二話
レオンハルトは、茶会というものがあまり得意ではなかった。
嫌い、というほどではない。ただ、終わったあとに「疲れたな」と思う確率が高い。それがなぜなのかは、深く考えないようにしている。王太子が理由を掘り下げ始めると、面倒なことが増えるからだ。
今日も、形式だけ整えた集まりだった。議題は特にない。参加者も顔見知りばかり。安全で、無難で、だからこそ油断しやすい。ふわりと眠気が広がり、慌てて姿勢を正した。
会場に入って、まず目に入ったのはアデリーナだった。
窓際の席。光を背にして、静かに座っている。姿勢がいい。背筋が伸びすぎていないのが、かえって目につく。ああいう座り方をする人は、長居に慣れている。
――今日も、落ち着いてるな。
それが最初の感想だった。婚約者としてどう、という評価ではない。美しいとは思うが、もっと単純な印象だ。騒がしくない。余計なことを言わない。場を乱さない。王太子としては、ありがたい部類に入る。
その背後に、執事が控えている。
ルーカス。不思議と名前が思い出せた。目立つ男ではないが、いつもそこにいる。気づくと、場を整えている。いないと、たぶん困る。
――執事って、こういう者を言うんだろうな。
そんな、どうでもいいことを考えているうちに、扉の方が小さくざわめいた。
「遅れてしまって、ごめんなさい……!」
フローラだった。
少し息を切らし、少し慌てたように、可愛らしい。レオンハルトは内心で「いつも通りだな」と思った。
「大丈夫だよ」
誰かが言う前に、別の誰かが言う。そういう空気が自然に出来上がるのが、フローラという人物だった。彼女はそれを分かっている。分かっていて、俺も許してしまう。
悪意はない。少なくとも、本人の中では。
「アデリーナ様、こちらに座ってもよろしいですか?」
丁寧に尋ねる声。距離の詰め方は遠慮がちで、でも逃げ道は残さない。フローラはアデリーナの隣に許可される前に腰を下ろし、嬉しそうに微笑んだ。
アデリーナは一瞬だけ彼女を見て、軽く頷いた。
それだけ。
拒否でも、歓迎でもない。どちらの力も感じさせない。
フローラはその反応を「優しい」と受け取ったらしく、さらに距離を縮めた。肘が触れない程度。けれど、声は自然と近くなる。
「今日の紅茶、いい香りですよね。アデリーナ様は、こういうの、お好きですか?」
「ええ。嫌いじゃないわ」
短い返事。
フローラはそれでも話し続ける。菓子の形、花の色、庭園の噴水。どれも安全で、可愛らしくて、誰も困らない話題ばかりだ。話しながら、ちらりとレオンハルトの方を見る。目が合うと、にこりと笑う。
――ああ、今こっち見た。レオンハルトの胸が、ふと高鳴った。
レオンハルトは、首を傾げたが、特に気にしないことにした。話を振られれば答えるし、振られなければ聞き役でいる。それで場は回る。
「殿下は、甘いものはお好きですか?」
「普通だな」
無難な返答。
「やっぱり! お優しいから」
優しい、という言葉がどういう基準で使われているのかは分からない。けれど、否定するほどのことでもない。レオンハルトは笑って頷いた。
そのやり取りの間も、アデリーナは静かだった。
聞いているのか、聞き流しているのか、判断がつかない。表情は柔らかい。けれど、深いところに何かを置いてきているような気配がある。――気配、というほど確かなものでもない。ただ、そんな気がする。
隣で、ルーカスがカップの位置を少しだけ直した。
ほんの数センチ。言われなければ気づかない程度の調整。それなのに、なぜか目に入った。アデリーナが手を伸ばしたとき、ちょうどいい角度になる。
――よく気がつく執事だな。
それだけの話だ。深読みするほどのことではない。
フローラは楽しそうに話し続ける。空気は和やかだ。誰も不快そうな顔はしていない。レオンハルトもフローラを眩しく感じる。
アデリーナは、気にしていない。
少なくとも、そう見える。
フローラが少し身を寄せても、アデリーナは距離を詰め返さない。ただ、元の位置に留まる。動かないことで、線を引いているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。
レオンハルトは、もう考えないことにした。
考え始めると、茶会はだいたい面倒になる。
会は、特に問題もなく進んだ。誰かが立ち上がり、誰かが礼を言い、誰かが次の予定を口にする。フローラは最後まで愛想よく、アデリーナは最後まで静かだった。
解散の流れの中で、レオンハルトはなんとなく、もう一度アデリーナの方を見た。
彼女は窓の外を眺めている。光の中で、何かを待っているようにも、何も待っていないようにも見える。
その背後で、ルーカスが立っていた。
ふと、視線が上がる。
一瞬だけ、目が合ったような気がした。
気のせいだろう。王太子と執事が、意味もなく視線を交わす理由はない。礼儀の範囲で、避けるのが普通だ。
レオンハルトは、そう判断した。
それ以上、考えない。
廊下に出ると、足音が少しだけ響いた。宮殿はいつも通りで、午後の光も変わらない。
――なんだか、今日は少し疲れたな。
それが、この茶会についての最終的な感想だった。
その夜。
レオンハルトは寝支度をしながら、ふと昼間の光景を思い出した。
特別な出来事は、何もなかった。
それなのに、なぜか一つだけ、頭から離れない。
フローラが笑っていて、
アデリーナが気にしていなかったこと。
そしてそこに立つルーカス。
――まあ、いいか。
そう思って、彼は考えるのをやめた。
考えなくても困らないことは、世の中にいくらでもある。
そしてその夜、
自分が「考えなかった」ことを、
後になって思い出す羽目になるとは、
まだ知らなかった。




