ハッピーエンドにはなれない
黒い携帯を開いて、メールを確認する。
私はため息を付いた。一体自分は何でこんなことをしているのだろう。
この携帯は私の携帯じゃない。兄さんの携帯だ。私は今、兄さんの携帯を盗み見ているのだ。
「おい、春香。こっちに俺の携帯なかったか」
「きゃぁ!?な、ないよ!」
兄さんが私の部屋の扉をいきなり開けた。私は驚いて兄さんの携帯を隠した。
「な、なんだよ。そんなに驚くことだったか?」
「い、いや、別に・・・何でもないよ」
慌てて私は取り繕う。平常心を持つのってこんなに難しかったのか。
「・・・今度から、入るときはノックして欲しいんだけど」
「なんで?今までも普通にノックしてなかったじゃん」
うぅ・・・それはそうなんだけど。
「ほら、私ももう高校生だからさ。もう大人の女としての自覚を持ちたいっていうか・・・」
「ふーん。じゃぁ、次から気をつける」
そう言って、兄さんは部屋から出て行く。私は力が抜けて、ベットへ倒れこんだ。
運命ってなんて残酷なんだろう。私は今日学校であったことを思い出しながら、目を瞑った。
「春香!あたし、冬樹さんのことが好きなの!」
「えっ・・?」
親友である由里に相談があると呼び出されて私が由里の元へ行くと、由里は私にこういった。私は頭が真っ白になりそうだった。
「・・・あ、あのバカ兄を?」
「バカ兄って・・・あんなに格好良くて優しいお兄さんが居て、あたしは羨ましいくらいだよ?」
「羨ましいかなぁ・・・」
兄さんが格好良くて優しいのは私が嫌なほど一番良く知っている。でも、それでも私は兄さんが兄さんであることを嬉しいとは思っていなかった。
「とにかく春香、お願い!冬樹さんのメールアドレスを教えて欲しいの!」
由里は凄い気迫で私に頼み込んだ。彼女はとても真直ぐな性格だということを私は知っていた。だから、私は断ることが出来なかった。
聞き慣れない音がして私は目が覚めた。兄さんがドアをノックしていた。
いつの間にか少し眠ってしまったみたいだ。
「春香?飯できたぞー」
「うん、今行く」
起きようとして、兄さんの携帯を握りしめていることに気づく。私は、少し潤みそうになってしまった。
私が兄さんを好きになったのはいつからだったんだろう。兄さんは昔からずっと私に優しくしてくれた。
幼稚園に通っていた時は、いつも小学校帰りの兄さんが黒いランドセルを背負いながら迎えに来てくれた。
小学校に通っていた時は、登校も下校も二人で手を繋いで帰るのが当たり前だった。
中学校に通っていた時は、兄さんには大学受験がある筈なのに私に丁寧に勉強を教えてくれた。
私にとっては、兄さんは憧れであり尊敬する人物であった筈なのに。
今まで兄さんに彼女が居たという素振りは一切なかった。でも今日初めて、兄さんに彼女が居たらと考えて、私は心が苦しくなるのを感じた。
私は兄さんが他の誰かに取られるのが怖いのだろうか。でも、兄さんはあくまで私の兄さんだ。
この想いを伝えることは出来ない。この恋が叶うことは絶対にありえない。
「本当にっ!?冬樹さん今、彼女居ないのね!?」
「うん、携帯を確認したけどそれらしい痕跡は無かったから」
次の日、私が昨日兄さんの携帯をこっそり持ち出して調べたことを教えると、由里は興奮して喜んだ。
まぁ、当然だろう。私も、それを確認できたときは少しだけ嬉しくなったんだから。
「春香、あたし決めた!今週の日曜日、思い切って冬樹さんに告白する!」
「えぇ!?・・そ、そう。頑張ってね」
「うん!頑張る!」
その由里の姿を見て、私は由里が兄さんに告白している様子を思い浮かべた。
由里が真直ぐ兄さんを見つめながら想いを伝えて、兄さんが優しく微笑む所を。そして、離れた場所でただそれをじっと見つめるだけしか出来ない自分を。
「あのさ・・・」
私は由里の顔を窺いながら声をかけた。
もし今、私も兄さんのことが本気で好きだということをここで告白したら、由里はどんな反応をするだろうか。
由里は驚くだろうか、嘘だと言って笑うだろうか、同じ人を好きになってしまったことに悲しむだろうか、それともここで私が言ってしまうことで怒るだろうか。そして、兄を好きになってしまった私を蔑むのだろうか。心の中の複雑な感情が私の中で渦巻いて、私はそれを消化することが出来ないでいた。
「なに?どしたの?」
「・・・いや、何でもないよ」
でも結局、私は由里の反応を見るのが怖くて、それを言葉にすることは出来なかった。
人がそれぞれ皆、別々の人を好きになると決まっていれば良いのに。
そうすれば苦しむ人なんて居ないまま、皆がハッピーエンドになるんじゃないかなと思う。
でも、現実はそんな風に甘く簡単に作られてはいない。この現実はとても残酷だと思う。
私はこの叶わない恋を諦めることしか出来ない。でも私の心は、この恋を諦めさせることが出来ない。
それならいっそのこと、この恋という感情を持つことさえなければ、私は苦しむことなんてななかったのかもしれない。
でも、私は兄さんを好きになってしまった。
そんな私の物語は、どうやってもハッピーエンドにはなれない。
この世界は、ハッピーエンドにはならない。
薄暗い研究室で実験動物は口を開く。
―私がどんなにもがいても、あなたの元に私の手は永遠に届かない。