猫騙し
どうしてこんな事になったのだろう。
殺伐とした今の空気を、肌でひしひしと感じながら思う。
って言うか、これってどこかで似たような事があったな。
私の今までの行いが悪かったのだろうか。
いや、我ながら、さほど悪くはなかったと思うんだけどな。
私は今、真っ黒なスーツと真っ黒なサングラスを身につけている男たちに囲まれている。
こんな状況で逃げようとすれば、懐に見え隠れしているチャカが火を噴くだろう。
チャカと言うのも、テレビや映画でよく見る、想像通りの代物(勿論、本物を拝んだ事はないけれど)。
グラサン越しに注がれるその視線は冷たく、おまけに無理やり座らされた畳の上も妙に冷たい。
もう一度言わせてもらう、どうしてこんな事になったのだろうか。
レイル「だから!俺じゃねぇって言ってんだろ!」
おまけに、隣にはお決まりのように猫の彼がいる。
しつこく言わせてもらう、どうして、どうしてこんな事になったのだろう。
??「お前じゃないと言う方が難しいと思うが。この状況で、よくもここまで否定できるもんだね」
そんな私達を蔑むように見下ろしているのは、ビビットなカラーの重たそうな着物を引きずっている美女だった。
派手な刺繍が綺麗に施してある着物を着崩している為、肩から胸辺りががっつりと開き(女の私でも谷間から目が離せない)、首元に見えるのはタツノオトシゴをモチーフにしたような刺青。
美しい反物が似合う、と言うか、そう言う風貌が似合うお姫様...いや、彼女はお姫様ではなく花魁に見える。
とは言っても、竜宮城と言う名のお屋敷にいるし、ここのボスだと言うのだから、きっと彼女がそうなのだろう。
あれ、なにこの状況?
どこかの馬鹿みたいに赤い裁判所の、どこかの暴君裁判官が思い浮かんでくるな。
そうそう、あの時も確かにレイルがいて、なんやかんやでいろいろあったけ。
でも、あの時と違うのはこの状況を打破出来そうな仲間がいない事だろう(あの時は目に優しい緑の青年がなんとかしてくれた)。
どうしてこんな状況に陥ったのか。
始まりは、そう、騒ぎの種を撒き散らす猫の青年を見つけた時からだ。
当たっているのか外れているのかよく分からない占いの館を出た後、また目的もないまま歩いていた。
ここに、知り合いと言う知り合いはいない。
なので、マッチを売る少女に会いにも行けないし、緑の青年との空中遊泳を楽しむ事もない。
逆に言えば、可愛い顔をした悪魔のような双子や危険極まり無い狼のような危ない輩に絡まれる事も少ないので、安心出来る。
けれど今の私には、安心感よりも心細さの方が上回っていた。
騒がしいのに慣れすぎて、平和な日常を退屈だと感じてしまっている自分に呆れるしかない。
....いや、けして平和でもないけれど。
だって、私の知る平和は人並みに恋愛をし、人並みに友人と遊び、人並みに仕事に励む事。
あぁ、今頃は就活で忙しい時期だっただろうな....
かなしきかな、かなしきかな。
平凡で良かったのになー、なんて。
そんな事を頭の中でグルグルと考えながら、ふと顔を上げた時だった。
海希「ん?」
思わず声が出た理由。
それは、見知った人物の姿が視界に入ったからだ。
海希「レイル?」
少し目線を上げれば、彼の姿が目に入った。
獣耳生やした、黒と白の人型が屋根から屋根へと飛び移り、私の目の前を横切ったのだ。
一瞬だったが、あれはレイルだと分かる。
彼は、私には気付かなかったようだが。
何処に行くのだろう。
そんな事をふと思ったと同時に、私は自分の目と耳を疑う事になった。
レイル「待てよ!」
......レイル?
それも、獣耳を生やした白と黒の人型。
叫び声と共に、レイルが目の前を横切っていく。
その光景に、私の口は言葉通りにポカンと開く。
まるで、テレビの映像をリプレイして見ているようだ。
レイルがレイルを追いかけて....いる?
あれ、はじめに見たのは確かにレイルだったよね?
でもさっきのもレイルだったよね?
見間違いじゃないよね?と、軽く自問自答してみるが、やはり答えは1つだった。
と言う事は、あの猫が2匹いる事になる。
いや、ドッペルゲンガーと言われるものなのかもしれない。
それが本当なら、あの猫は死んでしまうのだろうか。
海希「レイル!」
聞こえる訳がないけれど、反射的に叫んでいた。
目と足で、すかさず彼の姿を追ってみる。
海希「この辺りだったような....」
膝に手をついて呼吸を整える。
辺りをキョロキョロと見回し、レイルの姿を探した。
元いた場所からだいぶ離れた場所に行き着いてしまっていた。
誰一人見かけない、殺風景な場所。
なんの建物か分からないものがたくさん敷き詰まるように並んでいるが、全く人の気配を感じないし、物音すら聞こえてこない。
まるで、この世界に私だけ取り残されたような、そんな気分にさせられる。
この辺りで、レイルらしき人物を見失ってしまった。
流石は猫だけあって、その身のこなしは抜群に良かった。
高い所から低い場所に飛び乗ったり、俊敏に動く様は、とても猫らしかった。
きっと、アクションスターになれると思う。
だが、私は真っ当で純潔な人間だ(ここの獣人達のDNAは未だにどうなっているか不明)。
それでも、私は運動が苦手な方なのに、ここまでよくついてこられたと自分で褒めてやりたいぐらいだ。
....レイルは何処に行ったんだろう。
道なりに沿って歩きながら、彼の姿を探し始める事にした。
レイルは耳がいいので、大声で名前を呼べば、意外に向こうから出てきてくれるかもしれない。
そう思い、口を開きかけた時だ。
ドンッ!!!
久々の響きに、私の身体が跳ね上がった。
ほぼ無音だった場所で、響き渡る銃声。
その音は、空高くまで広まっていく。
鼓膜が破れると言う程ではないが、けしてうるさくない訳ではない。
近い....?
音がした方を目で追ってみると、それはすぐに発見できた。
道の先にある2つ目の角を曲がった所だ。
そこから、青い光が漏れているのが見えた。
高い建物に太陽の光が遮られ、少し薄暗かったのですぐに見つける事が出来たのだ。
青い光に銃声。
連想できるのは、1つしかない。
海希「レイル?」
急いで走って角まで曲がり切り、そこで私の足は自然に止まってしまった。
行き先は、行き止まりだ。
黒くくすんだ壁が立ちはだかり、そんなキャンバスに映し出されていたのは紛れもなくあの魔法陣だった。
海希「えっ....」
その場に、レイルの姿は既になかった。
魔法陣も、瞬く間に光の粒となって消えていく。
残されたのは、廃墟のようなこの建物と、その場に立ち尽くす私だけ。
魔法陣があったと言うことは、彼はあの拳銃を見つけることが出来たと言う事だ。
その意味を瞬時に理解し、私は複雑な気分になった。
....無理矢理にでも連れて帰るって言ってたよね。
次にレイルに会う時は、もしかすると取っ組み合いになるかもしれない。
抵抗する気満々の私。
こんなんだから、仲直りも上手く出来ないんだろうなと思う。
が、その次に会ったレイルは、私の想像を遥かに超えたものになっていた。
パァンッ!!!
再び私の身体が飛び上がる。
本日2回目の銃声に、私は目を丸くした。
それも、一発だけじゃない。
パァンッ!!!
パァンッ、パァンッ!!!
何度も何度も何度も。
その音は、一向に鳴り止む気配がない。
さぞかし大いにドンパチ騒ぎが繰り広げられているのだろう。
そうとなれば、私もこんな所でうかうかとしていられないと思い(巻き込まれる可能性がある)、その場を離れようとした時だ。
レイル「だから!濡れ衣だっつうの!!!」
目の前の壁から飛び降りて来たのは、まさかのレイルだった。
次に会った時のレイル....これが、そのレイルだ。
海希「レイル?」
レイル「!」
なにやら背後を警戒している。
地面に着地したと同時に、私が声を掛ける事によってようやくこちらの存在に気付いてくれた。
レイル「なんであんたがここに....っ!!?」
ズダダダダダダダダダダダッ!!!!
彼の声が、けたたましい銃声にかき消されてしまい私の耳に届く事はなかった。
レイルが降りて来た真正面の壁のあちこちから陽の光が差し込み、そしてガラガラと勢いよく崩れていく。
太陽のバックライトを浴びながら出て来た集団に、私は目を見開いた。
男「逃がさないぞ!!!」
いくつものサングラスがギラリと光り、ガチャリとこちらに構えられた銃は、よくヘンゼルとグレーテルがぶっ放しているものと同じ物だった。
なので、それがどのくらい危険なのか、そして今のこの状況がどのくらい危険なのか、すぐに察知する事が出来た。
レイル「しつけーな...!!!」
私はこの状況(どうしてレイルが彼らに追いかけ回されているのか)が理解出来ないまま、ガシッと腕を掴まれ、レイルと共に走らされる事になった。
海希「どうして追われてるの!!?」
と言うか、どうして私まで走らされてしまうのだろう。
後ろから追いかけて来る全身黒色の彼らを見て恐怖した。
レイル「そんなの、俺が知りたいよ!」
意味不明だ。
追われてる本人が理由を知らないなんて、それなら逃げる意味もないじゃないか。
海希「じゃぁ、どうして逃げてるのよ!?」
と、レイルに腕を引っ張られながら角を曲がろうとした時、ダダダダダッ!っと何かが足元の地面にめり込んだ。
この臭いと衝撃....
後ろを振り向かなくても分かる。
これは、彼らが私達に向かって撃ってきているのだ。
なので、レイルへのさっきの質問は取り消して、別の質問に変えた方が良さそうだ。
海希「あの人達に何かしたの!?」
レイル「だから、何もしてないって!」
何もしていないのに命を狙われるなんて、そんな理不尽な事があっていいものだろうか。
....いや、この世界ならあり得る。
銃刀法が定まっていないここでは、それが普通だからだ。
海希「何もしていないのに、追い掛けてくるわけないでしょ!」
レイル「だって追い掛けてくるんだからしょうがないだろ!?」
こいつはどこに行っても追い掛けられているな。
そして、私はどこに行ってもこういうのに巻き込まれている。
聞きたい事は色々あったが、これでは一向に話が進まない。
誤れば許してくれないのだろうか?
走りながらふと考えてみたが、彼らは私もろともレイルを撃ってきた。
あの集団がそこまで怒り心頭になっているという事は既に手遅れなのだろうと、その選択肢は消去する。
なら、2人で立ち向かってみるか?
答えは否。
まず、私にそんな戦闘力は備わっていない。
瞬時に蜂の巣にされる自信がある。
なので、その選択肢も消去だ。
どれだけ考えても、やはり"逃げる"と言う選択肢が一番的確だ。
そして、そこでふと疑問が浮かんだ。
海希「....撃ち返さないの?」
大きな建物が沢山並んだこの一画は、まるで迷路のような細い路地がうようよと入り乱れている。
そこでレイルは適当に彼らをまき、近くにあった建物の中に逃げ込んだ。
狭く、そして光の差し込まない薄暗い路地裏。
自然に、レイルにぴったりと体を張り付ける形になってしまう。
レイル「言っただろ?銃は無くしたんだ、撃ち返したくても撃てない。って言うか、撃ち返すぐらいなら逃げ切れてるよ」
外の様子を伺いながら、彼は言った。
その答えに、私は更に疑問を抱く。
海希「.....見つかったんじゃないの?」
レイルに出会す前に、私は確かに見た。
青い光が魔法陣を描いているのを。
レイルがあの白黒銃を見つけて、私は言葉通り、無理矢理元の世界に連れて帰されると思った。
レイル「まだ見つかってない....いや、見つけたんだけど、他の奴に奪われてた」
海希「えっ?」
レイル「俺にもよく分からないけど、とにかく、俺の銃を誰かが使ってる」
驚いた。
そもそも、あの銃はレイル以外に扱えるのかも疑問だ。
だが、それに以上に疑問なのは別にある。
レイル「って言うか、なんでアマキはこんな所にいたんだよ?」
私が再び質問するより先に、レイルが言った。
そして続ける。
レイル「....まぁ、どうせあいつらと遊んでたんだろうけど」
海希「あいつらって?」
私はレイルの背中を見つめながら、その返事を待つ。
レイル「あんたはあいつらといた方が居心地が良さそうだもんな。俺が会いに行った時、猿とはお取り込み中みたいだったし」
レイルが何を言いたいのか、誰の事を言っているのか、それを理解するのは簡単な事だった。
とても嫌味な言い方に、私の眉が上がる。
海希「あれは秀吉に無理矢理押し倒されたの!そんな言い方しないでよ!」
「それに、犬とは一緒に風呂に入った仲だったっけ?そりゃあいつの匂いがあんたにこびりついている訳だ」
海希「一緒にお風呂に入ったっていうのは2人だけじゃないし、白が勝手に乱入してきたの!」
こいつは何が言いたいのだろう。
まさか、そんな事を引きずっていたのだろうか。
なによりこんな状況で責め立てられるような言い方をされて、なんだかムカムカとしてくる。
レイル「どうだか。あの時のあんた、犬の匂いがベッタリ染み付いてた。そんなに染み付いてるってのに、何も無い方がおかしいよ」
海希「それは、白とずっと一緒にいたからよ!」
レイル「一緒にいただけであんなにあいつの匂いがつくわけ無いだろ!」
ぐるりとこちらに振り返ったレイルは怒っていた。
色違いの人まで睨みをきかせ、いきなり大声を出されて私の身体が跳ねる。
レイル「あんたは誰に対しても優しくて、愛想が良いのは知ってる!でも、まさかそんなに尻が軽かったとは知らなかったよ!」
海希「馬鹿な事言わないで!」
レイル「だってそうだろ!?好きでもないやつと風呂に入って、しかも体中からそいつの匂い漂わせて!」
海希「だから、そんなんじゃないってば!人の話を聞いて!」
レイル「あいつは俺みたいに噛み付かないって言ってたもんな!?似た者同士って宣言もしていたし!さぞかし優しくされたんだろうな!それで、あいつとの相性は良かったのかよ!!?」
バチィィンッ!!!
あいていた私の片方の手。
その掌は、きっと赤みがかったレイルの右の頬と同じくらいにジンジンと腫れ上がったような痛みがあると思う。
きっと、今の私の顔は真っ赤になっているだろう。
それくらいに、顔に熱が帯びている。
海希「最低っ....!!!」
こんな事を言われる為に追い掛けてきた訳じゃない。
彼をビンタする為に追い掛けてきた訳じゃない。
こうも上手くいかないと、もはや泣けてくる。
まさかのまさかだ。
いきなり、しかも今更レイルにそんな事を言われるなんて。
腕を掴んでいたレイルの手の力が少し強まったのを感じながら、私は続けた。
海希「私がここにいたのは、あんたを追い掛けてきたから....レイルとちゃんと話をしたかっただけなのに!」
ここにきて、どばっと言いたい事を吐き出す事が出来た。
目の前のレイルは下を向いたままで表情がよく見えなかったので、私の話を聞いているかどうかは分からない。
けれど、私もこのまま黙ったままじゃいられない。
海希「....あんたの言いたい事はよく分かった!顔も見たくない私に会いに来てまで、私を罵りたかった訳ね!もうこれで十分傷付いたわよ!良かったわね、これでレイルの思惑は成功よ!」
いつか、ちゃんと仲直り出来たらと、頭の中で描いていたレイルへのスピーチとは全く違うものになっていた。
これで、もう終わり。
本当に終わりだ。
そう思うと、次第に私の目にジワリと涙が膜を張る。
そして、一番に言いたかった言葉を口にした。
海希「私は、レイルが好きなのに....!!」
好きだから、こんなに傷付いてしまう。
好きだから、こんなに忘れられないでいる。
好きだから、こんなに期待してしまう。
ここ数日、レイルと離れて分かった事だ。
猫としてではなく、友達としてではなく、それは男して好きだって事だ。
一番大事な事を、ずっと言えずにいた。
舞踏会の夜、彼に言った同じ言葉とは思えないくらい、だからこそ、大事にし過ぎて言いにくい言葉になってしまった。
本人を叩いておいてこんな事をこんな状況で言うのもなんだが、もはや勢いだ。
レイルだって、今まで散々私に言いたい事を言って来たのだから、そろそろ私のターンが回って来てもいい頃だろう。
あとは、私の腕を掴むレイルの手を振りほどいてこの場を去るだけ。
そう思い、腕を動かそうとした時だ。
不意に、その腕を強く引っ張られてしまい、私の体は力のままに、レイルの胸の中にすっぽりと収まってしまった。
そうかと思えば、私の背中に回るレイルの腕。
どうやら、私は訳が分からないまま彼に抱きしめられているようだ。
レイル「俺も、アマキが好きだ....!」
......。
...........。
.................。
海希「.....えっ?」
そして、私は周りを見て更にハッとなる。
海希「えっ?」
私達が空気も読まずに堂々と大声で喧嘩をしていた事が仇となった。
レイルに抱きしめられ、更には愛の告白返しを受けている最中、周りを取り囲んでいたのは銃を所持した黒ずくめの男達だった。
この状況は、はてしてどちらの方が空気を読めていないのだろう。