1-2 町へ
◇
「本当にいくの?」
「ええ、まぁ、はい」
一週間後。さすがにこれ以上長く留まると旅立てなくなりそうだったのでダンジョンを離れる決意をする。ダンジョンを去る兎月を明日香が見送る。
「じゃあ、兎月君。気をつけてね。危なかったり、大変だと思ったりしたらいつでも来ていいからね」
「あはは、まぁすぐに戻らないように努力します」
「まぁ、ひどい。しょせん一時の関係だったのね。飽きたら捨てるんだわ」
よよよ、とわざとらしく目元を隠す。絶対泣いてないだろう。第一、口元の上がりが隠せてない。
「いや、そもそも」
「もう、そこは乗ってきてよ」
「す、すみません?」
まじめに返そうとしたら、叱られた。何となく、納得いかない。まぁ、これは兎月が悪いかもしれない。別に今生の別れというわけではないのだ。ふざけても問題はない。兎月の性には合わないが。
「じゃあね。兎月君。また来てね」
「はい。お世話になりました。ではまた」
いつまでも話しても具合がわるいので軽い別れともに別れる。
そして、兎月は再び旅に出た。世界を見るために。
迷路状のダンジョンを抜け、どことも知れぬ森に歩き出す。天気は快晴だろう。空は上を覆う葉で見えないがきっとそうに違いない。肌に感じる空気から、そう思った。
「さて、これからどうしようか。出たはいいけど、行くところないんだよなぁ」
しばらく歩いてダンジョンから少し離れたころ、ひとり途方に暮れる。どうにも大雑把図すぎて、困る。早くもダンジョンでの生活が恋しくなってきた。あそこだったら困ることはなかったのだ。
木を地面に突き立て、またも進路を決めようとする。しかし、木は地面に突き刺さり、天を向いた。つまり、倒れなかった。
「……またかい」
地面がふかふかだから悪いのだ。豊穣の森は腐葉土に満ちている。人が入り込まないのだから当然かも知れないが。
「あっ」
人と言って思い出す。とりあえず町に行こうと思うのだが、道がわからない。だが、冒険者はやってくるのだからそれを逆に行けばいいということに気がついたのだ。
途方に暮れる兎月。適当に歩いてきたせいでもはや帰り道はわからず、冒険者の来る道もわからなかった。魔力を感知して探ろうにも森のなかはあまりにも動植物が多すぎて判別することはできなかった。
「あー、困ったな。……ん?」
ふと視界に先ほど突き立てた棒が目に入る。
「あ、そういや」
兎月は閃いた。道がわからないなら空を行けばいいじゃない。その選択肢を取れることをすっかり忘れていた。この世界でもできるかどうかは試してないので分からないが。
「よっ、と」
力を使い空に足をかける。発動できるか不安だったがしっかりとした感覚が返ってきた。これならいける。
そう思い。
「ふっ!」
思い切り跳躍をする。階段を駆け上るように。枝を払って葉を押しのけて空に出た。雲がまばらな青い空は下の緑と比較するとかなり綺麗だった。肌を突き刺す大気が実に気持ちいい。
「やっほー!」
さらに数十メートル駆け上り、世界を見渡す。遠くに山が見えた。そしてそこから少し離れたところに街が見える。他に町は見当たらないのでそこに行くことにする。
『絶対、あの空を見に行くんだ!』
「あー。懐かしいなぁ。ちょっと前のことなのに」
ひとつ前の世界を思い出す。必死で空に行こうとした日々。それしか希望がなくて、無我夢中だったあの日を思い出す。
『ああ、綺麗だ……』
終わりに沈む世界はただ幻想的で、兎月の精神を根本から揺さぶった。直後に起きてしまった絶望が霞むほどに。
「思い出を美化しすぎかね。まぁ、何でもいいけど」
他の人が一緒に見ても同じことは感じなかったかもしれない。状況が状況だったし、周りを忘れるほどの圧倒的な何かは感じなかったかも知れない。だけど、いい。兎月一人がそう思った。それでいいのだ。
「あはっ! あははっ!」
空を蹴って加速し、そのまま斜めに線を描いてに落ちていき再び上がる。
めちゃくちゃ楽しい。服が忍者のようになり、風を受けて滑空距離を伸ばしその繰り返しで進んでいった。日が登り切り、少し経ったくらいで到着した。
少し離れたところに着地して、歩いていく。さすがに飛んで行ったら目立つ。それは遠慮する。面倒なのが目に見えているからだ。
町に少し緊張して向かう。それは明日香のある言葉が原因だった。
『いい。兎月君。この世界を見るにしても一つ問題があるの。』
世界を見るために旅をするといった兎月に明日香は後にそう言って引きとめようとした。
曰く。
『それは言葉が通じないということよ。当たり前だけどこの世界では日本語は話されていないわ。私がダンジョンマスターをする決意をしたのはそれが原因なの』
『最初にここに来たときはね。人殺しなんて嫌だった。だから、人との接触を試みたの。初めてきた人に話しかけようした』
『よくあるじゃない? 人と交易とかするダンジョン経営物って。だから少し期待しちゃったんだ』
『でも、それは間違いだった。この世界はそんなに甘くなかった』
『姿を見せたときは警戒されただけでまだよかった。でも、「こんにちわ」って挨拶したら途端攻撃された。意味がわからなかったよ。無我夢中で逃げて、運良く逃げられた。でも、そこでどうしようもない溝があることが分かったの』
『ダンジョンに来て受けた説明の意味がようやく理解できた。どうあってもダンジョンマスターはこの世界の人にとって敵でしかないって』
『転生する前に無理にでも話して言語チートを貰っておくべきだったよ。後の祭りだけどね』
明日香は笑っていたが、どんな気持ちだったのだろう。攻撃されて生き延びた時。人の敵を決意した時。兎月に声をかけた時。それは明日香にしかわからない。だが、心配して引きとめようとしてくれたのはわかった。
それでも兎月は世界を見る必要がある。そう、約束したからだ。いや、相手はそこまで重く言ったわけではないが、兎月にはまるで呪縛のようになっていた。本人はまるで意識していなかったが。
立派な石積みの城壁のある大きな都市に近づく。いかにもといった様子だった。やっと、中世ヨーロッパにやって来た感じだ。まぁ、異世界なのだが。軽く手に汗をかいて兎月は中にはいろうとする。心臓が少しうるさい。
だが、そのような大きな都市には門があり、そこを通らないと中にはいれてくれない。つまり門番がいるわけだ。仕方ないので、入る手続きのために門の前の列に並んだ。と、そこで違和感を覚える。
なお、並んでいるグループの隣では冒険者らしい武装した者達は何やらカードを見せてほとんど関係なく行き来している。そちらを通りたかった兎月だがそんな便利なカードは持っていないので列に並んだ。並んでいる列の方は農民のようなものと商人のようなものが主だった。因みに人は少ない。
ここで違和感に気づく。なんということだ。言葉がわかるのだ。
「よし、次の者」
「はい……」
人のとおりはそれなりにあるとはいえ、長く待つものでもない。少し列に並んだ後、すぐに順が巡ってきた。
だが、そんなことはどうでもよかった。言葉が通じる。覚悟してきたのは何だったのか。よくて勉強から入るつもりだった兎月は拍子抜けした。ついでに対応も適当になった。
「身分証明書は?」
「はぁ」
「いや、身分証明書は?」
「あ、いや、無いです」
「そうか。では、どこの村から来た?」
「えっと、名前、なんでしたっけ?」
「……お前、ちょっと奥に来い」
「おーい、誰か、交代してくれ」と交代の人を呼んでから奥に連れて行かれた。とっさに使おうとしたテンプレはまるで通じない。記憶喪失を演じるには少し演技力が足りなかったようだ。まぁ、その前に衛兵所みたいな場所に連れて行かれたのだが。兎月はその一部屋でまるで取り締まりのような感じで詰問を受けた。
「で、お嬢ちゃんはどこから来たんだね。怒らないから正直に言ってごらん」
「いや、田舎でして、たぶん名前なかったんじゃないですかね」
「あー、そういう感じ。じゃあ、これに手をおいて悪いことはしないと神に誓って」
「あ、はい」
神に誓えと言われても、兎月には誰に誓えばいいのかもわからない。とりあえず、あの方々に誓っておいた。破っても笑って許してくれそうだったが。
「はい、オッケー。じゃあ、通行料払ってね。検査費込で大銀貨一枚と銅貨一枚だ」
「えーっと……」
当然なことながら兎月はお金なんぞ持っていない。この都市に来たのがこの世界の文明との初めての接触だからだ。
「あー、持ってないのね。じゃあ、仕方ない。通行許可できないなぁ」
ニヤニヤと見下したように門番が言う。お金を持っていない兎月は仕方ないので帰ろうとした。城壁飛び越えれば入れないこともない。
「はぁ、じゃあ、すみません帰ります。お手数かけました」
「まぁ、待てよ」
帰ろうとした兎月の手を掴み、門番は引き止める。
「あの、何ですか?」
「いやいや、検査費込って言ったろ? 大銀貨一枚は払ってもらわないとねぇ」
「はい? いや、お金ないんですが……」
お金がないから帰ろうというのにお金を払えとはこれいかに。無理なものは無理なのだが。しかも、通行料は銅貨一枚なのか。安い、のだろうか。基準がわからないのでさっぱりだった。
「お金がないんだったら働いてでも払ってくれないとこっちも困るんだよねぇ。上司に怒られるんだよ」
「……何をすれば?」
しぶしぶ、尋ねる。いまだに手を放してくれないので逃げられない。振りほどこうと思えば簡単なのだが、性格的に不可能だった。門番はしめたとばかりに頬を上げた。
「簡単ですぐに終わるのとちょっと時間がかかるかもしれないのとどっちがいい?」
おかしな選択をだしてきた。仕事内容については何も触れていないところがいかにも怪しい。
「それって、仕事内容は教えてくれないんですか?」
「いや、だから簡単ですぐに終わるのとちょっと時間がかかるかもしれないのだよ」
答える気は無いようだ。ますます胡散臭い。悪徳商法の匂いがプンプンする。ここまであからさまなものはそうないと思うのだが。
「……じゃあ、簡単な方で」
「はい、分かった。じゃあ、この書類にサインしてね」
予め要していたのだろう。言って、片手で羊皮紙を取り出して書くように促してきた。そして出口を塞ぐ。その羊皮紙には初めにこう書いてあった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
誓約
私は世界を創造した偉大なる大神様の信徒であることを誓い、いかなる場合においても以下のことを順守することを誓います。
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その下にウンタラカンタラ、小難しい言葉でいろいろと領主に何とか、都市の法に何とか、など書いてあったが要約すると非常にシンプルになる。
私は奴隷に成ることを誓います。この決定においていかなる文句も言いません。
みたいなことだ。いや、舐めているのだろうか。どうせ読めないだろうと思われていたりするのだろうか。出口にたってニヤニヤと急かしてくる門番の狙いがようやく分かった。いやもう、舐めてんだろう。
「おや、お嬢ちゃん、どうしたのかな。それにサインしてくれないとここを通すわけにはいかないよ? ああ、もしかして読めなかったのかな? まぁ、学校でも習わない言葉だし、しかたないかねぇ」
「奴隷になるってのは断るよ」
「へぇ……」
口を挟んだ兎月に少し門番はおどろく。少し顔が真剣になった。だからどうなのだということだが。
もう、いい加減面倒になっていた兎月は門番もぶっ飛ばして逃げようと決意した時だった。
「何をしている」
「先輩。いやね、検査費が払えないって言うもんだから」
出口を塞ぐ門番の後ろから声がかかった。門番より年をくっていそうな声だ。門番が身体をずらし、中に入れる。予想通り、無骨なおっさんといった感じの者だった。タバコが似合いそうだ。
「そんくらい許してやれ。すまないな。嬢ちゃん。部下が失礼した」
「先輩、でも……」
「お前は下がっていろ。私が話をする」
「……了解しました」
食い下がった門番を下がらせて、門番の先輩が謝ってくる。だが、魔力感知で先程からこちらを伺っていたことはわかっている。たぶん、兎月が暴れそうだったから出てきたのだろう。先ほどの門番よりずっとできるはずだ。
「さて、嬢ちゃん。部下が失礼したな。検査費うんぬんはいい。どうせ、あいつの酒代に変わるだけだ。だが、通行料は別でな。都市に入りたいならお金を払ってもらわにゃイカンのだよ」
「あの、でも」
「ああ、わかっている。お金がないんだろう。でなけりゃ揉めるこたぁねぇからな。まぁ、高いだの何だのはあるかもしれないがな」
やれやれだ、といった感じで門番のおっさんは言う。
「そこでだ。嬢ちゃんに提案がある。この門を真っすぐ行ったところに『ギルド』がある。腕に身に覚えのある奴らが行くところだ。嬢ちゃんならすぐに金を稼げるだろう。そこに行ってお金を稼いでからまた来てくれや」
「逃げたらどうするんです?」
なんというか、穴だらけというか、それでいいのかと突っ込みたいくらい適当だ。
「バックレるような奴はんなこたぁ聞かねえと思うがな。どっちにしろ、この町の門はここと、もう一つ南門だけだ。向こうでも同じことを聞かれると思うがな。面倒だろ?」
「……まぁ」
「安心しな。銅貨一枚くらい、都市じゃあ子どもの小遣いだ。一仕事すればすぐよ」
「わかりました」
一応納得して、頷く兎月。そんじゃ、行った行った、と手を振るおっさん。暇なのかまだ居た門番の憮然とする横を通り過ぎ町に入っていった。
「よっ、と」
と、見せかけて門番の詰め合い所に戻る。軽く裏地に入り、大回りして詰め合い所へ。おっさんが通した理由が知りたかったのだ。門番が何故いるのか分からなくなるような対応だったから。
中では、門番がおっさんに詰め寄っていた。屋根の上から隠れて様子をうかがう。大通りからは丸見えだがまぁいいだろう。
「先輩。何故、あんなガキを通したんですか。いいカモだったじゃないですか」
「ばかやろう。あのままだったら、お前大怪我してたぞ。ありゃ、普通じゃねえ。見た目で騙されんじゃねえよ」
「あんなガキがですか?」
おっさんの言葉に門番は信じられないといった様子で首を振る。見えないがおそらくそうだ。
「まったく。まず服装からしておかしいじゃねえか。どこから来たのか知らねぇが、綺麗なもんだったぜ。それに、荷物も持たずにか? 冒険者だって近場のダンジョンに潜る時だって何かしら持ってくに決まってるだろ。後、少なくとも奴隷の契約書を読めた時点で気付け。間違いなく貴族サマか、そうでなくてもかなりの知人だ。あと、実力者な」
「おかしいことくらいは気がついていましたよ。でも家出娘にしろ、カモでしょう? あと、実力者ってのは納得できませんね。これでも自分だって鍛えているんですよ? あんなひょろいガキに負けるわけないじゃないですか」
納得いかないといった調子の声の門番に呆れたようにおっさんが言う。肩をすくめているのが目に映るようだ。
「ここらの貴族サマと言ったら、俺達の雇い主様かもしれねえじゃねえか。場合によっちゃ、一発でクビが飛ぶぞ。おい、しっかりしてくれよな……」
「うっ……」
呆れて怒る気も失せた調子の声が聞こえる。おっさんの苦労が染みそうだ。
「あとな。俺らが門番をやっているのは何も人を通さねえわけじゃない。分かんだろ?」
「……まぁ」
「言っちゃあ何だが、ここは領主サマが税を取るための場所よ。俺らはまじめに働いた分、ちょこっとおこぼれを貰うだけだ。だろ?」
「ええ。でも怪しいやつからはできるだけ搾り取れって言っていませんでしたか?」
「そりゃあ、怪しいってのはそれだけで悪だからよ。中に住んでいる奴らが迷惑しないように少しでもお金を奪っておきゃあ、悪さできねえだろ? 金がありゃあ、武器が買える。武器が買えりゃ、悪さもしやすいってわけだ。衛兵に抵抗できるからな。それを俺らが封じてやんのさ。正義の行いだろ。だから問題ねえよ」
何やら、暴論を言っているおっさん。お金がないから悪さをするのではないのだろうか。まぁ、この世界では裁判前に首チョンパかもしれないけど。
「だが、まぁ今回は相手が悪かったな。あれのヤバさに気がつけば良かったが、まぁ、生きてんだ。儲けモンだぜ」
「そこが納得いかないんですけどね。あんなガキに負けるとは思えない」
「じゃあ、やってみろって。予想通り貴族サマでも俺は知らんぞ。やるなら仕事時間外でやってくれよ。確認くらいならいいがな。育ちの良さそうなやつだったからな。きっとまた来る。そのとき後でも付けてみりゃいい」
「……わかりました」
「おう、仕事に戻んな」
門番は門に向かっていった。離れようと思ったときにおっさんが一人、つぶやいた。
「若えなぁ……。ああいうのは優遇したほうが得になるってことが分かるにはもう少しかかるか。まぁ、死なんように気ぃつけて欲しいもんだな。新人の教育は面倒だからなぁ」
なるほど、やっぱり優遇されていたのか。と、一人納得する。そりゃそうだわな。税金取れなかったら運営が成り立たない。
疑問も解けた所で兎月は『ギルド』に向かうことにする。衛兵所を離れ、賑やかな大通りを抜けていく。石積みの店だが、要所要所に木が使われている。まぁ、何だ。いかにもだな。語彙がない。
「はぁ~、賑やかなもんだな」
露天では商人が声を張り上げ、道行く人も気軽に店によっていく。人だけではなく、明らかに人以外の種族もいる。この世界での名称は知らないが、イメージを言うなら、ドワーフとか、獣人とか、巨人とかだ。さらに異世界ならではの武器や鎧を装備した人もいた。ロマンだね。でも重くないのだろうか。
いろいろと眺めながら歩いて行く。キョロキョロ感で田舎者丸出しだった。
「と、と」
「チッ」
よそ見をしていた兎月は人にぶつかってしまった。とっさに頭を下げるが舌打ちされ、男は去っていく。
「何だ、あいつ」
「あいつはこの街で有名なスリ屋だよ。嬢ちゃん、いっぱいやられたね」
兎月はぶぜんとする。ちょうど近くで掃除していたおばちゃんが親切にも教えてくれた。
「ふーん。ああ、だから懐に手が入ったのか」
「おや? 追いかけないのかい?」
別にスられても困るものは持っていないので兎月は怒りを感じなかった。むしろなかなかに鮮やかな手際に感心したくらいだった。
「おばちゃん、ありがと。まぁ、大丈夫なんで。ほら、あいつも逃げてないでしょ?」
「ふ~ん。そうかい。ならいいがね。じゃあ、何か買っていっておくれよ」
見ればまたも人にぶつかっている。今度はふらりとすぐに姿を隠したところ見ると成功したようだ。憐れな被害者が周囲を見渡しているが後の祭りだろう。
「いやー、スられなかったんじゃなくて、スるものがなかったってだけっす」
「なんだい、そうなのかい。じゃあ行った、行った。冷やかしはお断りだよ」
「あはは、すみません。お金があったら今度買いに来ますよ」
おばちゃんはひらひらと手を降ってさっさと行けと示した。客以外には冷たいようだ。少し離れて店の看板を見る。そこにはレング魔法具店とあった。
「人は見かけによらないなぁ」
あのおばちゃんが魔法使いとはどうにも思えない兎月だった。改めて魔力を探ってみると確かに洗練されている気がする。なるほど、と兎月はまた一つ学んだ。
因みにもはや女扱いに気にならなくなっていることに気がつくのはもう少し後だった。
◇