過去
「守利上さん!」
後ろから声をかけられ、響ははっとして振り返った。最近遅くまで勉強しているせいか、学校にいるときは眠くて眠くてしょうがないのだ。
(うげっ、、、)
響を呼んだその声の主は中年親父・・・もとい我が校のベテラン理科教師である林下正武だった。
「何度も言うようだが化学部に入る気は無いのかい?」
またか、と響は溜息をついた。
「ほんとあたしも何度も言うようですけど、すいません。」
響は軽くあしらう様に言った。この高校に入学してから何度言われた事か。しつこいったりゃありゃしない。
「どうしてもだめかい?君の頭脳が必要なんだよ。」
(このおやじ、、、何度もしつこいんだよ!)
「我が校一の秀才である君に入ってもらえると顧問の私も鼻が高いのだが、、、。」
「すいません。」
「そうか。まあ、一応考えておいてくれ。」
林下はいかにも、といった感じの理科教師で、白衣はもうトレードマークだ。響には不評だが、見た目は渋めのおじさまで、他の生徒には人気がある。
「はあ。」
もううんざり、と言うくらい断ってきた。部活なんてものはやりたい人だけやればいい。響はその場を去った。丁度帰ろうとしていたところをつかまってしまったのだ。
「化学部・・・か。」
もうすでに下校して誰もいなくなってしまったただっぴろい廊下を一人で歩いていた。
この学校は私立校で、かなりの進学校である。校内の環境や設備も充実していて、学費も高い。しかし、響は学費免除の特待生である。校内一は当たり前。全国一ですら当たり前、な頭脳の持ち主なのだ。
自動ドアから校舎の外に出た。そしてふと校舎の二階を見上げた。
「林下、、、」
二階の窓ガラスからこちらを見ていた。
「やめてよ、気持ち悪いなあ、、、。」
響はそそくさと、校舎から離れていった。
化学部という名の裏、何かとても危険な事をしているらしい、、、という噂がある。それが何なのかはわからない。ただその噂がひっそりと流れている。現に、部員の一人が何らかの理由で部活中発狂し、学校を辞めた。詳しくは知らないが、薬品の研究をしているらしい。
響は小走りで帰った。
学校の外に出てしまえば響も普通の女子高生だ。もともと見た目はその辺にいる女の子達と大差ない。栗色の頭にミニスカートにルーズソックス。特待生になるときに邪魔だった栗色の髪の毛は地毛だ。父親も母親も理系の人間で、今は違うが、以前はどこかの研究所で働いていて、そのとき響を妊娠した為に化学反応か何かで、お腹の中の響に影響してしまったのではないか、、、と両親は言っている。響には妹がいるのだが、その妹も同じような環境で生まれてきたはずなのに妹は何も変わったところは無い。それが少し気になるところなのだ。
「なーに怖い顔してんだ?」
ひょこっと塀の影から現れたのは同じクラスの青崎なずなだった。
「なずな君。」
「まーた林下につかまってただろ。」
なずなは冗談混じりに言った。
響は黙ってなずなに冷ややかな視線を送った。その事については触れて欲しくないのだ。そのまま歩き出そうとした。そのとき・・・一台の車がスピードを上げてこちらに向かってきた。
(なんか、、不自然、、、)
なずなが振り返ってその車に気づいた。
「来たか、、、」
「へ・・・?」
車は急ブレーキをかけて止まり、中から何人か男が出てきた。その男たちはゆっくりとこちらの方へと近づいてきた。
「逃げるぞ。」
と、なずなが響に耳打ちした瞬間・・・
「うわっ・・ちょっ・・・」
なずなは響の腕を引っ張り、男たちから逃げる様に走り出した。この周辺は高いビルが建ち並んでいて、人通りが多い。人を掻き分け掻き分け走っていく。
「何!?何なの!?」
何がなんだかわからないまま、引っ張られるままに走った。
「訳は後で話す!とにかく今は走って!!」
そんな事を言われても、響は100mを20秒で走る人間だ。なずなは早いが、響が足を引っ張っていて速く走れない。おまけに今は学校帰りで重たい鞄も持っている。
みるみる男たちとの距離は狭まってくる。
「しっかりつかまってて!」
「へ? うわ!!!」
いきなりなずなに腰の辺りを抱えられ、そして・・・
「な、何だ!?」
追ってきた男たちは口をぽかんと開けて上の方を見ている。
響となずなはとある廃ビルの屋上にスタッと着地した。
「な、な、な〜〜!?」
響は驚きのあまり声が出ない。驚く事に、今二人のいる所の数メートル下の地面をなずなが蹴ったとたん、宙に跳び、今いるビルの屋上に着いてしまったのだ。
「大丈夫、帰って行った。」
なずながビルの下を覗きながら言った。
(な、なんなわけ〜?!)
響はその場に座り込んでしまった。なずなはゆっくりと響の前に座った。
「ってわけ。」
「・・・ってわけ???」
どうゆう意味だろうか。何故自分がこんな事に巻き込まれなければならないのか、そして何より一番気になるのがなずなのジャンプ力である。おかしい、、、 聞きたい事は山ほどあったが、言葉が出ない。
「つまり、守利上は狙われているってこと。」
一瞬目が点になった気がした。狙われている・・・?自分が?さっきの男たちに?
「狙われているって、い、命を???」
「いや、違う。」
なずなは即答した。命が目的ではない。命以外で響が狙われる理由と言ったらもうアレしか無いだろう。
「頭だよ。」
「頭・・・??」
やっぱり、と思うが何故響なのだろう。そりゃ確かにこの学年、高校二年の中では全国一位かもしれないが、もっと年上の、大学教授とか、若くても大学生とかいるはずだ。なのに何故響なのか・・・
とりあえず、話の整理をしようと、ひとつなずなに質問した。
「なずなくん。」
「ん?」
「何でそんなにジャンプできんの?」
一瞬なずなの顔が曇った気がした。何か変な事を言ってしまっだろうか。
「あいつらの研究のせいさ。」
「研究・・・?」
当時、俺はまだ中学生だった。親は母親しかいなくて、父親は俺が生まれる前に死んだって聞いてた。母親は、週に二回ほどパートに行くだけで、後はほとんど家にいた。だけど極普通の生活を送ってたんだ。今思えばすごい不思議だけど、生活に不自由はなかったんだ。
そんなある日、俺にとっての地獄に連れて行かれた。 ある研究所に・・・
「では、息子をよろしくお願いします。」
なずなの母はそう言って部屋を出て行った。部屋には残されたなずなと研究員らしい女性がいる十畳くらいのこの部屋はどこもかしこも真っ白で、壁もドアも天井も、なずなと研究員が腰掛けている椅子もテーブルも白だ。おまけにこの部屋には窓が無く、ものすごい圧迫感を感じる。
「じゃあ始めましょうか。私は研究員の滝嶋里子といいます。よろしく。」
里子はにこっと笑うと軽く頭を下げた。なずなも慌てて頭を下げる。
「これから何問か質問していくから本当の事だけ答えてね。」
と言うと、今まで膝の上においていたファイルをテーブルの上に開いた。
「なずな君は部活とか入ってる?」
「え?・・・あ、はい。陸上部に・・・」
里子はなずなの答えをどんどん書き込んでいく。
「そう、じゃあ、彼女とかはいる?」
「え?・・・い、いや、えっと、いませんけど・・・」
など、百問ほど聞かれた。全ての質問に答え終えた後、今度は普通のフローリングの部屋に案内された。そこには同い年位の少年と少女が、中央のテーブルに向かい合って椅子に腰をおろしていた。
「共くん、由紀ちゃん。新しく仲間が増えたよ。仲良くね。」
里子はそういうと、さっさと部屋を出ていってしまった。
「あ、あの・・・。」
二人とも雰囲気的に近寄りがたい感じがした。なずなはどうしたらいいのかわからず、その場に突っ立っていた。
「よろしくね。青崎なずな君だよね。私松尾由紀。」
と言って由紀はなずなに明るく接してくれた。
「あ、よろしく。」
「おれ、館村共。よろしく。」
と、共も一転して明るくなった。さっきの重苦しい雰囲気は何だったのだろうか。
「座りな。」
と言って、由紀は使われていない椅子をなずなに勧めた。廃りはまた一転して真剣な顔になった。なずなは少しためらいながらも、しっかりとした足取りで二人に近づいていった。
「はあ・・・」
どこからともなく溜息が漏れた。
「また増えた・・・。うちらみたいな奴が・・・。」
由紀は頭を抱えた。その声は微かにかすれていた。
「とうとう明日か・・・。」
共も口を開いた。だが、なずなには何の事だかさっぱりわからない。
「え?何にも聞かされてないの?」
「う、うん・・・?」
「そっか・・・。」
由紀も共も黙り込んでしまった。なずなにはどうしていいのか解らない。ただじっと、テーブルの中央を見つめていた。
なんて静かな部屋なんだろう。床のフローリング以外はこの部屋も真っ白だ。真っ白なこの空間、外は研究所の人たちでがやがやしているはずなのに・・・。おそらく防音にでもなっているのだろう。
「ん?」
三人が同時に反応した。どこからともなく、ウィーンと言う機械的な音が聞こえてきた。三人は立ち上がり、辺りを見まわした。すると、天井から一枚のスクリーンのようなものが降りてきた。下まで行くと、ガシャンという音を立ててそれは止まった。
ある映像がスクリーンに映し出された。
「か、母さん!!」
そこに映し出されたのは、なずなの母親とさっきまでなずなと話をしていた女性研究員の滝嶋里子が、どこかの部屋で話している場面だった。
「お願いします。」
スクリーンに映されたなずなの母親の声だった。彼女は立ち上がり、里子に向かって言った。
「最後に・・・なずなに会わせてください!!」
里子は表情を崩すことなく黙っていた。
「今まであんた達のためにあの子を育ててきたのよ!! たった一人で!! 最後に一回くらい会わせてくれてもいいじゃない!!!」
なずなは口が利けなかった。あの温厚でおとなしい母親が里子に対して怒りを露にして怒鳴っている。息を切らし、小刻みに震えているのがわかる。
里子は目をとじたまま言った。
「わかりました。なずな君を連れて参りますので落ち着いてください。お茶でも飲んで待っていてください。すぐ連れて来ますので。」
里子は立ち上がり、やはり無表情のまま静かに部屋を出て行った。
由紀と共はスクリーンをにらむ様に見ていた。次に起こる出来事が全てわかっているかのように・・
部屋に残されたなずなの母親は、椅子に座り直すと、手元にある湯のみを手に取り口に運んだ。
「うっ・・・。」
何が起こったのか解らなかった。スクリーンに映し出された自分の母親が両手で口をふさぎ、床に膝を付いた。見る見るうちに母親の顔は青ざめて行き、苦しそうに荒い息をしている。口をふさぐ手は吐かれた血で赤く染まっていた。その血は腕まで流れていた。
「なずっ・・・」
なずな・・・そう言おうとしたのだろう、母親はそれからもう二度と動く事の出来ない身体となってしまった。なずなの間接的な目の前で死に至ってしまったのだ。
「母さ・・・」
はっきりと口に出す事が出来なかった。自分の母親が目の前の大きな壁で死に絶えたのだ。いや、これはただの画像に過ぎない。そう、リアルに忠実に従っただけの映像かもしれない。母親と里子がグルになって自分を脅かそうとしているのだ・・・なずなにはそうとしか考えられなかった。
「なずな君・・・。」
そう呼ばれ、なずなははっとして顔を上げた。その時初めて自分の目から涙が流れている事に気づいた。
「あ・・・。」
由紀と共の二人は真剣な眼差しをなずなに向けている。なずなもそんな二人に同調して見つめる。
大きなスクリーンはまた、元の様に、機械的な音を立てながら天井へと入っていった。そして部屋は何事も無かったかのような静けさで覆われた。
「青崎君。話すわ、全て。」
由紀が子の重苦しい雰囲気を割った。
「全てって・・。」
三人は椅子に座り直した。共は黙っていた。この事については由紀が話してくれるらしい。目をしっかり開き、大きな瞳で共となずなを見た。
ふと気がついたが、由紀も共も服が白で統一されていた。由紀の方は白の少し厚手のハイネックのワンピースで、左の胸元には原色の赤に近いくらい真っ赤な色をした十字架のブローチを付けていた。共も上下白く、上はフード付きのトレーナーだ。首に赤いスカーフを巻いていた。そして二人とも白いスニーカーをはいている。この真っ白の中に赤い刺し色の組み合わせは一体何なのだろうか。
由紀は腰ほどもある長い髪を邪魔そうに後ろに流した。
「ここがどんな研究をしているか知らないわよね?」
知っているはずが無い。なずなは何も聞かされずにここにやって来たのだ。もはやその母親はどこにもいやしないが・・・。
「そうよね。私達も最近知ったばっかりだし。」
由紀は泣きそうになっていた。少し目を赤くして涙が出るのをこらえていた。
共はそれを心配そうに見ていた。そして由紀の肩にそっと手を置く。どうやら見ている限り二人は友達以上の関係らしい。必要以上に共は由紀を気遣っている。
由紀は、大丈夫、という様に共を見た。なずなはそんな二人の間にはさまれ、少し複雑な思いに駆られた。
「ごめん・・実はこの研究所は、超能力の研究をしているの・・・。」
なずなは耳を疑った。
由紀はかすれた声で言った。
「超能力だかなんだか知らないけど、何で私達が・・・。」
もう少しで本当に泣き出しそうなくらい由紀の声は震えている。これは共でなくても手を差し伸べたくなってしまう。
「ごめん。ほんとごめん。泣くつもり無かったんだけど・・・。」
「とうとう由紀は泣き出してしまった。声を殺して苦しそうに泣いている。共はそんな由紀の背中をさすった。なずなは由紀の泣く理由がわからなくて気まずそうに二人を見ていた。
「大丈夫、大丈夫だよ。まだ死ぬって決まったわけじゃない。」
死・・・?誰が?由紀か共か・・・俺か? 俺達か・・・?
「どうゆう事だよ。死ぬって・・・。」
あまりの事の重大さに何故か逆に冷静になって話が出来た。
相変わらずのこの白い空間は静かだ・・・。今外はどうなっているのだろうか。今何時なのかもわからない。しかし、ここに来てからまだそんなには経っていないはずだ。推定午後五時、というところだろう。
「俺達、明日死ぬかもしれないんだ。」
「えっ・・・。」
さっき実際に自分の母親の死に様を目の当たりにしたからだろうか死と言う言葉が異常になずなの心に重く圧し掛かってきている。じわじわとなずなの身体全体にそれが広がっているのが感じられた。まるで苦しさゆえの荒い息遣いを楽しんでいるかのような視線、若しくは手足の指を一本一本死なない様に死なない様にともぎ取られていくような重くて苦しい恐怖感がなずなを襲う。ゾクゾクっと冷たい空気が首筋をかすめた。それでなずなははっとして我に返った。
知っているはずも無いが、死と言うものがどういう物だかわからない。死んだらどうなってしまうのだろう。神話や漫画の様に天使になったり幽霊になったり天国や地獄に行ったりするのだろうか・・・。
「君のお母さんが言ってただろう。」
「母さんが・・・?」
何の事だかさっぱりわからなかった。母さんが何を言っていたのだろうか。そんな事気が動転してしていて覚えているはずが無い。
「あんた達の為に・・・。」
由紀がボソッと言った。その声に貼りは無い。
あんた達の為に・・・?
そう言えばそんな事を言っていたような・・・
「俺達は、明日ここで作られた超能力の薬を飲まされる。そのために連れてこられたのよ。」
由紀は下を向いて言った。
「まだ、まだ他に沢山いたの・・・。私達と同じように・・・。五十人くらい・・・。私の友達もいた。」
由紀はまだ赤い目をこすっていた。
「みんな死んだ・・・。」
由紀はそっと目を閉じて強く結んだ。
「みんな・・・みんな死んじゃったの・・・。殺されたのよ!・・・研究所に・・・!」
砕けるんじゃないかと言うくらいきつく歯をかみ締めていた。
「実験は全て失敗。全員死亡。恐らく俺達も・・・。」
共はその先を言わなかった。言いたくなかった。
ただ実験が成功する事を祈るしかない。成功したとしてもその後どうなるかわからない。だが今はともかく明日を過ぎても自分の命が繋がっている可能性に賭けるしかない。
今はそれしかないのだ・・・。
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