1-6 名前
◇
「で、あんた誰?」
「兎月。冬池兎月。そっちは?」
ようやく、最初に話は戻る。盛大な回り道をして、何とかだ。
「私? ……名前はないわ。私は『憤怒の王』。便宜上『イラ』とか『ラース』とか呼ばれているわ」
「じゃあ、『イラ』って呼べばいい?」
「……まぁ、いいわ。名前なんて好きにすればいいじゃない。どうせ、あんまり関係ないから」
そっぽを向いた『イラ』は明らかに良さそうではない。つまらなそうにツインテールが揺れている。仕方ないから考えてみる。
「憤怒、憤怒。ええと。七つの大罪か。あれって有名だよな」
兎月は実際のところはよく知らないが。たしか、傲慢、強欲、色欲、暴食、怠惰、憤怒、あとなんだっけとなる。兎月には六つしか思い出せなかった。
「嫉妬よ」
「あれ? 口にでてた?」
「ええ。で、名前は決まったの?」
「はい? 俺が決めるの?」
兎月は目を瞬きさせる。何故、そうなった? 期待したようにそわそわ手を出したり引っ込めたりして憤怒の女の子は唇を尖らせた。
「あんたぐらいしか、呼ぶ人いないから。べつに嫌なら、いいわよ」
さすがの兎月でもわかった。さっき顔を見つめてきた強さはどこにいったのやら。女の子は永遠に理解できないかもしれない。でもまぁ。
「……はいはい。じゃあ改めまして。俺と友だちになってください」
「しょうがないわね!」
さっきは先に謝ってきたから今度はこちらからということだろう。言葉とともに手を差し出す。ぱっと笑顔を輝かせて、手を握ってきた。兎月をずたずたにしたとは思えない柔らかい綺麗な手だ。
「よろしく。兎月」
「よろしく。えーと」
「何よ。まだ決めてないの?」
「だって、変な名前は嫌だろ。名付けの感性に期待されても困るけど。考えるから、待って」
兎月はその薄い記憶を頼りに名前を探す。ちっとも働かない頭はこんなときも平常運転だった。
「イラ、ラース、イース」
「イース?」
「かわいくない」
「ばっさりだと……我侭な。スーイ。スイス、違う。紅、赤、朱。紅と言ったらスカーレット イラ、イスラ、イレ、イレース、グレース、外れた。レイ、レイス、レスト、レレスラ、スライ、イスラ、イーラ。ありゃ、戻った」
「ちょっと、まじめにやりなさいよ」
兎月は大真面目である。残念なことに天性の何かは持っていないのだ。
「スカーレットって良さそうじゃない? 赤って意味なんでしょ?」
「これでいいのか?」
「いやよ」
兎月は肩をすくめる。我侭な歌姫様だ。
「スカーレット、スレット、カレット、トレカス、トレス、カレイ、カと言ったら赤、セキレイ、セイラ」
「ストップ。セキレイってよさ気じゃない?」
「鳥の名前だけど?」
「……どんな鳥?」
「よく知らないな」
兎月に知識を求められても困る。兎月の海馬はたまにしか真面目にならないのだ。
「やっぱり赤系統か。赤、朱。セキシュ、カシュ、カシュー。あ、これなんか良さそう。ん? 緋ってのもあったな。漢字でもいいか」
「ねえ、兎月ってどう書くの?」
「ん? こうだけど?」
床を指で削り、『兎月』と書いてみせる。
「何この変な文字。……どこかで見たような気もするけど」
「そうなの? 異世界の文字だけど」
見たことがあるなら、異世界と関わりがあるということだ。この世界で知っているものはそういない、と思う。異世界人が居るみたいだから、あってもおかしくはないが。
女の子は記憶をひっくり返しているのか、何やら唸っている。静かになったので兎月はまた、考え始める。
『緋月』『緋翠』『緋空』『緋火姫』『真緋歌』『緋紅』『紅緋』『朱音』『赤朱』『華朱』と地面に思いついたものを適当に描いていく。『華朱』『赤朱』あたりなんか歌手みたいでいいかもしれない。
「思い出した!」
「な、なにさ」
急に響いた声に少し驚く。耳元で叫ばないでほしい。
「かなり昔だけど、たしか私を生み出した創造者が使っていた気がする。もうずいぶん、会ってないけど生きているかしら」
少し眉を寄せて言う。嫌な顔をしているのだろうか。嫌われていそうだ。創造主とやらは何をしたのやら。どうでもいいけど、とつまらなそうに言われている。
知りませんがな。というか、その人日本人だろうか。少し疑問に思うがすぐに消える。あまり、興味が無い。
「あ、これ。兎月と同じよね。なんて読むの?」
「『緋月』? ひげつ? いや、ひつき、だと思うけど」
「うーん。発音がいまいちね。反対にしたら?」
「『月緋』? つきひ。いや、これも……」
兎月としてはいまいち。いや、『兎月』も『うつき』で発音はそれほど良くないが。
「じゃあ、こっちは? この『兎』ってのは?」
「『紅兎』とか?」
「それはないわ」
非常に悩む。そもそも何がいいのかわからない。
「何か、入れたいとか、象徴したいとかある。好きなものとか」
「好きなものね。歌が好きだわ。特に歌うのが」
「なるほど」
ならやはり、『赤朱』『華朱』だろうな。でも、発音がちょっと。
先ほどで言うなら『紅音』。あとは『紅歌』。石畳に落書きが増えていく。
「うーん。いいのがないなぁ」
やはり兎月の頭では難しい。とにかく知識が足りないのだ。
「頑張ってなさいよ。この私の名前よ? しっかりしないと絶交だからね」
友だちになったばかりですぐに絶交。悲しすぎる。
「とは言っても、知識が、なぁ!」
「だ、大丈夫!?」
突然頭を抱えた兎月に女の子が慌てた様子を見せる。なんだかんだ言っても根は優しいのだろう。兎月はすぐに顔を上げた。
「あ、ああ、ごめん。大丈夫。手助け貰っただけだから」
「手助け? 誰に」
「うーん。なんて言うのかな。ええっとまぁ、神様みたいな人たち」
「ふーん。よかったわね」
兎月の頭に急に知識が溢れたのだ。知らないようなことまで、一纏めにきたせいで、少し驚いて頭が痛くなってしまった。振り返ってみればたいしたことはない。だが、こんなことができる者たちを兎月は一つしか思い浮かばなかった。あの方々だ。
「ヴェルミオンってどう? どっかの言葉で朱色って意味」
「まぁ、いいわよ。強そうだし」
「そこ!?」
あまりのあっさり加減に逆に驚く兎月。音楽は関係していないし、女の子らしい発音というわけでもない気がしたのだが。まぁ、略称としてミオンなら『魅音』みたいな感じになるかもしれない。本人がいいと言っているのだから問題はないだろう。
「カシュー、とかもあったんだけどな。歌とかけてみたいなのが」
「じゃあ、それもね」
「はい?」
兎月は抜けた声で聞き返した。二つとは、いかに。
「私はカシュー=ヴェルミオン。うん、なかなかじゃない」
「さいでっか……」
まぁ、気にいっているなら兎月としては何でもいい。
「じゃあ改めて。よろしく。カシュー」
「うん、よろしくしたあげるわ」
それでも嬉しそうに見えるのだからいいだろうと思う。
「よし。じゃあ兎月。今からあんたの友だちになってあげる。よろしくね!」
「はいはい。こちらこそよろしく。カシュー」
こうして、二人は友達になった。縁というものはわからない。だが、この出会いは決して悪いものではない。兎月はそう思った。そして、もう一つ。
結論。名前は難しい。素直に先人の考えたものを使わせてもらいましょう。と、しみじみ思った。
◇