♥13 みっしょん・いん・ちょこれ~と
「――では、演劇に向けたお稽古を始めましょう」
阿良々木家が所有する巨大な演劇ホール。
真っ赤なシートが一万席敷き詰められた光景は、それに引けを取らないステージから見ても圧巻だ。
そのステージの中央で、小伏 天音は黒色のジャージに身を包み、腰に手を当てて立っている。
「よ、よろしくお願いします。あ、天音……さん」
「んー? お嬢様。そんなに畏まらなくても、普通でよいのですよ、普通で」
「そうはいっても……」
天音と向かい合う阿良々木 愛彩は彼女の張り出した胸部に気圧される。
「お嬢様。その気持ち、わかるデス。……あれは、反則デス」
「だ、だよね。……ハァ」
平利 エイザと愛彩は天音に背を向けてため息をついた。
「――? ほらほら。あんまり時間ありませんよ~」
「そうだった! こんなところで勝ち負け競ってる場合じゃない! まだまだ成長期、うん!」
自分を説得しながら、愛彩は振り返る。
「それで、天音。私はどうすればいいの?」
「うふふ~。そうねぇ、まずは恋する乙女の気持を出してほしいかな」
「な……恋する乙女ぇ?」
大ホールに、愛彩の絶叫がこだました。
愛彩の動揺とは対照的に、天音とエイザは淡々と準備を進める。
「お嬢様にだって好きな殿方の一人や二人いるでしょう?」
「い、いないわよっ! ふ、二人だなんて、不純だわ!」
「お嬢様。結構一途で可愛いデス」
「エイザ! そんなんじゃないから! 断じて、違うからっ!」
赤面しながら興奮してしゃべりだす愛彩を、どうどう、と宥めすかして天音は言う。
「一通り台本には目を通しましたが、今からお嬢様が全てのシーンを演じるのは、ハッキリ申し上げて不可能です」
「うぅ……やっぱりそうだよね」
「しかし――!」
パンッ、と手を叩き、天音は爛々とした目で愛彩を見つめる。
「お嬢様を巡って争う二人の殿方。それに戸惑うお嬢様! ここだけは仕上げましょう」
「おぉー! 最っ高のラブシーン、デスね! ナイスです、天音!」
感性が合致し、盛り上がる天音とエイザはキャッキャと盛り上がり、ハイタッチまでしている。
その様子に近いようで遠く感じる視線を向けながら、愛彩はおずおずと手を上げる。
「あのー。なぜにそのシーン何でしょうか?」
「なぜって……」
当然のことを聞かれた、とでも言いたげに天音はキョトンとした顔を愛彩に向ける。
「いや。他のシーンでもよくない? ラストの、皆で踊るとことか」
「そんなシーン、代役を立てればいいじゃありませんか」
「そーですそーです。踊りを覚えるよりもラブシーンですよ、ラブシーン!」
「えー……。恥ずかしいなぁ」
不服そうな声を漏らす愛彩に、天音は毅然とした姿勢で向き合う。
「お嬢様。踊りは大人数がステージを絶えず行き来するので、演者一人ひとりを追えません」
しかし、と天音は右手の人差し指を立たせながらズイっと愛彩に詰め寄る。
「このシーンはお嬢様と二人の殿方だけ。しかもメインはお嬢様。どー考えても、一番目立つのは、あなた様です」
「物語上でも、一番重要なシーンですから、失敗はできないデス!」
「わかった、わかったから、顔近づけないで!」
メイド二人の圧に押され、愛彩の心は盛大に折れた。
「では、早速始めましょう。二人の殿方は、私とエイザがやります」
「お嬢様。張り切って、セリフ言っちゃってください~」
自分を中心に、左右に分かれるメイドに挟まれながら、愛彩は震える声で台本を読み上げる。
「えー。ワ、ワタシノタメニ、アラソワナイデェー」
「カットです。お嬢様」
「え? 早くない!?」
速攻で止められた愛彩は抗議の声を上げるが、それを無視するように天音はツカツカと愛彩に歩み寄る。
「お嬢様。まだまだ気持ちがこもっておりません」
「そ、そんなこと言われても、私、取り合われたことないし……」
(お嬢様に、「誰がお嬢様を起こしに行くか論争」の現場を見せたいデス……)
言葉を交わす愛彩と天音を尻目に、エイザはメイドたちの血みどろの争いを思い出していた。
「もういい!」
突如、愛彩は一段と大きな声を上げる。
「そんなに言うなら、天音! お手本見せなさいよ!」
そういって、愛彩は分厚い台本を天音へと突き出した。
「は、はぁ……。まぁ、その方が手っ取り早そうですねぇ」
愛彩から受け取った台本を淀みなくめくる。
やがて、目当てのページにたどり着くと、天音は一呼吸を置き、言葉を紡いだ。
「や――」
その瞬間。
愛彩の眼前に広がるのは、巨大な中央階段と、その上の踊り場に立ち尽くす一人の少女。
階段の下。
広いフロアに対峙する二人の男性のシルエットが見える。
剣を携え、争う構えを取る両者に、少女は懸命に、悲痛に呼びかける。
争いの火種であると同時に、争いを嫌う少女。
相反する二面性がもたらした現実。
その状況を変えようと、少女は一人叫び、訴え続けるのだ。
平和を、友情を、慈愛を求めただひたすらに、届くはずもない声を――。
「――――」
愛彩の頬を伝う涙を、エイザは優しくふき取る。
そのことにも気づかぬまま、愛彩は目の前の光景を前に立ち尽くしていた。
「――とまぁ、こんな感じで……。お嬢様?」
台本を閉じた天音に呼びかけられ、愛彩の意識が引き戻される。
「――ハッ! 何!? 何が起きたの、今。刺されたフランソワーズは!?」
「何を言ってるのですか、お嬢様。ここには私たちしかいませんよ」
「お嬢様。すっかり天音の演技に魅せられてたデス」
ようやく状況をくみ取った愛彩は赤面しながら、天音の手にある台本を奪い取る。
「ふ、ふんっ! なかなかだったわよ、天音」
「畏れ入ります」
「じゃあ、今度はお嬢様の番、デスね」
「うぅ……、分かったわよぉ」
再び配置についた天音とエイザの真ん中で、愛彩は小さく息を吸い込む。
「やめて! わたしのために、あらそわないで!」
その言葉を号令に、メイドの影が二つ、愛彩の正面で交錯した。
『エイザ。約束は、忘れてませんわよね?』
激しく拳を交える中、音もなく天音の唇が動く。
『もちろんです、天音。ここで勝った方が、明日のお嬢様起こし当番デス!』
暴風のように苛烈な攻撃を仕掛けるエイザ。
柳のようなしなやかな動きでその技を受け流す天音。
目の前で高度な攻防が繰り広げられている状況を、しかし愛彩は理解していない。
愛彩は必至に、台本にあるセリフを話していた。
平和を、友情を、慈愛を求めただひたすらに、届くはずもない声を――。
「あら――」
不意に、天音が体勢を崩す。
「もらったぁぁぁ!」
一瞬の、隙。
その間隙を縫うように、エイザは一際大きく左足を踏み込む。
「――! エイザ! ちょっと止まって」
「問答無用っ! お嬢様の寝起きを見るのは、この私ですぅぅぅ!」
「ちょ、何それ聞いてないんだけどぉ!」
三者三葉の叫びが交差する中、エイザが踏み出した左足。
それは、超高級な一枚板が張られたステージを、大きく踏み抜いた。
「――あ」
クレーターのように大きく抉れたステージを見下ろし、エイザは情けない声を上げる。
そして、ゆっくりとその顔を天音へと向けた。
「……知りませんわよ。私は」
「……エイザ。お父様には口をきいておきますから……」
目を合わせずに告げてくる天音の愛彩を見ながら、エイザの目に涙が滲んでくる。
「や――」
やがて、エイザは一言、ホールに響き渡る声量で、
「やっちまった、デスぅぅぅぅぅ!」
やけに余韻が残る絶叫を残した。
(うん。でも……)
泣きわめくエイザと、それを宥める天音の後ろで、愛彩は密かに、思う。
(誰かに想われる感覚って、こういうものなのかな……)
ふと頭に浮かんだ顔を、愛彩は必至で振り払った。
赤くなったこの顔が、誰にも見られていないことを願いながら――。




