猫の気持ち
賑やかな食事を終え、変態猿の混浴の誘いを般若の形相で追い返し(長時間に渡る無駄な攻防戦だった)、なんとか一人きりの静かな入浴を済ませる事に成功した私。
桃太郎がいない今、ここは逆ハーレムの恋愛ゲーム状態になっている。
舞台はとある定食屋の屋根の下(側から聞けばムード感は皆無)。
大人チックの頼り甲斐のある季さん(鳥?)。
ユウモアのある男前な秀吉(ただの女好きの猿)。
いつも笑顔が明るい白(こっちは裸になるのが好きな犬)。
一途で他人は冷ややかなレイル(今では微妙な関係の猫)。
シーンっと静まり返る町を窓から眺める。
真っ暗な世界に、暖かい明かりが街道を照らし、その灯りを吸い込まれるように見つめていた。
何を考える訳でもなく、ただぼぅーっとしていた。
考える事に疲れてしまったのかもしれない。
もしくは、考える必要がなくなったからか。
ふぅっと一息吐いてから、私は部屋の電気のスイッチに指を置いた。
ここは、六畳ある和室。
真ん中に一式の布団が丁寧に敷かれおり、白の部屋のように物で散らかっていない綺麗な部屋だ。
微かに桃の香りがする。
なので、ここは桃太郎の部屋なんだと推測出来た。
部屋の襖には何本ものついたて棒をかませ、更にタンスで入り口を塞いでやった。
ここまでしなければ、猿と犬の脅威から安心して一夜を過ごせない。
そう考えると、ここも私にとっては危険な場所であると言える。
さて、そろそろ寝ようかな...
いつも疲れてはいるけれど、今日は一段と疲れた様な気がする。
とくに激しい運動はしていないのに、酷い疲労感。
これは、まさに気疲れと呼ばれるものだろう。
心の中で自分自身に、"おやすみ"と告げてから布団に入り、天井を見上げてからゆっくりと瞼を閉じた。
ようやく、静かな夜が訪れた。
部屋の中で一人きり。
ここは暗い森の中でも、底の見えない穴の中でもない。
勿論、冷たい海の底でもない。
その為か、今の私は安らかに眠れそうな気がする。
...いや、違う。
これは、きっとレイルのせいだ。
素直にそう思えたのが不思議なくらい。
が、それがスイッチとなり、私の頭は冴え渡っていくばかり。
何故彼がここにいるのか、私の事をどう思っているのか。
静かになって改めて考えてみると、どうにもこうにも止まらなくなってしまう。
??「アマキ」
私を呼ぶ声がする。
眠気が未だにやってこなかった私は、すぐに反応する事が出来た。
瞼を開けると、薄暗い部屋の空間に黄色と青色に光る目が浮いているのが見えた。
今回は白い犬ではなく、暗闇に紛れる猫耳のシルエットがぼんやりとだけ分かる。
海希「...レイル?」
こんな瞳の持ち主は、彼しかいない。
その綺麗な2色の瞳を見つめながら、私は体を起こした。
そして、1番に思いついた言葉を馬鹿正直に口にする事にする。
海希「あんた、どこから入ってきたの?」
猫は夜目がきく。
なので、こんな薄暗い部屋の中でも私の顰めっ面ははっきりと見えている筈だ。
私がどうしてこんな事をわざわざレイルに聞いているか。
何故なら、いつもの魔法陣の光もなければ、この部屋の出入口は対猿犬用の完璧な防壁を作っていたからだ。
レイル「どこって、そこからだけど」
と、彼が指で示したのは、私がさっきまで外を眺めていた窓だ。
夜風が入ってきている為か、カーテンが少し揺らいでいる。
海希「窓からじゃなくて、ちゃんと部屋の出入口から入って来なさいよ!」
レイル「俺は猫だぜ?窓だってちゃんとした出入口だっての。だから、問題ないよ」
問題あり過ぎだ。
猫の前にこいつは男で、こんな時間に足音もなく女の部屋に忍び込むとは。
猿や犬なんかより、よっぽど警戒するべき存在だと言える。
その辺り、私も詰めが甘かった。
レイル「アマキ、帰ろう」
なんて言い返してやろうかと考えていると、レイルの方から先に言葉を投げて来た。
彼が何を言っているのか理解するのに数秒掛かり、私の返事は遅れてしまう。
帰りたいのはやまやまだ。
けれど、帰れない。
それは、あの強面亀がいないからだと思っていた。
レイル「俺達の世界に帰ろう。あの森に。あんたはずっとここにいたいのか?」
海希「帰りたいけど、だって帰れないじゃない」
レイル「帰れると思う。ユグドラシルがない世界でも、俺達、ちゃんと帰ってこれただろ?」
マナのない私の世界。
正確には、稲垣海希の世界。
確かに、あそこにはユグドラシルもマナもない。
マナがないのは、レイルが黄金の林檎を食べた事で解決している。
しかし、世界を繋ぐユグドラシルがない。
別世界に行くには、ユグドラシルを辿らなければ、私はマナのない世界には戻れないのだ。
それなのに、帰りはとてもスムーズだった。
ただ、やはりマナの届かない世界だという事で、距離が離れ過ぎているせいか、レイルの家まで繋がらなかった。
帰れたとしてもあの草原だ。
マナの届かない場所、と言う共通点があるからかもしれないが、その仕組みは私にもよく分からない。
レイル「ここならユグドラシルもあるしマナも届く世界だし、距離もそう遠くないと思うんだ。それに、ツインの銃を向こうに置いてきたし...ユグドラシルを一々通らなくても、行けると思う」
不意に握られた手から感じ取る事が出来たレイルの体温。
彼の温もりが、とても懐かしい。
その為か、私の胸がトクンっと波打った。
海希「帰るって....季さんにも白にも、それに秀吉にだって挨拶していないのに?」
レイル「また遊びに来れば良いだろ?俺は嫌だけど」
と、顔を顰める。
しかし、私は納得出来ない。
だいたい、それはレイルの能力があっての事だ。
私が彼らに会いたくなったら、レイルに許可を貰わなければならない。
顔も見たくない相手に、果たしてそんな事をしてくれるのだろうか。
海希「それは....出来ない」
秀吉は良いとして(あいつには酷い目に遭わされたので)、白にはいろいろと良くして貰った。
それに、季さんにだってそうだ。
黙って帰る事なんて出来ない。
レイル「なんでだよ!?あんただって早く帰りたいんだろ?!」
海希「そんなに急かす事ないじゃない。桃太郎に留守も頼まれているし。それに...」
はっきり言って、こんなのは口実に過ぎない。
私が帰れない理由にした事は、明日にだって実行してすぐにでも帰えられる。
ただ、1番の引っかかりは別にあるだけ。
その理由の原因であるものに、私は未だにグズグズとしている。
だからこうやって、言いたい事も先延ばしにしてきた。
海希「....優しくしないでよ」
口の中に溜まった唾を呑み込んでから、ゆっくりと言葉を口にした。
それも、恐る恐るだ。
なので、レイルに聞こえているかさえ疑わしいくらいのか細い声が出てしまった。
いっその事、聞こえていないで欲しいとも思う。
レイル「何言ってんだ?」
海希「だから、優しくしないでって言ったの」
今度ははっきりと言ってやる。
ただ、彼の2色の瞳から目を背けながら。
私の事なんて、顔も見たくないくせに。
今になって、忘れていた傷をエグられる気分だった。
痛くもない腕や首元に、またあの時の痛みが走ったように感じてしまう。
レイル「あんたは...あの犬に惚れてるのか?」
....は?
この状況に、全く相応しくない質問だった為、声が出なかった。
思わず彼見ると、レイルは真剣な表情で私を見ていた。
同じ言葉を、今度は私が言い返す番だ。
海希「何言ってるの?」
レイル「......っ」
犬とは、きっと白の事だろう。
白は好きだ。
明るくて、少年のような純粋さを持っている。
それに、とても想いやりもある。
でも、男としてではない。
1人の人間、1匹の犬として好きなのだ。
それに、惚れていたとしても、どうしてそんな事をレイルに教えなければならないのか。
私は、握られたレイルの手をゆっくりと離した。
彼は好きでもない人間と、こんな事をしていてはいけない。
他人には冷たいレイル。
ならば、私にも冷たくするべきだ。
本当に好きな人だけに優しければ、それで良い。
その優しさを求める女性だって、たくさんいる。
私だって、コロだったレイルにそれを求めた。
彼の為に、自分の為に切らなければならない。
気紛れなんかで、私に構わないで欲しい。
私は猫みたいに、気持ちの切り替えが早くできない。
このままだと、本当にレイルを忘れる事ができなくなる。
海希「....そんな事を聞いてどうするの?」
離れた彼の温もりが、また手に残っている。
その温もりを振り払うように、ギュッと握り締める。
海希「どうして、ここに来たの?」
出来るだけ、平常心を保つように。
彼の表情は、この暗さではっきりとは見えない。
そのせいか、私は思いきって彼に訊くことが出来た。
レイル「それは、アマキが....っ!!!」
海希「私の顔なんて、見たくないんでしょ?」
今の私は、一体どんな顔をしているだろう。
彼に言われて傷付いた言葉を、どうして本人の前で口にしているのだろう。
もう、しばらくレイルには会わないつもりだったのに...
海希「だったら、もう優しくしないで」
もはや、彼が優しい猫なのかさえ分からない。
私からすれば、彼の行為は優しさには感じられない。
声が震える。
ついでに言えば、体も震えていた。
何度も言うが、彼は夜目が利く。
きっと、こんな情けない私が見えいるは筈だ。
とても情けない。
情け過ぎて、泣けてくる。
私は、こんなに未練がましい人間なのだ。
猫の性格が、今ならとても羨ましく感じる。
レイル「....言いたい事はそれだけか?」
とても悲しそうな声。
馬鹿みたいにはしゃぐ、いつもの彼の声じゃない。
どうしてそんなに悲しそうなの?
そんな言葉を掛ける余裕なんて、私にはない。
海希「......っ!!!」
彼の指が頬に触れた瞬間、私の体は強張った。
暗くてよく見えなかったのが、余計にそう感じさせたのかもしれない。
彼の一つ一つの行動が怖く感じてしまう。
こんな事、今までなかったのに...
きっと、レイルに乱暴にされた事を、まだ身体が覚えているからだと思った。
レイル「.......」
黙ったままのレイルの手が離れていくのを感じた。
私が怯えているのが、伝わってしまったのかもしれない。
レイル「なら、俺も言いたい事を言う」
何を言うつもりなのだろう。
悲しい言葉は聞きたくない。
耳を塞いでしまいたい気分だ。
レイル「どうしてあんたは、まだ持ってるんだ?」
持っている?
あぁ、彼が言っているのはこれの事だ。
胸元で揺れているそれを隠すように、私は手で覆った。
海希「....外すのを忘れていただけよ」
とてもダサい言い訳だ。
こんなものを持っているから、未練が残るのだ。
自分で分かっている筈なのに、どうしても捨てられなかった。
海希「良いでしょ、もう私の物なんだから。返さないわよ」
レイルの魔法陣とお揃いの物。
ペアルックと言うものは好きではないが、悪くもない。
今では、ここがペンダントの定位置になっている。
レイル「返せなんて言ってないだろ。ただ....」
ただ...?
言葉の続きを待っていた。
すると、暗闇の中で2色の光が細くなる。
レイル「....やっぱ、いいや」
そんな終わり方をされると、なんだかモヤモヤしてしまう。
この責任は、どう取ってくれるのか。
少しムキになりながら、私はレイルに言った。
海希「帰るなら、先に帰って。私はもう少しここに残る」
はっきりと言ってやった。
私は帰らない。
レイルとは帰れない。
いつもなら、無理やりにでも引っ張って行きそうなレイルだが、今に限ってそんな事はして来ない。
寂しいのか、それとも安心しているのか、よく分からない気分になった。
レイル「俺もいるよ」
海希「えっ?」
思いがけない返事に、耳を疑った。
彼は、ここにいる必要はない。
興味のない事には、すぐに尻尾を向ける彼の口から出た言葉とは思えない。
海希「どうして?本気なの?」
レイル「今は帰れない」
海希「...はっ?」
言葉がうまく出てこなかった。
さっきは今すぐにでも帰ろうと言っていたではないか。
支離滅裂過ぎて、自ずと眉間に皺が寄る。
海希「...あんた、言ってる事がめちゃくちゃよ」
めちゃくちゃなのはいつもの事だが、流石にこの状況でそのスタンスで来られると、対応にも困る。
なので、私も構わず続けた。
海希「さっきは帰ろうって言ったじゃない。どうしてそれが、帰らないじゃなくて帰れないになるの」
レイル「俺だって早く帰りたい。だけど、ないんだよ」
海希「ないって?」
レイル「...だから、失くしたんだって」
海希「何をよ?」
その気は無かったが、自然に問い詰めつる形になり、レイルは罰が悪そうに私から目を逸らした。
何って...と小さな声でブツブツと何か呟いてはいるが、その声は私の耳には入らない。
一体こいつは何がしたいのだろう。
意味不明な彼の言動に振り回される私の身にもなって欲しいものだ。
そんな事を思いながら、私はワザと大きめの溜息を吐いた。
海希「はっきり言いなさいよ。それが出来ないなら、さっさと出てって」
冷たい言い方ではあったが、既に就寝時間だ。
いつまでもこのデリカシーのない猫に付き合ってあげられるほど私は優しくするつもりはない。
今の心境なら尚更だ。
レイル「....銃だよ」
海希「銃?」
レイル「そっ。銃だよ、銃」
銃とはなんだ。
レイルが口にする銃と言えば、見た目では到底銃とは思えない代物のものだ。
その銃の事を言っているのだろうか。
白と黒の、お洒落なアクセサリーのような。
いつも肌身離さず持ち歩き、いつも乱射して、騒ぎの引き金ともなるあの銃だ。
海希「....失くしたの!?」
よくやく脳が追いつくと、変に落ち着き払っているレイルがおかしく見えた。
いつも大事そうに扱っていたあの銃を失くしておいて、一体どんな心境なのか知りたい。
レイル「さっきも言ったろ?失くしたって」
海希「何処で!?」
レイル「落ち着けよ。なんでアマキが熱くなるんだよ?」
海希「どうしてあんたはそんなに冷静なのよ!?」
レイル「すぐに見つかるよ。自分の匂いを辿る事なんて犬じゃなくても簡単だ」
どうしてそこで犬と比べるのか。
フンっと鼻を鳴らすレイルは、どうやら白を気にしているように見える。
レイル「とにかく、銃が見つかるまでは大人しくしてる。けど、見つかったら引きずってでもアマキを連れて帰るからな」
目を細めながら、彼は私に圧力を掛けるように身を寄せて来た。
なので、私も自然に距離を取るように仰け反る形になる。
あぁ、これは脅されてるいるんだな。
恋人でも友達でもない他人になり下がった相手に脅されている。
こんな状況に、私の頭は痛くなる一方だった。