始まりの物語1
今回はまじめな展開です。
主人公の秘められた力。そんな始まりを描いています。
それは浜路姫の時代から遠くない昔の話だった。
小高い丘の上に立つ満開の桜の木に、一人の男が目を閉じて座っていた。
いや、正確には男ではなく、男の姿に変化した犬の物の怪 八房だった。
齢は千年に近いとも言われているが、本当の事は分からない。
分かっているのは、他の物の怪たちを寄せ付けないほどの力を持っていると言う事だけだった。
「この近くにもおらぬか」
そう呟くと、八房は目を開いた。
小高い丘から見渡す春の景色。
その生命溢れる生き生きとした世界の一角に、春の穏やかな空間に似つかない炎と黒煙が上がっていた。
人々の争い。戦である。
炎を吹き上げているのは、里見義実の居城 滝田城の城門。
「今じゃ、攻め寄せよ!」
「怯むな、迎え撃て!」
「矢を射かけよ!」
八房には遠く離れていても、人々の戦の様子が手に取るように分かっていた。
とは言え、八房にとって人の戦など興味のない事だった。
「仕方ない。
他の地を当たってみるか」
そう言った瞬間、桜の木の上から八房は姿を消し、その桜の花びらがはらはらと春の風に舞い落ちていった。
「伏姫様、お急ぎください」
滝田の城と八房がいた桜の木のほぼ中間あたりにある細いあぜ道が続く田畑の中を急ぐ一団がいた。
その一団の中央にいるのは、さきほど伏姫と言う名で呼ばれた菅で編まれた市女笠を被った小柄で若い女性である。
人二人がやっとの道幅。
伏姫の前にいる4人の男たちは辺りを警戒しながら、小走りで進んでいる。
遅れて、伏姫に寄り添って小走りで忙しくなく進む若い女性。
その背後には、後ろに警戒しながら進む5人の男たち。
前を進む4人と、後ろに続く5人の内の4人は、明らかに武士と呼ばれる者のいでたちであったが、伏姫のすぐ後ろにいる一人の男だけは錫杖を手にしていて、刀の類は手にしておらず、男が進める歩につられて、錫杖の先端にある金属の輪がチャラリ、チャラリと金属音をたてていた。
「はあ、はあ。もうだめです」
伏姫は今、陥落寸前の滝田城の姫。滝田の城が敵兵たちに取り囲まれる前に、
密かに城を抜け出していた。
そして、ここまですでに一刻近く走り続けており、伏姫の体力に限界が来ていた。
足を止めて、よろけ気味の伏姫に男たちが駆け寄る。
「伏姫様、もう少しのご辛抱を」
「ささ、早う」
その時だった。
ビュッ!
空気を切る音が一団を襲った。
「ぎゃっ」
「ぐはぁっ」
伏姫を取り囲む男たちが悲鳴を上げた。
男たちを襲う弓矢。
弓矢によって、8人いた伏姫を警護していた武士たちの3人が倒れ、錫杖を持つ男も倒れた。
「敵じゃ」
弓矢に襲われなかった男たちが刀を抜き放ち、辺りに目を向ける。
乾いた田の向こうに広がる林の中から、刀を陽光に煌めかせながら、敵兵たちが飛び出してきた。
「かかれぇ」
「姫は殺すでないぞ。
生け捕りにするんじゃ」
迫りくる敵兵に向かい、伏姫を警護していた男たちの4人が立ち向かっていく。
残る一人は伏姫の横で刀を構えている。
林の中から襲い掛かって来た敵兵の数は数十。
とてもではないが勝負にはならず、立ち向かっていった4人は瞬く間に動かぬ肉塊と成り果て、敵兵たちは伏姫の直前に迫ろうとしていた。
「伏姫様、お逃げください」
伏姫の横にいた男が、伏姫と襲ってくる敵兵たちの間に立ち、自らを盾にした。
「もうだめ」
戦いの結末は見えていた。
そう覚悟を決め、目をつぶった伏姫の耳に、男たちの絶命の声が聞こえて来た。
「ぎゃぁ」
「ぐあぁぁ」
止まぬ男たちの絶命の声に、伏姫が目を開いた。
すぐにでも切り殺されると思っていた警護の男は、未だ刀を構えて立っていた。
何があったのか、大きく震える警護の男の後姿。
その向こうに、どこから現れたのか一人の男の姿があった。
男の手には血塗られた刀があり、男の前には多くの敵兵が無残な損壊した体を地面に横たえていた。
立っている敵兵の数は十人ほど。
敵兵たちを瞬く間に、切り捨てたらしい。
その剣の腕は達人の域と言える。
伏姫を守ろうとしていた男が震えているのは、新たに現れた男の凄まじすぎる剣の腕に震撼したのであろう。
強力な助っ人の登場に安堵感に包まれた伏姫だったが、すぐにその安堵感は消え去った。
「悪いな。
この娘は私がもらっていく」
強力な助っ人。そう思った男がそう言い放った。
味方と言う訳ではないらしい。
新たな敵に近い存在。しかも、その剣の腕は警護の者が太刀打ちできるレベルではない。
「ひ、ひ、退けぇぇぇ」
敵兵たちは男の腕と放つオーラに怯えて、林の向こうに消え去って行った。
襲って来ていた敵兵たちがいなくなったのを確認すると、凄腕の男は伏姫に振り返った。
「ふむ」
そう言った男の顔を伏姫は知らなかったが、整った細面の顔立ちに、通った鼻筋、先ほどまで遠く離れた桜の木の上にいた、犬の物の怪 八房だった。
「お主、名は何という」
生き残った警護の男は、目の前の男の正体を知りはしなかったが、無条件の味方でない事くらい感じ取っており、刀を八房に向けたままたずねた。
「わが名は八房じゃ」
「お主があの八房殿であったか。
姫を救ってくれた事は感謝いたす。
が、姫をおぬしに渡す訳にはまいらぬ」
「ふん」
八房は鼻で笑った。
それもそうである。この男が渡さぬと言ったところで、八房を止める事などできぬのであるから。
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