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人身供儀の娘

 二人が歩くこと二十分。

 郊外の一軒家に辿り着いた。

 ちらほらと明かりが灯った住宅街で、ただあまり人影は見えない。

 人間界の夜はもっと派手なものだと思っていたウォームは、廃屋が徒歩圏内にあるくらいだから田舎なのだろうと思った。

 周囲をちらりと見渡すと、田んぼのようなものが見え、青い葉が生い茂っていて、彼は改めて人間界に来たのだと思う。

「……」

 その一方、家を目の前にして瞳は深呼吸をしていた。

「どうかしましたか?」

「ううん…入ろうか」

「? ええ」

 がちゃりと重い音を立てて開いた扉の先には、女性と男性が一人。

 それは瞳の母親と父親だった。

「ひ…瞳…!?」

「なんで…!」

「…ただいま」

 幽霊を見るような目で、言葉を失う両親に構わず瞳はウォームを招き入れた。

「お邪魔します」

 にこりと笑って言うと、二人は二の句が告げないようだった。

「この人はウォーム。暫くうちに泊めるから」

「…だ、誰なの?」

 恐る恐る聞いてくる母親に、ウォームはにこりと笑って言う。

「僕は呼び出された悪魔です」

「!?」

「バカッ」

 怯えた色の眼を震わせる両親。

 瞳が慌てるが、時は既に遅かった。

「この人、悪い悪魔じゃないの。とにかく私の部屋に」

「ま、待ちなさい、瞳!」

 母親の言葉を意に介さず、ウォームを引っ張って階段を上る。

「あの…いいんですか?」

「…うん」

 瞳の眼に、悲しい色を見つけて、ウォームは黙った。

 階段を上りきってすぐ、瞳の部屋に入り扉を閉めると、瞳はへなへなと座り込んだ。

「なんで悪魔だなんて言うのよ…もう…」

「だって本当のことですし」

「本当でも言っちゃ駄目なの!」

「…ごめんなさい」

 剣幕に驚いて謝るウォームを見て、彼女はため息をつく。

「ごめんなさい、八つ当たり」

「?」

「本当は、一人で家に帰ってくるの怖かったの。ウォームが居てくれて良かった」

 先ほどの悲哀の色を濃くして言う瞳に、ウォームは対面に座った。

「どうしたんですか?」

 優しく問うウォームに、瞳はぽつりぽつりと話し出した。

「私、見捨てられた子どもなの」

「え…?」

「両親は、人身供儀の事知ってて、私を行かせたのよ」

 人身供儀とは、悪魔に生贄を捧げる儀式のことである。

 ここでは生贄の役が瞳だったのだ。

「この部屋、殺風景でしょ。全部私が捨てたの」

「何で…」

 問おうとして、ウォームははっとした。

 考えてみれば当たり前だ。

 此処に帰って来られる保障など無かったのだから。

「あの儀式を執り行っていた連中と関係があるんですか?」

「お母さんもお父さんも、あの組織の一員なの」

「えっ」

 ウォームは驚愕した。

「人身供儀の生贄に私が決まって…二人は組織に逆らうこと無く私を差し出したの。私、要らない子なんだよ」

「そんなことありませんよ!」

「なんでそんなこと言えるの? お父さんもお母さんも、あんな目で私の事見るのに…」

 ウォームは、先ほどの二人の目を思い出した。

 幽霊を見る目。

 帰ってくるなんて微塵も思ってなかった目。

 ウォームは黙り込んだ。

「ごめんね、湿っぽい話。だから居づらいかもしれないけど」

「…それでも」

 ウォームが口を開く。

「瞳ちゃんは親御さんのこと、好きなんですよね?」

「………。…嫌いになんかなれないよ…」

 言葉には、寂しい気持ちが詰まっていた。

「さ、もう寝よう。疲れちゃった」

「はい…」

 無理やり作った笑顔に、ウォームは何も言えなかった。

「ウォームって…悪魔ってどうやって寝るの? 布団いる?」

「いえ、そのへんで座って寝ますから」

「ふふ、変なの。おやすみ」

「おやすみなさい」

 電気を消すと、疲れていたのだろう、瞳はすうすうと寝息を立てる。

 ウォームは、暫く彼女のことを見つめていた。

 整理されたこの部屋は、きっともう戻って来れないと思った証。

「このままじゃいけない…」

 ウォームは小さく呟き、そっと部屋を出た。

 静かに階段を下りて、階下の様子を探る。

 すると、そこには両親二人がひそひそと話していた。

「悪魔を連れてくるだなんて…」

「瞳は私達を恨んでいるんだ。だからこんな真似を…」

「それじゃあ、あの悪魔は私達を殺すため…?」

「そんな馬鹿な…!」

 好き勝手なことを言う両親に、ウォームは悲しくなった。

「…! あなた…!」

「ひっ…!」

 ウォームに気がついた両親は、口元を手で覆い、恐怖に竦む。

「僕はお二人に危害を加える気はありませんよ」

「し、信じられるか悪魔のいう事なんて!」

 父親が言う。

「僕を信用しないのは勝手です。でも、娘さん…瞳ちゃんのこと、信じてあげてください」

「な…!」

 それだけ言い残すと、ウォームは階段を再び上っていった。

 残された両親は、苦い顔をしていた。


 ぴぴ、ぴぴと鳴るアラームの音で瞳は気がついた。

「んん…」

 ぱち、と目覚ましを止めると隅で蹲っているウォームを発見する。

 すぐに顔を上げたウォームは、瞳の顔を見た。

 彼女の目はまだ少し眠そうで、そして昨晩の悲哀の色を残していた。

「おはようございます、瞳ちゃん」

「おはよ、ウォーム」

 にこりと笑って言うウォームに、瞳も笑顔を返した。

 カーテン越しに光が入ってきていて、朝が来たことに彼女は少し感動する。

「学校…行かなきゃ。一人で平気?」

「えぇ、大丈夫ですよ」

「そっか。じゃあ行ってくるね」

「はい、気をつけて」

 笑顔で見送るウォームに、瞳は少し不安になる。

 両親が彼にひどいことをしないだろうか。

 しかし、さすがに両親に気をつけてとは言えない。

「瞳ちゃん?」

「…ううん」

 暫し躊躇ったが、今はウォームを信じよう。

 そして、両親も。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 そして瞳は、両親と顔を合わせずに出て行った。

「…さてと」

 ウォームは、立ち上がった。

 今一度、両親と話してみようと思ったからだ。

 瞳と両親の関係を、どうにかしてやりたかった。

 自分は見捨てられた子どもだなんて、彼女に言わせたくなかった。

 それに、両親だって何か訳があるのかもしれない。

 ウォームはドアを開けて下階へと降りた。


 その頃、瞳は歩きながらウォームの事を考えていた。

 上手くやっているだろうか。

 最も、自分を殺すはずだった悪魔と両親が和んでいるだなんて映像はちょっと変で笑えるが。

「ひーとみっ!」

「きゃっ」

 後ろから急に抱きつかれて、瞳は声を上げた。

「要ちゃん」

 振り返ると、そこには瞳の数少ない友人である、降矢 要がいる。

 要は抑え目の茶色のショートカットで、快活な少女だった。

「もうっ、昨日意味深なこと言うから心配したよ!」

「あはは、ごめんね」

「別れ際に今までありがとうだなんて、なんかあったのかと思ったじゃん!」

「はは…」

 死ぬ予定だったのだからしょうがない。

 そうは言えず、瞳は引きつった笑いで誤魔化すしかなかった。

「もう~…」

「わっ、要ちゃん、泣かないで…」

「瞳のばかぁ、心配させんなー」

「ごめんね…」

 よしよしと頭を撫でると、要が抱きついてくる。

「…んで、何かあったの?」

「な、ないよ。何も」

「うっそだぁ」

「ホントだってば」

 瞳は嘘をつき続けた。

 すると、要は手を解き、ぴょんと一歩引いた。

「じゃあとりあえずそれでいいや。でも何かあった時はちゃんと教えてね」

「うん」

「ま、勿論そんな時来ないのがいいんだけど。へへっ。ガッコ行こ!」

「うんっ」

 瞳は要に手を引かれながら、瞳は鼻腔をくすぐられる様な感覚に陥っていた。

 自分のことをこんなに心配してくれる友達がいる。

 幸せだと思った。

 死を覚悟した一日が明け、こんなにも世界を愛おしく思う。

「ありがとう」

 瞳の口から自然と礼の言葉が出て、一瞬驚いた要も、笑った。


「瞳ちゃんのこと、どう考えてるんですか」

「あ、悪魔のあなたには関係ないでしょ…」

 母親が一人のところを見計らって聞いたウォームに帰ってきたのは冷たい回答だった。

 おまけにウォームのことを警戒しているせいか、怯えてしまってこれでは聞きだせるものも聞き出せない。

 母親がそそくさと逃げるように買い物に行ってしまったので、ウォームは暫く部屋に戻ることにする。

 二階に上がった時、書斎らしき所から父親が出てきて、鉢合わせた。

「あの、瞳ちゃんのこと」

「っ…」

 途中まで言ったところで、父親は書斎に戻ろうとした。

 反射的に、その手を掴むと父親の顔が恐怖に歪んだ。

「や、やっぱり私達に危害を…!」

「加えませんってば。それより聞きたい事が…」

「た、助けてくれー!!!」

 わめく父親を見て、げんなりする。

 しょうがない。

 本当はしたくないんだけど、と自分の心に言い訳をしてから。

「助けっ…う…」

 うめき声を最後に、しんと静まり返ったそこにはウォームの姿は無かった。

「やれやれ…本当はこういう事しちゃいけないんですけどね」

 父親の口からウォームが愚痴をこぼした。

 ウォームが、魔術で父親の体に乗り移ったのだ。

 これは、精神体である悪魔が近くに居る人間に入ることが出来る、ウォームの力の一つだった。

「あっ、でもこれでお母さんの本音も聞けるかも」

 ラッキー、と呟いて、再び一階へ降りていく。

 暫く台所のテーブルで母親を待つ間に、父親の表面の心を探った。

 あまり深くまで踏み込むと精神を壊してしまう可能性があった。

 目を閉じる。

 父親の感情の波を読み取っていく。

 …悪魔が怖い。

 人懐こい笑顔できっと私達に牙を剥く。

 悪魔は私達の命を狙っている。

 ひいては瞳の命をも。

 どうにかしなくては。

 瞳。

 瞳が生きていてくれた。

 だがきっと私達を恨んでいる。

 瞳が生きていてくれて嬉しい。

 合わせる顔がない。

 瞳…。

「あなた?」

「あっ、あぁ?」

「どうかしたの?」

 彼は突然かかった言葉に、慌てて答えた。

 集中していて帰ってきたのに気づかなかったのだ。

「おかえり」

「あの…あいつはどうしてる?」

「あいつ?」

 暫し考えて、自分のことだと気づく。

「あぁ、瞳…の部屋じゃないかな」

 思わずちゃん付けしそうになって、ぎこちない喋りになってしまった。

「…それより、お前瞳が帰ってきてどうだ」

 話題を変えると同時に、核心を突く。

「どうって…」

 母親の顔は困惑していた。

「勿論…嬉しいわ。正直生きて帰ってくるなんて思わなかったけど」

 母親の顔に陰りが見えた。

「人身供儀に瞳が選ばれて…最初は絶望した。それでも組織のいう事は絶対だもの」

 その時、カタン、と後ろで物音がした。

「…瞳!」

 そこに立っていたのは瞳だった。

 ウォームは集中していて気づかなかったが、随分な時間が経過していた。

 学校が終わると同時に瞳はウォームのことが心配で、早々に帰ってきたのだ。

 それが、最悪の結果になってしまった。

「……っ」

「瞳っ!?」

 そのまま瞳が出て行ってしまったので、ウォームは慌てて父親の体を離れて追いかける。

「あ、あなた!?」

 残された父親の体は力が抜け、そのまま倒れこんだ。


「瞳ちゃん!」

「来ないでぇっ!」

 瞳を追いかけるが、瞳は近くのビルのエレベーターに乗り込んでしまい、ウォームは焦った。

 あの様子では何をするかわからない。

 エレベーターが最上階まで行った事を確認して、ウォームは階段を駆け上がった。

 上から階段を上る音が聞こえてくる。

 となると、目的地は…屋上。

 ウォームは自分を悔やんだ。

 そして、よりにもよって一番聞きたくないことを聞いてしまったであろう瞳の心中を察した。

「瞳ちゃん!!」

 屋上の扉を開けると、瞳は柵を越えようとしていた。

「瞳ちゃん…!」

「来ないで! 私もう生きてたって…」

「待って!!」

 柵を乗り越えた瞳はふらりと飛び降りようとした。

 瞬間、思い出したのは要の事。

 何かあったら…。

 要は、自分が死んだら泣くのだろうか。

 今日のように。

 それは一瞬の躊躇だった。

 しかし、それだけでウォームには十分だった。

「瞳ちゃん!」

 ウォームは瞳に乗り移り、その体で柵を掴んだ。

「間に合って良かった…!」

 瞳の口でウォームが言う。

 柵の内側に移動し、瞳の体を解放する。

「瞳ちゃん…」

 気を失っている瞳の頬を軽く叩いて意識の覚醒を促す。

「う…ん」

 瞳がうすぼんやりとした意識の中、目を開ける。

 暫しぼうっと辺りを見回していたが、自分の行動を思い出して飛び起きた。

「離してっ!」

「離しません」

 右腕をウォームにがっちりと掴まれていて、瞳は抵抗した。

「どうしてぇ? 私、本当に生きてる意味、無いのに…!」

「僕のエゴです。瞳ちゃんを死なせたくない。こんな表情のまま…」

 そう言うと、ウォームは瞳の涙を拭った。

「それに、一瞬躊躇ったでしょう。生きてる意味がないなんて言わないで下さい」

「それは…」

 要を思い出して。

「瞳ちゃん、誤解してます」

「…何を」

「僕、さっきお父さんの意識に乗り移りました」

 今瞳ちゃんを助けたときのように、とつけ加える。

「そしたら、お父さんの意識は瞳ちゃんのことばかりでした」

「…」

「お父さん、僕が瞳ちゃんに危害加えるんじゃないかってすごく心配してました」

「……」

「瞳ちゃんに合わせる顔が無いって、すごく後悔してました」

「そんなの…」

 嘘だよ、と小さな声で呟く。

「僕に嘘はつけませんよ。意識を読み取るんですから」

 諭すように言うと、瞳が顔を上げた。

「私の意識も…読んだの?」

「そんな暇無かったですよ。集中しないと出来ないんです」

「……でも、お母さん私より組織が大事だって…」

「それは…」

 すると、また瞳は俯いてしまう。

「………て」

「はい?」

 ぼそぼそと言うので、聞き取れない。

「お母さんの意識も、読み取って」

「え?」

「嘘偽りの無いお母さんの気持ち、知りたいの。そしたら、私…」

「…分かりました。それが瞳ちゃんの望みなら」

 にこりといつもの笑顔をしてみせると、瞳が抱きついてきた。

「ありがとう、ウォーム」

「瞳ちゃんも、生きててくれてありがとうございます」

 そういうと体を離し、ウォームは瞳の手を取った。

「帰りましょう」

「…うん」

 そして二人は、屋上を後にした。


「瞳!!」

 帰ってきて、第一声は母親の言葉だった。

「無事だったのね…。この悪魔! お父さんに何をしたのよ!」

「ウォームは悪くないよ」

 ヒステリックに叫ぶ母親に、間髪入れずに瞳が言う。

「お父さんは…?」

「まだ気を失ってるわ。瞳、いい子だからその悪魔から離れなさい!」

 それはまるで、自分の失言を忘れさせるかのように、母親は全てをウォームのせいにしようとしているように見えた。

 ウォームの手を引っ張る瞳。

「おねがい…」

「はい」

「何をこそこそと…して……」

 そのまま母親の意識を自分のものとしたウォームは、意識の表層を探る。

 …お父さんが悪魔にやられた。

 瞳もきっとやられる。

 瞳に聞かれた。

 一番聞かれたくないことを。

 瞳は自分を軽蔑している。

 それでも本当は守りたかった。

 でも怖かった。

 会いたい。

 会いたくない。

 瞳を守りたい。

 神様がくれた最後のチャンス。

 今度こそ、瞳を守る。

 その為には悪魔も組織も怖くない―…。

「…だそうですよ」

 母親のまま、瞳に笑いかけると、瞳の目には涙が溢れていた。

「もう…いいよ」

 その瞳の言葉を聞いて、ウォームはほっとした。

「はい」

 するりと母親から抜け出すと、その手で意識を失った母親の体を支えた。

「悪いんだけど、お母さんをベッドまで運んであげて」

「はい、分かりました」

 瞳に案内され、寝室まで抱き上げて運ぶ。

 そうしてベッドに横たえると、部屋を出た。

「ウォーム…私に勇気をくれる?」

「?」

「明日、二人が起きてきたら、ちゃんと話してみようと思う」

「…はい!」

「その時、ウォームにも居て欲しいの。いい…かな」

「勿論」

 喜んで、とうやうやしくお辞儀をすると、瞳が涙を拭って笑った。

 そのまま二人は二階へ上がり、少し早いが眠ることにする。

 ウォームを外に出して着替えると、ウォームを部屋に招き入れる。

 ベッドに横になると、瞳は呟いた。

「ウォーム…」

「どうしました?」

「私、二回も命助けられちゃったね」

「言ったでしょう、僕のエゴですよ」

「でも、私は嬉しかった…。私、どうやって恩返ししたらいい?」

「…瞳ちゃんが生きてさえいてくれれば、僕にとって一番ですよ」

「優しいね…ウォームは…」

 ウォームの言葉に、ふわりと気持ちが軽くなる。

「明日…私がんばるから…」

 そう言うと、瞳は眠った。

「がんばれ、瞳ちゃん」

 そっと瞳の頭を撫でると、ウォームも眠ることにした。


 夜中、ドンドンと扉を叩く音で目が覚めた。

「瞳! 瞳、無事!?」

「瞳、開けなさい!」

 ウォームと瞳は同時に目を覚まし、体を起こした。

 母親と父親の声だった。

 どうやら、意識を取り戻してこの部屋に来たらしい。

 二人は目を合わせると、真剣に心配している声を聞いてちょっと笑った。

 瞳ががちゃりと扉を開けると、両親が部屋に飛び込んできた。

「瞳!!」

 母親がバッと瞳を覆うように抱きしめると、父親はウォームと対峙した。

「怪しげな術を使って私達に何をした! 瞳は渡さんぞ!」

 よく見ると、足が震えている。

 それもそうだ。

 いきなり意識を奪われたことを考えれば無理もない。

「お父さん、お母さん、違うの…!」

「何が違うんだ!」

 剣幕に押されたように、瞳が口ごもる。

 やれやれとウォームは違う行動に出た。

「瞳ちゃん」

「きゃっ」

 ぐいっと力任せに瞳の腕を引っ張り、抱きしめた。

「この娘は魔界に連れて行く。こんな上等な餌、この場で殺すのは忍びないからな」

「なっ…!」

「本性を現したな!」

 二人とも口先は威勢がいいが、腰が引けている。

 それもそのはずで、彼らは悪魔と対峙しているのだ。

 その実態はともかく、想像の中での彼はとても恐ろしい存在だった。

「だからどうした? お前らは娘などどうでもいいのだろう」

「っ…!」

 瞳は不思議そうに見ていたが、どうやら趣旨を理解したらしい。

 そう。

 押しても駄目なら引いてみろ…と。

「私、ウォームと行く…。人身供儀ってそういう事でしょう?」

「っ…瞳!」

「いやぁっ!」

 母親がわっと泣き出してしまう。

「ウォーム、やりすぎじゃない…?」

「まぁ、見てなさいって」

 ひそひそと話すが、その様子すら両親にとっては疎ましいものだった。

「瞳を返して!」

「何故だ? 今更娘にどんな未練がある。言ってみろ」

「瞳は…」

 たっぷりの沈黙があって、父親が言った。

「私達の大切な娘だ!! 何があっても守ると、瞳が帰ってきたあの日誓ったんだ!」

 そして母親も。

「代わりに私を連れて行きなさい! 瞳は…うちの娘は…私が守る!」

「お父さん…お母さん…」

 そう言うと、瞳の目に涙が浮かんだ。

「その気持ち、忘れないで下さいね」

「えっ?」

 ウォームは瞳を離した。

 いつもの人懐こい笑みを浮かべて。

「じゃなきゃ、本当にさらっちゃいますから」

 瞳が両親に抱きついて、わあっと泣き出した。

「瞳…瞳…ごめんね…」

「私たちを許してくれ…!」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 三人はずっと泣いていて、ウォームは部屋をそっと出た。

「あーあ、次は何処へ行きましょうかね」

 今回のことで、もともと信用なんかされてなかったのに更に失墜させてしまった。

 もう、ここには居られない。

 後で瞳にさよならを言おう。

 そう決意すると、暫く三人きりにしておいた。

 夜が明ける。

 朝日がやたら眩しかった。


 しかし。

「だから、さっきのはウォームの演技だったの!」

「そんなこと分からないじゃないか」

 朝になると、何故かウォームは家族と同じ食卓についていた。

 出て行くはずだったのに、瞳が止めたのだ。

 そして意識乗っ取り事件のことも、瞳の自殺を食い止めた事も話した。

 すると、なんとなく両親のウォームへの態度も柔和なものになっていた。

「私の恩人なんだよ? なんで分かってくれないの」

「それはそれ、これはこれだ」

「もうっ」

 その家族のやり取りは、なんだか和気藹々としていた。

「あの…僕、ちゃんと出て行きますから…」

「だめ!」

 ウォームがぼそぼそと言うと即行で瞳が返した。

「私達家族の恩人でもあるのに、追い出すなんて絶対駄目!」

「そうねぇ…」

 瞳の言葉に、母親が考え込んだ。

「おいおい、出て行くって言ってるんだ。それでいいじゃないか」

 母親まで考え出すのに、父親は焦る。

「行くあてはあるの?」

「いえ全く」

 すぱっと言うと、母親がくすりと笑った。

 それは、ウォームに見せた初めての笑顔だった。

 どことなく瞳のそれに似ている。

「私は信用できるわ。ウォームさんが居なかったら瞳は今この世にいないんだもの」

「おいおい…」

 母親がそう言うと、父親が力なく声をあげた。

「私は反対だぞ」

「あなたは単に男の子が瞳に近づくのが嫌なだけでしょ」

「うっ…」

 図星だったらしい母親の言葉に、新聞で顔を隠す。

 事の中心であるウォームは会話に入ることもせず、食パンとサラダをつついていた。

「じゃあこうしましょう。さすがに同じ部屋はあれだから、お父さんの書斎を貸してあげるって事で」

「え…」

 突然下りた許可に、思わず声が出る。

「あの…いいんですか?」

「いいのよ。私達あなたにひどいこと言ってきてしまったし」

 おずおずと会話に加わると、母親がまた笑った。

「ただ、一つお願いがあるの」

「何でしょう」

「今回のように、瞳を守って下さい」

 深々と頭を下げて言う母親に、ウォームは言う。

「勿論です。瞳ちゃんは僕が守ります」

 にこりと笑うと、母親は頭を上げた。

「決定ね! お父さん、お願い」

 瞳が可愛くおねだりすると、父親もとうとう折れたように言った。

「魔界に帰る方法が分かるまでだからな!」

「ありがとう、お父さん!」

 瞳は父親に抱きついて喜んだ。

「ありがとうございます、お父さん」

「お前にお父さん呼ばわりされる筋合いはない!」

「あはは」

 笑ってごまかすと、父親は新聞をばさりと開いた。

「あっ、もうこんな時間! 学校行かなくちゃ」

 食事を済ませて、玄関に向かう。

「待ちなさい、瞳」

「なに? お父さん」

「今さっき届いたんだ。これを持っていなさい」

 差し出されたのは一つの小瓶だった。

「何、これ?」

「これは聖水だ。あの悪魔に襲われそうになったら使うんだぞ」

「もう、ウォームはそんな事しないってば」

「いいから持っていなさい」

 聞こえていますけど。

 そうウォームは思ったが、口には出さなかった。

「うん、ありがと、お父さん!」 

 制服のポケットに小瓶をしまうと、靴を履いた。

「あと」

「?」

「お前が捨てた荷物、全部取ってあるから、帰ってきたら部屋に入れなさい」

「…! …ありがとう!」

 それは、組織に縛られた中で、精一杯瞳の事を思いやった行動だった。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます!」

 ばたばたと瞳が出かけた後、ウォームは考えていたことを切り出した。

「あの…」

「はい?」

「僕を呼び出した組織のこと、教えてくれませんか」

「…!」

 両親の顔が曇った。

「…あの組織は、怖いわ。人の命なんてなんとも思っていない」

「というと?」

「あなた、呪殺を頼まれたでしょう。自分達の手は汚さずに、人を殺したがってる」

「はぁ…」

 震える声で言う母親に、ウォームは慎重に聞いた。

「今まで、悪魔召喚に成功した事はあるんですか?」

 母親はふるふると首を横に振り、話し出した。

「今までは、国内外の呪術師を雇っていたみたい。でも…」

「でも?」

「最近トップの人間が代替わりしたの。そして悪魔召喚の文献を読み漁って、今回の事を起こした…」

 暫し沈黙が場を制した。

「殺したい人というのは一体?」

「それは知らないの…。ごめんなさい」

「そうですか…」

「私達は末端の人間だからな。知らないことの方が多い」

 父親が付け加えた。

「もうそんな組織に関わらないって、僕と約束してくれませんか? 瞳ちゃんがまた巻き込まれるかもしれない」

「えぇ」

「勿論。二度と関わったりしない」

 ほっとしたようにため息をつくウォームに、両親は誓った。

「さぁ、私も仕事に行かなくては」

「そうね」

「行ってらっしゃい」

 そうして父親も出かけると、母親がウォームに言った。

「さあさ、片付けましょう。手伝ってもらえるかしら」

「勿論ですよ。あ、今後僕の分のご飯、いりませんから」

 さっきは出されたから食べましたけど、と注釈をつける。

「あら、どうして?」

「もともと、エネルギー摂取するようになってないんです。僕は、悪魔ですから」

「お腹空いたりしないの?」

「えぇ、そんなものです」

「そう」

 二人はそう言うと台所に立った。

 本来、悪魔の糧であるのは人間の精気とその負の感情である。

 勿論、悪魔の中には人間の体自身をも糧にするものもいる。

 怯えさせてしまうと思ってウォームは言わなかったが、それさえあれば他の食べ物は必要がない。

 現状では、人間のいる場所に行けば、ある程度の負の感情は手に入る。

 それさえ無くても、花や木の有機物であれば精気を吸収する事が出来た。

 消化器官はあるのだが、食べて得るエネルギーはそれほど多くは無かった。

「あ、そういえば僕のこと呼び捨てで構いませんから」

「分かったわ、ウォーム」

 顔を見合わせて笑うと、片付けを開始した。

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