1.お嬢様と執事
みんなの知らない私だけの秘密の場所。
ゲームを起動してバーチャル世界に入ると、ゲームの中心地――古の都だとか古都だとか大都市だとか言われている場所に降り立つ。
裏路地のような道を進んで。
人の気配のない行き止まりの壁に向かって……
【時空――!】
と技を放って、体当たりすると壁をすり抜ける。多分バグ技だと思う。
その先には真っ暗闇の景色が広がるから、もう一度【時空】を使えば、地面の当たり判定が消える。私はそのまま奈落のような底に沈んで、あっという間にプレイヤーが存在しない裏の世界に迷い込める。戻る時はプレイヤーが持つ脱出セレクトで戻れるから、戻れなくなる心配をする必要がない。
都はNPC――AIで作られた人間がウロウロしていて気が散ってしまう。
私は急いで北へと向かう。北には私のとっておきの秘密基地があるからだ。
都を出て、広い草原をそれなりに進むとそこそこレベルの町がある。桜の花びらが常にひらひらと舞い散る美しい町だ。その町の少し外れに豪邸が存在している。
大金持ちしか住めないような邸宅に入って息を吸う。
自然豊かな匂いがする。それと特別な身分になれた気になれる。
爽やかな庭園。鮮やかな噴水。舞い散る桜の小道を進む。屋敷の扉が勝手に開かれる。
「お待ちしておりました。」
シュッとした立ち振る舞い。長身の身体はとても頼りがいがあって、頼もしく、何かトラブルになっても守ってくれそうな安心感がある。何よりも姿だけでなく言動までもがハイレベルだ。
世界に多々いるAIのNPCの中から偶然見つけ出したカゲトという人物だが、執事としての性能が非常に高く、私は彼を執事にして大正解と思っている。
「ジュリネお嬢様。この度はいつ頃まで滞在されますでしょうか。」
「うーん。二週間は居るつもり。せっかく試験も終わったしね。」
「承知しました。」
自室へと歩く。
試験も終わった。余裕で単位を取れている自信がある。バイトも二週間はシフトを入れていない。親にもバーチャル世界に二週間いることを伝えている。だから、私はのびのびと何も考えずにこの時間を楽しむことができる。
巨大な部屋。普通に暮らしていたら絶対に買える訳のない巨大なベッドにダイブした。とってもふかふかで気持ちが良い。
普段着れない服もここなら用意されている。普通なら手の届かない香水も今なら使い放題。
運営すらも知らない(と私は思っている)裏技で来たここは、他の誰も来ない私だけの独擅場。私だけの世界。他の誰もこの場所には気付いていない。
コンコン。「飲み物を持って参りました。」
「入ってきていいよ。」
窓辺の椅子に座って年中桜が舞い散る眼福な景色を眺めながら少し甘めの紅茶アールグレイを頂く。現実世界から少しかけ離れた特別感を感じられる。
私だけの世界なので独占した敷地を用意され、私専用の執事も用意されている。バイトとか学校とか現実世界に戻る必要性がなければ、ずっとここにいたい。
この『詩忍にくちなし』というゲームは冒険やバトルをメインとしたゲームではあるが、私はこのバグ技による私だけの世界で令嬢になって過ごすという遊び方にハマっているのだ。
幸せ過ぎる。こんなに贅沢な空間で、贅沢な体験をしている。すぐ傍には最高の執事がそこにいる。本当に幸せ過ぎる。
「お嬢様……。そのみっともない座り方はいかがなものかと……。」
誰もいないからとだらんと足を伸ばしたことを注意されてしまった。身分的には良くない座り方だと思ってすぐに姿勢を正そうした。
「やはり、みっともない性格が座り方に表出されていらっしゃるのでしょうか。」呟かれる言葉。
ちょい。待て――!
「ねぇ、カゲト。今、ムカつく言葉、なんか言った?」
「いえ。私めはムカつくような言葉を発してはおりません。もしムカつくのであれば、お嬢様として自覚ない品位に欠ける行動をされたと言うことでしょうか。……もしや図星でしょうか?」
こいつ……。
いけない、いけない。せっかくの幸せなティータイムが泡になって消えてしまう。紅茶を飲んで一旦落ち着こう。
私は先程、傍らには最高の執事がいると頭の中で思っていた。前言撤回。そんなもの気のせいだった。
空が深紅色に染まっていく。少し違和感を覚える景色だ。
まっ、私には関係ないか。
ひとまずティーカップの中に入っていた紅茶を飲み干した。
◆
コンコンコン。
さらに――コンコンコン。
鳴り止まないドアの音に目を覚ました。目覚まし時計と比べれば耳障りな音のレベルは低い。しかし、手を伸ばせば耳障りな音が鳴るのを一時的に延長できる目覚まし時計の方がマシにさえ思える。
仕方なく、思い足取りでドアを開いた。
「おはようございます。今朝はぐっすりと眠れましたでしょうか。」
「眠れたけど、無理やり起こされたせいでまだ寝足りないのよ。」ふぁーあという欠伸が出る。
「生活習慣は大切です。早寝早起き定時の食事と呼びます。朝ごはんをお持ちしましたので、咀嚼しながら目を覚ましてください。」
テーブルに広げられるパンとスープ。通常のゲーム世界ではお金を取られるが、ここバグ世界ではタダだ。せっかくの背伸びしたタダ飯を有難くいただく。本来ならこれ以上ない味として頬っぺたが落ちるのだろうが、眠さがまだ取れていないせいで美味しいという感想だけで終わってしまった。
窓の向こうを見る。あれから空は紅く染まっていた。夕暮れとは違う不気味な色だった。
「ジュリネお嬢様。ここ最近、世界に異変が起きているのはご存知でしょう。今朝は近隣にて魔族の群れを見たとの情報を収集致しました。滞在期間は残り三日のご予定ですが、今すぐにでも極力早めにお帰りになった方がよろしいかと……。それ程までの非常事態でございます。」
「そうね……。」
彼が部屋から出る。私は部屋の鍵を閉めて、ふかふかのベッドに座った。
欠伸が出る。無理やり起こされたからだろうか、まだ眠気が取れていない。
早く帰るべきとの忠告はあったが、ひとまず一眠りしてから考えよう。今は体が睡眠を求めているので、私は布団の中に入ることにした。
まるで雲に包まれているかのよう。寝返っても体を優しく受け止めてくれる。シャボンの匂いが私を包み込む。余計なことを考える間もなく夢の中に落ちていく。
ゼット、ゼット、ゼット。
すぅ。何かを思考する脳を止めるかのように、息をしている意識を遠のかせてすぅっと呼吸するかのように、邪念は心地よい夢の泡に消し去られ、重い瞼に従って、優しい夢に誘われる。
ZZZ――。
素晴らしい夢心地。
ガン!
ガン。ガン。ガン。ガン。扉を思いっきり叩くような強い音。コンという単なるノックでさえ眠気を邪魔する不快音なのに、それ以上の力強い音は耳障りにも程がある。
そもそもそんなに強く叩いたら部屋が壊れるじゃない。
せっかくの夢の時間も台無しだ。あまりの不快音に目もすっかり覚めてしまった。
「はいはい。起きたから、そんな強く叩かなくていいわよ! ……もう。」ため息も出てしまう。
突然、扉が外れて吹き飛ばされた。扉は私に当たることはなかったが、それなりに吹き飛ばされていた。
壊された扉。その出入口から出てきたのは一匹の少し大きめの狼だった。灰色と漆黒の毛皮に厨二に毒された人が好むような模様。老練な雰囲気すら漂わせている。
鋭い蒼く光る眼が私を睨む。鋭い爪が床を掴む。荒々しい吐息が離れたここまで感じられる。
ぐるるるるるるる。唸り声が部屋に響く。
やばい――。殺される。
今すぐにでも私を襲おうと窺っている。
私の持っている技は二つのみ。内、こういう場面で使える技は一つのみ。それは両手の手のひらを向けた一寸先の、一部分の時空を少しだけ歪める技だ。ただし、その技は威力がない。攻撃を逸らす程度しか効果がない。
だから、私にできるのは時空を歪める技で何とか敵の攻撃を躱して執事が来るのを待つことのみ。
ごくり。唾を飲む。
「がるるるる。ううれ。ど、れ。」
「ん?」何かを唱えているのだろうか?
【踊れ】
体が勝手に動き出す。私は無意識で踊っている。この状態では、手のひらを向けられないから技を繰り出すことができない。
まさにピンチとはこう言った状況だ。
狼が襲いかかってきた。大きく開いた牙が鋭く光る。唾が混じった忌々しいその牙が私の視界のほとんどを占める。
あっ――。
目の前には銀色の牙。それと銀色の刃。
目前で繰り広げられる鼻の先程しかない幅。
その瞬間を焼き付いた脳の海馬。
振られた刀に狼は後ろに大きく下がり距離を置いた。一時的に距離が空いた現場。
そこには執事が来ていた。ここからは執事と狼との修羅場。
「お嬢様には触れさせませんよ。それと、お嬢様に恐怖を与えた罰を与えなければなりませんね。」
シュッと立つ彼は刀を握っている。その刃が窓から差し込む紅い光を反射していた。
心に溢れる安堵感。目の前で存在するカッコイイ立ち居姿。惚れてしまいそうな紅い情景が私を包む。
「ところでジュリネお嬢様。ダンスがとても下手でございますね。私め、思わず瀕死のアヒルがもがいているのかと思いました。」
あー、かっこよ……ん?
「はぁ?」
前言撤回。こいつは何を言い出したんだ。それも下手とか私が瀕死のアヒルみたいとか、そんな言葉を強調して言い放った。今、少し怒りが湧き始めた気がする。
「ダンスは貴族の嗜みですよ。お嬢様の踊りは社交の場における披露において恥でございますね。」
今度は"恥"という言葉を強調して言いやがった。こいつ言わせておけば……。
未だに踊りは解けていない。そのせいでまともに動けない。
「気をつけて。こいつ踊らせてくる。」
「ふむ――。」
【踊れ!】
言ったそばから執事がタップダンスを踊り始めた。上半身はブレずに足元だけが動く。心地よい音が響いていく。
異様に上手なのが腹が立つ。
狼が彼を喰らう。彼の姿はパッと消え、頑丈な顎で噛み潰されては木片が散っていった。
床に落ちる木。
「カゲ……ト?」あまりにも唐突で哀しい別れに心が苦しくなる。私はまだ生き返れるけど、彼は死んだら二度とは生き返らない。
瞳が潤ってきた。
「何を泣くことがおありでしょうか?」
頭上から落下しながら振られる刀。狼は急な後退で攻撃を避ける。
「え……。どうして生きてる……の?」
「忍法【変わり身の術】でございます。丸太を召喚し、それを変わり身としたまでです。」
全く心配させやがって。
木っ端微塵になったのは丸太で、私が勝手に彼が死んだと思い込んでしまっただけか。
「お嬢様は木っ端微塵になった丸太に涙を浮かべたのでしょうか。」少しニヤけた表情が見えた。
「一言余分だっつーの!」
言わせておけば……。ぐぬぬぬぬぬ。
「それで、お嬢様。いつまで踊られる予定なのですか?」
「ほへ?」
体を止めた。さっきまで踊らされていたので、技が解除されたのにも気付かずにその流れに身を委ねてしまっていた。少し恥ずかしい。
「さて、あの狼は中・上級魔族と思われますね。私も手を抜いてはいられません。」
刀がぎゅっと握られていた。その矛先が狼を狙う。その立ち居、まるで忍者のよう。
【多くなる。】
狼が二匹、三匹、何十匹と増えていく。
もはや数の圧倒的暴力だ。
「ヤバくない?」
「何を恐れるものがあるのでしょうか? 私もそれぐらいできますが……。」
彼が刀を構えた。何かを繰り出すのだろう。風が彼の近くへと集まっていく。
「ただ、張り合うつもりはありませんですけどね。ひとまず次の一撃で終わりに致しましょう。」
狼が高く飛び上がって喰らいに飛びかかってきた。沢山の狼が襲ってくる。
「風遁【かまいたち】旋風」
刹那――。
無数の斬撃が狼を襲う。そこにいた全ての狼はその連撃によって全滅した。いや、本体一匹が消滅しただけかも知れない。いずれにせよ、私達の勝利で間違いなかった。
「部屋が大変なことになりましたね。」
斬撃で切り刻まれた部屋の残骸。くつろげる空間がいたたまれない姿に変貌を遂げていた。
――――――。
目の前に突如として現れる電子のメッセージ画面。その先には運営の人間と思しき人がいた。
『詩忍にくちなしの運営よりこのメッセージを配信しております。朱音様で間違いないでしょうか。』
私は返事をした。朱音とは現実世界における私の名前だ。
『朱音様がおられる場所は通常入ることすらできない世界となっております。しかし、何かの手違いでその世界に迷い込んでしまったのでしょう。』
バグ技を使って来たなんて言えやしない。
『そこは元々配信前にのみ使われた世界。現在は我々運営及び人間の支配が及ばなくなり、AIが各個のキャラクターを作り上げ、人間同様の暮らしをしている世界となりました。一時は我々の介入を受け付けない世界になりましたが、先日までは多少の介入が可能でした。その中で朱音様が迷い込まれたのだと思われます。しかしながら、現在は再び介入を受け付けない状態になりつつあります。今でさえ、この連絡が唯一可能なアクセス方法となっているのです。』
その電子の板が揺らめき始めた。つまり、私はこのバグ技でしかこれない世界に閉じ込められてしまったっていうことか……。
『大変申しにくいことではありますが、現状朱音様は通常のバーチャル世界にも、引いては現実世界にも戻ることができません。』
えっ!?
このまま私はここに閉じ込められたまんまなの? 不安と動揺が押し寄せる。
『その世界から脱出する方法は三つ考えられます。一つ目、我々が介入するのを待つ。しかし、前回介入不可になった際は、介入までに五年はかかりました。エニグマ以上の難解に加え、前回よりも複雑になってしまう故に、さらに時間がかかるものと思われます。』
「ご、五年っ!?」
有り得ない数字だった。五年もここに閉じ込められるなんて、流石に嫌だ。
『二つ目は、来た道を戻る方法です。我々にも知りえない抜け道から辿り着いた可能性があります。この世界に初めて来た時の場所に行けば戻れる希望があるかも知れません。』
これは現実的だと思った。私は頷いた。
『最後に、世界を介入不可にしている主犯格AIを討伐することです。簡単に言うと、魔王を倒すことです。しかし、これはあまりおすすめしません。』
「どうしてですか?」
『死ぬ可能性が高いからです。その世界で死んでしまえば朱音様は現実的にも死ぬことになります。我々の支配及ばぬその世界では復活は望めません。前例にも二名の方がその世界でお亡くなりになられております。ですので、身を案じて過ごして頂きたいのが我々運営側の意向となります。』
ひゅ――。
あの時、狼に殺されてたら私、死んでいたんだ。その事実に背筋が凍った。
この世界はもうれっきとしたサバイバルの世界に成り果ててしまったんだ。
ひとまず戻るための選択肢は次の三つ。
①運営を待つ。五年以上かかる。
②来た道を戻る。古の都に行く。
③魔王討伐。命の危険が高い。
どう考えても二番しか無さそうだ。とりあえず都に戻ろう。
『最後にご武運を祈り、希望の光をお渡し致します。どうかご無事で。』
眩く光る玉のような何かが現れた。それが胸の中へと飛び込んでは消えた。それが入り込んだ私の体に変化はない。一体何が起きたのだろうか。
運営の電子板も消えた。
嵐ような時間が過ぎ去った。
その場に残ったのは一抹の不安と多少の希望のみだった。
「まあ、いいわ。私、都に行くわ。カゲト、私を守りなさい。」
「えぇ。もちろんでございます。」
紅い空は青い空に戻っていた。それが逆に違和感を与えている。
傷跡の残る部屋で私達はベランダへと出て、そんな空の下に存在する町や草原、遠くに見える都市を眺めていた。




