背け、苦々しくゆがめた。一瞬なぜ名前を知っているのだろうと考えたが、ダンジョンマスターは侵入者の名前を閲覧することができるのを思い出す。しかし二人の間には複雑な感情が入り交じっており、どうしたって初対面には見えない。
「そうか。お前、護衛を雇ったのか。一人じゃ結局何もできないから!」
「……別に雇ってない。そもそも連れてこられただけだし……」
「なんの話だ?」
二人の会話に割り込む。男が鋭い視線を向けてきて思わずたじろぐ。
「あなたはなんでペルクに力を貸すんですか?」
「別に力を貸しているっていうわけではないよ」
「だってこいつに頼まれて、このダンジョンを壊しに来たんでしょう!?」
「別にそんなつもりはなかったけど……」
「……え、あ、そうなんですか。なら良かった……」
あいまいに否定すると、男は目に見えて肩の力を抜いた。
「でも残して置く意味もないから、とりあえず潰しておこうと思うけど……」
「そんな! 旅行の記念に変なお土産を買うくらいのノリで僕のダンジョンを壊さないでください!」
小声で言うと、男は額から脂汗を流しながら声を裏返す。彼は顔を紅潮させて肩で息をしながら、何かにひらめいたように手のひらを叩いた。
「もしかしてあなたはそこにいるこいつが人間だと思っているんですか!? だからそいつの味方をしているのでしょう!?」
体を硬くしているペルクの顔をまじまじと見つめた。別におかしなところはない。少なくとも怪物には見えない。それと男前にも見えない。
「人間にしか見えないけど……」
「いいですか!そこのそいつは」
「黙れよ!」
男の言葉をさえぎってペルクが荒々しく叫んだ。今まで一緒にいた中で、初めて見せた怒りの感情だった。彼はずいぶんと複雑そうな表情をしていた。
「……なんだとてめえ!」
いきり立った男が殴りかかる。以前戦いは苦手だと言っていた通り、迫る拳に反応できず、避ける素振りすら見せない。鋭いパンチが右頬に突き刺さり、ペルクは派手に吹っ飛んで身体をしたたかに打ちつけた。
「おい大丈夫か!」
慌ててかけよろうとした時、ペルクがいる場所から、ぽんという音がした。いやそれでは正確ではない。ワイン瓶からコルクを抜くとき間抜けな音は、ペルクがいたはずの場所から鳴ったのだ。
「お、おいペルク?」
アルマは振り返り、ダンジョンマスターの顔を見た。彼は力強く頷く。もう一度、アルマはペルクがいた場所に視線を向けた。そこにはやや老けた覇気のない顔はなく、可愛らしい小動物が一匹いるだけだった。
体長一五センチ程度で、豊かな毛を蓄えたしっぽを持つ小さな生き物は、所在なさげにたたずんでいた。アルマが近づいても逃げ出す素振りも見せない。
「ペルクなのか?」
まさかとは思いながら尋ねると、小動物はびくりと震えた。
もう一度ぽん、と音が鳴ったとき、小動物はみるみるうちに大きくなり、少しもしない内に元のペルクになった。
ダンジョンマスターはしてやったりとでも言いたげな顔をした。
「見たでしょ今の! そいつはあなたを騙していたんですよ!」
アルマはその声を無視した。想像をはるかにこえたできごとに言葉が出なかったのもある。そのまま黙って様子をうかがっていると、いたく沈んだ様子のペルクはのっそりと立ち上がって窓に向かった。
「お、おい」
「……もう行きましょうアルマさん」
罵声を背中に浴びながら、ペルクに促されて部屋を後にした。塔を出てそこから換金所に向かう道中、二人の間には重苦しい沈黙がおりていた。人生経験がそれほど豊富ではないアルマでは、こんな時になんと言えばいいのかさっぱりわからない。それでもどうにか会話の糸口を見つけ、沈黙を打ち破る。
「お前って人間じゃなかったんだな」
「……はい。その、騙していてすみませんでした」
「別に騙していたとは……」
アルマに驚きはあっても、決して怒りなどは感じていない。現に、ペルクがバカシソウロウだということは既に受け入れている。もはや大したことではないというのに、彼はやたらと沈んだ顔をしていた。正体を隠していたことを申し訳なく思っているのか、それともダンジョンマスターとのやり取りで傷つき、些細なことすらも心の重荷になっているのか。
「人間の姿じゃない方がモテるんじゃない?」
「ははは」
アルマが気を遣ってわざと明るい声で言うと、ペルクは空笑いした。少しだけ顔に明るさが戻ってきたようで、アルマは少しほっとした。
「そういえば食べるものとか気をつけなくて大丈夫なの?」
「特に危ないものは。もともと『バカシソウロウ』はそれほど食べる動物ではないですし、人間になってもそれほど空腹を感じなくて」
「それじゃあいつもコーンスープしか頼まないのは……」
「はい、あれだけで事足りるんですよ」
それはまた低燃費というか、省エネというか……。長い間働き口が見つからなくても生きていけたのはそれのおかげか。
「それにしても変身するなんてすごい特技があるのなら、手品とかにも応用できそうなものだけどな。箱の隅に小さな穴を開けておいて、脱出してみたり」
「……一応考えてみたことはあります。でも姿を変える時にどうしても音が鳴るせいで目立ってしまって」
アルマは思い出す。確かにぽんと、ワインボトルの栓を抜いた時のような音がしたのを思い出す。決して騒音だというわけではないが、人混みの中でもはっきりと聞くことができそうだ。脱出マジックの時に、木箱やカーテンの中からそんな音がしたら興ざめ間違いなしである。
「ふうん。色々と応用が効きそうだと思ったんだけどな。戦いにも使えそうだしな」
「戦いに?」
「例えばモンスターの視界に布を投げつけて、見失っている間に足下に潜り込んで奇襲するとかさ」
「そんな使い方が……。それなら強敵から逃げるのにも使えるかも……」
アルマはふと思い立ったことを聞いてみた。
「そういえばバカシソウロウだったのなら、もっとかっこいい姿になれるでしょ? それこそミレン・ゴウリュウ(トプロンいちの色男とあだなされる舞台役者)とかになればいいのに」
「……それは、実は、色々あって。あの、変身しようにも、その……」
ペルクはしどろもどろになる。視線は泳ぎ、身振りも落ち着かない。アルマは嫌なことを聞いたかと内心慌てた。