彼が言うには
今朝は投稿できなくてごめんなさい!代わりに17時10分の投稿となります。
これからもなるべく7時10分の更新を心がけますが、なんらかの事情で投稿できなかった場合は17時10分に行いたいと思います。
アルマ達は朝方よりかは落ち着いた喧騒の中を歩き、酒場の扉を押し開けた。いつも通りに、蝶番のかすれた鳴き声が狭い店の中に響く。
「やあ、マスター」
アルマは親しげに片手をひらつかせる。どことなく古臭いが小奇麗なテーブルとカウンターの側には、背もたれのない安っぽい椅子が規則正しく並べられていた。ここに数えるほどしか来たことのないミュウは肩を小さくしながら頭を下げた。
どこか退屈そうにグラスを磨いていたマスターは柔らかく笑う。少しだけ口を開きかけていたのは、彼らに歓迎の挨拶でもしようとしていたに違いない。
しかしその言葉を聞く前に、突然の来訪者は早口で続けた。
「つい最近決まったことなんだが、俺達はこの国を出ることにしたんだ。マスターには世話になったからとりあえず挨拶だけは思ってね」
罪悪感か後ろめたさゆえか、アルマは口早に畳みかける。どちらかというと、国を出る理由や目的を追求されたくないという気持ちが彼の中にあったのだろう。誰かにばれたら無事にこの国を出て行くことができる保証はなくなってしまうからだ。
突然の告白に目を丸くしているマスターは空気の読める人物である上に、立派な大人だ。好奇心に身を任せるような真似はしないだろうし、相手が言葉を濁していたとしても言及なんかするはずもない。
彼がミュウ含め二人の旅の無事を祈ってくれるのだろうと、それこそ口に出して断定はしないまでも、勝手に内心で確信していた。
だからこそ続くマスターの台詞には、店を訪れてからようやっと彼の口から飛び出た言葉にアルマは腰を抜かすこととなる。
「なるほど、と言うことはあなたが魔王なんですね。それも、今をときめくピチピチの」
それも明日にきらめいている、だなんていつものような軽口は返せなかった。虚を突かれて戸惑う中、かろうじて口から飛び出した言葉は"なんで"という一言。それは悲鳴によく似ていて、いくばくか問いただすような色合いを含んでいた。
「なんで、と言いますと? 私がどうしてその事を知っているかという事ですか」
彼は物知り顔で、どこか楽しそうに何度も頷いた。アルマは生唾を飲み込みながら、うめくようにああと言った。ごくりという音がすると、困ったように固まっていたミュウはびくりと肩を震わせた。
「同じだからですよ、あなた方と私。産まれた時はこの身に天命など何一つ授けられていなかったのに、これはまるで運命のようではありませんか?」
普段の冷静沈着な雰囲気はどこへやら。どうも今のマスターはここでは無いどこかに意識を馳せていて、ここには無い何かに心酔しているようで、すっかり自分の言葉に陶酔しているらしかった。
その格好つけた物言いは、ほんの少しだけ時と場所が違ければ不特定多数の高校二年生に忌み嫌われていた事だろう。
「おいおい、中二病か?」
アルマのいささか礼儀に欠ける謗りを受けても、彼はにへらっと笑うだけだった。横に目をやると、先ほどのように怯えてはいないものの、どこか戸惑った様子のミュウと目があった。
その時かちゃりと音がした。どうも磨き終わったグラスを脇に置いたらしい。彼は小奇麗な布切れをぱさりと放った。
「いや、そんな大仰な話でもありませんか。ただ単に私達が、"彼"に見初められたというだけの事ですよね」
その的を射ない物言いは、時代と世界が違えば電子網上の巨大掲示版で盛大に叩かれていた事だろう。
「おいおい、アスペか?」
今度も彼が不快感を示すことは無かった。奇妙な余裕を携え、二人に相対するのみ。
しかしあっけらかんとしたアルマとは対照に、ミュウには彼の言葉に思い当たるふしがあったようだ。彼が再び話し始める前に彼女は慌てたように口を挟んだ。
「か、"彼"とやらについて知っているんですか? という事はあなたも魔王の一人なんですか?」
彼女は珍しく声を荒げる。その言い方は問い詰めるというより、あたかも糾弾するかのようだった。そこでようやく、マスターを胡乱げに見ていたアルマもはっとしたように表情を引き締めた。
すると彼はにかりと笑う。その笑顔はこれまでのように冷たさや嫌らしさの混じった笑みではなく、爽やかで柔らかい印象を受けた。
「あなた方も持っているんでしょう? "彼"と名のついた特殊スキルを。もしかしてですが、知り合いの中にも同じような能力を持っている方が?」
悪寒が走り、アルマは短く息を呑んだ。相手が当てずっぽうで言ってるのだとしたらまず何にしても自分たちが魔王であるという事を否定したかったのだが、どうも事情が違うらしい。何より今しがた言われた内容に見に覚えがありすぎる。これはもう、バレている事を前提にして話した方が楽なのかも知れない。
しばし二の足を踏んでいると、彼はアルマが思い惑っているとでも思ったのか。一瞬目線を下げるとすぐに上げた。たった一瞬にも満たないそれだけの行動で、その目には紛うことなき覚悟が灯っていた。それはいったい何に対しての躊躇いを振り切ったのだろうか。アルマには皆目見当が付きそうにもなかった。
「"彼曰く永遠"」
「えっ?」
突然告げられた全く聞き覚えのない単語に、ミュウは戸惑ったように聞き返す。
「"彼曰く永遠"。これが件の"彼"に与えられた能力です。一人で死ぬ事を許されず、永遠に"彼"と共に生きていく事を定められた、私の、能力です」
そう言ったマスターの表情からはどこか悲壮な印象を受けた。顔を突き合わせた当初ほど言葉に力はなく、語尾はもはや掠れかけていた。アルマからすれば、能力を手に入れられるのは非常に嬉しい。それこそ降って湧いたような幸運にも等しいのだが、彼の口調はまるで不幸だとでも言いたげだった。
そこでふとアルマの中に、ある種の予感が湧き上がった。言わずもがな初代魔王についての事である。もしかしてだが、初代魔王はこのスキルを持っているのではないだろうか。だとすると色々と腑に落ちない出来事に得心が行く。しかし疑問点が解決してすっきりするのは嬉しいのだが、それと引き換えに初代魔王生存説が濃厚になってしまう。
「いえ、"彼"と名のつくスキルは少しばかり特殊でして。基本的に一人一つまでしか持てませんし、違う人間が同じスキルを持つことはできないんですよ」
なるほどと、アルマは満足したように頷いた。確かにダンジョンウインドウ上のスキル取得欄には、自身の持つスキル以外に似たような物はなかった。
アルマは彼の話に合点が行った高揚感のせいで、その時自分の中に小さな違和感が生じていた事に気付かなかった。。
話が一段落したのを見計らって、ミュウは待ちかねたように口を開いた。
「その話は置いといて、あなたは"彼"とやらの正体を知っているんですか?」
「私は彼に会った事があります。"彼"は恐ろしく強い。もしも怒らせるような事があったら、いかに前途洋々でAAAとも言われるあなたでも、簡単に殺されてしまうでしょう。しかし人智を超えた力を持ちながらも、存外に温厚です」
だから遭遇したら抵抗しようなどと考えず、流されるまま"彼"に従った方が無難だと、ミュウの問いには答えず、マスターはそれが当たり前であるかのように言った。それから小さな声で、しかし、と付け加えた。
「いいですか? これから先は善意に基づいた警告です。決して意地悪で言うのではありませんし、変な好奇心を起こさないでください。"彼"が伝説と呼ぶ、化け物と形容することすら生温い、悪魔に出会ったら一目散に、脇目も振らずに逃げてください」
ぞくりと、再びアルマの背中に悪寒が走って鳥肌が立った。ぶるりと身体を震わせるのはこれで二回目なのだが、感じた恐怖は先ほどの比ではない。
やばい、やばい。ひたすらに嫌な予感しかしない。"彼"とやらが予想以上に危険なのはわかった。それだけでなく、伝説? 化け物? 悪魔? それらは確かに恐ろしいが、今はそんなことはどうでもいい。
たった今、現在進行形で問題なのは、アルマがちらと横目で見たミュウが小刻みに震えている事と、その可愛らしい拳が青白くなるほど力強く握り締められている事、それだけなのだ。
「――それで、"彼"とやらは、いったいなんなのですか?」
「ああ、その話かい。それは後でゆっくり説明しよう。ところで私達の能力についての共通点についてはもう気付いているだろう? ちなみに彼という言葉以外についてだよ。そう全て特殊スキ――――」
感情を押し殺したように、静かに声を震わせるミュウ。マスターはそれに気を留めることなく、これまでの調子で軽やかに続ける。アルマは尋常ではない彼女の様子に慌てふためく。
そしてとうとう、空気を読まない上にに人の話を聞かないマスターに、ミュウの堪忍袋の尾が切れた。
これで彼女を短気だと責めることはできないし、何よりしてはいけない。そもそもギルドで絡まれてストレスを溜めていたのもあったし、その上でやけにテンションの高いマスターの、やけに回りくどい物言いに怒りを堪えていたのだ。そこでダメ押しのように話を無視され続ければ、彼女の怒髪が天を衝くのは仕方のない事だと言える。
詰まるところ、彼女は正常な人間なのである。
「――だから早く言えってんだよ! このハイテンション型アスペがぁぁぁああああ!」
小慣れた構えから繰り出されたストレートパンチは、ぽかりと可愛らしく形容するに相応しいものだった――――と言えたら、どんなにアルマの気は楽だったのだろう。
鼻血を撒き散らしながら、マスターがものすごい勢いで壁に叩きつけられた時の音からすれば、いつかのアルマのように魔法で保護するなんて事をしてくれてはいないようだ。むしろ魔法によって拳の威力はブーストされていたのだろう。
ミュウの通り名である"優しい拳の持ち主"の由来は、当然ながら彼女の痛くないパンチにある。この惨状を見る限り、その通り名はいささか正しいとは言えない。これからは"わりかし痛い拳の持ち主"と呼ぶ事にしよう。
シリアスキャラから一転してギャグキャラになったマスターを尻目に行われるその思考が現実逃避である事は、なによりもアルマ自身が一番よく理解していた。
ああもう面倒くさいな、これからどうしようかな、とりあえずマスターを回復させるのが先決だな、そうだいっそのこと彼の記憶を消してしまおう、なあに俺はダンジョンマスターなんだからそれぐらい容易いさ。そんな数々の打算とも言える思考が気まぐれのように浮かんでは消えていく。
彼はしみ一つない天井を見上げながらため息をついた。
そしてふんすというミュウの得意げな鼻息を意識の端で捉えながら、彼はマスターに目をくれる事もなく静かに酒場の扉を押し開けた――――。
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明日の7時10分に第十七話「道中」を投稿します。
生意気だとは思いますが、感想をいただけると嬉しいです!
自分の文章に不安があるので、客観的な採点でこれまでの文章・ストーリー評価をしていただけるとありがたいです!