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怪異妙奇譚伝  作者: 片宮 椋楽
貳譚目其乃弍~異魂-コトダマ-~
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十九

 イチさんは素早く踵を返すと、壁際へと走る。目前には天井にまで付いている本棚が。


 本棚の下から二段目へ跳ねると、三段目に登って踏み込む。へし折りながら強く蹴って、背中へと飛んだ。


 そのまま化け物の頭の上を抜けていく。逆さになりながら、同時に刀を真横に振り抜く。化け物は本棚に勢い落ちないまま、ぶつかる。乱暴に何冊もの本が落ちる。


 僕たちのすぐ目の前のところで着地する。片手を床につけ、勢いを殺す。同時に、触手が数本、床にぼとぼと落ちた。


「いぃぃいぃぁあぁぁぁ」


 電流でも流されているかのように、不自然に頭をかくかく動かしながら後退りしていく。左耳、両目、両鼻の穴から伸びた触手が一斉に切られたからか、垂れ下がっている。


 イチさんは隙を逃さず、すぐ走り出す。すんでのところで地面を蹴り、跳ねる。身体を仰け反らせ、刀を振り上げた。


 けど、残っている触手でイチさんの右脇腹めがけて、殴った。刀が刺さるより早い。


「ぐふっ」


 短い悲鳴を上げながら、飛んでいく。窓ガラスにぶつかる。激しく割れ、外に破片が落ちていく。反動で、床に転がるイチさん。


 愛菜花は僕の腕を握ってくる。両手で強く引っ張られているせいで、服はシワとなっている。


「いってえなぁ」刀を地面に立てながら、片足ずつゆっくり立ち上がる。「あったま来た。トーっ!」


「りょーかいっ」


 視線を向けていたトーさんは空いた片手で黒い巨大な机に手をかざす。


「トウっ」


 そう叫ぶと、机がまるで重い腰を上げるかのように、浮かぶ。

 トーさんはそのまま化け物へと手を勢いよく振る。されるがままに、机は飛んでいく。


 化け物は触手を素早く動かし、机を真横に弾いた。壁の本棚にぶつかる。何冊もの本が床に落ちた。


 その背後から、刀が真っ直ぐ飛んでくる。右耳から伸びる触手を巻き込みながら、まるでダーツのように壁に突き刺さる。引っ張られ、体勢を崩す化け物。その隙にイチさんは近づき、刀を両手で掴んだ。


「お返しだ、ボケが」


 そのまま斜めに力任せに振り下ろす。切れた触手は力なく落ちた。


「いぃぃぃいぃぃたぁぁ」


 またも唸りながら、化け物はよろける。触手も口から、残り一本だ。

 愛菜花の腕を握る握力が強くなる。僕は上から手を添えた。無意識の行動だった。多分、安心させたかったのだと思う。


「ぎぃぃやぁぁぁ」


 化け物は怒りの感情がこもった叫び声を上げると、触手を一人掛けソファの下に入れた。そのままひっくり返して持ち上げた。弧を描き、回転しながら二人の元へ向かっていく。


 イチさんは体勢を低く、机があった位置に回転して避ける。トーさんは床を蹴り、二人掛けソファの背もたれに跳ねる。ぶつかった時の勢いで、ソファの背もたれから倒れた。


 化け物は窓ガラスの方へ、よろけながら向かっていく。


「ゲンっ」


 トーさんの叫び声。途端、割れて散らばっていたガラスが、まるで逆再生しているかのように直っていく。パズルがはまっていくように、元通りの一枚張りの窓ガラスに戻った。


「だぁ……だぁ……」


 動きを止めて躊躇いを見せる化け物。左右から近づいてくるイチさんとトーさん。化け物は交互に見ながら、後退していく。表情はないのだけれど、恐れ慄いているというのが分かった。


「だぁ、だぁずげぇでぇ」


 え? 微かで滲むような声だったけど、今、助けてって……

 化け物は足を絡ませ、尻餅をついた。その慌てた動作に、先ほどまで抱いていた怖さが薄まっていく。


「じぃにだぁぐない」


 声の感じが変わった。野生の肉食動物が吠えるような声色から、最初に話していた木部さんへ戻ったような。


 イチさんとトーさんは距離を詰めていく。


「ごろざぁいでぇぇ……じにぃだぐなぁぁいぃ」


 尻餅のまま後退りしながら、強く訴えているのが今、はっきりと聞こえた。


 殺さないで、死にたくない。


 イチさんは目の前で立ち止まり、腰を落とした。両膝を立てている。


「じゃあな」


 刀の先を口元に立てると、持ち手の端に手のひらを当てた。


「なぁんで、なぁんで、なぁんでぇ」泣き喚く子供のように高々と声を上げる。


 イチさんの眉が動く。躊躇いが見えた。何故戸惑っているのか、遠巻きで見ているだけの僕にでも分かった。


 切られた触手が両眼から垂れ下がっているのだが、その僅かな隙間から涙を零していたからだ。


「悪りぃな」


 イチさんはそう呟くと、長い刀身を喉元に向けて深く押し込んだ。


 うっ、という小さな叫び声が聞こえるか聞こえないかぐらいで、僕は顔をそらし、目を閉じた。


 物音のしない数秒。さっきまでの喧騒が嘘のように、辺りは静寂に包まれている。だからこそ、何が終わったのかが、よく分かった。


 恐る恐る見ると、木部さんだったものは口を開いたまま、首を真横に傾けていた。


 イチさんは刀を抜く。木部さんの身体は背をつけたまま、頭から突っ伏すように、傾いていた方へと倒れる。壁を貫通した穴が、確かに喉元へ深く差し込まれたことを証明している。


 そして、黒い壁には弧を描くように跡が滲んでいた。黒という色のせいで見づらいけど、それが血であることは間違いない。


 木部さんは微動だにしない。床に異様な身体の形で突っ伏したその姿からは、生気を感じられなかった。


 様々な人の人生を狂わせ、時に死に至らしめた元凶だ。けど、目の前で話していた一人の人が、僕の手ではないのだけれど間接的に、殺してしまったという事実に、僕の心の中に罪の意識がぽつりと芽生えた。


 イチさんは険しい顔でため息をついて立ち上がると、辺りに視線を落とす。何かを探すようかのように。


 ふと一箇所に目が向けられると、近づいていく。拾い上げたのは、鞘。おもむろに鞘に刀を戻し、腰の辺りで持つ。その動作は、もう終わった、というのを感じさせてくれた。


「カイ」


 空気が変わったのを感じる。圧迫感もない。トーさんが僕らに手のひらを向けていたのを見て、それが囲って守ってくれた透明な壁が消えたからだと気づいた。


「お怪我は?」


「無いです。愛菜花は?」


「大丈夫」


「良かった」


 そう言うと、トーさんは持っていた本を閉じ、バッグへとしまった。


 ふと視線が移る。


「え……」


 最初木部さんの方で動いているような気がして、視界の隅に入って、視線を向けたのだけど、実際に見てみると違った。正しくは、木部さんから伸びていた触手が微かに光り始めていたのだ。


「な、なにこれ……」


 触手から小さな光の粒子となり、天井に昇っていく。壁を通り抜け、空へと消えていくその様子は、どこか綺麗で見惚れてしまう。


「やっぱな」


 イチさんの気になる物言いのが耳に届いたことで、現実に返ってくる。


 僕はソファのへりに座っているイチさんへ視線を向けた。「やっぱ、とは?」


 イチさんは一瞥する。「こいつは怪異じゃねえよ」


「え?」


「怪異なのはこのヒトデ野郎であって、操っていた人間自体は実在するやつだったんだ。妙奇人のトーが気づけなかったのはそのせいだろう」


「てことは」愛菜花が会話に割って入る。「この人も他の人と同じで乗っ取られてた、ということですか?」


「もう身体ごと乗っ取られてたからな、多少の自我はあったみたいだが、人間ごと倒すしか策はなかった」


 だから、悪いな、だったのか。


 けど、そういうことになるのなら……ふと不安がよぎる。


「なら、呪いの言葉を解くには、まだ倒さなきゃいけないのがいるということですか」


「いや、こいつが拡散していた元凶だってことに変わりはない。こうやって光ってるってことは、倒したってことだし、呪いの言葉とやらは存在しなくなる。安心しな」


 そっか……ん? 存在しなくなる?


 まるで何もかもが無かったことになるかのような言い方に、引っかかった。


「イチっ」


 突然、トーさんが叫んだ。


「なんだよ、大声あげて。脅かすなよ」


 トーさんは返答することなく、無言で近づいてきた。その視線はこれまでに見たことのない怒りが込められていた。


 目の前で立ち止まると、おもむろに差し出してきた。それは、木部さんがずっと被っていたハットだ。倒れて変わり果てる時に、床に転がったのだろう。


「これがなんだってんだよ」


「内側。見てみて」


「内側?」


 言われた通り、ハットの内側を見る。僕も気になり、覗き見る。


 あっ。中に、一枚御札が貼ってあるのが見えた。ただ普段見慣れたものではない。

 全体は黒で統一されており、真ん中にだけ赤い逆五芒星(・・・・)が描かれているので、一瞬分からなかった。


「成る程」イチさんは腰を上げた。「操ってた黒幕がいたってわけか」


 く、黒幕?


「例の即白骨然り、また裏で手を引いていたのかアイツ」「ああ、妙な動きしてやがるな」「何か手がかりがあれば」「上手いこと逃げてっからな」「くそっ、いつまでも後追いかよ」「まあ、癪だわな」と、ぶつぶつと二人だけで話している。


 好奇心は猫をも殺す、とはよく言うが、勝てないのが人間の性。聞いちゃいけないような雰囲気が醸し出されている。けれど、気になった僕は詳しく盗み聞こうと、立ち上がった。

 でも、疲れからか、くらりと目眩が。思わず僕は目を閉じて、額辺りに手をつける。そのまま、ソファの背もたれに身体を寄りかかる。物音にイチさんとトーさんが視線を向けてきた。


 トーさんは駆け寄ってくる。「大丈夫ですか?」と、心配そうに覗き込んできた。


「え、ええ」


 目を開くと、床に倒れている愛菜花が視界の隅に。


「愛菜花っ」


 僕はすぐさま、慌てて近寄る。


「愛菜花、愛菜花っ」


 腰を落として愛菜花の身体を揺らすも、目を覚さない。


「心配ありません」肩に添えられるのは、トーさんの手。「眠ってるだけですから」


「で、でも、さっきまで起きていたのに」


「そろそろ時間だからでしょう」


 時間?


「それって、どういう」


 言いかけたところでまた目眩が来て、へたりこむ。どうにか立ち上がろうとするけど、身体に力が入らない。


「これまでの呪いの言葉に関することは全て忘れます」


「そんな……」


 トーさんは微笑む。「だから、罪悪感なんて抱かなくていい」


 え? 心のうちを見透かされた。


「罪なんてのは、僕らだけが背負えばいいんです」


 この言葉で、感じた。この二人は僕が思っているよりもずっとずっと大きくて重いものを背負っているんだ。


 瞼が重くなる。眩しくないのに細めになってしまう。


「忘れてしまうとは思いますが、念のため。ここにいるとあらぬ疑いをかけられてしまいかねないので、移動します」


 移動? なんのこと??


「ご自宅まで……と言いたいところですが、すいません。どこにお住まいなのか存じ上げてないので、それは難しいかと」


 そもそも、僕はなんでこんなところにいるんだ?


 というか、この人たち(・・・・・)


 思い出そうと試みても、頭が働いてくれないから、思い出せな……


「ですので、最初に僕とイチとお話をしたカ……」


 ダメだ……意識が……遠のい……て……

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