十二
「はじめまして、崔野です」
由奈は深々と頭を下げる。会釈ぐらいかと思ったのか、ツナシさんたちは慌てて立ち上がった。
少し慌てたその様子を横目で訝しげに見ながらも、ニノマエさんは同じく立ち上がった。
「ツナシです」
「ニノマエです」
続けて、ツナシさんは「どうぞ、おかけください」と一言添えた。ここで由奈は軽い会釈をし、リュックを下ろし、地面にあったカゴの中に入れた。
「佑香と同じ大学の方だとか」
視線は二人を交互に向けながら、由奈は首元からマフラーを外した。まだする時期ではないけれど、体調でも悪いのだろうか。
「ええ、同じ授業を受けています。まあその担当教授が宿題の多いこと多いこと。席が近いこともあり、愚痴り合いをしたところ、意気投合しまして。今に至ってます」
ツナシさんは私の顔を見た。笑みを浮かべている。突然であったため、合わせる。勿論言い合ったことなどない。たった今作ったとすれば、何とも上手い作り話だ。
「そうだったんですね」
そんなツナシさんの隣には、勿論ニノマエさんがいる。だが、先程まだとは異なり、真一文字に口を閉じている。沈黙を貫いている。
「すいません、無理言って同席させていただきまして。軽くですが以前から片桐さんからお話を伺っており、少し心配になりまして。ほら、世の中物騒ですし」
「いえ」由奈は首元の襟を直す。「佑香がいいなら、私は構いませんよ」
おもむろに椅子を引いて腰を下ろすと、由奈の目線は不意にニノマエさんの方へと移った。あまりに沈黙を貫き過ぎたか……
「あっ、彼は私の友人です。片桐さんとは今日が初対面なんですよ。人見知りで緊張しいなので、こんな無愛想な感じですが」
即座に状況を察したツナシさんがすかさずフォローを入れた。
「いえいえ、お気になさらず」由奈は口の端に軽い笑みを溜めた。代わりにといってはなんですが、一つよろしいですか?」
「なんでしょう」
「何の講義ですか」
「はい?」ツナシさんは眉を上げた。
「いや、大学で宿題が出るなんて珍しいなと思いまして。どんな授業なんです?」
「ええっと……」
由奈からの止まらぬ問いにツナシさんは言葉を詰まらせた。そりゃそうだ、そこまで話題が広がるとは想像していなかった。なぜそんなことを、と頭にクエスチョンマークが幾つも浮かぶ。
「ごめんね、突然呼び出したりして」
無理矢理だが、私は軌道に戻す。これ以上、根掘り葉掘り聞かれるとボロが出るかもしれない。
「いいって。ここなら大学から近いし、空きコマ潰しに丁度いいから。けど、突然来てって言われたのには、意外だった。今までそんなこと無かったから。あっ、そういえば、ニュース見た?」
「うん」
皆まで言わなくても、由奈が言いたいことは表情が重くなった瞬間、分かった。というより、伝わってきた。
「苦手だったし嫌な人だったよ? けど、まさかあんな酷い死に方するなんて……なんか実感湧かないよ」
同感だ。少し前まで普通に二足歩行していた身近な人が顔を潰されるなんて、到底思いもしない。現実味が無い、無さ過ぎる。
「それなんだけどね」
少し無理矢理ではあるが、私は本題を切り出した。
「土金さんって昔、その、職場の人をストーカーしてたって聞いたんだけど、知ってる?」
由奈は私よりも前から勤めている。とはいえ、2、3ヶ月程度の違い。知ってる知らないの割合は五分五分といったところだった。
「ああー」由奈は虚空を見上げた。「そういえば、なんかそんなことしていたらしい、ってのはちらっとね」
まさかのビンゴ。
「けど、らしいだよ? あくまで噂の範疇。証拠とかあったわけじゃないし、ほら職場の人の噂を下手に広げるとさ、人間関係拗れちゃうでしょ?」
確かに。とはいえ、良いスタートは切れた。次の質問に移ろう。
「でね、由奈に聞きたいことがあるんだけど」私は前のめりに体を倒す。「他にもそういうことされた人がいたかとか、噂でもいいんだけど、なかった?」
「それっていうのは、ストーキングされていた人を知らないかってことを知りたいってわけ?」
「まあ……そういうこと、かな?」下手くそながらも、お茶を濁す。
「なんでそんなこと?」
由奈は眉間にシワを寄せた。まあ、当然の反応だ。
「いや、まあ」
そう言われてしまうと、なんとも弱い。本当の理由を話しても到底信じてくれるはずがない。どうしようか……
「警察に聞かれたんですよ」
助けてくれたのは意外にも、ニノマエさんであった。
「疑われているとまではいかないですけど。いや、そういう立場に近いですね。だから、何か他の有力な手がかりが掴めれば、無実を証明することができると思いまして、色々と調べているというわけです」
「そういうことだったんですね」
由奈は小刻みに頷きながら、虚空を見た。記憶を辿ってくれているのだろう。
「ごめん……聞いたことはない」
はぁ……心でため息をついた。
「けど」
二言で、意識せず顔が上がった。
「かもしれないって人は知ってる」
えっ?
「佑香と同じで、会うたびに顔がやつれていった人がいたの。時間帯合うことがあんまり無かったから直接話したのは数回程度なんだけど、見るからにって感じで」
「その人、今はもう」
「うん、やめてる。佑香の来る……2週間前だったと思う」由奈の目線は暗く、落ちていた。
「そうなんだ……」
視界の隅で動きがあった。顔を向けると、沈黙を貫いていたニノマエさんが何故か手をあげていた。
「何?」
「ちょっとションべ……お手洗い行ってきます」
ほぼ言い切っていた状態で言い直して立ち上がるニノマエさん。
「あっ、すいません」
由奈は置いていたリュックをテーブルの足に寄せて、道を開けた。
後ろにあった刀の袋を肩に背負うと、「すんませんね」と手を縦にして軽く振る。同時に、歩みを進め、隣のテーブルとの間を抜けていった。
ガンッ。鈍い音が聞こえた。
「やべっ」
ニノマエさんが振り返った。視線の向けた先は一点。音の正体はすぐ分かった。
「もう……」呆れ顔のツナシさん。「気をつけてよ」
「悪りぃ悪りぃ」手を顔の前に。
「いつも言ってるでしょ。ちゃんと扱いなよって」
「だから悪かったって。ったく、ピリピリすんなよ」
「ピリピリもするさ。いつどうなるか分からない今、壊れたらどうすんの」
「そんな柔な代物じゃねえ、ちゃんとした上物だ。ったく、そんなピリピリしたって、ねぇ?」
ニノマエさんは視線を移した。何故か、由奈。
「え?」案の定というべきか、目を見開いている。
「そんな音聞こえなかったもんな?」
「ええ……」まさかの賛同を求められ、由奈は呆気にとられていた。
「ほーら。ぶつかった音だけだよな」
「はい、割れる音とかはしませんでした」
「だよなー」顔を傾けて同意を助長した。そして、「ですって」と、そのままツナシさんに顔を向けた。
眉をひそめたまま、バツが悪そうに一つ息を吐く。「一応、確認してよ」
「へいへーい」
手を頭の上で振りながら去っていった。
「すいません。あいつズボラなもので」
「いえ」
由奈は苦笑いを浮かべた。
「それじゃ」
由奈は軽く頭を下げ、去っていった。もう授業まで時間が無いからか、少し駆け足だった。
「ちょっと手伝ってくれるか」
そう口にしたのはニノマエさん。由奈の姿が小さくなってからだった。
「手がかりが得られた」
えっ?
「手がかり?」
「割と大きめの、な。まあ詳しくは追って話す。とりあえず、何も言わずに手伝ってくれ」
「それは勿論ですけど、何をです?」
振り返った私は耳を少し傾けて、内容を伺った。
「テレビとネットだ」ニノマエさんはポケットに手を突っ込んだ。「あの死体について扱ってるニュースや記事を片っ端から見てってくれ」
……は?
「あっ、やっぱりイチも?」
ツナシさんは言わんばかりに、片眉を上げた。
「んだよ、珍しくオレだけかと思ったのに」
「珍しくって、認めてるんだね」
ニノマエさんはしまった、またやられたと言わんばかりに、瞼を大きく開いた。
「るせぇ!」
「ちょっ、ちょっとっ」
勝手に話が進んでるのを思わず止める。二人は合わせて振り向いた。
「一体……どういうことですか?」




