女王様の君臨
海希「.......」
仮休憩が、既に一時間は経過していた。
あぁ、目の前の私のお昼ご飯...
ふっくらしていたバンズが、今や悲しげにしぼんでしまっている。
イザベラ「なんだ、お前は食べないのか?」
フォークとナイフを使い、トリフがふんだんに乗った、孔子のステーキを食べている。
ランチと言うより、ディナーに近い食事。
小さく切り分け、丁寧に口に運んでいく。
あなたのせいですよ、あなたの。
目の前のお偉い方のせいで、簡単に喉を通る筈もない。
青い空、白い雲、赤い女王様。
今日の私は、なんて運に恵まれていないのだろう。
イザベラ「休憩が終わるぞ?」
お前のせいだ、と言いたくなる。
セリウスと一緒に昼食を始めてしばらくした後、彼女は姿を現した。
私達の姿を見つけると、やけに興味津々で声を掛けてきたのだ。
この異色なメンバーでお昼休み(私は休み時間ではない)を過ごすと言う、なんとも不思議な体験。
私はたかがバイターなのだ。
けれど、私を誘ったウサギ男張本人は、さきほど仕事へと戻っていった(彼は無事に仕事部屋へ戻れるのだろうか)。
無責任にも、この裁判長と私を置いて....
もう一度言うが、私はたかがバイター。
どうしてこんなお偉い様と食事をしているのだ、いや私にこんな意思はないと、さっきから自問自答を繰り返している。
海希「はぁ....食欲がなくて...」
私にとって、彼女も苦手な存在だ。
全身が赤色で目に悪いからではない。
彼女の人間性の問題だ。
イザベラ「チェシャ猫に手を焼かされているのか?」
彼女は、私とレイルが恋人同士だと勝手に思い込んでいる節がある。
とても迷惑な勘違いだった。
海希「恋人じゃないからね」
イザベラ「分かっておる。で、あの猫との生活はどうだ?猫というのだから、手に負えないほど盛る時もあるだろう」
やっぱり分かっていないじゃないか。
どいつもこいつも、ここの住人は本当に人の話を聞いていない。
海希「レイルは元々、私の飼い猫なの。家族なの。分かる?」
イザベラ「ほぉ、そう言う設定なのかお前達は。意外な趣味をしておるな。お前ではなく、あやつがペット...まぁ、悪くはないだろう」
海希「そんな趣味はしていないわ!」
まだ変な話を続けさせるつもりか。
上司の上司に、声を張り上げてしまった。
ただイザベラは、クスクスと笑っている。
イザベラ「そう怒るな。ただの冗談だ」
ワインの入ったグラスを手にしながら、とても楽しそうに。
どう見ても、私で遊んでいる....
最初の内は敬語を使っていたのだが、彼女がいつも私で遊んでくるので、いつの間にかタメ口になっていた。
彼女も何も言ってこないので、それで浸透してしまっている。
それでも、いつ首を飛ばされないかヒヤヒヤしている毎日だ。
イザベラ「お前は面白い奴だ。一々反応が大きいから、セリウスにもからかわれる。まぁ、その分可愛がっているのだ。多めに見ておくれ」
私がジャックに求めるものと同じ。
やはり私も、ジャックには悪い事をしていると言える。
ジャック...いつもごめんなさい。
今ここで、軽く謝っておく事にする。
海希「昼間からワインって...仕事に差し支えないの?」
赤いワインをグラスで軽く回している。
香りを楽しんだ後、少し口に含んだ。
イザベラ「ワインだと思うからいけないのだ。これはただの水。水ならば問題ないだろ?」
問題あり過ぎだ。
そのワインではなく、彼女の思考がだ。
イザベラ「最近はつまらない罪人しか来ない。なんだか、この仕事も飽きてしまうな」
海希「平和だって事でしょ」
つまらない罪人という意味を、小さな罪を犯した人間と言うニュアンスで捉えた。
この世界が平和になるなら、私だって過ごしやすい。
イザベラ「平和のどこが面白いのだ?つまらないさ過ぎて、片っ端から首を刎ねてしまいたくなる」
海希「あなた、それでも裁判長なの?」
それではまさに地獄になってしまう。
イザベラ「相変わらず生意気な娘だな。まぁ、そんな事をすれば王妃に怒られてしまうからな。わらわだって、これでも大人しくしている方だ」
アルムヘイム城の王妃様。
ガラスの靴を履いたお姫様だ。
かぼちゃの馬車に乗り、あの日に会話した事は、今でも覚えている。
とても気品ある女性だった。
海希「仲が良いのね」
イザベラ「もちろんだ。あやつとは昔からの仲だからな」
海希「王妃様は元気にしている?」
私が最後に彼女を見たのは、舞踏会の夜だ。
彼女は、ほとんどの時間を城の中で過ごしているようで、なかなか外で見かける事はない。
さすがおとぎ話の王道。
イザベラ「あやつは....少し気が滅入っているようだったな」
飲み干したワイングラスを、ゆっくりとテーブルに置く。
布巾で真っ赤な口元を拭い、顎に手をやった。
海希「体調でも悪いの?」
優しい王妃様の事だ。
悩みをたくさん抱え過ぎて、病んでしまったのかもしれない。
イザベラ「いいや、そうではない」
海希「違うの?」
イザベラ「あやつは神経質なところがある。真面目で気質で...くだらないところで頭を使う」
きっと、くだらなくはないだろう。
私にとっても、とても重要で大切な事のような気がする。
なにせ、あの王妃様だ。
くだらない事でギャーギャーと言っているのは、むしろ目の前の裁判長様の方。
だが、そんな事は口には出さない。
ふと、イザベラが人差し指をテーブルに置く。
真っ赤なマニキュアでコーティグされた綺麗な爪。
黙って見ていると、コツンっとテーブルを軽く叩く。
イザベラ「お前は、確か他所の世界から来たのだろう?」
海希「え?」
突然の質問に、私は危うく聞き流すところだった。
それは、とても今更な質問だった。
海希「そうだけど...それが?」
イザベラ「....和の国を知っているか?」
聞いた事のない名前が飛び出した。
私からすれば、ちんぷんかんぷんだ。
なので、首を横に振る。
イザベラ「ガリバーから旅の土産話に聞いた事があってな。お前のいた世界とは、また別の世界が存在するらしい」
海希「和の国...」
やはり聞いた事がない。
この世界のように、メルヘンな所なのだろうか。
イザベラ「とは言っても、そう遠くない場所にあるのだろう」
一体何が言いたいのだろう。
彼女の話に、私は必死に耳を傾ける事しか出来ない。
イザベラ「楽しそうだとは思わないか?そこへ渡るには相当な時間を費やする事になるが....ふふっ、本当に興味深い。セイラを誘って旅行にでも誘いたい所だが、どうにもうまくいかなくてな」
スクッと立ち上がり、イザベラは広がったドレスを引きずりながら、食堂を出て行った。
その後ろ姿も、とても堂々としている。
彼女の威圧に勝てる人間など、存在するのか微妙なところだ。
海希「和の国ね...」
結局、イザベラは私に何が言いたかったのかは分からない。
病んでいる王妃様の為にも、気分転換に遠出をしたい...そう言いたかったのか。
海希「あ...仕事に戻らないと」
どちらにしても、厄介ごとに巻き込まれるのは、もう御免だ。
食べ損ねてしまったバーガーと飲み物を掴み、私は食堂を後にした。