勇者の怒り
痛む肩もそのままにアルマは周囲に気を配る。あれだけ騒いでいたから当然だろうが、やはり何人かの通行人が自分達に注目していた。勇者の顔が気付かれていないのは意外だがこっちからしては好都合だ。
しかしこのままでは勇者との戦闘になる可能性が高い。この場で戦っても勇者に勝つことはできるだろうが、魔王としての顔が割れてしまい、指名手配はもちろんのこと他国への入国や移動なんかは難しくなってしまうだろう。
それはすなわちアルマの負けである。
そうならないためにはどうすればいいのか。
アルマはいくつかの手段を模索し、最適かどうかはわからないがひとつの答えを導きだした。
簡単なことだ、ここから移動してしまえばいい。勇者が言って聞くかはわからないが、幸いアルマには便利な手段がある。
口の中で小さく呟き、ダンジョンウインドウを呼び出した。空中で指を踊らせるアルマが奇怪に写るのか、勇者が妙な真似はするなと低い声で威圧してくる。
よく見れば右手が剣の柄にかかっていた。
「おい貴様! いったい何をするつもりだ!」
「まあまあ、そう慌てなさんなって......。ちょっと場所を変えるだけだから」
「まさか逃げるつもりか!」
なるほど、今の言い方ではそう取られてしまっても仕方のないことだ。勇者に弁解しながら、強制転移の対象をこの場にいる五人に絞る。
転移する場所は王国を囲う無骨な塀の外。その中でも人が来ることが無いと思われる、東門と北門の中間辺りだ。
薄く光る強制転移の文字を気取った様子で中指で叩く。アルマ達が淡い光に包まれて消えていくまで、不思議と周りの人々がアルマ達の方に眼を向けることは無かった。
「――あいたっ」
見通しのいい平原に足を着けた時、アルマの右横からそんな声が聞こえた。
色々なことが合って意識が現実から解離していたのだろう。見ればミュウが地面にお尻を着けていた。
地べたに座り込んだミュウに手を差しのべて立たせてあげた。
転ぶという失態を見られたことが恥ずかしいのか、ミュウは彼に照れ混じりに感謝を告げる。しかしさっきの一件を思い出したのだろう。照れた微笑みはすぐに鳴りを潜め、彼を咎めるような顔つきになる。
そんなミュウを視界の端で捉えて、勇者達にいつでも対応できるように体制を整えた。
勇者は景色がいきなり変わったことに戸惑っている様子で、落ち着きなく辺りを警戒しているようだった。獣人の女性は勇者よりもあたふたとしている。そんな中エルフの老人だけは相変わらずアルマを見据えているが、最初よりも視線に敵意が混じっていた。
しばらく様子を見るが、一向に襲ってくる気配の無い彼らにしびれを切らしたアルマはしぶしぶと口を開いた。
「なあ、勇者殿。いったい何を持って俺を狙うんだ? 魔王に何か恨みがあるのかよ」
恨みも何も勇者は異世界人。大体は召喚された時に魔王は悪いやつだと吹き込まれていたりしていて、それを盲目的に信じている場合が多いのだが。
勇者の返答をなんとなく予想していたアルマだが、勇者からの答えは予想外のものだった。
「......なんでもくそもあるか。魔王を名乗っていいのは、初代魔王だけだと決まっているだろう」
「へえ、初代魔王崇拝者でしたか......」
まさか勇者が初代魔王を敬愛するような人物だったとは。少々意外だったが、別段驚くような事でもない。
なるほど、パーティが獣人とエルフなのはそれが理由なのだろう。
「し、初代魔王様は、私達を創ってくれたのです! それを真似して魔王を名乗るだなんて、言語道断です! そのような不届き者共は私達が皆殺しにしてやるのです!」
「皆殺しって......そこは普通、成敗してやるとかじゃないのかよ」
両手を胸の前で握りしめて絶叫する獣人の女性。まるで小動物のように可愛らしい見た目とは別に、存外に危険な発言をした彼女に思わず苦笑いをしてしまうアルマ。
確かにこの国内に限っても、初代魔王を崇拝するやつらはことのほか多い。具体的には二人に一人、つまり国民の半分ほど。それほどの信者を誇るその大きな理由としては、やはり初代魔王の偉業というか実績にあるのだろう。
実は彼が生きていた当時、この世界には人間しかいなかったとされる。しかし彼は、人間よりも性能的にはるかに勝る獣人とエルフを創ったのだ。
人間と同等の魔力しか持たないが、大量に放たれた弓矢を回避するなど凄まじい身体能力を保有した獣人。
人間と同等の身体能力しか有しないが、倍近くの寿命と、単独において魔法のみで軍の小隊を制圧するほどの能力を持つエルフ。
伝説によると、彼は『獣人とエルフがいないなんて、そんなのファンタジーじゃない』と涙ながらに語ったらしい。意味はよくわからないが彼なりのこだわりがあったのだろう。
そういう理由からか、エルフと獣人のほとんどが魔王崇拝者だ。人間にも魔王崇拝者は多くいるが。
そしてエルフ達の能力の高さを証明するように、アルマは今まで生きてきたなかで信者の悪口を言っている人間を見たことがない。
これは彼らを敵に回したくないという意思の表れだろう。だがよく考えてみれば、信仰の対象を二分する歴代勇者達の悪口も聞いたことはない。ということを元に整理してみると、もしかしたら信仰はお互いに弾圧なんかすることはなく、案外上手いこと共存できているのかもしれない。
それにしてもここまで魔王という器に固執するとは......はっきり言って信者の域を越えている。
ここまで初代魔王を崇拝するのは、変態以外の何者でも無いだろう。いうなれば初代魔王フェチかなんかだろうか。
特殊な性癖を持たない、いわゆるノーマルなアルマからしてみれば、こういった性癖は気持ち悪いとしか言いようがない。
「気持ち悪い......」
「アルマ君! 君は客観的になることを覚えようか!」
びっしりとたった鳥肌により、毛穴からの逃げ場をなくされて閉じ込められた言葉が、嫌悪感混じりの呟きとなってアルマの口から追い出されたのをミュウの耳が捉える。
それに対して混乱も放っておいて突っ込むとは、ミュウはよほど気になったのだろう。
そんなアルマとミュウのやり取りを自分達の存在が軽視されてるとでも感じたのか、眼前の勇者が怒りによって顔を紅潮させ、肩を震わせながら怒鳴った。
「そんな御託はどうでもいいんだ! 俺は勇者、お前は魔王! 俺は初代魔王以外は魔王と認めない、お前は魔王!! お前を排除するのにそれ以上の理由はいらないだろう!?」
そして声を震わせる勇者は剣の柄を強く、手のひらから血の気が引くぐらい強く握りしめ、眼を見開いて再び叫んだ。
「俺は敵を見定めた! すなわちお前! 何のためらいも感慨も無く、この剣で切り裂いてやる!!」
声も高らかに、勇者は右手に掴んだ抜き身の剣を高く掲げる。
その剣は太陽の光を受け、神々しく煌めいていた。その様はまるで光を纏い、伝説に聞いた闇を切り裂く聖剣のよう。
アルマは敵の前だと言うのに息をするのも忘れて、勇者が掲げる美しい剣に気を取られた。
――目の前のこいつはこの剣でいったいどれ程の敵を切り捨ててきたのだろう。
不意にそんな疑問が海の様にあふれていき、やがてアルマの脳内を満たす。そして疑問が彼の思考を埋め尽くすと、同時に思考停止へと彼を追いやった。
勇者はそんなアルマを見てにやりと口角を上げ、そうなるのを見計らったかのように、高く掲げた剣を降り下ろす。
それを見ていたミュウから小さく悲鳴が上がった。アルマも一拍遅れてその剣を避けようと身構えるが、そんな心配は杞憂に終わる事となる。
勇者が剣を降り下ろすのを止めたからだ。どうしたのかとアルマが首をひねっていると、彼は斜め前へと突きだした剣もそのままに、顔をエルフの老人の方に向けた。
「さあ、行くんだ! お前の魔法で、やつらを焼き殺せ!!」
「えぇええぇぇえええぇぇええええ!!!!????」
お前が行くんじゃなかったの!? 明らかにその雰囲気だったじゃん! 勇者の他力本願な行動に思わず絶叫してしまうアルマ。これは彼がおかしいのではなく、場の流れを平気で断ち切った勇者が悪いのだろう。それを示すかの様に、ミュウも身体を仰け反らせて勇者を見た。二度見だ。
しかし獣人の女性もエルフの老人も驚く事はなく、いたって平然としていた。これが彼らの普通なのだろうか。
老齢のエルフは勇者の指示に大きく頷き、右手を前に掲げる。
そして己を鼓舞するかのように、勇者に倣って叫び声を上げた。
「オ前ラヲ焼キ殺シテヤル!!」
「なんて高い声!」
老人にしては想像以上に高く、若干裏返っている声色に思わずアルマは突っ込みを入れる。
あまり喋らないのは高すぎる声をコンプレックスにしているからだろうか。半ば本気でそう思ったアルマだった。
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