猿猫合戦
こんな事が、有り得るのだろうか。
ずっと、頭に浮かんでは無理やり掻き消した姿が、目の前に見える。
トンッ、と地に足を着けたレイルは、ゆっくりと顔を上げる。
目の前にいた私と、バチッと目が合った。
私...と言うよりも、この状況を見ているようで。
変な男に押さえ込まれたままの私。
その上、顔を赤くして泣いているのだから、みっともない事この上ない。
彼の目には、一体どんな風に見えているだろうか。
ドンッ!!!!
ドンッ!!ドンッ!!!
いきなりの銃声に、私の体は飛び上がった。
いつの間にか、レイルが拳銃をこちらに向け、ガンガン撃っている。
言葉より早く放たれた魔法陣で射抜こうとしていた的は、私前から跳びのき、そして逃げ回る。
ドンッ!!!ドンッドンッドンッ!!!!
銃口が、猿の姿を追う。
久々に聞いた銃声に、咄嗟に耳を塞いだ。
耳の中がキィーンと響き、頭がクラリとした。
危険極まりない音に免疫力が下がったのか、私の頭もガンガンと痛む。
秀吉「なんやなんや!?いきなり猫が拳銃撃つとか....こいつがねぇちゃんの使い魔か!!!?」
作り出される魔法陣。
たくさんの魔法陣が、クルクルと回りながら、宙に浮かんでいた。
間髪も入れずに撃ち出される音に、猿だと思われる男の声は聞こえづらい。
レイル「気安く話しかけてんじゃねぇよ!!!!」
私の代わりに、レイルが銃弾と怒声で彼に返事をしてくれる。
口調から分かるように、とても怒っているのだ。
その場で小さく蹲り、目の前にいる猫の青年を見つめ、私は思う。
....どう見ても本物。
青と黄色の色違いの瞳に、黒と白の髪。
犬耳でもなく巻尾でもない、猫耳と細長い尻尾。
間違いなく、彼はレイルだ。
一体、どうやってここまでワープしたのだろう。
いや、そんな事よりも、どうしてここに彼がいるのだろう。
たくさんの疑問が、一気に浮かんでくる。
秀吉「男がおるんやったら、最初っからそう言うてくれたらええのに。まぁ、他の奴からぶん捕るのもオモロいけどな」
木から木へと飛び移る秀吉の姿は、まさに猿そのものだった。
楽しそうに笑いながら、レイルの銃撃を避けている。
レイル「誰がてめぇなんかにやるか!!!」
秀吉「クール振った猫が熱なるなんて、ごっつ珍しいな?そないに大事な子なんか?...なら、奪い甲斐もあるってもんや」
そう言って、私の方へ降りてくる猿。
一周回って、スタート地点に戻って来た。
秀吉「ねぇちゃん、暇やったやろ?俺が相手したるからな!」
海希「わっ!!!?」
腕を掴まれ立たされると、彼の腕が軽々と、私をヒョイっと抱き上げた。
体勢が大きく変わり、私の目線の位置も変わる。
秀吉「撃たへんのか?」
銃口をこちらに向けたまま、レイルが動きを止めていた。
撃って当たったとしても死にはしない。
私とこいつが、2人仲良く何処かへ飛ばされるだけの話。
秀吉「撃たへんのやったら、この子は貰っていくで!」
レイル「こら、待ちやがれ!!!」
秀吉は私を抱えながら走って行く。
だが、私だって大人しくしている訳ではない。
彼の腕の中で、暴れまわった。
海希「離してよ、この変態猿!!!」
秀吉「離せ言われて離す奴はおらんで!まぁ....どっかの犬は別やけど」
海希「知らないわよ!良いから下ろせって言ってるの!!!」
後ろから、レイルが撃ってくる。
秀吉は姿勢を低くすると、頭の真上を青い光が通っていくのが見えた。
行く先に、目大きな魔法陣が華開く。
そこから、レイルが飛び出してきた。
秀吉「なっ!!!?」
男の顔面に入った拳。
私を抱えていたので、防ぎようがなかったみたいだ。
秀吉「この〜〜〜っ!!!俺の顔を殴りよってからに!!!」
一瞬よろめいたが、私を抱えたままなんとか踏ん張った。
レイル「その子を返せ、この山猿!!!」
秀吉「なんやと!!!お前こそ邪魔すんな、オセロ猫!!!黒が好きなんか白が好きなんか白黒はっきりさせんかい!!!」
......。
............。
.....確かに、レイルは全体的に黒と白のコスチュームだ。
と、今はそんな事を考えている場合ではない。
レイル「誰がオセロだ!!!お前こそさっさと山へかえっ....」
レイルの言葉を最後まで聞かず、秀吉はまた走り出す。
レイルの肩を蹴り、軽くジャンプして彼を飛び越える。
木から木へ飛び移り、また地面を走る。
海希「あんたね!!!」
秀吉「男と長話する趣味はさらさらないんや!ほな、さいなら!!!!」
また、鬼ごっこが始まる。
いつになれば、これは終わるのだろう。
と言うより、どうして私を担いで逃げているのか不明だ。
そんな事を考えていた時だ。
男の足に、急ブレーキが掛かる。
目の前に飛び出して来たのは、一匹の犬。
いや、白い犬の青年だ。
白「あ、あれ?秀吉?」
見知った彼の声に安堵したのも束の間。
その姿に、私は目を見開いた。
海希「ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」
きゃあっ!ではない。
そんな可愛い叫び声など上げない。
本当に彼には困る。
どうして、裸でここにいるんだ。
秀吉「白やないか.....って、アホっ!!!!そんな汚いもん見せんな!!!」
汚いものとはなんだ。
要するに伏字なのか。
いや、このまま伏せておいてくれ。
彼のありのままの全てを。
彼の存在自体を。
白「秀吉、海希と何してるんだ?」
そう言って、トコトコとこちらに近づいて来る。
私はハッとなり、思い出したように両手で目を覆った。
海希「良いから服着なさいよ、馬鹿犬!!!!」
お前こそ何をしているんだ、この露出犬め!
いつまで水浴びをしていたんだ!
いや、そんな事は良いから早く服を着ろ!
もしくは消えてくれ!
と、言いたい事はたくさんあったが、熱くなりすぎて言葉が出ない。
白「え?あぁ、待って!今着るから...」
今からでは色々と遅過ぎるのだ。
これだから動物は困る。
まさに、これこそ珍事件だと言える。
秀吉「白、この子見とけ」
白「え?」
秀吉の腕から白の腕へと私は引き継がれる。
これでは荷物扱いだ。
秀吉「よっしゃぁ!これで喧嘩出来る!どっからでも掛かってこんかい、アホンダラ!!!!」
追い付いて来たレイルに、男が飛び掛かる。
そんな彼に、レイルは拳銃を撃ちまくった。
青い光を器用に避けていく。
レイルは目を凝らしながら、男を撃ち続ける。
魔法陣を縫うように、素早くレイルに近付いていく男は、まさに猿だ。
素早い動きと軽い身のこなし。
気付いた時には、鋭い爪がレイルの頬や胸を切り裂いていた。
服の切れ端が、はらりと地面に落ちる。
レイル「!」
それと同時に拳銃が叩き落とされる。
その動きに、私も目が付いていけない。
秀吉は楽しそうに笑いながら、爪に付いたレイルの血を舐めとっていた。
その片方の手には、いつの間にか白黒銃が握られている。
秀吉「格好ええもん持っとるけど、俺はもっと役に立つもんを持っとる。身体能力は誰にも負けへんで」
拳銃を後ろへと放り投げてしまった。
私と白の目の前に落ちてきた玩具のような拳銃。
こんな扱いをされているのは、初めて見る。
レイルは間髪入れずに、彼に詰め寄る。
秀吉はレイルの攻撃を避けたが、レイルだって猫だ。
狩りをする時の集中力は見事なものだ。
相手を観察し、隙を待って、一気に飛び掛かるのが、彼のやり方だ。
猫は、狙った獲物を逃がさない。
しつこい程に、追い回す。
秀吉「!」
レイルの爪が、秀吉の腕を切り裂く。
レイルだって、猫の中の猫。
その爪の扱い方は、誰よりも得意の筈。
レイル「そんなにその爪が自慢なら、俺がへし折ってやるよ」
レイルが低い声で唸っていた。
瞳孔は針のように細くなり、尻尾を逆立てながら秀吉を睨んでいる。
秀吉「やれるもんならやってみぃ!!!!」
猫と猿の大戦争。
はたして、こんな話があっただろうか。
少し考えてみたが、今は呑気に考え事などしている場合ではない。
ただの猫と猿の喧嘩なら、遠巻きに見ているだけだろうが、彼らは普通の猫と猿ではない。
男であって、青年であって、人の姿をしている。
これでは若者同士の喧嘩だ。
元の世界でなら、これは警察沙汰になっている。
警察が存在しないこの世界では、自分でなんとかしなければならない。
海希「下ろして」
白が、私を見下ろした。
白「へ?」
海希「下ろしてって言ったの!」
大事な事は2回言わなければならない。
声を張り上げると、白は体をビクッと震わせてから、私を地面に下ろしてくれた。
こんな事はやめさせなければならない。
それに、あの猿男にはレイルとの感動的な再会(?)を邪魔された。
レイルがどんな理由で、どんな方法を使って私に会いに来たのか分からない。
もしかすれば、私に会いに来たのではないかもしれない。
それでも、私はまたレイルに会えて、とても嬉しかった。
海希「やめなさい!」
私が叫んでも、2匹はやめない。
私の声など聞こえていないのだろう。
白「海希、危ないって!」
2人に近付く私に、白に後ろから腕を掴まれる。
私は彼を睨んだ。
海希「おすわり!!!」
ビクッと体を震わせながらも、白は手を離してくれた。
その場に座り込み、私を見上げている。
やはり、躾が行き届いている。
彼は犬らしく、私の言う事を聞いていた。
海希「そのままでいなさい。私が良いって言うまで動かないで」
白「でも、海希....」
海希「まて」
ぴしゃりと言い切ると、私は2人に近付いて行く。
激しいバトルが繰り広げられる中、私はなんの躊躇もなく突き進んだ。
秀吉「....あ?」
レイル「!」
後ろにいた私に気が付いたのか、2人の動きが止まった。
不思議そうに私を見つめているのが分かる。
秀吉「なんや、ねぇちゃん?今は忙しいから後でゆっくり....」
猿のお尻から生えている尻尾。
それを、力任せに握ってやった。
ムギュッ。
効果音があれば、こんな感じなのだろう。
力の加減はしない。
無論、触り心地は悪くない。
秀吉「でぇっ!!!?」
その場にクタリと倒れ込んでしまった。
彼が意気消沈したのを確認すると、その尻尾から手を離す。
秀吉「何てことするんや?動物の尻尾を掴むやなんて、動物虐待....」
海希「煩いっ!!!!」
キッと睨むと、彼は押し黙った。
どうやら、私も動物の扱いには慣れてきているらしい。
そのままレイルに近付いて行く。
私が手を伸ばした瞬間、彼はビクッと体を震わせた。
きっと、自分も何かされると思ったのだろう。
レイルらしくもない怯えた目で、私を見つめていた。
とても悲しそうな、黄色と青色の瞳。
痛い事なんて、する訳がないのに...
その代わりのように、私の胸がズキズキと痛んだ。
海希「なんで....」
なんで、ここにいるの?
その言葉が、最後まで出て来ない。
答えを聞くのが怖かったからだ。
臆病な私には、どうしても訊けなかった。
傷付いた頬に、そっと指をやる。
レイル「....っ!!!」
レイルは、少し痛そうに顔を歪めた。
綺麗な3本の線が、くっきりと残っている。
そこから、少しずつ血が出ていた。
海希「レイル....?」
悲しいのは、私の方だ。
どうして彼は、こんなに悲しそうなのだろう。
猿につけられた傷が痛むのだろうか。
出来るなら、私がその痛みを取ってあげたい。
初めて出会ったコロの時と同じように、また、彼が傷ついている。
そんな顔はして欲しくない。
そんな目で私を見つめないで欲しい。
でなければ、もう彼を忘れる事なんて出来ない。
ふと、私は手を引っ込めた。
私の顔など、見たくないと言っていた猫。
....私がいるから、こんなに悲しそうなのかもしれない。
見たくない顔が、目の前にあるのだ。
誰だって、嫌な気分になる。
海希「....助けてくれて、ありがとう」
レイルに、出来る限り笑顔を作った。
もう、彼とはなんの関係もない。
猫は、自由気儘な生き物だ。
いつまでも私に擦り寄る生き物ではない。
気紛れでここに来て、たまたまそこにいた私を気紛れで助けた。
...ただ、それだけの事だ。
レイル「アマキっ!!!」
それでも、私の体はとても素直だ。
名前を呼ばれ、つい反応してしまう。
いつものように、暖かい彼の手が伸びてきた。
海希「!」
レイル「!?」
一瞬の出来事だった。
私の目の前に、白がいる。
私とレイルの間に立ちはだかるように、彼が低い姿勢で構えていた。
一瞬過ぎて、目が追い付かなかった。
一体、どんな反射神経をしているのだろう。
彼の身体能力は未知数だ。
白は、まるで飼い主を外敵から守るように、レイルに牙を向けている。
海希「白、まだ良いって言ってないでしょ!?」
彼の素早い行動には感心させられる。
それは褒めているのではない。
白「こいつがあの猫だろ?なら、待てないな」
低い声で唸っていた。
レイルから視線を逸らさない。
海希「白が思うような事はされてないって言ったわよね!?」
白「君こそ、俺に嘘を吐くなって言っただろ!?」
忠実過ぎる。
私は白の飼い主ではないのだ。
なのに、彼は私を守ろうとしている。
白「それに、君を泣かせるなんて、やっぱり許せない!俺が君を守る!」
その言葉に、レイルの耳がピクリと動いたのが見えた。
レイル「...お前が?どこのどいつか知らないが、口を挟むな」
白「急に出てきたのはそっちだ。俺は、君みたいに彼女に噛み付いたりはしない!」
睨み合う猫と犬。
....犬猫戦争の匂いがする。
なんだか別の意味で見てみたい気もするが、それは趣味として取っておこう。
海希「とにかく、やめてよ!」
私の為に喧嘩しないで!
...なんて、メルヘンな言葉を私の口から吐かせるつもりなのだろうか。
そんな事はさせない。
海希「...白、行くわよ」
少し間を開け、私は歩き始めた。
レイルに背を向け、その距離が離れていくのを感じながら、小さく呼吸した。
...これで良い。
これで良いんだ。
そう思っているのに、息が詰まりそうになった。
振り向くのが怖くて、優しくされるのが怖い。
もう、後戻り出来なくなってしまう。
視線を足元に落とし、倒れている猿を横切ると、すぐに背中越しから白の声が聞こえた。
白「あ、でも秀吉が...」
ピタリと、足を止める。
振り向くと、猿の男が困ったように笑っていた。
秀吉「いやぁ〜、まさか白に会えるなんてびっくりやで!さすが同志!俺らって、お嬢の深〜い能力で繋がってるんやな〜」
海希「はっ!!?」
お嬢....
白の口から何度も聞かされた言葉。
そしてハッとなる。
秀吉と言う名前は、確か白が口にしていた名前だった事を今更ながら思い出した。