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怪異妙奇譚伝  作者: 片宮 椋楽
貳譚目其乃弌〜恋患-コイワズライ-〜
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 わっ!


 慌てて飛び起きた。上半身が前につんのめ、扉の寸前で止まった。危なかった……私は便座の蓋にもたれ直した。どうやらいつのまにか意識を失ってたみたいらしい。


 どのぐらい寝ちゃったんだろうか、私はスマホの画面を起こし、時刻を確認する。相当な時間が経ったように思っていたけども、よかった、まだものの10分ぐらいしか経ってない。


 ため息をつく。


 辺りは静寂に包まれている。こんな夜中に公園にいる人などそうはいない。金曜の夜や土日ならまだしも、ド平日。

 しかしそのせいで、孤独と無音の空気はふとした拍子に恐怖に包みこもうとしてくる。


 どうしよう……このまま出るのにはまだ勇気が出ない。


 そうだっ!


 私は取り出していたスマホの電話アイコンをタップし、履歴から電話をかけた。


『何?』


 晴矢の声が受話器から聞こえる。素っ気ない。そりゃそうだ、現在進行形で喧嘩しているんだから。けれど、知ってる人の声を聞いて安心する。本当の意味でようやく落ち着けた気が来た。


「声が聴きたくて」嘘ではない。言わないだけ、伏せただけだ。


『今仕事中だから』


「見たのっ」


 このままだと切られてしまう。言葉にできない感情が急に芽生え、咄嗟に声を上げてしまった。


『何を?』


 当然、そうなるよね。


「……バ」言葉に詰まる。


『ん?』


「バケモノ」


『バケモノ?』


「私、追いかけられたの。なんでか分からないんだけど、他の人には姿が見えていなくて。だけど確かに追ってきていて」


 入口を突破したら、言葉がとめどなく溢れてきた。


「それでね。とにかく必死に走って、どうにか逃げて、今公園のトイレに隠れ……」


『ストーカーの次は化け物か』


 声色で分かる。怒りと呆れが混じっている。


「本当に見たんだってっ!」


『はいはい』


 信じてない。信じてもらえそうにもない。


「本当に見たんだよ……」


『じゃあ、どんな見た目だった?』


「見た目は……あれ?」


 思い出せない。確かに奇妙でおかしな存在と出会ったはずなのに、この目で見たはずなのに、覚えていない。忘れるはずのない風貌だったはずなのに、忘れてしまっている。


「その……」


 またも言葉に詰まる。


 変だ。全てが変。まるで並行世界に迷い込んでしまったかのような奇妙さだ。世にも奇妙ななんとやらみたいな、日常とほんの少しだけズレた世界みたい。


『言えないのか。そうか、言えないんだな』


 疑心は確信に変わった。私が嘘をついている、と思っている。


「待ってっ。これには訳があるの」


『ストーカーも同じだよな』


「えっ?」


『相手に心当たりがないのはいいとしても、手紙とか変なモノが送られてくるとかさえ無かった。あるのはどこかから感じる気配だけで、明らかな証拠は何一つなかった』


 確かにそうだ。だからこそ、言うのを控えていたという面もある。


『それでも俺は佑香のこと信じてた。一番の理解者でありたかったからだ。被害妄想だとしても、そばで一緒に治せる人間でありたいと思ったからだ。だから、夜どんなに遅くても用があっても、なんとか時間作って、送り迎えしてた。こっちだって暇じゃないし、家の前まで連れていってくれるタクシーの運転手でもない』


「分かってるよ、そんなこと」


『そんなこと?』晴矢の溜息が漏れる声が聞こえた。


「いや、その、違う」言葉を間違えた。「これは、つい反射的に」


『距離、置かないか』


 ……えっ? スマホが手から落ちそうになる。


『今は口開けば喧嘩が始まる。しばらく会わないで、互いに見つめ直そう。これからも付き合っていくべきか時間かけて考えよう。俺たちにとって、最善策だと思う』


「ちょっと待ってっ、晴矢」


『じゃあな』


 言いたいことはまだあった。でも、無慈悲なまでに突然に電話を切られた。腕から力が抜け、だらんと落ちた。


 ふとあの時のことが脳裏をよぎる。車がバケモノの後ろにきた時のこと。今思うとおかしな点があった。いや、それだらけだ。


 車はバケモノの後ろすぐそばまで距離を詰めていた。近づいていた。少しブレーキを緩めれば人間でいうふくらはぎ辺りに当たるのではないかというギリギリの位置だったはず。その上、運転手は窓から顔を出し、「邪魔だっ」と大声で叫んできた。怖がる素ぶりはなく、まるで尻もちをついていた私に対して、慌てて止まって激昂したよう。あんなに図体が大きいんだから見逃していたなんてことあるはずなんてない。確実に目がバケモノの方へ動く程の至近距離でも視線が一切揺らいでいなかったから、見えていなかったという方が正しいと思う。そう考えるとやはり、あのぶつかった人と同じく、あのバケモノは私以外には見えない(・・・・・・・・・)という奇妙さから察するに、100%だ。


 うん……言葉にはしてみたけれど、とはいえすんなりとは飲み込むことはできない。これまで生きてきた中では起こらなかった、考えることすらなかったことが突然前触れなくやってきて、まるで経験を全て否定されたような、呆気なく日常が崩壊してしまったよう。本当に変な現象だ。


 あっいや、そうか。変な現象はまだ他にも残っている。なぜか、バケモノの容姿を忘れてしまっていたことを思い出した。

 頭から抜け落ちてしまったように記憶が無くなってしまった。晴矢に上手く説明できなかった時のもどかしさはこの上ない。確かに目撃して追いかけられるという、忘れるはずのない被害を受けているのに……


 説明のつかないことが次から次へに起こっている。いや……考えれば考えるほどあり得ないという気持ちが大きくなる。あんなのが今までずっとこの世界に存在さえ知られずに生きていたということを考えると確かに、はっきり正解が出てすっきりできる理屈なんていうものは、無いかもしれない。


 ジャァリ


 砂利を踏む音が敏感な耳につんざく。体が固まり、頬はひきつる。


「ドォゴォ」


 見なくても分かる。この声はあのバケモノだ。戻ってきた。戻ってきたんだ。


「ドォゴォナノォ」


 探している……私は息を殺した。


 リリリリリン


「ヒャっ!」


 静寂の中、突然の爆音に思わず声が出る。体に走った細かな振動に驚き、体は飛び上がり、扉にぶつかった。


 な、何!?


 またも音が鳴る。振動も。そうか、あの音……聞いたことあると思ったら、電話の着信音だ。

 慌ててスマホをポケットから取り出す。誰がなんてどうでもいい。取り出した途端、拒否ボタンを連打する。


 再び辺りは静寂に包まれる。足音も鳴き声も何もない。聞こえるのは心臓の鼓動。一回一回脈打つたびに音は大きくなる。


 突然、トイレが揺れる。パラパラと天井から石のような何かが落ちた。すると突然、閉じられた個室から開けた公園の景色に変わった。


 えっ?


 次の瞬間、左側の轟音とともに地面が激しく揺れた。顔を横に。20メートルぐらい先に、屋根の角が地面に突き刺さり、斜めになった建物があった。反転して見えるのはトイレのマーク。私が入ったはずのトイレがあんな場所にある。しかもあんなおかし過ぎる形になっている。視界の隅に足元が入る。そこには、地面から折れ線グラフのように不恰好に伸びた建物の残骸が。洋式のトイレは残っている。


 さっきまで扉が壁があったのに……突然、景色が変わるというあり得ないことに動揺した。でも、理解はできた。ああ、トイレがもぎ取られたんだ。


「ィタァ……」


 後ろから聞こえた。ゆっくりと顔を向けた。いた。あのバケモノが私をじっと見つめて立っていた。


 不思議ともう恐怖も絶望も感じなかった。悟っただけ。ただ、これで終わり、という悟り。


 あぁ、私はこれでもう……あっという間の一生を終えて……


「リョクッ」


 男性の大きな声が聞こえる。すると、風など吹いていないのに、激しく草木が揺れ始める。


 な、何?


 途端、バケモノへ草木が伸びていく。そして、雑草の集合体や蔦が手足を縛り、動きを止めた。抵抗するも、よっぽど強いのか、解くことができないようだ。


「トウエンっ」


 またしても叫ぶ声が聞こえると、蔦の荒く切れる音を起こしながら、バケモノは遠く向こうへ飛んでいった。そして、地面に叩きつけられた。直後、バケモノの体に残っていた蔦や草が地面に伸び、固定した。動いて解こうとしている。バケモノは一定間隔で叫び続ける。その中には、声にならない声を悔しそうな感情を込められているように感じた。


 何が何だか分からない。ただ、バケモノとの距離が一気に離れたという現象が目の前に起こっているだけ。


「お怪我はありませんか」


 横目に手を差し伸べられたのが見えた。さっきの男性の声。私は茫然とした素っ頓狂な顔を向ける。


「あっ」


 私が声を上げると、男性はにこやかに微笑んだ。嫌悪のない、好意的な表情を見たのは、時間的には短いけれど、なんか凄く久しぶりな気がしてならなかった。


「あなたは……」


「お久しぶりです」


 その一言で可能性は確信に変わった。そうだ、今日会った。予約本の受け取り日を間違えていた、あの人だ。

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