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怪異妙奇譚伝  作者: 片宮 椋楽
貳譚目其乃弌〜恋患-コイワズライ-〜
59/81

十八

 ここだ。


 スマホの地図は、すぐ目の前の建物を目的地として示していた。


 様々なオフィスビルが並ぶ街の中心地にて、誇らしげにそびえたっている。


 現代的な作りは、まだ新築の気配を残している。出入口のある1階は大きくひとつに区切られており、他の階は一定の間隔で積み上げられていた。共通しているのは、どの階もはめ殺しのガラスが多用されていること。太陽の光が眩しく反射してくる。


 オフィスビル街の中でも一際高い。最上階は首を垂直に伸ばさなければ見ることができない。果たして何階まであるのか、数える気になれない。


 ここまで二人の姿は見えなかった。追い越してしまったのか、それとも中に……


「キャァ!」


 悲鳴が聞こえ、私は出入口へ視線を落とす。大規模マラソン大会でもスタートしたかのように、大量の人々が中から走って出てきた。悲鳴を上げている。逃げ惑っている。


 誰しも恐怖に慄いている顔をしている。あの表情、心当たりがある。


 直後、ガラスが割れる音が届く。今度は上。顔を上げる。一箇所不自然に開いた窓。そこから、細い何かが飛んでいくのが見えた。

 目を細める。それは突然、空中で停止すると割れた窓から中へと姿を消した。


 まるで命が宿っているかのような動きをしていた刀。今のって……


 どうやらもう先に着いているらしい。


「来るぞっ」


 男性の野太い声。遅れて、高音で割れる音が連続で聴こえてくる。視線を移す。五十メートル程向こうの地面に、ガラスが落ちてきていた。次から次に、高いところから垂れた水のような跳ね方をしている。

 反射される光のおかげで、体が危険だと判断し、私は腕を顔を覆いながら背を向けた。

 少しして音が止む。幸いにも破片が飛んでくるようなことはなかった。


 首を上げる。


 二人はあの割れた窓の階にいるはず……私は指で下からひとつずつ数える。


 窓が割れているのは、三十七番目。


 よしっ。止めていた足を急いで動かす。


 自動ドアから中へ入る。大理石の吹き抜けのエントランスを走り抜け、エレベーターへ。


 上ボタンを何度か押す。だが、反応がない。顔を上げた。


 ……ん?


 階数が表示されていなかった。今どこにいるのか分からない。改めて、上ボタンを少し強めに連打する。それでも駄目。安全装置のようなものでも作動したのか、止まってしまっているみたいだ。


 ダンッ


 金属が激しくぶつかる音。肩が怯えた反応をした。視線を向けると、ドアを強く開けた若い男性が出てきた。続けて、少しくたびれたスーツを着た初老男性やお洒落な服装を纏った女性複数人も。明かりが視界に入り、少し顔を上げた。緑色の背景に白抜きの人が扉から出ようとしている、例の照明がそこにはあった。


 それしかない、よね……


 私は非常階段へと足を進めた。


 閉まろうとしている扉をこじ開け、逆流するように中に入っていく。絨毯張の階段を駆け上がっていく。ねずみ色の壁のせいか、空間が少し冷えていた。


 下りていく人たちとすれ違いながら、時折何で上に上がるんだと怪訝な目で見られたり、止められたりしたけど、無視してひたすら上っていく。


 踊り場の数字が“20”を超えた時、私は殆ど口を開きっ放しになっていたことに気付いた。激しい呼吸をとめどなく繰り返し、常に酸素を入れ替えている。


 人とすれ違うことがなくなって広く歩けるのに、壁に沿って上っていた。正確には、壁を頼りにして上っていた。もう自力だけ動くのが難しくなっている。


 足の動きも悪くなっていた。鈍くなるというか、速度が落ちてきているというか。一段上るごとに、激しい疲れが全身に襲ってくる。


 同時に殺風景な、いつまでも変わらない空間に、私は少し焦りを感じ始めた。


 このままひたすら足を動かし続けても、二人のいる三十七階に果たして着かないのではないのか。永遠に着かずにそして……


 これまでに色んな不可思議な現状を目の当たりにしたせいで、今この瞬間にも何かの因果で、妙なループ空間に閉じ込められているのではないか。そんな考えが頭をよぎったのだ。


 こういう疑心は本当にめんどくさいし、何よりたちが悪い。「そんな訳ないだろう」とすぐさま否定したとしても、一度芽生えてしまったら、いつまでもいつまでも心の端っこに居座り続ける。少しでも疑心へと針が傾いたら、たちまち心を一色に染めていく。


 そんな恐怖にも近い心配のせいで、足取りはさらに重くなっていく。今の両足はまるで、中世の拷問でも受けているみたいだった。教科書とかに載っている、鉄球の付いた鎖が括り付けられている、アレ。


 だけど……私は頭を振った。


 今はただ上るしかない。それしかないんだ。先が見えなくても暗くても、上っていくしかない。だって、ここには諦めを打ち消すために来た。なのに、ここで諦めてしまっては意味がない。


「もう少しだから……いけるよ私」


 今は、言霊というものを信じることにした。




 はぁ……はぁ……


 私は両膝に手を着いて、荒い呼吸を繰り返す。足りなかった酸素が取り込まれていくにつれて、額からはどっと汗が流れ出てきた。


 顔を上げる。踊り場には確かに、“37”と表記されている。


 大丈夫、不安は杞憂だったよ、前の私。


 顔の口角が自然と上がったのを感じながら、視線を正面へと戻した。したたる汗を腕で拭き取り、呼吸を大きくし、通常に戻るまで整えた。


 ……よし。


 息が整い始めた私は姿勢を伸ばした。途端、激しく大きな音が聴こえ、思わず肩を動かす。


 何か大きな物が倒れてきたような、ぶつかった衝突した音なのだろうか。ドカン、という音。扉の向こうから聞こえてきた。


 私は唾を飲み込む。恐る恐る扉に近づいていく。足音を消し、距離を詰める。ドアノブに手をかける。力を込め、ゆっくりと時計回りに回した。


 たった少し。ほんの少し開けただけなのに、私の両目に驚きが飛び込んできた。


 ツナシさんが倒れている--状況を捉えた一言が私の脳裏を占拠した。


 左手、十メートル程度先、トの字型になった廊下の切れ目でうつ伏せで横たわっている。目を閉じ、顔の右側を地面に付けている。


 私はさらに扉を開ける。特に変なところはない、物がひどく散乱していること以外は。


 廊下は横に長く、広く伸びている。右側も見てみる。同じくトの字型になっている。上から俯瞰してみれば、ここはHのような構造をしていると思われた。


 ひとけはない。


 確認を終え、ツナシさんのいる左方向へと駆ける。

 まっすぐ前、大きい窓と窓の間にコンクリートの支柱があるのだが、大きくヒビが入っていた。

 恐らくだけど、ツナシさんが弾き飛ばされ、あそこにぶつかって、ここに転がったのだろう。


 そばまで静かに向かい、膝を曲げた。


 ツナシさんの体を仰向けにし、「ツナシさん」と小声で肩を揺らした。だが、起きない。


「ツナシさん……」


 声を抑えながら揺らした。けれど、起きない。


「ツナシさんっ」


 声と揺れを少し強めに。それでも瞼は開かない。開く気配すらない。


 これで起きないとなると……ああ、またも疑心が芽生えてきた。しかも、考えたくなど全くない、恐ろしく厭なこと。その上、可能性を否定しきれないこと。だからもう、最悪だ。


 私は確認のため、すぐに口元から少し離れたところで手のひらを伸ばした。神経を集中させる。


 あっ。


 風がきた。一定間隔で手のひらに空気が当たってくる。


 よかった……


 生きてはいる。どうやら、気絶しているだけみたいだ。


 動揺がほっと落ち着いたのも束の間、鼓膜を切り裂くような鋭い叫び声と大きなものが壁にぶつかる轟音と軽い揺れが体に届く。


 いる。確かにここに、怪異がいる。


 私は音のした方へ向かった。


 外から陽が差し込む窓を左目に、四十人から五十人程度入るガラスで仕切られたオフィスを右目に、真っ直ぐ伸びる廊下を忍んで歩いていく。


 15メートルほど先には半分取れた扉のある、オフィスがあった。他よりも広く大きい。遠目でも、中で物が散乱しているのが見える。

 何より、このオフィスだけコンクリートの壁で囲まれているが、ところどころ亀裂が入っていた。鉄骨が剥き出しになっているような状態が、起きている惨状がどれほどなのかを想起させる。


 あそこか……


 さらに距離を詰めていく。


 直後、壁が崩れる音が聞こえた。視線を向けると、金属製のネズミ色の机がひっくり返っている。


 どれほどの力なのだろうか……疑問もほどほどに状況把握のため、私はできた穴から覗いた。


 そこからは二人の男性が見えた。両者とも壁際に上半身をつけて、首を垂れている。一人は昨日の、怪異に頼んでいた人。もう一人は白髪が多いことから年齢は上であるだろうけど、それ以外は分からない。条件を鑑みるに、殺したい人間と殺される人間。なんとなく当事者の二人の気がした。


 視界の隅で何かが動く。目を向ける。こっちに向かって黄土色のキャビネットが横向きに激しく回転しながら飛んできたからだ。


「キャァッ!」


 まるでよく跳ねる野球ボールのように地面にぶつかっては浮かんでいるキャビネットに、私は驚き、尻餅をついた。考えて動ける早さではなかった。だからこそ、腰が砕けたのは幸いだった。


 キャビネットは、中にあるものを引き出しから飛び出させながら、頭のほんの少し上を通過した。私の後ろへといったのを目で追う。地面に何度かぶつかりながら、跳ねる。そのまま、窓ガラスを砕いて飛び出し、そして姿を消した。


 体の震えが止まらない。もし当たっていたら私がキャビネットになってきたかもしれない……そんな想像が脳内を巡り、悪寒が全身を駆け抜ける。


「チッ」


 聞こえた。舌打ちだ。


 体の向きを変える。すぐそばにはニノマエさんがいた。

 私に顔を向けていない。辺りを見回しながら、刀を構えている。肩で息をしていた。


「なんで来たんだ」


 強い口調だった。怒りが込められている。怒られるのは当たり前、自分勝手にやってきたのだから。


「ご、ごめんなさい……」


 再び舌打ち。


「助けんのは二人で精一杯なんだよ」


 二人……「じゃあ、あの人たちは」


「生きてるよ。殺しもせず、殺されもせず」


 口調的に、やはりあの二人ということか。よかった、なら気絶してるだけなんだ。


「心配なら自分にしておけ」


 ニノマエさんがそう言うと、右側で物が崩れる音が聞こえる。私もニノマエさんも視線を向けた。


「隠れるなり逃げるなり、お前の好きにしろ」刀を構え、両手に力を込める。「増やした手間は自分で片せ。いいな?」


「はい……」


 ニノマエさんの横顔に向かって私は頷いた。


 直後、連続した衝突音が。見ると、オフィスの机が蹴散らされていた。


 だが、その蹴散らしている主はなんなのか分からない。何も見えないのだ。ただ、何か得体の知れぬモノがこちらに突進しているということだけは分かった。


 ニノマエさんは地面を強く蹴り、まっすぐに走っていく。私は壁側に逃げ込み、様子を伺う。

 突然、ニノマエさんは刀を顔の前に構える。直後、何故か激しく後退してきた。木製の大きめな机にぶつかったことでどうにか止まる。顔を上げた直後、素早く左へ回転移動。直後、机は真っ二つに折れた。多分、怪異が踏み潰したのだろう。踏んだ衝撃が床を大きく揺らす。私は恐くなり、思わず壁に掴まる。


 乱れた体勢を直そうとするニノマエさん。だが、体はまっすぐになって固まった。そして、宙に浮かんだ。自分の意図した浮かび方ではないのは、苦悶の表情と何かから抜け出そうとする動作で分かった。

 高く持ち上げられた後、十一時の方向へ投げられた。まるで、コンディションの良いピッチャーが投げた豪速球のように、ニノマエさんは飛んでいく。オフィスの仕切りガラスを突き破り、例のヒビ割れたコンクリートの壁にうちつけられた。お腹から地面に落ちた。直後、ぶつかった衝撃で大きく欠けて飛び出したコンクリートがニノマエさんの背中に。


「ぐっ」


 喉の奥から出した詰まった声が聞こえる。痛みに顔を歪ませている。立ち上がろうとするも、体の半分ほどの大きさをどかすのに苦戦しているようだった。

 床が振動する。一歩一歩、ゆっくりとしている。どこか勝利を確信したかのような、余裕のある動きに聞こえてならなかった。


 このままじゃ……最悪のシナリオが脳裏をよぎる。


 いや、そんなことはさせない。


 ない頭を必死に回転させる。助けに行くのが最善かもしれないが、向かって助ける時間を考えると、間に合わない可能性のほうが高い。だからといって、このまま逃げるのはなによりもありえない。


 どうすれば……


 その瞬間、筒状の文房具たてが転がってきた。中に入った文房具もコロコロと。その一つ、ハサミが見えた。


 効果があるのか分からない。けれど、何もしないよりは断然いいはずだ。


 私は手に取り、見えない怪異に向かって思いきり投げた。ハサミは山なりの弧を描くも、突然空中で動きを止めた。刃は斜め下を向いている。


「ギュアァ」


 聞こえた。甲高く、複数の人の声が混じったみたいな。私にはそれが痛みを感じた時の反応のように聞こえてならなかった。


 見えないけど、当たる--私は、手当たり次第に投げた。分厚いファイルやらペン立てやらノートパソコンやらキャビネットから飛び出してきたものや辺りに転がっていたもの、とにかく手当たり次第全部。

 どれも少し飛んでから不自然な方向へと軌道を変えたり、突然空中で割れたりした。例えるとそう、映画とかで透明人間に手当たり次第モノを投げている時のような状況だ。


 転がっていたコンクリートの壁の欠片を掴み、両手で思いっきり投げた。が、動きが止まった。空中で不自然に。さっきハサミが刺さった時とは異なる。それはまるで……


 突然、怪異が見えた。何の前触れもなく、急にポンと現れたのだ。段々現れるのではない。瞬間移動でもしてきたかのよう。


 ライトのアームを掴んだまま、振り返って私を睨んでいた。どんな感情を抱いているのかと問われれば、間違いなく、怒りと敵意だ、と答えれるほど。怪異の足先は私の方に向けられる。


「逃げろっ」


 ニノマエさんの言葉が耳に届いた瞬間、怪異は一歩目を踏み出した。

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