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怪異妙奇譚伝  作者: 片宮 椋楽
壹譚目〜即白骨-ソクハッコツ-〜
39/81

三十八

 目を覚ます。


 というよりは、普段目を瞑った時と同じように、目を潤わせるため一瞬閉じた時と感覚は似ていた。全く寝ていたという実感はなかった。けど、目を開けて真っ先に白い天井が目に飛び込んできたことで、自分がいつの間にか横になっていたことを知った。

 起き上がろうと左腕をつく。異様な違和感を感じる。なぜか折り曲げたりができないのだ。視線を落として理由を探ろうとする。けれど、もう理由は明らかだった。白い包帯の下にクリーム色の何かが腕を覆っていた。経験はなかったが、それが一体何なのか、一目で分かった。ギプスだ。保護して治りを早くするために、患部の固定に用いられるアレ。

 同時に、辺りの様子も分かった。そうか、俺、今、病院にいるのか……しかも、周りには誰もいない。個室だからだ。


「おっ、ようやくお目覚めか」


 俺は右のほうへと首を曲げた。


「北さん……」


 背もたれのない丸い椅子に、北さんは座っている。いつも通り、よく蓄えた顎髭と白髪交じりの短髪と年季の入った顔のシワ。なんか安心する。再び起き上がろうとするが、「いい、いい。無理すんな」と椅子を引きずり、向こうから寄ってくれた。お言葉に甘え、俺はそのまま体を寝かすことにした。


「俺、どれくらい寝てました?」という問いに、北さんはポケットからスマホを出して、「3日と4時間21分35秒だな」と答えた。


「えっ……」


 あまりにも正確で予想外の時間経過に俺の目は思わず開けっぴろげになった。


「嘘じゃないぞ、ほら」スマホを見せられる。画面には、ストップウォッチが表示されており、言われた通り、“76:21:35”とあった。


「暇だったんで、計ってたんだ」北さんは


「あぁ……」そうだったのか。「なんで北さんがここに?」


「なんでって呼ばれたんだよ」


「はい?」


「お前、病院の入口で倒れてたんだぞ?」


「え?」


「じゃあ、覚えてるか? 何日も無断欠勤してたのは」


「えっ?』


「やっぱ覚えてないんだな」北さんは頭頂部を掻き、前傾姿勢になる。「最初連絡来ないし取れないのは神隠しにあったからじゃないかなんて冗談言って笑ってたけど、一向に連絡取れないから何かヤバいことに巻き込まれたんじゃねえかって思ってたら病院から電話が来た。おたくの記者が入口に倒れてましたよ、ってな」


「はぁ……」と俺は俯き、手元を見る。


「入る寸前で力尽きたか」と尋ねてきた。けど、俺には「いや……」と首をかしげることしかできなかった。だって、覚えてないから。はいともいいえとも言えないのだ。全く自分のことなのに……自分が情けなくなるよ……


「まあそこはいい。体は痛むか」


「多少は」頭とか背中とか足とか、それこそ左腕とか。「それより、全身が重くて気怠いの方が辛いです」


「なら、まだ何もしたくないか?」


 妙な質問だ。


「まあ……けど、喋るのは問題ないですよ」今のこの会話が面倒くさいことだと思われぬよう、フォローしておく。


「だったら」北さんは膝を叩いて立ち上がった。「ちょっくら電話してくる」


「編集長にですか?」


「いや、警察」


 えっ?


「なんでです?」


「目が覚めたらなるべく早く連絡寄越せって言われたんだよ」


「じゃなくて、そもそもなんで警察が?」


「お前を診た医者がな、ヒビの入った肋骨と左腕、それに頭から足元まである傷と痣を見て、誰かに襲われたんじゃないかって思ったんだと。どういう経緯で襲われたか分からなかったし、お前が記者だと知って『何かに事件に巻き込まれたからじゃないか』と考えたらしい」


 成る程。


「てことで改めて、呼んでいいか?」


「あっ、はい。お願いします」


「おう」


 北さんは部屋を出ようと、扉を横にスライドさせた。が、扉を閉める前に顔だけ中に入れて、「さっきまで編集長いてな、それ置いてった」と一点を指さした。見ると、ドラマとかでしか見たことないフルーツバスケットが。りんごやみかん、なしやぶどう、小ぶりだがメロンも。


「食えれば食っとけ」


 で、北さんは扉を閉めた。1人になる。俺は手を伸ばす。が、左腕が邪魔だし、体に痛みが走るし、だった。自力で食べるのを諦めた。




――それから20分ほど経っただろうか、部屋の戸が開いた。そこには制服を着た警官が2人。そうして、俺の初めての聴取が始まった。事細かに様々なことを聞かれる。だが、返事はほど「覚えてないです」や「分かりません」のどれか。記憶にないから、話そうにも話せない。警官は持っていたペンを動かすことはあまり無かった。

 困った警官たちは、次第に話がおおまかな話に移していく。「昨日は何をしていたか」みたいに。けど、それさえも分からない。辛うじて分かるのは、タクシーに乗って帰ろうとした時、女性が誰かに追われているのを見て、飛び出していったことだけ。だが、それを聞くと警官たちは満足そうな表情になり、帰る準備をし始めた。最後に、「もしまた何か思い出したら、連絡を」と言い、部屋を出て行った。

 正直思い出せる気はしなかった。だって、一部だけじゃないから。まるで記憶を消されたように跡形もないから。


 退院したのは、目覚めてから4週間が経過した後だ。不幸中の幸いにも、足には重傷を負っていなかったから、歩行を再開することはそこまで困難ではなかった。腕のギプスも首に三角巾もまだ取れないけれど、リハビリなど引き続き病院にお世話にはなってしなきゃいけないことはあるけれど、体調等は頗る良いらしいので、通院という形で構わないということだった。


 退院当日、部屋を出る準備をしてる時だ。あの、警官2人が再び部屋にやってきた。そして、「何かの不利益な情報を手に入れようとして、もしくは誰かを助けようとして、暴行を受けた。記憶が飛んでいるのは、殴られたか蹴られたかの際に、脳に強い衝撃が加わったことだからではないか」と、俺の怪我についての捜査結果が告げられた。正直、何も分からないという結論に至ったというわけだ。

 一応、オヤジ狩りという線も警察は調べてくれたそうだ。確かに現金は盗まれていた。けど、キャッシュカードやクレジットカードなどは一切盗まれていなかったため、金品が最初から目的ではなかったのではないかと判断したそうだ。さらには、あくまで何かの不利益な情報については本当に推論。肝腎要の俺の記憶があやふやなため調べようがないが、可能性が排除できないから述べただけだ。


 ちなみに、そんな警察からの報告を別日にしたところ、「そんなのただの個人的見解だろうが」と反論する人もいた。というか北さん。確かに、警察もお手上げだからとりあえずそういうことにしておきたい的な雰囲気は聴取の時からあった。満足そうな表情はおそらくそういうこと。だけども、覚えてないのだから、それを受け入れるしかなかった。それに、警察から告げられ、自分の中でもそんな感じだったかなぁ、みたいな気がしてきていた。記憶とは良い意味で対応するものであり、悪い意味で適当なものであることを痛感した。――




 ふぅー……


 俺は右側に置いていたアイスコーヒーを手に取る。ストローを使って一口。二口三口。梅雨も明けて、もう夏真っ盛りな今は、アイスコーヒーが美味しい季節だ。加えて、涼しい中でならば最高に美味い。


 今日まで分かったことを一通りまとめようと、俺は冷房の効いた喫茶店に入って書いている。普段はパソコンで打っているが、片手しか使えないため、珍しくペン書きだ。書き直しが難しい分、緊張感を持って文章を紡げている。だからか、ある程度読める文章になっていた。だけども別に、誰に見せるために書いているわけじゃない。自分の身に何が起きたのか改めて整理するために、しっかりと文章にして残しておきたかったから書いてる。


 改めて、こう文章にして思うが、不可思議なものだ。というか、おかしい。何故記憶を失っているのか、さっぱり分からない。


 不思議といえば……俺はふと退院後のことを思い出した。


 俺は家に帰宅するため、タクシーを拾った。久々の家。普段住んでいるはずの場所なのに、少し浮き足立っていた。帰れることにワクワクしていた。

 後部座席に乗り込み、目的地を言う。運転手の「かしこまりました」の一言をきっかけに、俺は窓の外の病院を眺めた。俺はここにひと月いたのか……瞼を閉じて、物思いに耽る。


 目を開く。どうやらいつのまにか寝てしまっていたようだ。俺は顔を正面にした。タクシーは止まっている。辺りを見回すが、見覚えのある風景ではない。まだ着いていない。赤信号で停車しているだけ。


 欠伸を手で塞ぎ、ドアにもたれかかる。外を眺める。あれ? ここって……やはりだ。病院で目を覚ます前に、俺が覚えている最後の記憶の場所だ。同じくタクシーに乗っている時、女性が誰かに追われているのを見て、俺は飛び出した。


 そうだ。いや、そうじゃない。それだけじゃない。もっと何かここであったはず。自分にとって大きく大事な何かがあったはずなんだ。


 なのに……なのになんで俺は……


「ど、どうしました?」


 運転手から声をかけられた時、顔の妙な違和感に気付く。頬に伝っている何かを指先で触れる。驚いた。水だ。水が出てるのだ。両手で顔じゅうを触る。どこもかしこも濡れている。


 そうか……俺は今、泣いているのだ。


「お、お客さん?」


 運転手がフロントミラー越しに見ている。心配そうに眉をひそめて。


「いや……ゴメンなさい。大丈夫です」


 次第に、温かみを帯びたぼんやりとしたもやが胸に湧く。息が荒くなる。


「大丈夫ですから……何も……何も……」


 俺は泣いた。何故か分からないまま、暫く泣き続けていたのだ。


 あれは一体何だったんだろうか……今でも理由は分からない。無性に悲しくなり、涙が出てきたのだ。とめどなく溢れてきてしまったのだ。


「そろそろ行こっか」


 隣の席の男女が席を立つ。確か、俺よりも少し後に来たはず。すぐに時計を確認する。マズい、もうこんな時間。早く書かないと。病院に行く時間になってしまう。また遅れたら、リハビリはこれからの生活にどうたらこうたらってお叱りを受けなきゃならない。


 早く、昨日までに分かったことをまとめないと。

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