九
「何かありそうか?」
護符市さんの奥さんと別れの挨拶を交わし、自宅から少し離れたところで、多分声が聞こえないだろうという場所まで距離をとってから、イチさんはそう声を出した。
相手は、隣でスケジュール帳に目を落としているトーさんだろう。二人の後ろにいる僕と愛菜花ではないはずだ。
案の定自分であると思ったトーさんは、静かに横に首を振って反応した。「いや、それらしいことは何も」
「なんなんだよ、トミタH パーティーって」イチさんは黒い袋の紐を直しながら、不機嫌そうに呟く。
「あっ」
愛菜花が声を出したことで、一斉に視線を向けた。
「今、試しに、トミタスペースパーティーで、調べてみたんですけど」
見せてきたスマホの画面には、トミタホテルでのパーティー予約受付中、との表示が。
「Hって、ホテルのHですか」
トーさんは片眉を上げた。確かにホテルであればパーティーだってやっているだろう。
「流石は文明の力……」
閃きもしなかった、というように、トーさんは呟いた。そっか、二人ともスマホを持ってなかったんだもんな、調べようは無いよな。
「なんだよ、なんか拍子抜けだな」
すぐに分かってしまって物足りない、イチさんはそう言いたげだった。
「すいません、変な奴なんです」
トーさんは、申し訳なさそうに僕らに謝った。
「とりあえず、さっきの日付の候補の中で、パーティーが無かったか、ちょっと調べてみます」
「お願いします」
トーさんは軽く礼をして、依頼をした。
「どうしました?」
黙っていた僕に、トーさんは声をかけてきた。
「いや……」
そう答えたけど、別に隠す必要もない。
「もし護符市さんが呪いの言葉を知ったのが本当に一ヶ月前なら、少し気になってることがありまして」
「というと?」眉を八の字にするトーさん。
「呪いの言葉を公表すると言っていたマイチューバーっていう動画配信者がいたんです。明かす前に亡くなられたんですが、その人と大学で亡くなった雪月さん。二人とも呪いの言葉を知ってから死んでしまうまでの期間がバラバラに思えるんです」
「バラバラ、ですか」
「ええ。そのマイチューバーは動画内の発言をもとに考えると、亡くなる確か三日前に知ったはず。一方で、雪月さんが休み始めたのが十日前からおかしくなって休み始めたって愛菜花が話していたから、多分それよりも前でしょう。そして、失踪してしまった護符市さんに関しては、呪いの言葉を知ってから一ヶ月経過してから」
「成る程」トーさんは腕を組み、顎に手を添える。「確かによくよく考えるとそれぞれに異なっていますね」
「まあ、呪いという目に見えるものではないので、個人差がある、なんてことを言われてしまえばそれまでなのですが、ちょっと気になってて」
素人記者の勘とでも言えばいいのか。まあ、それはただの、普通の人の直感か。
「なら極論、知った瞬間に死んじゃうかもしれない、ってことかよ」
イチさんは頭の後ろで両手を組む。
「ええ。そうなると、防ぎようがないのですがね」言ってて少し怖くなる。
「少しいいですか」
調べていた愛菜花が小さく手を挙げた。
「護符市さんの奥さんが異動することが決まってから少しずつ変化があった、ってさっき話してたじゃないですか? 例えばの話ですけど、呪いの言葉を知ってから異動が決まるまでの間に、何か別のことが起きてしまって、それがきっかけでおかしくなってしまった、みたいな可能性はないですかね?」
「それぞれ、呪いの言葉とは別に関係したことがあった。その二つが揃った時に、トリガーとなって実際の呪いが発動する……そういったことでしょうか」
トーさんが続く。頷き混じりだ。
「はい」愛菜花はこくりと頷いた。
「そう考えりゃ、人によって差があるってのも、確かに頷けるわな」
イチさんが同意する。なんとなく偏見で突っぱねるのかと思ってたけど、案外すんなりと。
「いずれにしろ、探ってみるしかなさそうだな、そのパーティー」
「ありました」
愛菜花がまたも手を挙げた。
「もうかよ」イチさんはまたも声を上げた。「いや、ありがてぇんだけどさ」
「一般の人が好きに呟けるサイト、というかアプリがあるんですけど、そこに同じ検索ワードで調べたら、九月の十日に有名人をホテルで見かけたという呟きがいくつかヒットしました。有名人の中には亡くなったり失踪したりした人の名前もあります」
「どうやら間違いなさそうだね」
確かに亡くなったり失踪したりした人は、美人モデルやIT企業の社長やサッカー選手たち……
そうか、パーティーで会した時に、誰かから呪いの言葉を聞いたことがきっかけで、次々とおかしくなっていったというわけか。数珠繋ぎ方式、いやネズミ講方式で拡散されていったということなのだろう。
「あっしかも、また近いうちにホテルでパーティーがあるみたいです」
「何?」イチさんが眉をひそめた。
「しかも、一月十五日の午後六時から」
「十五日って明日じゃねえか」
「はい」
「ていうか、どこにそんな情報が?」僕は問いかける。
「同じやつで。呟かれてるんだ。参加者がそう話してるのを聞いている人がいたんだと思うよ」
「今の時代、いつどこで誰が聞いているか、どこから情報が漏れるか分からないね」
ありがたいながらも、怖くなる現象だ。壁に耳あり障子に目あり、のレベルではない。
「よーし」イチさんが片手を拳にし、広げていたもう片手にぶつけた。「だったら、ちょっくらやってみちゃうか」
やって、みちゃう?
「……ちょっとイチ」トーさんが歩みを止めて、イチさんの前に出る。「なんか嫌な予感がするんだけど」
「あっ、バレた?」悪い悪戯でも思いついたかのような表情。
「まさかイチ、この間見たドラマの真似でもしようだなんて考えてるんじゃないでしょうね?」
「おま……気持ち悪りぃなぁ。なんで分かんだよ」
「付き合い長いからねぇ、だなんて冗談言うと思った? そんな危ない橋、渡れないからね。ていうか、渡させない。バレたら一発アウトなそんな危険なこと」
はい? 発せられた言葉には、不安と不穏しか感じられない。
「いいじゃねえか」イチさんはにやりと不敵に笑む。「その方が緊張感あって。ヒリヒリしようぜ」
「だから……」
「いいから、これ以上被害出さねえためにも、早めにケリつけなきゃなんねえだろ。やるって言ったらやる。危険でもやる。いいな?」
「あの、すいません」我慢出来ずに、今度は僕が手を挙げる。「やるって、何を?」
「よくぞ、聞いてくれた」
イチさんの笑みは、奇妙なまでに最高潮に達していた。




