1-5 まるで子どものように
◇
「はぁ、はぁ、はぁ。生きてる?」
「……なんとか」
そのうち腕を支えることすらできなくなり、顔面もめちゃくちゃになったが全て綺麗に【再生】した。つくづく、この世界が二度目でよかったと思う。左腕など一度引きち千切られた。在りえないがこの世界に来たのが最初だったら間違いなく死んでいた。まぁ、そうしたらおそらく明日香と一緒にいただろう。誘いを断る理由がなくなるからだ。
ゆっくりと起き上がる兎月。息を切らして座り込んでいた女の子も立ち上がる。そんなになるまで殴らないでほしい。どんだけだったのか。
「あ、謝んないわよっ! 急に現れたあなたが悪いんだからね!」
「いや、待て。確かにそうだが、やり過ぎだ。俺じゃなかったら死んでたぞ」
さすがにカチンときた。別に死ななかったから良かったが、一言ぐらい謝って欲しいものだった。
「し、知らないわ! 死んじゃえばよかった! ……っ、のよ!」
「そうですか! この暴力女! 綺麗な歌声だと思ったのが馬鹿みたいだったよ!」
「き、綺麗……。知らないわよ! この変態ゾンビ! 女みたいな格好して!」
「べつに好きでしているわけじゃないぞ!」
「うっさい! 私よりかわいいくせに!」
「お前のほうがかわいいだろうが! なんで暴力しやがるんだ。この暴力女、残念美少女!」
「そっちの方が美少女でしょう! 男のくせになんでそんなにかわいいのよ! 卑怯じゃない!」
「かわいくないわ! 卑怯は、お前だろう。こっちは反撃せず我慢してたんだぞ。一言ぐらい謝ってもいいじゃないか!」
「だったらやり返せばよかったじゃない!」
「やっていいのか!」
「やれるもんなら!」
「上等ぉ!」
売り言葉に買い言葉。いや、お互い喧嘩など経験がないのか、少しおかしいことになっているが、確かに売り言葉に買い言葉だ。最初の方はまだよかったのだが、止まるに止まれなくなってしまった。
睨み合う二人。方や真紅のオーラを纏い、もう片方は漆黒を滲ませる。二人は同時に石畳を蹴った。クレーターが二つできる。
ドン! と大気を歪ませて激突する。お互いの拳が突き刺さった。同時に壁に亀裂が入る。
「痛いわね! この変態ゾンビ!」
「俺の方が痛いわ! 残念美少女!」
再び激突する。お互いを消し飛ばす勢いで殴りあう。防御など一切考えていない激突はまるで子どもの喧嘩みたいだった。
「性別詐称!」
「黙れ! アホ女!」
「何よ、ポンコツ!」
「うすのろ!」
「まぬけ!」
「あほ!」
「ばか!」
「ちび!」
「ちびはあんたもでしょうが!」
子どものような言い合いをしながら紅と黒が色を増していく。激突は黒と紅の嵐になり、玉座の間を粉々に粉砕した。
「治るなんて卑怯よ!」
「うっさい! 速くなるそっちの方が卑怯だ!」
怪我がすぐに【再生】していく兎月と治りはしないが速度が増していく女の子。どちらが有利なのかは分からない。まともに戦闘したらまだはっきりするかもしれないが今のお互いの悪口を言い合いながらただ、闇雲に殴りあうだけだ。なら治る兎月が有利か? まぁ、当人たちにとってはどうでもいいことだ。
紅と黒の嵐の中をまるで踊るように二人は舞う。実際はただ感情のままに殴りあっているだけだが、残像ができるほどの速度と、その真紅と漆黒の何かがそう見えさせた。
「いいじゃないか! くっ。歌! 上手かったんだし!」
「はぁ、はぁ。うるさい! そういうことじゃないのよ!」
互いにただ、ぶつかる。黒も紅も、赤にまみれ血が混ざった。
「聞かれて恥ずかしいんなら、歌うなよ!」
「はぁ! 勝手に現れるのが、悪いのよ! はぁ、はぁ」
徐々にホコリが目立つようになってくる。二人の色が弱くなっているからだ。床も壁も天井すらも破損しているなか、ホコリが立たないはずはない。
「かはっ……はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁ……はぁ。はぁ……」
やがて嵐は止まる。いつまでも嵐は続かない。どんなに強い台風もいつかは消えるのだ。徐々に薄まってやがて消えた。残された二人はただ、睨み合う。
「……あんた、やる、わね」
「……そっちこそ」
少年漫画のように殴りあった結果、二人は認め合ったのか? いいや、違う。
ただ、疲れただけだ。
感情を表に出して激情のままにぶつかり合って疲れてしまったのだ。人間は怒り続けられるほど強くはない。兎月は身体こそ人外だが、精神はいまだ人のそれに近いのだ。少女の方も明らかに普通ではないがそれでも怒り続けられるほど強くはなかった。
だけど、負けを認めたくない。だから睨み合っているのだ。
にらみ合いながら、それぞれの拳に力が凝縮していく。やりきれないけど、止まれない。だから決着を着けるのだ。どんな結果になろうと恨みっこなし。勝ち負けなんて、興味ない。ただ、終わらせるために二人は拳を握りしめた。真紅が紅以外を押しつぶし、漆黒が光を拒絶する。
「……行くわよ」
「行くぞ。歌姫」
ただ、拳を前に。色が消えるほどの激突を果たす。爆音が迸り、光が散乱して二人を焼いた。
そして――。
「……おまえの、勝ちで、いい、ぞ」
「…………じょう、だん」
緋色の拳は大きな風穴を開け、黒の拳は深くめり込んでいた。腹から、口から血が飛び出る。
そして互いに拳を突き立てあったずたぼろの二人は、寄りかかるようにして重なって倒れた。兎月が下で、赤の女の子が上。まぁ、そういうことだ。
「げほっ……ぃてぇ……、おもぃ。どぃて、くれ」
「……ぁんた、と、ちがって、かんたん、には、なおらない、のよ。……しばらく、まちな、さい」
お腹に風穴ができた兎月が苦しそうに文句を言った。息も絶え絶えに女の子が言い返す。服もボロボロで辛うじて要所要所を隠しているだけだ。下の兎月は色んな意味で困る。いろいろと女の子は柔らかいのだ。胸とか、意外とあるがゆえに。それ以外もだが。柔らかいというなら、実は兎月も負けず劣らずだが。だって、人外だもの。
「……そろそろ?」
「……ええ」
しばらくして、朱の少女はどうにか身体を起こす。そしてハッとして起き上がろうとした兎月を地面に叩きつけた。【再生】し綺麗になって起き上がろうとした兎月は強かに顔を打つ。女の子は裸当然だったから、まぁ、仕方ないといえる。兎月は何も見ることはできなかったが。
「何すんだ!」
「起きるな!」
兎月は思いきり地面に顔を押し付けられる。押しのけようとするが復活した緋色のオーラをまとった女の子には敵わなかった。
「あんた、ちょっと服貸しなさい」
「あ、ちょっ」
「いいじゃない。どうせ再生すんだから。……するわよね?」
兎月の衣服が剥ぎ取られる。上着を取られ、さらにはズボンまで取られた。何故か、服は裏切り脱がしやすいように変化する。つまり、スカートみたいになった。上着は羽織りやすい形だ。
「へ~、便利ね。どうなっているの?」
「……もう、お嫁に行けない」
とりあえず服を着た女の子を前に、兎月はシクシクと女々しく泣き崩れる。理由? そういう気分なのだ。
「女々しいわねぇ。再生しているじゃないの」
「そういう問題じゃない……!」
声とともに顔を上げた兎月を両手でしっかりと固定し瞳を見つめた。兎月は真紅に輝く目近な瞳に心臓が大きく跳ねる。
「……いい? 一度しか言わないからよーく聞きなさい。……悪かったわ。殴ってごめんなさい」
朱の少女が真剣な顔で見つめてくる。喧嘩の傷跡の残る顔で痛いだろうにキッと唇を結んで謝ってきた。
恥ずかしくて顔を背けたいが抑えられているため、背けられない。視線だけを彷徨わせるがかえって殴ってしまった跡が目に入り、申し訳なくなる。端麗な顔に残る痣と血はそれだけの力を持っていた。しかたなくその真摯な輝きに吸い込まれる。力強い視線に女の子というのは何故こんなにも真剣に顔を見つめられるのだろうか、なんて考えた。こういうときに女子は強い。それもおっそろしく。
「……こっちこそ、悪かったよ。……ごめん」
こぼれた言葉にようやく顔を開放される。そしてどちらともなく、笑いあった。
◇