十八
「あのー……」俺は男性の背中に声を掛けながら、距離を縮める。
「ん?」
男性は腰に店の紺色エプロンをしていた。両手にステンレス製の容器に入った業務用のビール樽を持っている。年齢は40代後半ぐらいだと思う。
「はい?」
「そこを曲がったすぐのところにあるガラス張りのお店について、ちょっとお伺いしたいんですが……」俺は指を差しながら訊ねる。
男性はビール樽を置く。相当重いのだろう、置く時にドンッと音が空中や地面に響いた。それから、指を差した方を覗き込むようにして見た。
「あぁー……角にあるガラス張りのとこですか?」
「ええ」
「“いちふじさん”なら5年以上も前に店たたみましたよ。いくら小さいからって居酒屋をジジイとババアだけでやってくには、流石に辛いからって」
「あっいやー、その後に入った雑貨屋について……」
「は? 雑貨屋?? ここに???」
言葉尻がだんだん上がっていく違和感もそうなのだが、何より『あそこ』ではなく『ここ』と表現したことに強い違和感を覚えた。
「ここ、というと?」素直に訊いてみた。
「ここはここですよ。この四六横丁のことです。ここには雑貨屋なんて入ったことないですよ」
「えっ?」驚きの声に呼応するように、俺の眉が意識せず勝手に上がった。
「一度も、ですか?」
そう言うと、男性は左手を腰につけた。フッと片方の口角と頬をつり上げたような笑みだ。
「少なくとも、ここで働いてる30年弱ぐらいは、間違いないですよ。というか、シャッター街になったとこへ来て、わざわざ新装開店はしないでしょ。現実問題何もしてないし、もししたとしても、そんなの負け戦。うちらのような昔からやってて借金も何もないようなのはまだマシですが。あれですよ、結果は目に見えてる、ってやつ」
「つまり、あの場所はもうしばらく使われてないということですか?」
思い出してみるとあの場所は確かに、入口の扉のサッシに埃がたまっていたり、窓ガラスに黄ばんだ汚れが付いていたりと、しばらく使われていなかったようにも見える。
「ま、おじいさんがもっと前について言ってんなら、俺には分かんないですけどね」
あっ、そっか。今の俺の外見は男性よりも年上に見えるのか。
「あの……お店は、そのどこに?」
「……あっ俺の?」気付いて人差し指を顔に向ける男性。「ああすいません、そうです」そこ言い忘れたら分かりにくいよな。
「すぐそこの焼き鳥屋ですよ。そこの店長です」
体を傾けて、向こうを指さした。見てみると、赤い布に黒い文字で焼き鳥と書かれたのが目に入った。うん、ちょうどいい場所にある。もしかしたら見てるかもしれない。
俺は男性改め店長に質問した。「この奥に入っていく人を見かけたことはありますか?」
エンドウさんらが購入した店に行くためには、焼き鳥屋の前を通らないといけない。となると、奥に入っていく即白骨の被害者たちを見ているかもしれない。
「あぁー」心当たりはあるようだ。腕を組んで数回頷いている。
「そういや、ちょくちょくいましたね」
「その中に高校生ぐらいの女の子は?」
「ええ、いましたよ。最近だと……3週間前の金曜とかに来てましたかね」虚空を見ながら、続々と思い出してくれる店長。
「そんな細かく、よく覚えてますね」忘れっぽい俺にとっては羨ましい能力である。
「こちとら、人を相手にする商売してますからある程度はね。それに、もう奥には何もないのになんで行くんだろって疑問に思って、余計に覚えてるんですよ」
成る程。「他にはいませんでしたか? 同じように奥に入っていく人は」
「いましたよ。さっき話した高校生ぐらいの子もだし、割と年の入った……多分50代くらいの人とか、逆に中学生っぽい子もいたかな。結構様々にいましたよ」
西の資料にも、怪異に襲われたのは10代~50代とあった。要素としては一致している。
「分かりました。ありがとうございます」
だけど、店はない、のだ。
「で、でも! ここに……確かにここにあったんですっ!!」
俺の話を聞き、必死に弁解するエンドウさん。この切実で切迫した言動から、おそらく本当にあったのだろう。だからと言って、あの店長さんが嘘をついているわけではないと思う。
改めて見た時に感じた異様な空気と記者の勘から総合的に考えれば、おそらく皆間違っておらず正しいのだろう。包み込むように“怪異”という概念が入っているから、こんなことになってしまったのだと俺は考えた。
「店名は覚えてなかったけど、窓ガラスで店内が見える作りだっていうことだけは記憶にありました。見たところ、来た道にもこの辺りにもそんなお店はないし、位置的にもこの辺だって……だから私はっ」
「店員は?」
「え?」
「さすがに無人だったわけじゃねぇだろ」
「ええ。いました。背の高い男性が1人、お店の奥に」
「詳しく」イチ君は両手をポケットに入れたまま、エンドウさんに訊く。ガムはいつの間にか口から出していたようだ。
「えぇっとー見た目は20代後半か30代前半位で、目が細くて、肌が白かったです」
「他には?」イチ君が続く。
「他……あっ、そうだ。確か右の頰のところに」
「逆五芒星の痣、だろ」
イチ君は何かを悟ったようにそう言った。
「え?」目を丸くするエンドウさん。「なんで……それを」
驚くエンドウさんを見たイチ君は眉をひそめ、やれやれと天を仰ぎ見た。
「そういうことなのか、イチ?」トー君はこれでもかと目を開いていた。「さっき言ってた『気になること』って」
驚きと怒りが混じった表情をトー君は浮かべていた。ほんの数日間だけしか一緒にいないが、彼のこんな顔は見たことない。
「……そうだ」
「いつから?」体ごとイチ君に向けるトー君。
「タクシーに乗る寸前ぐらいから」
イチ君は両ポケットから手を出し、頭の後ろで交差させる。体はおろか視線さえトー君と合わさない。
「なんで……なんで教えてくれなかったんだ」
トー君はイチ君に詰め寄る。
「お前のせいだよ、トー」と言って、体をトー君の方へ向けた。その瞬間、それ以上イチ君との距離は縮めなかった。
「ヤツの仕業と分かれば、お前の意識は完全にそっちに移っちまうだろ。まだそうと決まってないのに、むやみやたらに振り回すのはと思ってな」
目と顔が泳いでいるトー君。落ち着きがない。見るからに動揺している。
「そのー……ヤツっていうのは?」俺は手帳とペンを取り出しながら、質問する。どっちが答えてくれるか分からないから、とりあえず2人に向かって。
「名前は、シク」
少しの沈黙後、イチ君が口を開く。こういう時はこれまでトー君が解説してくれていたけど、彼は今話せる状況ではなかった。
「見た目はさっき言ってた通りで、他は……正直言うとよくは分かってねえ。唯一分かってんのは、シクは怪異を好きに動かせるってことだけ」
好きに動かす?
「それってつまり、意のままに操ってるってこと?」
「怪異は操られてる意識はねえし、そもそも全てが全てそうってわけじゃねーから、そこまで思い通りじゃないだろうけどな」
なんと……俺は予想外に得た情報を手帳にせっせと書き込んでいく。続けて「なんでそんなことを?」と訊くと、「こっちが聞きてーよ」と返されてしまった。
でもこれで、理由や目的がなんにしろ、シクという人物はこのブレスレットと一連の即白骨事件は深く関係していることと、エンドウさんも命の危機が迫っていることが確定した。
「てことはさ、そのシクも倒さないと俺、とエンドウさんは……」
言わんとしてることを察したのか、イチ君はフッと微笑んで「安心しな」と一言。
「シクはあくまで、怪異が望んだ通りに動くよう仕組んでいるだけだ」
「今回で言やぁ、これを売って身につけさせることで怪異を動かしてるってこった」イチ君はポケットからブレスレットを取り出し、再び回し始めた。
「だからとりあえず、寿命吸ってる怪異だけ倒しゃ、諸々のことは万事解決だ」
「ホント?」
「今までも全部そうだったから大丈夫だ。それに、オレらのやることはこれからも変わらず、あの怪異をぶっ倒す。ただそれだけだ」
つまりは、俺もエンドウさんも怪異さえ倒せば助かるということだ。胸の中にある不安がイチ君の言葉でかき消されていく。
だからなのか、待ってましたと言わんばかりに、バッグの中でけたたましくケータイが鳴った。




