笑う猫とのランチ 〜狼を添えて
ほんのり性的表現注意
空が青いのは、私が生まれる前からの事だった。
いや、もっともっと昔から。
それはもう、遡るのも面倒になるくらい。
古の頃から、この空は青かったのだろう。
どの世界の空も青いのだろうかと、しみじみと考えてみた。
時間によっては青じゃない時もあるが、やはり青が定番だろう。
...と、こんなどうでも良いことを考えられる程、今の私は安らいでいる。
見上げる空に浮かぶ白い雲が、ゆっくりと流れていく。
白色と青色って、こんなにも相性が良かったのかと思うくらいに、ごく自然な光景。
レイル「にゃにゃにゃん、にゃんにゃん♫にゃにゃにゃん、にゃんにゃん♫」
そんな自然の中で、不自然な生き物がいる。
どうやら、鼻唄を奏でるくらいとても機嫌が良いらしい。
にゃんにゃんと、可愛らしい小唄が聴こえてくる。
ぴょこぴょこと小刻みに揺れる耳と、細長い尻尾。
それは、まぎれもない本物。
初めて彼に出会った時は、目を疑った代物だ。
とんだ変質者に絡まれたと思った。
今では、これまでの彼の発言や行動を讃え、変質者ではなく変態に昇格している。
レイル「うまい!アマキが作るサンドウィッチは最高だな!」
そこまで絶賛される程の物でもなかった。
たかがツナサンドに、大袈裟過ぎる。
しかし、猫にとっては絶品なのかもしれない。
なにせ、魚の身を贅沢に詰めてやったのだから。
けれど、こんなにも喜んで貰えるのなら、嬉しくない訳もなく。
朝から早起きして作った甲斐があったと言うものだ。
口の周りを綺麗に舐め回す彼に、水が入った紙コップを手渡した。
私達は、この草原にピクニックに来ている。
いつかに交わした約束を守り、その行き先が彼と初めて出会った場所だと言う事だ。
気持ちの良い風が吹き抜ける。
とても穏やかな時間。
雲もそうだが、時間もゆっくりと流れている気がした。
私にとっては、至福の時間だと言える。
隣にいたレイルが、大きな欠伸をしながら体を伸ばす。
私特製のサンドウィッチに満足したのか、かいていた胡座を崩し、その場に大の字になって寝転がった。
レイル「腹もいっぱいだし、気持良いな〜。ほら、あんたもおいでよ」
優しい声で、彼が誘う。
とくに断る理由も無かったので、私は軽く頷いてから、その身を委ねた。
柔らかい草が、良い感じにクッションになってくれた。
ふわりと花の香りが漂い、真上に広がる青い空。
暖かい日差しを浴びれば、途端に眠気が襲ってくる。
海希「確かに気持良い...寝ちゃいそう...」
私は、このおとぎの国にいる。
おとぎの国とは、おとぎ話の世界。
国の名前なんて、はっきりとは知らない。
パスポート無しで、あっさりとここに来る事が出来た。
神出鬼没の猫男、年齢不詳の青年に、爆弾を常に抱えるマッチ売りの少女。
私の知っている絵本の話とは、似ているようで全く似ていない人物が、たくさん住んでいる世界。
彼らは、それぞれに変わった能力を持つ。
能力とは、この世界にあるユグトラシルと呼ばれる木から放たれる、マナの力が動力になっているらしい。
その能力を使い、彼らは自身を守ったり、人を傷付けたり、それなりに幸せに暮らしているようだ。
この世界に対して思う事は沢山あるし、私が経験した事はとんでもない事だらけ。
私の中では、永久保存版スペシャルエディション。
おっかなびっくりな非現実的な事が、毎日繰り返されている。
海希「...ちょっと、あんまりベタベタしないでよ」
....暑苦しい。
猫の青年は、さっきからベタベタと私に触ってくる。
その手は仰向けになった私の腹部に乗せらている。
その上、長い尻尾の先が、私の胸を服越しになぞっていた(尻尾で触られるのはセクハラに入るのか複雑だ)。
彼の名前はレイル・チェシャ・キャット。
青年であり、猫でもある。
それが理由なのだろう、周りからはチェシャ猫と呼ばれる事もある。
レイル「良いだろ?俺はあんたとくっ付いていたいんだ」
そう言って、肩をグイッと抱き寄せられてしまった。
喉をゴロゴロと鳴らし、いつもより可愛らしい声で私に甘えてくる様は、まるで猫だ(いや、猫なんだけど)。
こんな事も、もはや慣れていた。
大好きだったコロが、今は猫耳と尻尾を生やした、ただの青年(ただの青年でもないが)。
彼は、私が大好きらしい。
いつも、どストレートに愛をぶつけてくる。
それはもう、猛烈な渾身のタックル。
時には強引で、時には甘く囁くように。
なんの恥ずかし気も無く....言われている私の方が恥ずかしい。
海希「あんたね...ここは外なのよ?少しは考えなさいよ」
いや、今のは間違えた。
少しではなく、物凄く考えろと言ってやれば良かった。
外だから、と言う問題ではないが、今はそう言っておく事にした。
けれど、彼は私から離れる気配がない。
レイル「いつもしてるだろ〜?今更照れるなよ」
海希「照れているんじゃなくて嫌がっているの。どうしてそんな前向きな考えしか出てこないのか不思議だわ」
レイル「出るもんはしょうがないだろ?それに外も中も変わんないって....って、なんか違う話に聞こえるな、これ」
やらしいの、と彼は最後に言った。
まるで、私が悪いとでも言いたげだ。
その余計な一言に、黙ってはいられない。
海希「勝手に変な事言わないでよ!って言うか、そんな事はどうでも良いから早く離れてってば!」
レイル「離れない。って言うか、外ってのも興奮するかも」
そう言って、私に覆い被さってきた。
私の上に四つん這いになるレイル。
目の前には、黄色と青色の2色の瞳が並んでいる。
海希「何するの?」
こんな事までされても、私は冷静でいる事ができた。
照れや怒りと言うより、呆れに近いかもしれない。
けれど、私以上にレイルは平然としていた。
それどころか、楽しむように彼の口が弧を描く。
レイル「猫は我慢が出来ない生き物なんだぜ?なのに、こんなに俺を我慢させてさ...可哀想だと思わない?」
そう言って、私の唇に柔らかいものが触れた。
先程食べていたツナの味が、ほのかに伝わってくる。
少し顔を離した彼が、私の口元で優しく囁く。
レイル「....それに俺達は恋人同士だし、付き合ってだいぶと経つと思うんだけど...もう問題ないよな?」
海希「私は我慢しろなんて言ってないでしょ!しかも恋人同士なんかじゃない!」
問題あり過ぎるし、私のせいにするな。
それに、これっぽっちも可哀想だとは思わない。
確かに、レイルの事は好きだ。
彼にそう伝えた事もある。
けれど、私は迷っている。
猫であるコロが好きなのか、青年であるレイルが好きなのか。
未だにはっきりさせていない私にも問題はあるが、こんなメルヘンな世界でメルヘンな彼にメルヘンな恋をするなんて、メルヘン過ぎるし抵抗があり過ぎる。
猫は好きだが、猫の彼を好きになって、果たして良いものなのか...
側から聞けば、やはりあり得ない事。
だから、いつもこうやって曖昧な関係で居続けている。
友達以上、恋人未満。
私から言えば、そんな関係だ。
もちろん、爛れた関係でもない。
毎晩同じベッドで眠っているが、未だに過ちは起こっていない(何回か起こりそうにもなったが)。
その辺りは、彼は我慢強いと言えるし意外に健全な性格だと思う。
レイル「へぇ〜。我慢しなくて良いなら、もっと早く言ってくれれば良いのに」
もちろん、そう言う意味で言った訳ではない。
恋人ではないのだから、そう言う事はするなと言いたかったのだ。
けれど、1番重要である"恋人では無い"という所は綺麗に無視されている。
....これでは意味がない。
だから、過ちが繰り返されるのだ。
レイルの顔が、近付いてくる。
再び唇を塞がれてしまい、声が出なくなった。
海希「〜〜〜っ!!!」
しばらく可愛いキスをされ続けていると、ザラついた暖かいものが、唇を割って入って来た。
その衝撃のおかげで、少しだけ残っていた眠気も一気に吹っ飛んだ。
海希「んっ....!!!!」
レイル「.......っ」
レ〜〜イ〜〜ル〜〜っ!!!!
ここまでくると、さすがに冷静ではいられない。
こいつは、いったい何をしているんだ。
舌が絡んでくる。
逃げようともがいても、私を離そうとはしないしつこさ。
更に、いつの間にかレイルの手が私の服の中に忍び込んできていた。
海希「やめなさいって言ってるでしょ!!何考えているのよ!!?」
唇を離された瞬間、かまわず声を荒げた。
いつも、彼はこうやって私を困らせる。
いや、今回は新しい戦法だ。
とにかく、とても厄介な策士の猫なのだ。
レイル「いつまで倦怠期なんだよ。俺だって男だし、これ以上待てないって前にも言ったろ」
どうやら、この策士はどうしても私との関係になんらかの変化の風を起こしたいらしい。
抵抗する私には御構い無しの行為だった。
首筋に彼の唇が触れるのを感じ、変な声が出てしまう。
海希「やめろって言ってるの!!!この変態猫〜〜〜〜っ!!!!」
レイル「どうしてもっと可愛い事が言えないんだ?こりゃ、お仕置きだな」
彼の表情は、いつもの可愛い猫ではなく、男の顔になっていた。
また唇を塞がれ、私の身体の熱は一気に上昇していく。
頭にまで血が上る勢いだ。
レイル「....こうしてれば、あんたも静かになるしな」
海希「〜〜〜っ!!!」
舌が、また入り込んでくる。
まだ彼の手は私の体を弄り続け、抵抗したがそれは無駄に終わってしまう。
こんなのどかな場所でこいつは何を考えているのか。
...いや、こいつはピンクな事しか考えていない。
私は私で別の意味で我慢の限界だった。
これ以上、勝手な真似はさせない!と、濃厚なキスに夢中になる彼の腰に手を回す。
自由に動き回っていた細長い尻尾を、ガシッと力強く掴む。
効果音があれば、むぎゅっ!だ。
それが、私が今回考案した緊急脱出法だった。
レイル「にゃっ!!!!?」
私から素早く飛び退いた猫。
猫と言うよりも、ネズミのように跳ねた。
やはり、動物は尻尾が敏感らしい。
大事な尻尾を乱暴に扱うのも可哀想だが、こんな悪戯好きな猫にはお説教が必要だ。
海希「お仕置きするのは私よ!!!」
私は怒っている。
般若のような形相を振りまきながら、逃げる猫を追い掛けた。
レイル「や、やめろよ!!?ちょっと戯れてただけだろ!!?謝るから!!!俺が悪かったって!!!!」
海希「謝ったって許さない!」
逃げ惑う彼を必死に追い掛けた。
この手に銃があれば、間違いなく乱射していただろう。
あの変態猫をこのまま野放しにしていたら、彼の将来が大変な事になる。
これは、彼の為だ。
飼い主である私が躾けなければならない。
けれど、やはり猫はすばしっこい生き物だった。
人間の私では、到底その足には追い付けない。
彼の姿を見失い、私は息を弾ませていた。
....どこかに隠れている。
私の機嫌が直るのを、息を潜めながら待っているのだ。
私には分かる。
海希「レイル!出て来なさい!出てこないと、その尻尾を引っこ抜くからね!!」
出て来た所でそれを引っ張り回すつもりなのだから、かなり矛盾した事を言っていた。
キョロキョロと辺りを見回しながら、レイルの姿を探す。
あの変態猫め....
気配を消す事は得意らしい。
やはり、あいつは猫だ。
猫は猫らしく、どうしてもっと可愛くできないのだろう。
昔はもっと可愛気があったのにと、コロの思い出と深い溜息が出てくる。
目の前に広がった、花弁舞い上がる草原。
その中で、どこからか足音が聞こえてきた。
振り向くと、長く続く砂地の道の向こうから人影が見えてくる。
近付いて来る男の姿。
大柄な男だった。
片手には猟銃を持っている。
ここまでなら、まだ良かった(銃を持っている時点で良くはないが)。
だが、彼の頭には私の嫌いな獣耳が生えている。
鋭い青色の目。
ウルフカットの赤い髪を揺らしながら、彼はゆっくりとやって来た。
海希「げっ」
思わず後退りした。
相当な危険人物だ。
幾度となく、私を危険な目に遭わせた男。
狼男は私に気が付くと、とても露骨に嫌そうな顔をした。
ロイゼ「どっかで嗅いだ事のある匂いだと思ったら....またお前かよ」
それはこっちの台詞だよ。
こんな所にまで出没するとは、とても危険極まりない。
食べ物を求めて、山から下りて都会に迷い込んで来た狼。
今すぐ山に帰れと言いたくなる。
海希「ロイゼ....あなたとは会いたくなかったわ」
ロイゼ「俺だって会いたくなかったぜ、こんな面倒な女」
それはそれは、とても大きな溜息を吐かれてしまう。
こいつは、こう言う失礼な事を堂々とするタイプの狼だ。
海希「あんた、失礼ね」
顔に出さなくても良いじゃないか(既に口に出していたが)。
いや、私だって顔からも口からも漏れ出ていた。
人の事は言えないだろうが、あえて言わせて貰う。
ロイゼ「なんだ、喜んで欲しいのか?だったら俺も暇してたところだ、相手してやるよ」
急に腕を掴まれてしまい、私の肩が跳ねた。
グイッと引き寄せられ、彼の目が私を見つめる。
まるで獲物を狙うような、鋭い眼光。
ロイゼ「たまには、お前みたいな女も悪くねぇな」
舌舐めずりをする彼からは、やはり大人の色気を感じる。
黙っていれば、格好良いのに...
なのに...なのにもの凄く残念だ。
しかし、今はそんな事を考えている場合ではない。
これでは、ピンクの世界からピンクの世界に渡っただけになってしまう。
ドンッ!!!ドンッドンッ!!!!
その瞬間、ロイゼが私から離れる。
周りには、たくさんの魔法陣。
クルクルと回り、やはりいつ見ても綺麗な円を描いている。
レイル「暇してんなら、俺が相手してやるよ」
レイルがロイゼに向かって発砲する。
いつの間にか、あの悪戯好きの猫がいた。
姿どころか、怒りを露わにしている。
海希「ちょっと!私に当たったらどうするのよ!!?」
レイル「大丈夫だって!あんたには絶対当てないから!」
そんな保障はどこにもない。
彼が百発百中のガンマンなら納得はいくが。
けれど、ロイゼだって負けていない。
その大きな猟銃を、レイルに向ける。
ロイゼ「いると思ったぜ、猫野郎!相変わらずこいつに懐いてやがるなんて、とんだ間抜けな奴だぜ!!」
ドォォォォンッ!!!
レイルの拳銃とは比べ物にならない程の音。
銃声に、私は思わず耳を塞いだ。
レイル「やかましい、この変態狼!お前こそアマキにまとわりつくんじゃねぇよ!」
ロイゼ「てめぇには言われたくねぇよ、クソ猫が!!!!」
銃弾が飛び交っている。
マナが届かない唯一の平和な場所なのに....
どうして私は巻き込まれているんだ。
....いや、巻き込んでいるのは私か?
そんな事を考えながら、私は体を小さくしていた。
やはり危険極まりない。
いつ流れ弾が当たるかも分からないのだ。
そう思った時には、私は走り出していた。
2人から、どんどん遠ざかって行く。
その事に先に気付いたのは、レイルだった。
レイル「アマキ!!?どこ行くんだよ!!?」
背後から、タッタッタと駆けてくる音が聞こえて来る。
追いかけて来る猫。
その猫を追い、ついでにロイゼが走って来る。
ロイゼ「待ちやがれ!!!」
のどかな草原で、私と2匹の追い駆けっこ。
響きはとても平和だが、その2匹には恐ろしい武器が手にされている。
レイル「てめぇはついて来んな!!!」
ロイゼ「いっつもいっつも俺の邪魔ばっかしやがって!今日こそ息の根を止めてやる!!!」
今だって、その音が響き渡っている。
とても物騒な音。
頭も耳も痛い。
海希「あんたもついてこないで!!!」
死にもの狂いで走って来たのはピノキオゲート。
ここからでも、ゲートの横にある個室にちょこんと座る人形の姿が見える。
海希「ピノキオ!今すぐ開けて!」
私は、声を張り上げながら走った。
ピノキオ「んー?」
体を前のめりにし、ぎょろりとその目が動く。
ピノキオ「なんだ、君か。なに?ここを通りたいの?」
私とは違い、とても呑気な返事が帰ってきた。
私の後ろから地獄が迫って来ているとは、予想していないのだろう。
海希「良いから開けなさい!!!開けろって言ってるの!!!」
ピノキオ「君は口が悪いね?通して欲しいなら、それなりの頼み方ってものがあるだ...」
ドンッ!!!ドンッドンッ!!!
ドォォォォンッ!!!
響く銃声。
その音に、ピノキオが目を丸くさせる。
ピノキオ「な、なに!!?一体なんの騒ぎ!!?」
驚くのも無理はない。
なにせ、私の後ろは地獄なのだから。
海希「さっさと開けて!!!」
ゲートが勢いよく開く。
私はそこを素早く通り抜けた。
私の為ではない。
彼は、自分が巻き込まれるのを恐れて、このゲートを開けたのだ。
私の次に、レイルとロイゼが銃弾を撃ち鳴らしながら駆け抜けていく。
それはとても恐ろしく、とても異様な光景に映っただろう。
でも、これがいつもの事。
今の私には、日常茶飯事だった。