新たな仲間
そこは古那屋と言う旅籠だった。
利根川に流された信乃ちゃんと、もう一人を助けたのはこの旅籠の主人 古那屋文五兵衛と、その息子の犬田小文吾の二人だった。
いくら落ちた先が川だったとはいえ、建物の三階から落ちた訳だし、ずっと水かさの増した利根川を流されてきた二人はそれなりの怪我をしていた。
信乃ちゃんはその傷から黴菌が入ったのか、破傷風で命の危機にあるらしいし、もう一人もかなりの怪我をしているらしく、信乃ちゃんとは別の部屋で寝かされていた。
目を閉じ、高熱でうなされ、額に汗を浮かべている信乃ちゃん。
かわいそうに。
額の汗を手拭いで拭きとると、手拭いを水で濡らして、信乃ちゃんの額の上に置く。
熱が少しでも下がりますように。
生命の危機にある信乃ちゃんを前にすると、不安と心配が入り混じった気持ちになる。
「何をしてるんですか?」
村雨くんが冷たい視線で言った。
額に濡れた手拭いを置く事で、熱を下げようとしている。そう言う事は、この時代の少年である村雨くんには分からないのかも知れない。
「これはね。
信乃ちゃんの熱を下げようとしてるんだよ」
ちょっと、何でも知っている年上っぽく、言ってみた。
「そんな事、聞いてませんよ。
犬塚殿は生死の境をさまよっているんですよ。
そんな事より、もっとやってみる事がないのかなあって」
「熱を下げるのは大切だと思うんだけど」
「でも、すぐには治らないですよね?
手遅れになったら、どうするんですか?」
「えぇーっと、村雨くんの言い方だと、一気に直す方法があるみたいなんだけど、これはゲームじゃないんだからね」
「げーむ?」
「それは気にしないでください。
治す方法でもあるんですか?」
「賭けですよ。
ここには、もう一人八犬士がいるんですよね?」
そう。
私はそう感じていたので、頷いてみせた。
「その人に、治癒の能力があったら、どうするんですか?」
「村雨くんさあ、人生、そんな都合よく行く事は無いと思うんだよね」
「ありすは、最初から諦めてやってみない方なんですね。
でも、やってみた方が良かったって事もあると思うんですよね。
関所を抜ける時だって、普通ならやらないような事を、人前でやってよかったじゃないですか」
「はいぃぃ?
私は全然っよくなかったですけど」
「えっ! そうだったんですか。
私が上手じゃないって事ですよね。
練習させてもらえないですか?」
「やっぱ、君、脳みそ腐ってるよね?」
「上手って言われるまで、練習したいです。
あの胸の柔らかい感触、たまりませんし」
村雨くんの目を見ると、何だか妄想の世界に浸っている感じ。
もしかすると、頭の中で私をむちゃくちゃにしているのかも。
そう思うと、ちょっと背筋が寒くなる。
村雨くんを前にしていると、疲れそうだったので、信乃ちゃんを置いて立ち上がった。
目指すは、もう一人の八犬士。
村雨くんが言うようなうまい話を信じた訳じゃない。
でも、この場を離れるには、ちょうどいい理由になる。
「村雨くんは、信乃ちゃん見ていて欲しいんだけど、いいかな?」
「はい」
私が目指すもう一人の八犬士は、この旅籠の息子 犬田小文吾。
犬田と言う名は、なんでも町を荒らした犬太と言う悪者を殺した事からきているらしい。
そんな過去を持つだけに、がっしり体型でいかにも強そう。ぎょろりとした目で睨まれれば、たいていの雑魚は引き下がるに違い無い感じ。
悪事なんてしていないとは言っても、私的にもそんな人はちょっと怖い。
旅籠の玄関近くで座っている犬田の視界に、自分の姿が映らないように注意しながら、足音を忍ばせて、背後に回って行く。
「なにか?」
こっそり近づいて行くつもりだったのに、私をぎょろりと見つめて犬田が言った。
恫喝の意図があるのかどうかは分からない。
でも、私的には怒られた気分。
「えぇーっと」
取り繕う理由を考えなきゃと言う強迫観念にかられ、思考が停止気味。
そんな私に届いた村雨くんの言葉。
「決め台詞言えばいいんじゃないのですか?」
振り返ると、信乃ちゃんを見ているはずの村雨くんが立っていた。そのしらけ気味の表情は、あんたばかぁ? と思っていそう。
でも、村雨くんの言う通り。
心を落ち着かせて、右手を差し出して、一言。
「お手!」
「ワン!」
私が差し出した右の手のひらに、犬田が自分の手のひらを置いて、私を見つめた。
何が起こるの?
信乃ちゃんの時は、雷だった。
でも、何も起きやしない。
ちょっと心配。
「姫。ご存じのとおり、私、犬田小文吾は姫に忠誠をお誓いいたします。
我が治癒の力、役立てて下さいませ」
治癒の力?
その言葉に目が見開いた。
本当に、そんなうまい話があった。
「ほらね。なんだって、やってみないと分からないんですよ。
ありすのように、やる前から諦めてたんじゃだめなんです。
考えたりするだけじゃなく、やってみるって事が大事なんです」
村雨くんの得意げな表情が、私をムッとさせた。
「でも、村雨くん、妙椿との戦いは諦めてたよね?
今言っている事と矛盾してないかな?」
意地悪気分で、にこりとした表情を作って、村雨くんに問いかけてみた。
「言いましたですよね?
妙椿には幻術があるって。
犬塚殿では幻術には手も足も出ません。
勝てる可能性は全然無いんです。
犬田殿が治癒の能力を持っている可能性は無い訳じゃなかったんです。
可能性がある場合と、無い場合を一緒にするって言うのは、どうなんでしょうか?」
そう言って、私に当てつけるかのように、数回首を傾げてみせる村雨くん。心の中で、あんた、ばかぁ? と、思っていそう。
いつも、いつも、口で負けている気がする。
癪な気分なのを、表情を変えずに隠してみる。
「そんな事より、あの二人を治してもらった方がいいんじゃないですか?」
「そ、そ、そうね。
犬田殿、怪我と病気で寝込んでいる二人を治してもらえますか?」
「承知」
犬田が立ち上がると、信乃ちゃんたちの部屋を目指して歩き始めた。
村雨くんと私、どっちが上なのか分かりやしない。
年は私の方が上、立場も私の方が上。
私はごく真っ当な女子高生。本当はだけど。
村雨くんは中二病な男の子。のはず。でも、時々役には立っている。
「ありすも行った方がいいんじゃないですか?
もう一人の八犬士は、犬塚殿と戦ってたはずですよね?
このままだと、また戦いになるんじゃないですか?」
にこりとした微笑み。
やっぱ、心の中では、あんたばかぁ? と言っていそうで癪なので、返事はせずに、二人の下に向かって行った。
文ちゃんと呼ぶことにした、犬田小文吾の治癒の能力は本物だった。
破傷風で生死の境を彷徨っていた信乃ちゃんは、一瞬にして完治し、もう一人の八犬士 犬飼現八も怪我が一瞬にして完治した。
まさしく、ゲーム並みの治癒能力。
そして、現ちゃんと呼ぶことにした水の妖力の保有者 犬飼現八も、決め台詞「お手!」で、私に陥落し、忠誠を誓った。
これで、八犬士は三人に。
今回は村雨くん、言葉で活躍?
人生、こんなうまく行けばいいですけど、どうなんでしょう。
でもまあ、最初から諦めていたら、進みませんしねぇ。




