♥8 みっしょん・いん・ちょこれ~と
広く、清潔に整えられたマーレリフデ学園の教室。
阿良々木 愛彩の隣に座り、平利 エイザは、そわそわと落ち着きなく視線を漂わせる。
(お嬢様と部活……お嬢様と委員会……。潜入ミッションの役得デスぅ~)
「――ん、――さん! メイサさん!」
突然、静かな教室に響いた声に、エイザは夢見心地から帰還する。
「は、はい!」
「メイサさん、授業中には集中して……。それで? これの答えは?」
「――はへ?」
英語と数字が入り混じった黒板の前で、エイザは石像のように固まった。
放課後。
教室の机にぐったりと項垂れるエイザの髪を、愛彩が慰めるように優しく撫でる。
「元気出して、メイサちゃん。こういう日もあるって」
「うっ、うっうっ……辛かったデス。答えだすまで皆の面前に立たせるとか……ハズカシイ、です~」
エイザは全力で悲しむフリ、をする。
彼女の意識は、今まさに頭上を這う愛彩の温もりにすべて向けられていた。
(嗚呼、麗しのお嬢様! ずっと、ずっとこのまま――)
ブーブーと、突然エイザの携帯がバイブレーションを鳴らす。
エイザは知っている。
これが、他のメイドたちからの通信である、と。
――そして恐らく、自分が屋敷に戻った時、ろくでもないことが起こる、と。
エイザは、罵詈雑言が煮詰められたモールス信号を、無視すると決めた。
ソッと。
エイザの鞄に、携帯電話が滑り入れられる。
『エイザぁぁぁ! てめぇぇぇ! ふざけんなぁぁぁ!!』
戦場 來夢の叫びは、暗いカバンの底へと沈んでいった。
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「――ここ、デスか?」
「そ。ここが、演劇部の部室。ささっ、入ろ?」
愛彩に急かされるように、エイザはゆっくりと教室の扉を開く。
「――ん? キミは、誰だい?」
エイザが扉を開けた先で、酒々井 幸一は困惑の表情を浮かべた。
「あ、酒々井先輩。こ、こちら、入部希望の平 メイサちゃんです」
背中越しに緊張が入り混じる紹介を受けたエイザは、ペコリと頭を下げる。
「おお! 入部希望者か。嬉しいなぁ~。よく連れてきてくれたね、愛彩さん」
「は、はいっ! ありがとう……ございます」
「それじゃあ、二人は、そこの席に座ってもらえるかな。隣同士だからメイサちゃんも安心でしょ?」
柔らかく笑う酒々井に、エイザは小さくお礼を言いながら、指定された席へ座る。
エイザが横目で愛彩を盗み見ると、その顔は耳まで真っ赤になっていた。
(お、お嬢様!? 教室とは表情がまるで違いマス……)
愛彩の内心を量りかねて動揺するエイザを尻目に、酒々井が話始める。
「さて、皆が知っての通りあと二週間ほどで、わが校の創設祭があるわけだけど――」
酒々井は焦らすように、演劇部の面々を見渡す。
そして、一番近くに座る女子生徒を右手を広げて示した。
「御覧のとおり、雪代さんが怪我をしてしまった」
「みんな御免ねぇ~」
雪代と紹介された女生徒は、右足を包帯で分厚くさせながら、手のひらを合わせて涙目で謝っている。
そんな様子を見ながら、酒々井は優しい口調で雪代に言葉を投げる。
「ケガは誰にでもあるもの。気にしないで。それに、僕たちは仲間であり、チームだ」
バッと、酒々井は大げさに手を広げ、演劇部員全員を示す。
「誰かが欠けても、誰かがフォローする。チームってそういうものでしょ?」
雪代の肩に手を置きながら、酒々井は温もりを込めた言葉をかける。
「だから、雪代さん。早く元気になって、また僕たちを助けてね――」
「はい……はい……」
雪代は涙を抑えきれず、短い返事を繰り返すだけだった。
ポケットから純白のハンカチを雪代に差し出したのち、酒々井は演劇部員へ向き直った。
「というわけで、急ぎ、雪代の代役を立てないといけない」
女子部員の間に、奇妙な緊張が生まれたのを、エイザは感じ取る。
「これは、僕の独断で決めちゃう。日が無いから、実はちょっと焦ってるんだ」
そう言って、酒々井はバツが悪そうに笑う。
つられて、ほとんどの部員の口角が緩んだことを、エイザはさりげなく観察していた。
(スゴイ、人心掌握……。流石は大手企業の御曹司デス)
演劇部員全員から、酒々井への高い好感度が伝わってくる。
「それで、雪代さんの代役で、創設祭のヒロイン役をしてもらう人なんだけど――」
ゴクリ、と教室は誰かが唾を飲む音も聞こえそうなほどに静まり返った。
「愛彩さん。お願いするよ」
「……へ? あっ、わ、わたしですか!?」
突然の抜擢に、愛彩は驚きのあまり、大声で反応する。
「うん。愛彩さん、図書館でこの演劇の原作借りてたでしょ。一生懸命だし、覚えも早いし……」
「で、でも、私なんて――」
「愛彩さん」
いつの間にか近くに来ていた酒々井が、愛彩の手を握る。
「……だめ、かな?」
まっすぐに、愛彩の瞳を見つめて、酒々井は弱弱しく言う。
愛彩の顔は、耳どころか手の先まで、真っ赤になる。
「……別に、いや、というわけでは……」
「じゃあ、よろしくね」
パッと、酒々井は手を離すと、元居た壇上に戻る。
「それじゃあ、今日の部活はこれまで。各自、練習に励むように」
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皆が出て行った教室で、愛彩とエイザは並んで座っていた。
(何人かの女子生徒が、お嬢様を睨んでたデス……。マークしとかないと)
ブーブーと、規則的に携帯のバイブレーションが鳴る。
『……特定した。……あとで情報……送る』
(さっすが、佐繰ちゃんは仕事が早いデス)
バイブレーションと小型マイクで短い会話をしたのち、エイザは右隣りへ視線を移す。
宙を見つめ、呆ける愛彩の横顔があった。
「あの~。愛彩ちゃん……大丈夫?」
「へ? あ、あぁ、うん。大丈夫」
我に返った愛彩の生返事を聞き、エイザはスクッと立ち上がった。
(放っておいたら、何時間もこうしてそうです、お嬢様……)
「さぁ、次は風紀委員会デス。案内してください~!」
そう言って、エイザは愛彩の手を取り、強引に立たせる。
「ちょ、メイサちゃん! 痛い! 痛いってばぁ」
「あ、ゴメンナサイ。ちょっと、力入っちゃったデス」
廊下に出て、風紀委員会の教室へ向かい、愛彩とエイザは横並びに歩く。
「代役、大変デスね」
「……うん。どうしよう。私、大勢の前で演技なんて、ムリ……」
「誰か、そう言うのに慣れている人にアドバイスもらったら?」
「慣れている人かぁ……」
歩みを止めずに、考え込む愛彩は、廊下の曲がり角から出てくる人物に気づかない。
「――うぐっ」
独特なうめき声と共に、愛彩の体が後ろに倒れる。
パシッ、と倒れ行く愛彩の手を、その人物は驚異的な反射神経でつかみ取った。
「おっと。悪ぃ……って、愛彩じゃねぇか」
「し、獅子堂先輩。すみません、気づかなくて……」
「いや、俺もよく見てなかったわ。ケガねぇか? そっちの女の子も」
獅子堂は、愛彩が倒れ込むのを支えようと、後ろで屈んだエイザに目を向ける。
「わたしは、平気デス」
「そっか。いや~、お前の動き凄かったな。一瞬で後ろに回り込んで……。格闘技でもしてたのか?」
「護身術を少々……くらいデス」
「じゃあ、才能だわ! 今度、女子柔道部に紹介しとくわ。」
「生憎ですが、御免被ります」
多少の棘を含みながら、エイザは獅子堂 彰と会話する。
「あの~、獅子堂先輩」
その様子を見ながら、愛彩は獅子堂におずおずと話しかける。
「……そろそろ、手、離してくれません?」
「おっと、悪い」
勢いよく手を離したのち、二人は気まずそうに目を背けあう。
愛彩は握られた手を優しく撫でていた。
「そうだ!」
二人の視線が、エイザに集まる。
「愛彩ちゃん、獅子堂先輩に代役の相談してみたら?」
「へ? あぁ、確かに――」
愛彩とエイザの視線が、獅子堂に集まる。
「――へ? 何の話……?」




