前向きに
「まったく、どうしろってんだ」
アルマは途方に暮れ、どうしたらよいものかと部屋を見渡した。行くべき道には鉄の柵、帰る道にも鉄の柵。人が通れるくらいの窓があるが、ここは十階である。
ミュウがしゃがんだまま言った。
「きっと謎解きだと思うよ」
「苦手なんだよなこういうのは。……もういいや。ねえ、ちょっと下がっててよ」
「えっ!? もしかしてもう解けちゃったの」
ミュウの尊敬するような視線もそのままに、ダンジョンウインドウを呼び出してモンスターを召喚した。アルマから見て右前方の空間が歪む。
「あっ……。なんだか嫌な予感がするよ……」
天井に届きそうなほど大きい歪みの中から、醜い猿の顔をした怪物が現れた。左腕は老人のように細くて頼りないが、それと比べ物にならないほど右腕は大きく、不気味なほど赤黒かった。ゴリラのようにたくましい下半身はしっかりと地面を踏んでいる。
こいつはベビボスといい、遥か昔にいくつもの国を脅かしていたと言われる恐ろしい怪物である。本来はもっと大きな体躯を誇るはずだが、今は部屋に収まる程度の大きさになっている。
まさに化物と呼ぶに相応しいモンスターを見て、ミュウは声にならない悲鳴を上げた。
「な、なんなのいったい!? こいつをどうするの!?」
「どうするのって……。そりゃこうするしかないでしょうよ。ベビボス、やれ」
アルマが声をかけるとベビボスはたくましい右腕を振り上げ、鉄柵をなぎ払った。人の力ではびくともしないそれは、飴細工のようにひしゃげて散り散りになった。
「うわ……」
ミュウがある種爽快な光景にぼんやりしていると、突然ベビボスが雄叫びを上げた。
「わ、わ! 今度は何!?」
化物は左腕を掴み、暴れていた。老人のような腕は二の腕の中程から奇妙な方向にねじ曲がっていた。
「こいつの左腕はもろくてね、自分のパンチの衝撃に耐えられないんだ」
「なんだそりゃ……。先に進めるようにはなったけど、どうも行き止まりっぽいね。……はあ、すっかり疲れちゃったな」
「このダンジョンは仕掛けがメインらしいから。来た道の鉄柵もなんらかの方法で解除はできるんだろうけど、もう嫌でしょ」
「そうだね、できればすぐにでも宿に帰りたい気分だよ……」
「それじゃあ裏技使っちゃうか」
「裏技?」
アルマは部屋の窓を指差した。ミュウは彼の言いたいことを察して、青ざめた。
「ここ、十階だよね……?」
「無理して歩いて帰るのと、楽しく飛んで帰るの、どっちがいい?」
「人は空を飛ぶようにはできてなかったような……」
「モンスターを上手く活用すれば大抵のことはできるんだぜ」
ミュウはこの日、恐怖とは一種類だけではないことを知った。
☆☆☆
陰気臭い塔の中でペルクにリュックを盗まれてから二日後の昼。二人はネクスムの街を歩いていた。とはいえ決して遊び歩いているわけではない。今日は朝から役所や土地管理屋に行き、生脚王国を建設するのに問題なさそうな土地を探したり、ここら辺で古くて危険性の高いダンジョンがない調査していた。しかしめぼしい結果を得られず、気がつけば昼過ぎになっていた。
「昼ごはんはどうする?」
「うーん……。そうだ、この前の喫茶店は?」
ミュウたっての希望により、喫茶店に行くことになった。幸い近くを歩いていたので、少し歩くと見覚えのある外観の店が見えてきた。
蒸すような熱気は扉をくぐると消え、代わりに涼しい空気が満ちていた。店員さんに案内を受けて席に向かう途中、そこに見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あれってもしかして……」
「どうしたの?」
さっと回り込んでその人物の顔を見ると、案の定ペルクだった。
「ペルク」
声をかけると、ペルクはびくりとした。彼の隣にはアルマのリュックが置いてあった。
「お前俺のリュックを返せよ」
「あ、ここに」
そう言ってリュックを持ち上げた。アルマはそれを受け取った後、ペルクの前のソファに腰を落ち着けた。ややあって隣にミュウが腰を下ろした。
「全く……なんで俺のリュックを持ってったんだんだよ。しかも閉じ込めるような真似までして」
「そ、それは……」
ペルクはしばしためらった後、絞り出すように言った。
「う、売ろうと思って……」
「まさか俺の荷物を……!」
急いで中を確かめる。記憶の中と比べて特に物がなくなっているわけではなさそうだ。財布や当面の生活費を入れた貯金箱などは宿に預けてあったので売られても大した実害がないとはいえ、自分の所有物を勝手に売られたりするのはやはり気分が悪い。
「売ろうと思っただけで本当に売ったわけではないです! やっぱり売るのはまずいかなって……」
「……はあ? なんだそりゃ。……ずっと思ってたけど、お前はなんというか中途半端なやつだな。良いやつだってわけでも極悪人ってわけでもないし。あれだな、小悪党ってやつだな」
ペルクはうぐっとうめいた。
「こ、小悪党ですか。それだけは言われたくなかったです……」
そういえば、とアルマは話を変えた。
「この街の仕事をほとんど首になったから働けないって言ってたけどさ、それならトプロンに行って農業とかやったら?」
「の、農業ですか? やったことないからちょっと……。それにネクスムですら上手くいかない僕なんかが、トプロンに行ったところでどうにかなるとは……」
色々と話をして、決して少なくない時間を共有して、なんとなくペルクが根底に抱えている問題点というのが見えてきた。つまるところ彼は自分に自信がないのだ。それではきはきと動くことができないから、仕事で失敗したりするのだ。
ミュウに今感じたことを話すと、彼女も同じ結論にたどり着いていたらしい。
「じゃあ夢とかはないの」
ミュウが聞く。ペルクは聞き馴染みのない言葉に戸惑ったように、「夢」と口の中で確かめるように呟いた。「あとはほら」とミュウは大事なことを忘れてたとばかりに顔を輝かした。
「恋とか」
「こ、恋!?」
「お待たせしました」
その時ラマが現れた。席に着いてすぐに店員さんに注文していたものを持ってきてくれたのだ。彼女はアルマの前に豚肉定食を、ミュウの前に野菜炒めを、ペルクの前にコーンスープを置いた。
「それではごゆっくりどうぞ」
彼女は大きな瞳を細めて微笑み、ペルクに会釈してから戻っていった。アルマが話を続けようと思ってペルクを見ると、彼は顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「ペルク、おいペルク?」
「……ははぁん」
ミュウはにまにまといやらしい笑みを浮かべる。
「だからこの店によく来るんだね」
「なんの話だよ?」
ミュウはペルクに顔を近づけ、密告するような声色で言った。
「好きなんでしょ」
ペルクは「あひゃあ!」とよくわからない言葉を口にした。
「す、好きってまさか……。ミュウ、いくらなんでもそれはないだろ。よく考えてみろよ、二人は一〇歳くらい離れてるんだぞ?」
「ふふん。愛に歳は関係ないんだよ、アルマくん」
「ほ、本当に好きなの?」
尋ねると、ペルクは照れながら頷いた。
「へええ……。というかそもそも彼女とはいつ知り合ったの?」
「ええと……確か一〇年ほど前に……」
「じゅ、一〇年前!?」
ラマが一七だとしても、七歳の頃から目をつけていたということになる。
「は、犯罪じゃないの……?」
自分で話題にしておきながら、ミュウはやや引いていた。
「え、いや、あくまで知っていたというだけで! 別にその頃からどうというわけではないです!」
「……まあそれはそういうことにしておくとして。二人はどういう関係なの? 」
「別にそんなたいそれた関係では……」
「店員と客以上の関係ではないってこと?」
ミュウの問いにペルクはあいまいに頷いた。
「なんだそりゃ! もしかしてストーキングとかして家を突き止めてたりなんてしてないよな」
冗談混じりに言うと、ペルクは顔を赤くしてうつむいた。
「おいおいマジかよ……」
思わず閉口するアルマ。もはやドン引きという次元ではない。アルマは七歳前後のラマを、こっそりと追いかけるペルクの姿を思い浮かべた。限りなく犯罪である。例え法で裁くことができなくても、彼はなんらかの罰を受けるべきだと心底そう思った。アルマが黙り込むと、代わりにミュウが続けた。
「告白なんてするつもりはないの?」
「そそそんなたいそれたことは!」
「せめて贈り物でもすればいいのに」
「贈り物といったって貯金もありませんし……」
「だから稼げばいいじゃん」
「この前言ったように、仕事ができなくて……」
ミュウは腕を組んでうーんと考え込んだあと、名案を思いついたとばかりに顔を輝かせた。
「手段ならあるじゃん!」
「え?」
「塔にいって宝物を見つけて、それを売ればいいんだよ」
「と、塔でですか……」
「待てよミュウ。塔の宝箱には大した物が……うぐ」
アルマはミュウに口を押さえつけられ、思わず詰まった。彼女はペルクの方を気にしながら声を小さくした。
「君が召喚したモンスターたちに先回りさせて、中に高価な物を入れとけばいいでしょ。貯金なら私のがそこそこあるから、それを使えばいいよ」
「な、なんでそこまで……」
そう言うとミュウはにやりとした。
「いい? 恋だよ!? 自分に自信のないペルクを前向きにするチャンスなんだよこれは!」
「ははあ……」
あまりの迫力に、アルマは反論することができなかった。二人がひそひそ会話している間、ペルクはずっときょとんとしていた。
彼は知らないのだ。自分の知らないうちに、『ペルクに自信を持たせよう作戦』と名付けられた作戦が勝手に始まっていることに。
トプロンとネクスムの違いについて。
トプロンは農業や鉱石の輸出、大きな土地を持つゆえの豊かさを持っている大国。ネクスムは転売で成り上がった転売屋みたいなものです。