1_08:罪悪感、(軽蔑、)興奮
目が覚めると、そこはロッテの知らない部屋でした。
けれど、よく知っている匂いが室内に満ちていたので、ロッテはああ、『魔法使い』の部屋だ、と、そう思いました。
むくりと起き上がって、少し乱れたベッドを出来るだけ整えてから、人の気配のする方へと、ロッテは向かいます。
一歩、一歩、進む足取りはどこか重く、よく眠ったはずなのに、気分が晴れません。
この感覚は、前にも体験したことがあります。
そして、今回もきっと。
ぺた、ぺた。
素足が木の廊下を踏む音が小さく聞こえる中、ほんの少しだけ、泣きそうだったあの時の『弓使い』の気持ちが分かったような気がしました。
寄木細工の美しい扉の前に立って、ロッテは一度、大きく深呼吸をします。
そして。
「ごめんなさい!」
扉を開いて、驚いたような表情の『勇者』達に向け、勢いよく謝ったのでした。
今度はちゃんと、明確な意思と、意味を持って。
* * *
七年もの時を少しでも埋めようと、『弓使い』や『勇者』が休息も取らずロッテに話しかけていたからか、ロッテが疲れてうつらうつらとしている姿に気付いた『魔法使い』により、ロッテはしばらく『魔法使い』のベッドに横にさせてもらっていました。
そして、半時間後。
少しの微睡みの間に、ほんの少し夢を見てしまったロッテは、妙な気分のまま、『魔法使い』達のいるリビングに向かいました。
なんだかよく分からない、お腹が空いた時やどしゃ降りの雨に降られた時のような、だけれどどこか違う気持ちが、ロッテの顔をしかめます。
「どうした? 味のしない物を噛んだような顔をしてるぞ」
『魔法使い』の問いに、ロッテはたしかにそうだ、と思いました。
よく分からないこの気持ちを、なかなかうまく表現していたからです。
「そうなの。あじがしないし、ぎこぎこしてるの」
「……ぎこぎこ?」
「ぎこぎこ」
未だ眉をしかめたままのロッテに、しばらく考え込んだ『魔法使い』は、あぁ、と声を上げ、限りなく近いであろう言葉を、ごく普通に使う表現で教えました。
「もやもや、してるんじゃないか、それは」
「もやもや?」
ロッテは『魔法使い』の言葉に、首を傾げます。
胸に手を当てて、うーん、と探ってみると、なるほど、たしかに“もやもや”です。
ロッテが『『魔法使い』すごい!』と感動している横で、『勇者』達はどうしてあれで分かるんだ、と、また違った意味で『魔法使い』をすごいと思いました。
「……どうしてもやもやしてるんだ?」
『魔法使い』の問いに、ロッテはぱちぱちと目を瞬かせました。
ですが、今までも同じように『魔法使い』が問い、それに答えることで、色々な事が分かるようになっていたので、ロッテは素直に答えました。
「ゆめをみたの」
「どんな夢?」
気になったのでしょう、身を乗り出してきた『弓使い』の問いに、ロッテはちらりと『魔法使い』を窺った後、ぽつりぽつりと話し始めました。
眠る度に見る、長い長い夢を。
きっと可哀相な、一人ぼっちの、鳥籠の中のお姫様の話を。
「信じられない」
喋り疲れて、ぬるま湯のような眠りに落ち切る直前。
ロッテは、そんな声を聞いた気がしました。
* * *
事実は小説よりも奇なり、とはいいますが。
実は、村での生活の中で、ロッテも『勇者』達も、誰一人として怪我をしたことがありませんでした。
しかし、ここはもう、あの村ではありません。
『勇者』達四人は、駆け出しの冒険者として、村から遠く離れた、魔獣が多いとされる地域のとある町に家を借り、小さな依頼を受けて生活をしているのです。
そしてその依頼は、主に害獣の退治で、その中には魔獣が含まれることも多々ありました。
普通の獣より知能や運動能力の優れた魔獣が相手なのですから、いかに『勇者』達といえど、まだ駆け出しの冒険者では、怪我を負う事が多くなるのは当たり前です。
たまたま、ロッテが起きたのが、依頼が順調に平穏にこなせていた時だったというだけで。
一歩間違えれば命を落としかねない害獣退治から帰って来た『勇者』が腕から血を流していたとしても、それは至極当然の事ではあったのですが。
玄関までぱたぱたと『勇者』達を迎えに行っていたロッテは、『魔法使い』の姿にぱあっと表情を明るくし、そして一番後ろに立つ『勇者』の腕に気が付き、ぴたりと動きを止め、立ち尽くしてしまいました。
赤。
赤、です。
黒にも似た、赤。
果物やお菓子のように、甘くて優しい赤ではありません。
不揃いな間隔で引き裂かれた三本の痕から、次から次へと、ぽたぽた、赤が流れていく様に、ロッテは耐えられないほど怖くなりました。
上手に息が出来ません。
どこかで、これと同じものを見たような気はするのですが、ロッテにはそれがどこだったのか思い出せませんでした。
……もっとも、そのほうが良かったのでしょうが。
「ロッテ?」
『魔法使い』が、様子のおかしいロッテに気付き、心配の滲んだ声をかけてきます。
ですが、ロッテは返事を返せませんでした。
息が苦しく、『魔法使い』のローブに弱々しく縋りつくことしか出来ないのです。
震え、全身で恐怖を表現するロッテに、怪我をした当人である『勇者』も心配になったのか、ロッテへと、体を向けました。
腕から滴る血も、獣の返り血も、そのままに。
「――っ、いやあぁあっ!!」
途端に、顔を真っ青にして半狂乱で悲鳴をあげるロッテに、『勇者』達は、ただ驚くことしか出来ませんでした。