竹鳴り
豊臣が徳川に敗れてから後のことであった。
ある国に、年老いた武将がいた。
歳は五十を越したくらいで、国端に居館を構えていた。暮らす傍らにはいつも竹林があった。この竹林の、笹葉のすれる音が彼は昔から好きであった。
夜、床につく前は決まって縁側に佇み、目を瞑り、穏やかな音に耳を傾けていたものだ。隠居後もそうであった。
月のほの明るい晩。縁側でいつものように、笹音に傾けていた彼の耳がひとつ音を拾った。ししおどしにも似た空虚な音はひとつ、ふたつ鳴って、途切れた。次の日、彼が耳を澄ましても音は鳴らなかった。
次の日はみっつ鳴った。
次の日はふたつ鳴った。
次の日はひとつ鳴った。
音が聴こえてから七日、十日ほど経った頃から、今度は鎧武者が槍を片手に霞んだ姿を見せはじめた。
血を浴びたように赤い具足を身にまとい、竹林に紛れ、声を発することもなく、たたじっと、年老いた彼を見つめている。
彼ははじめ、ただの幻かと思っていた。
おぼろげな姿が日を追うにつれ鮮明になると、彼は首を傾げ、あごを撫で、白髪交じりの頭を掻き撫ぜて、思い当たる。三日月の明るい晩、彼は縁側に立つと、思い切って口を開いた。
「お前は、いつぞやの男か。」
鎧武者の、槍を握る手が反応した。
「そうか、お前か。」
彼はふふ、と笑って縁側に腰掛けた。笹葉が風にすれて、鳴いている。
「あの陣で、討ち死にしたと聞いた。」
風が竹林を駆け抜ける。彼は一人ごちるように続けた。
「縁、か…。戦さ場で三度も槍を交え、馬に乗れば国の境で鉢合わせした。」
彼は微笑し、鎧武者は槍を下ろした。
「あの日だけだったな。…共に、酒を呑んだのは。」
鎧武者の足が一歩、彼に近づく。
「なんだ、迎えに来てくれたのか?」
顔を上げた彼はおや、と鎧武者を見た。一歩、退いたからだ。
「そうか。―― ではこうしよう。」
差し出すように手を上げ、彼は笑む。
「何時かはわからぬが、その時が来たれば真っ先に、お前のもとへ逝こう。」
彼の眼前で、槍を握る手が、かすかに震えた。
「待っていてくれ。」
彼は真っ直ぐに鎧武者を見つめた。その眼差しは強く、鎧武者のみを捕らえ、放さず、鎧武者もまた離れなかった。
鎧武者の口が僅かに動き、槍を握る手とは反対の手で兜を取り外した。白紐でひと括りにされた黒髪が肩にかかった。
男は、彼を見て穏やかに頬笑んだ。
「待っている。」
風が強く吹いた。月明かりの照らすもと、舞う笹葉、揺り動く竹、凪いでいく風に紛れ、赤い具足の男は消えていた。
幾年か後、彼は静かに逝った。