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いつもの紅茶ーー婚約破棄されたお嬢様と執事の一年  作者: 絹ごし春雨


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1/12

一話

 うららかな午後、ルーカスは紅茶を淹れていた。

今日も彼の理性は完璧に仕事をしている。

アデリーナは、それが少しだけつまらなかった。


窓から差し込む陽射しは柔らかく、床に落ちる影は静かだ。庭の木々は風もないのに微かに葉を揺らし、時間だけがゆっくりと流れている。


テーブルの向こうで、ルーカスの白い手袋に包まれた手がポットを取る。


優雅な動作だ。アデリーナは思わず見惚れた。茶葉の量、湯の温度、カップの位置すべてが完璧で計算されているかのようだった。


彼は急がず、滞らず、自然に必要な動作を重ねていく。


アデリーナからほぅ、とため息が漏れた。


ーー綺麗。


そう思うのは、彼の容姿が整っているからだけではない。伸びた背筋、余計な感情が混じらない所作は、見ている側の呼吸まで整えてしまう。


アデリーナの呼吸が落ち着いて行く。


カップが彼女の前に置かれる。


音も立てず、滑らかに。


そしてその場に沈黙だけが残った。


「どうぞ、アデリーナ様」


名を呼ばれる。


それは彼女にとって、身分や立場を思い出させる合図だった。王太子の婚約者であること。貴族の娘であること。そして、この屋敷の主であること。


一瞬眉を寄せる。今は、何も考えたくない。


「ありがとう」


アデリーナは微笑み、カップを手に取った。指先に伝わる温度が、ちょうどいい。熱すぎず、冷たくもない。彼女は香りを確かめる。ふくよかな匂いが香った。口に運ぶ前に、ふと思いついたように言った。


「ふふ。美味しいわ」


まだ飲んでいないのに。


ルーカスは一瞬だけ、動きを止めた。ほんのわずかな間だったが、アデリーナはそれを見逃さない。


「お口に合えば幸いです」


彼の淡々とした様子を崩したくなった。


アデリーナはようやく紅茶に口をつけた。やはり、美味しい。渋みと香りのバランスが良く、後味が穏やかだった。


「あなたは本当に、私が好きよね」


そうだったらいいのに、と本音を隠して、からかうように口にする。


ルーカスは、すぐには答えなかった。


視線が伏せられる。まつ毛の影が、わずかに頬に落ちる。その表情は穏やかで、執事として非の打ち所がないはずなのに、アデリーナには、どこか苦しげにも見えた。


「……ルーカス?」


「当然です」


返事はすぐに返った。迷いのない声。


それでも、胸の奥に小さな引っかかりが残る。アデリーナはそれを追わない。追わなくていいと思っている。


「……あなたに私の理性を誉めていただきたい。本当に」


ついで漏れた言葉は彼らしくなく、乱れがあった。


カップを持つ手が止まる。


冗談にしては真面目すぎて、ついアデリーナも真顔になる。


「……理性?」


問い返すと、ルーカスは微かに口角を上げた。それは笑顔と呼ぶには控えめで、感情を隠すための動作のようにも見える。


「ええ」


それ以上は語られない。


紅茶をもう一口飲む。味は変わらない。それが、今はありがたかった。


「今日は……変なことを言うのね」


そう言うと、彼はすぐに頭を下げた。


「申し訳ありません」


「謝るほどじゃないわ」


そう返すのも、どこか気怠げだった。アデリーナは首を横に振るだけにして、再び窓の外に視線を向ける。庭の花が、陽射しの中で静かに揺れている。


この時間が、続けばいいのに。


それ以上でも、それ以下でもなく。


彼が執事で、自分が主人である。その関係が、今日も揺らがないこと。彼が、そこにいること。それだけで、十分だった。


――失わなければ、いい。


考えないようにしていた思考が、ふと浮かぶ。けれど、紅茶の温度がそれを押し戻す。アデリーナは深く息を吸い、微笑んだ。


「ねえ、ルーカス」


「はい」


「次は、少しだけ濃いめにしてもいいわ」


理由はない。ただ、今と同じ時間を、もう少しだけ引き延ばしたかった。


「かしこまりました」


彼は、いつもの声で答える。


その声に、何一つ変化はない。

――少なくとも、目に見える範囲では。

だからアデリーナは、

今日も何も考えずに済んだ。


午後の光は、まだしばらく、この部屋を照らしている。

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