衝突
ほんのり性的表現注意
海希「お、重い...」
抱えるダンボール箱の中には、膨大な資料が詰め込まれていた。
薄っぺらい1枚の紙も、ここまで集まってしまうと相当な重さになる。
裁判所の玄関ホールにある大きな螺旋階段を上がり、ふらつく足取りでとある一室に入った。
肩で押し開けた扉をそのままにし、狭い部屋の真ん中にあったテーブルへと真っ先に駆け寄った。
ドサッと大きな音を立てながら、抱えていた荷物を置いた。
重量から解放された身体は、とても軽い。
さて...
この仕事が終われば帰られる。
軽く肩を回しながら、大量の資料を目の前に椅子に腰を据える。
何枚かの紙を束に、クリップをとてめていく。
この繰り返し。
ちなみに、この仕事は私の仕事ではない。
海希「あのウサギめ〜〜〜っ...!!!」
いつもの独り言も、部屋で1人きりになれば声もデカくなる。
この日、私は一度たりとも彼の姿を見ていない。
それは何故か。
彼が方向音痴であり、それ故に遅刻魔であるからだ。
セリウスの仕事が、こうやって私のところまで流れてくる。
苛々を募らせつつも、私は手を動かした。
それでも、頭には笑顔いっぱいのウサギ男が呑気に紅茶を飲む姿が浮かんでいた。
....八つ裂きにしたい。
そんな思いが強くなっていく。
しばらくの間、作業に没頭していた。
紙の擦れる音だけが鳴り続ける。
早く終わらせたかった為、時計に見向きもしなかった。
イザベラ「なんだ、まだいたのか」
簡単な冊子が数十束出来上がった辺りで、彼女の存在に気が付いた。
開けっ放しにしてあった扉から、イザベラがこちらの様子を覗いている。
海希「これが終わったら帰るわ」
自分でも、不機嫌になっている事は自覚していた。
それでも彼女に対して、少し冷たい言い方をしてしまった事に後悔した。
何故なら、ちょっとした事で首をはねられるかもしれないのだ。
イザベラ「ふふっ、どうやら不機嫌のようだな。そう怒っていると、肌に悪影響だぞ」
余計なお世話だ。
ただ、この言葉を口に出すほど、私は命知らずではない。
胸元が大きく開いた真っ赤なドレス。
それが、私の方へと近付いてくる。
イザベラ「ほぉ...他人の仕事を任されたか。お前も可哀想な奴だ」
海希「だったら、あのウサギを何とかして下さい」
イザベラ「あいつはあぁ見えて役に立つ男だ。それに、そう簡単に切り捨てられるような男でもない」
そうだろうとも。
でなければ、とっくの昔に解雇されていた筈だ。
イザベラ「お前も真面目過ぎる。そんなもの、放っておけば良いものを」
海希「え、良いの?」
一瞬、手の動きを止めてしまった。
見上げたイザベラの口が、弧を描く。
イザベラ「その内誰かがやるだろう。でなければ、わらわが誰かの首を刎ねるからな」
....頭が痛い。
額を押さえながら、作業を再開した。
結局、誰かが犠牲になるしかないじゃないか。
何の解決にもならない。
海希「それが嫌だからやっているの。邪魔しないで下さい」
なんだ、このブラックな会社は。
どうして私はこんな所で働いているんだ。
そんな考えが、グルグルと頭の中で繰り返される。
イザベラ「そうピリピリするなと言っておろう。ストレスがたまっておるぞ」
だったら、ストレス発散に一発殴らせてくれるのか。
彼女に見向きもせず、出来上がった冊子を積んでいく。
私のような人間は、働き蟻タイプ。
これぐらいの内容なら、黙ってこなせる。
ただ、他人の仕事じゃなければの話だ。
イザベラ「お前に休暇を与えてやろう」
その言葉に、再び彼女を見上げた。
どこから取り出しかも分からない大きな扇子をいつの間にか開き、パタパタと扇ぐイザベラは、涼しい顔で続ける。
イザベラ「褒美だ。長期休暇を与えてやろう」
海希「えっ」
イザベラ「なんだ、嬉しくないのか?」
嬉しいと言うか、あなたを疑っています。
別に休みが欲しかった訳でもなかったので、イザベラの提案に戸惑っているのだ。
海希「本気で言っているの?」
イザベラ「わらわが冗談を申すと言うのか?何度も言わせるな、首を刎ねられたいのか」
まさか、と私はブンブンと首を横に降った。
イザベラ「いい機会だ、あの猫とバカンスにでも出掛けると良い。こんなくだらない事で疲れを溜め込むな。わらわにあたられても困るからな」
ニヤついた笑顔だけを残し、イザベラは部屋を出て行ってしまった。
コツコツとヒールの音が次第に遠ざかっていく。
まだ私の目には、真っ赤色が焼きついていた。
本当に休んで良いのか?
後でサボった罰として首をはねられやしないか心配だ。
彼女の機嫌は山の天候のようにコロコロと変わるところがある。
さっきの言葉だって、あてにならない。
海希「....本当に休んじゃおうかな」
裁判所で仕事を終えた後、私はそそくさとその場を後にした。
予定よりも帰りが遅くなってしまった。
陽が地平線に沈んでいく。
赤くなった空を何羽かのカラスが森の方角へと飛んでいくのを見つめながら、私も先を急いだ。
森へと続く道を歩いて行く。
進んで行くにつれ、聴こえてくる音は既に聞き慣れたものだった。
だからと言って、怖くない訳ではない。
私は、つい足を止めた。
ダダダダダダダダッ!!!!
ドォォォォォンッ!!!!
強い火薬の匂い。
動物のように鼻が利かなくも分かる程だった。
目の先には、土煙が立ち込めている。
兵士「あいつ、何処へ消えたんだ!?」
兵士「絶対に逃がすな!」
数人の兵士達が、私を横切って行く。
相変わらず、暑苦しそうな鎧をかぶっていた。
彼らが動く度に、ガシャガシャと派手な音を立てる。
海希「な、何よ、一体....?」
どうやら、誰かを探しているようだった。
遠くなっていく兵士達を尻目に、私は彼らが来た道を歩いて行く。
しばらく歩いて行くと、道の真ん中に何かが落ちている事に気が付いた。
海希「ん....?」
それをゆっくりと手に取る。
持ち上げた男性物の洋服。
この服には見覚えがある。
海希「ロイゼ?」
間違いなく、彼が着ていた服だった。
辺りを見渡し、彼の姿を探す。
海希「ロイゼ?いるの?」
それに、たくさんの鎧が転がっている。
更には、空になった薬莢が。
こんな場所で兵士達ともめるとは....さすが悪人。
彼は、未だに真っ当な人生を送れていないらしい。
この服が置いてあると言う事は、彼は可愛いらしい縫いぐるみ姿の筈。
それなら、私だって優しくなれる。
海希「どこなの?」
彼の名前を呼んでみる。
道を外れ、茂みに入っていく。
薄暗い木々の中に、私の視線はある一点に釘付けになった。
赤い血が、点々と落ちている。
じわりと土に染み込み、よく見なければ分からない。
目をしかめながら、それをゆっくりと辿っていくと木陰に隠れるように、小さくなっていた体を見つけた。
海希「....ロイゼ!?」
傷だらけの彼を見つける事が出来た。
縫いぐるみのような小さな体は、静かに上下している。
海希「ちょっと....酷い怪我じゃない!」
赤黒い毛が、水に濡れたように湿っている。
もちろん、湿らせているのは汗や水ではないだろう。
ロイゼ「....デカイ声出すな...頭に響く...」
つぶらな青い瞳が、薄っすらと開いた。
とりあえず、まだ生きているようだ。
海希「あなた、能力はどうしたの?」
彼の能力は絶大な自己治癒力だ。
放っておいても怪我は勝手に治る筈。
しかし、血は流れ続けている。
ロイゼ「うるせぇな....失せろ....!!!」
失せて欲しいなら、いつもの人間の姿でいて欲しかった。
そらなら、もっと冷たくできた。
海希「あんたこそ黙ってなさいよ!大体、こんな所で問題なんか起こすからでしょ!」
と、私は傷付いた彼に説教をした。
だから、さっさと山に帰れば良いものを。
まだこんなところを彷徨いていたなんて、一体何を考えているんだか。
しかし、彼はぐったりとうなだれているだけ。
その姿は、やはり昔のコロの姿とかぶってしまう。
それがとても嫌になった。
海希「しょうがないわね....これは借りだからね」
そう言って、小さな体を服で包み、彼を抱き上げた。
私の腕の中に収まった小さな体。
私は急いで、森へと向かった。
バスに辿り着くと、私は辺りを見回した。
どうやら、近くにレイルはいない。
恐る恐るバスの中を覗いてみるが、やはり彼の姿はない。
それを確認すると、急いで救急箱と何枚かのタオルを取り出した。
外へ出て、バスから少し離れた茂みの中に入り込む。
少し広い場所を見つけ、そこにロイゼを寝かせた。
毛むくじゃらの体のせいで、どこから血が出ているのかも分からない。
とりあえず、タオルで止血を試みた。
真っ白だったタオル地が、じわじわと赤く染まっていく。
この状況になるのは、これで2回目だ。
海希「ロイゼ、大丈夫?能力が効いてくるまで、ここでこうしててあげるからね」
彼に寄り添い、私はそこでジッとしていた。
縫いぐるみのような体。
いつものロイゼとは思えぬような可愛らしさ。
どんなに悪い事をされても、助けてあげたくなるのはこれのせいだ。
それに、傷付いた動物を見ると、コロを思い出してしまう。
こんな奴と一緒にしたくはないが、私もそこまで冷たい人間ではないという事だ。
新しいタオルで、また彼の体を包む。
多量出血で死んでしまわないか不安だったが、彼はまだなんとか息をしている。
それも、虫の息レベル。
傷口が塞がってきていれば良いんだけど....と、私は彼を見つめながら祈っていた。
海希「....もう、大丈夫かな?」
彼の様子を見た後、新しいタオルを取ってこようと思い、バスへと戻る。
目的の物を手に取った瞬間、聞き覚えのある声が聞こえ、ハッとなった。
レイル「おっ、あんたも帰ってたのか?」
海希「!!!」
最悪なタイミングだった。
いつものように、レイルは機嫌良くバスの中へと入って来る。
そして、私と目が合う前に、鼻をヒクヒクと動かしていた。
レイル「アマキ...の匂い...?」
その言葉の次に、私の手に視線を移す。
私は咄嗟に、その血だらけの両手を後ろに隠した。
海希「これは....」
黄色と青色のオッドアイ。
針のように細くなった瞳孔が、私に近付いてくる。
海希「レイル...!!」
レイルは私に近付き、鼻をヒクヒクと動かしている。
レイル「あいつの臭いがする」
それだけ言うと、私に背を向けバスを降りていく。
私は、急いで彼の背中を追い掛けた。
海希「レイル!!」
私の声など届いていないかのように、彼はひたすら臭いを辿る事に集中していた。
やはり動物だ。
少し離れた茂みの中に入っていき、いとも簡単にロイゼを見つけ出してしまった。
レイル「へぇ....こいつの看病をしてたって訳だ」
鋭い目付きに、ゴクリと息をのんだ。
レイルの手に白黒銃が手にされた瞬間、私の体は自然に動いていた。
海希「やめて!」
横たわるロイゼを護る為、私は彼を胸の中に抱えた。
背中に白黒銃の銃口が向けられているのを感じ、余計に腕に力が入った。
レイル「なんでそんな奴庇うんだ!あんたに手を出そうとした奴だろ!?」
レイルの怒鳴り声が頭に響く。
撃ってこないと分かっていても、怖くて後ろを振り向けないでいた。
海希「それでも、放っておけないわよ!」
確かに、彼には幾度となく面倒ごとに巻き込まれている。
私だって、そこまでされておいて助けてあげている自分をおかしく思う。
レイルは間違っていない。
レイル「良いから、そこをどけよ」
カチャリと、冷たい銃の音がした。
私は、ギュッとロイゼを抱き締める。
海希「怪我が治るまでよ!それまでは手を出さないであげて!」
私の胸の中で、モゾモゾと動き出す。
青いつぶらな瞳が、ゆっくりと開いた。
ロイゼ「.......っ!!!」
その途端、私の胸の中から這い出した。
自分の服をその大きな口に咥え、駆けていく。
レイルの銃口は、そのロイゼに移動する。
ドンッ!!!
ドンッ!!!ドンッドンッ!!!
何回かに分けて、銃声が鳴る。
たくさんの鳥が、驚いた様子で空へ飛び交った。
海希「!」
ロイゼに当たってしまったかもしれない。
薄暗い木々の中、彼を確認しようとして立ち上がろうとした私は、強引にその腕を引っ張られた。
海希「いっ....!!!」
近くの木の幹に、強い力で押さえられてしまっていた。
その時に強く肩を打ってしまい、痛みがジンジンと伝わってくる。
気が付けば、レイルの虹彩が暗闇の中で光っていた。
海希「何するの!?」
腕が痛い。
徐々に痺れてきた。
私の手首は、レイルの手でじわじわと締め付けられている。
レイル「あんたって、誰にでも優しいよな」
ドスのきいた、低い声。
口調から、彼の怒りが伝わってきた。
その怒りが、今私にぶつけられている。
凄まれているのだ。
レイル「あんたのそう言うとこ、いつまでも好きになれない」
海希「あんたこそ、もう少し他人に優しくするべきだわ」
私が言い返すと、それが気に食わなかったのか、レイルは私を睨みつけた。
こんなに鋭い目で睨まれたのは、初めての事だった。
獲物を狙う、猫の目。
殺意のような、冷たい視線。
初めて向けられたものに、自分の肩が震えたのが分かった。
レイル「あんな奴を助けて、なんの得になるんだ!?」
愛用の拳銃を突き付けられた訳でもないのに、体が動かない。
猫に命を狙われたネズミは、まさにこんな気持ちなのだろうか。
静かな怒りの火が、途端に激しく燃え上がる炎になる。
目の前で急に大声を出され、私の肩はまた跳ねた。
けれど、私だって黙って言われているようなガラじゃない。
震えながらも、キッと睨み返す。
窮鼠、猫を噛む、だ。
海希「得をする為に人を助けるんじゃないの!猫のあんたには分からないかもしれないけどね!」
勢いのまま言い切った。
余計な事まで言ってしまったと思ったけれど、私は悪い事なんてしていない。
なのに、どうしてそこまで言われなければならないのかと思うと、黙っていられなかった。
私が言葉を言い終わるやいなや、視界に入っていた光景が瞬く間に変わっていく。
レイルに腕を強く掴まれ、引っ張り込まれたかと思うと、視界いっぱいだったレイルの顔が消え、今度は青空が目に飛び込んでくる。
そう思うと同時に、背中に衝撃が走った。
砂地の地面はとても硬く、寝心地が悪い。
私の背中は、半分叩きつけられるような形で倒れた。
海希「レイル、痛いっ!!!」
痛みを訴えたが、彼からの反応はない。
それどころか、私の唇を強引に塞いできた。
海希「んっ....!!」
恋人同士の甘いキスとは、とても程遠いもの。
呼吸を奪うような、痛くて苦しい、乱暴なキスだった。
これを、はたしてキスだと呼んでも良いのかさえ分からない。
彼の胸を叩いたが、阻むように両手を捕まれ、ガッチリとホールドされてしまう。
砂利が私の腕や手の甲に食い込んだ。
海希「やっ....めて!!」
レイル「........っ」
私の言葉など邪魔だと言うように、また口を塞がれる。
呼吸が乱れ、高熱が出たように全身が熱でうなされ、痛みが走る。
呼吸が、出来ない。
海希「やだっ、レイル!!」
痛い。
私を触れる彼の手が、彼の唇が。
そこから痛みが走っていく。
もう、どこがどう痛いのか、分からない。
草原で戯れてきたものとは違い、恐怖しかない。
抵抗すればするほど、逃さないと言わんばかりに力で押さえ込まれてしまう。
強く歯を立てられた。
いや、立てられた言うより、噛み付かれたのだ。
レイルの鋭い歯が、私の皮膚に食い込む感覚。
その痛みで、私は悲鳴を上げた。
海希「やめて...お願いっ!!!」
殺されてしまうと、本気で思った。
誰もいない森の中。
どんなに抵抗しても、抗えない。
誰かの助けなんて、あてにできない。
気が付けば、私の目からは涙が流れていた。
ポロポロと、頬を伝って流れていく。
そんな私を見ても、レイルの口調は荒かった。
レイル「泣くな!!!」
キッと睨まれ、涙が止まらなかった。
私には、いつもそんな言い方はしない。
いつだって擦り寄って、好きだと言ってくれて、都合の言いよう甘やかせてくれる。
私を、1番に許してくれた人。
ここに居ても良い、ここが私の居場所なんだと教えてくれた人...
既に目の前は涙で滲み、本物の彼なのかさえ確認出来ない。
レイル「泣いてる奴は嫌いだ!!!見ていて苛々してくる!!!」
彼は、女性に限らず泣いている人間が苦手だった。
それでも、私が泣けばいつも優しく慰めてくれる。
針のように細くなった瞳孔が、私を捉えていた。
いつも綺麗な黄色と青色の虹彩は、とても不気味に光っているのが見える。
この瞳が好きだった。
珍しいオッドアイ、レイルにしかない、レイルだと分かる、彼の特徴の1つなのに。
殺されてしまう
この人は、一体誰だろう。
ここにいるのは、私の知らない人。
脳が、勝手にそう認識していく。
彼に似ているだけの、知らない誰か。
都合の良いように、改ざんされてしまう。
殺人鬼のような相手に、私は震えがらも声を振り絞った。
海希「私だって....!!!」
私に構わず、強引に唇を落とされた。
いつも、悪ふざけのように私に触れてくるレイル。
可愛くて、親しげで、優しくて、甘えてくるように。
だから、私も許せていた。
けれど、今の行為はとても優しいとは言えない。
そんな彼が怖くて仕方がなかった。
私の大好きだったコロじゃない
これは、レイルなんかじゃない
海希「私だって!!!あんたなんか大っ嫌い!!!」
レイルの耳が、ピクリと反応したのが分かった。
彼の手の力が弱まるのを感じ、彼を押し返した。
レイル「!」
急いで立ち上がり、彼から距離を取る。
やっと彼から解放された口で、必死に呼吸を繰り返した。
頭がクラクラとし、それでもしっかりとその足で立った。
痛みで体が熱い。
痛くて、熱くて、たまらない。
滲んでいた視界がはっきりと分かってくると、レイルに意識を集中させた。
すぐに、レイルを見つける事が出来た。
力なく座り込んでいる彼を見つけ、私はハッとなる。
海希「....ごめん...今のは違う....」
そこで、私は気が付いた。
微動だにしない、猫の青年。
俯いているので、彼の表情は全く見えない。
...大嫌いだと言ってしまった。
咄嗟に出た言葉とは言え、本音ではない。
私の口から、自然に謝罪の言葉が出てくる。
海希「レイル、ごめん。でもあんたが....」
レイル「.......ろよ..」
力のない彼の言葉。
一度では聞き取れない、か細い声が聞こえた
。
海希「えっ...?」
レイル「消えろって言ったんだ!!!」
思わず体が飛び上がった。
表情は見えないが、威嚇するように逆立った尻尾や耳の毛を見て、彼の心情を読み取る。
レイル「もう、あんたの顔なんて見たくない...!!!」
鋭利な物を胸に突き刺されたような感覚だった。
グサリと、簡単に体を突き抜ける。
痛みは感じるのに、レイルの言葉に理解出来ないでいる。
...いや、理解したくないだけだ。
言い返す言葉が見つからない。
自分を守る為の言葉さえ出てこない。
また、じわりと目頭が熱くなる。
顔を見せてくれないレイルから、この現実から、目を背けた。
頭の中が真っ白になっていく。
熱を持っていた身体が、急激に冷めていくような感覚。
真っ白になっているにも関わらず、勝手に体が動いてしまうのは、私なりの防衛本能なのかもしれない。
石のように固まってしまっていた足が、ようやく持ち上がった。
気持ちのままに、体を預けた。
私は、その場から逃げ出してしまった。