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怪異妙奇譚伝  作者: 片宮 椋楽
壹譚目〜即白骨-ソクハッコツ-〜
29/81

二十八

 ずっと走った。ただ、ずっとずっと走り続けた。ひたすらに何度も角を曲がった。大通りも走った。奥ばった道も走った。結果、いくつもの集合住宅が建ち並んだところに来た。走っても20分強だから自宅からそこまで距離があるわけでもないが、こんなところあったんだと辺りを見回してしまうほど、見覚えのない知らない場所。


 後ろからサイレンは聞こえない。車のエンジン音も同様だ。それは、走ることに意識しているから耳に届かなかっただけなのか、それともパトカーが来てないのか。


 俺は勢いよく振り返る。結果は後者。視線を感じたけど、警官も刑事もパトカーも追ってきてなかった。それどころか、俺たちが目立っちゃうほど人さえ歩いていない。目で確認したことで安心できたのか、足がのスピードが緩んでいく。動かなくなっていく足の代わりに手が膝へ動いていく。何故なのかは分かる。疲れた体を支えるためだ。

 ついに、足が止まる。肩で息をする。視線は地面へ落ちている。そこに、上の方から誰かの靴がやってくるのが見えた。顔を上げる。相手はトー君だった。


「追ってきてないようですし、ここらで休みましょうか」


 俺は心配してくれるトー君に少し違和感を感じた。だが俺はすぐにそれを拭い、背を起こした。理由は「大丈夫」だと言うためと、そういう姿を見せるためだ。エンドウさんには時間がないんだ。俺1人が悲鳴を上げてる場合じゃない。


「賛成、です」

 そう口にしたのは、エンドウさん。ゼエーゼエーという擬音がぴったり当てはまるほど粗く息を吸って吐いてる。だから、「そうだね」と答える。もしかしたら、あの黒い痣の悪影響が出てるのかもしれない、と思ったからだ。


 「では……」辺りを見回すトー君。「あそこ、とかはどうでしょう」

 トー君が指をさす。顔を向ける。20メートルぐらいの向こうにある物を見た時、まるで喉が渇ききったまま砂漠を歩いている最中に見つけたオアシスのような幸福感が体じゅうを走り抜けた。


 ベンチだ。公園に独りぽつんとあるベンチ。いつもはどうってことのないただの、だけど今この状況下では最上なものに見えた。あと少しで座れると、もう棒になってた足を鼓舞しながら、どうにかベンチまで移動した。

 目の前に着いてからは何も考えずに動けた。くるりと体が半回転し、腰掛けた。いや、体を落としたと言った方が近いかもしれない。一瞬力が入らなくなった時があったし、ベンチがズトンと軋む音が聞こえた。


「大丈夫ですか?」


 心配そうに尋ねてくるトー君。そこで違和感の正体が分かった。息が整っているのだ。うちからここまで全く走ってないんじゃないかってぐらいに疲労感は見えなかった。若いっていいな……


 「ああ。ちょっとね」と口では言ったが、実を言うと疲労は溜まりに溜まり、まさに疲労困ぱい状態だった。


「なんで、俺は警察に?」


 俺は肘を肘につけて前屈みで休みながら、目を閉じ俯いているエンドウさんを横目に訊いてみた。時間を無駄にはしたくなかった。


「自分の胸に手ェ当てて聞いてみろ」


 同じく全く疲れを見せないイチ君から返事が来たんだけど、なんか俺が凄い悪い事したみたいになってない?


「と言われても全く心当たりが……」


 困った俺がそう言うと、「当然ですよ」とメガネをクイッと上げたトー君が助け舟を出してくれた。同時に、新たな疑問も生まれた。


「というと?」




 どうやらトー君によると——タクシーの運転手が「路地裏の前で人を降ろした」と警察に通報したそうだ。で、車載カメラにより顔がバレた。そこからどう紆余曲折したかは分からないが結果、俺は参考人になってしまった。そのことを、イチ君やトー君はテレビを付けた時にやってたニュースで偶然知り、エンドウさんを起こした。俺を最初に起こそうとしたらしいのだが、一向に起きなかったから渋々だそう。それで3人で策を練っていたところに、パトカーの音が聞こえてきた。トー君らが時間稼ぎをする中、イチ君がぐーすか寝ていた俺を刀で突きながら無理矢理起こした——ということらしい。


 俺はケータイを取り出し、ネットで即白骨について調べる。今の時代、情報は容易に大量に手に入る。何より、早い。先ほど立てられたであろう掲示板には、間違いなく許可を取っていない俺の経歴やら写真やらがさも当然というかのように大々的に公開されている。個人情報が晒されまくり、夜中だというのに罵詈雑言誹謗中傷の嵐が逐一更新されている。

 しかも、俺はエンドウさんに誘拐されていることになっているようで、詳しく調べてみるとそれは四六横丁に行く前、つまりあの悪霊の集合体を倒した後、動画に撮られていたみたいだ。あの悪霊の映像はないっぽいけども、それにしても恐ろしい……


「十数件の殺人に誘拐……近年稀に見る大犯罪者だね。そんな犯罪者、記者として是非とも取材してみたいもんだなーってそりゃ俺か! そっかそっか〜だったら取材なんて簡単だ。楽チンだ。だって俺なんだもん。俺なら24時間いつでもどこでも幾らでも取材できちゃうよぉ~ハハハハハハ……じゃないよっ!!」


 朝3時の叫びが辺りに響き渡る。


 「長っげーノリツッコミだな」ヘラヘラ顔でおちょくってくるイチ君は無視。それどころじゃない。


「俺犯人じゃん! 俺犯罪者じゃん!!」


 俺は思いの丈をこれでもかと叫ぶ。手に力が入り、ケータイが悲鳴を上げてる。


「確かにね、相手は怪異だってことは誰も知らないわけだし知ることもできないんだから仕方ないといっちゃ仕方ないよ? だけど、だとしても俺がこんな風に貶められるっていうのはおかしくない?? いや、誰も貶めてはいないんだけどさ、とにかくこんな扱いを受けるっていうのは甚だおかしいよね? 絶対おかしいよ」


 冤罪はこうして作られていくのだと痛感させられる中、トー君が「坂崎さんは犯人じゃないです」とフォローしてくれた。

 優しい口調。だけど、とても心強かった。彼らがいなければ俺は誰にも信じてもらえず、1人逃げてたのかもしれない。寂しさを感じていたかもしれない。それをたった一言で拭い去ってくれた。もしかしたら、そんな心の内を悟ってくれたのかも……


「坂崎さんはあくまで参考人。おそらくまだ任意同行でしょうから、逮捕はされなかったとは思うよ」


 あっ、そっち? うん、まあーそうか……そうだよね。ハハハ……


「逮捕する気ねえ奴らがドア蹴破ってくるかよ」


「は? 蹴破ってきたの??」


 えっ、今更? あっいや、そういえば、トー君が飛び降りたのってドアベル鳴る前か。


「あっそっか。じゃなきゃ、閉めたはずなのに、ベランダに警察がいるわけないもんね。確かにそれは逮捕されてたかも」


 とりあえず、悟ってはくれてなかったことは分かった。


 そう思うとふと、急に妙に考えるのを脳が放棄した。シャッターを閉めて拒絶した。同時に、落ち着きを取り戻す。まあもうどうでもいいとまで思うようになった俺は、体を脱力させる。


「まさかこんなことになるなんてな……ハハ……」


 いや、体から力が抜けてる。逃げるなら今しかないぞ的な勢いで、脱獄犯の如く逃げていってる。


「仮に助かったとしても、これじゃ俺の記者人生は終わりだ」


 ジエンド、ということを体全体で感じながら、目の前が真っ暗になる感覚が目を脳を体を侵食していく。


「終わらせるかよ」


 「え?」先ほどとは違うイチ君の真面目な表情を見て、侵食がピタリと止まった。


「アイツ倒しゃあ、警察もそのネットとかいうやつも全部なんとかなる」


 ……は?


「な、なるの?」


「なる。絶対なる。ホール(・・・)クリアだ」


 「オールね。オールクリア」とトー君が訂正すると、「どっちでもいいだろ」と反論するイチ君。


「まあとにかく、間違いなくなんとかなるから心配すんな」


「だけど……」


 初めてだった。イチ君の言葉をこんなにもすんなりと信じれなかったのは。だって、テレビでやるほどなんだから、警察は俺を逃すまいとしているはずだ。それに視聴者に俺の顔は覚えられているだろうし、次の日になれば目の前で逃走したということで、指名手配とかそういう処置をするかもしれない。警察は汚名返上、名誉挽回するために必死になってる。躍起にもなってる。

 だから、『なんとかなるから心配すんな』という言葉は、言葉だけは少し信用できなかった。


「それにな」


「それに?」


 喉がゴクリとなる。唾が胃に沈んでいく。


「今のお前はジジイだ」


「えっ?……あ」


 トー君の「イチ、言葉遣い」という注意は耳に届いていた。だがそれよりも、だ。俺はケータイを目の前に持ってくる。開きっ放しだったネットをすぐさま閉じ、カメラアプリをタップする。暗い画面が少し経つと、地面が映し出されてる。インカメラに変えて確認。手を振る。同じく反応。頰を引っ張る。痛い。


 うん。映し出されてるのは紛れもなく俺、だけど見た目はまごう事なき老人。さっき見た顔写真とは全く一致しない。もし見抜いたら相当な目利きであると断言できるほど、分からない。


 この時、ほんのちょっとだけだけど、老人になってたことを初めて良かったと思った。

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