中乗仏教
重度の高齢化社会が抱える様々な問題を解決するため、特例で安楽死が認められる法律が日本で施行されるようになった。当然喧々諤々になった。要介護がその特例の条件となる。本人の希望で寝たきりや入院でベットの上の生活を選ぶぐらいなら安楽死という選択をしてもらうと言うもので当然本人の意思による。
これを受けて、タイで小乗仏教の修行経験のある一人の日本人僧侶が以前から大乗仏教に批判的な立場から、中乗仏教というものを立ち上げて、その修行の場として寺ではなく老人ホームのような場を提供することになる。その施設に一人の若者、田中誠二が入ることになる事が始まりとなる。
田中誠二「今回仕事内容を聞いてからこの施設で働いてみたいと考えています」
受付嬢「どういった事がお聞きしたいですか?」
「流れを」
「まずこの施設で働く人は2つに分けられます。1つは入信する必要はないですが、するなら小乗の在家信者のような扱いです」
「お経を唱えたりする日本の仏教の在家信者とは違うと言う事ですね?」
「そうなります。もう1つは、ここで仕事をしながら修行も行い住み込みで働く修行僧のような人です。ただしこれは普通の仕事と違います。もし還俗して社会に出て働くことを希望の場合、退職時に今まで働いたお金を要求などは出来なくなります」
「えそれ仕事なのですか?」
「はっきり言えば仕事じゃないです。本来20、30代の若者はこの施設で僧侶になれません。その例外措置なので、後で後悔しても困るってのがあります。もし保険が欲しいなら十分にお金をためて、再就職の期間の貯金ぐらいは何とかしておくべきです」
「それ何か問題になりませんか?」
「何分宗教ですからね。あくまでこの施設で働く人の例外的な人です。この施設を作った僧侶の方が大乗は問題だと考えて途中から小乗を選択したのですが、それもまた問題だと、大乗が出来た意味がやっぱりあるわけで、それが小乗の問題そのもので、寄付じゃなくて、実際金を持った人が死が身近になった年齢で自分の金で修行してはどうか?となってこの施設が出来ました」
「お金ですか?」
「もっと言うと生産活動ですね。修行してると生産活動が出来ない。生産活動してると修行が出来ない。どうしたものか?と、んで過去よりも経済基盤がしっかりしてるので、生産活動=お金になってるので、お金があれば解決するわけです」
「ただこれは大きな問題になるのですが、お金はあればあるほど良いです。ゆえに法律改正で安楽死が認められたため、悟りを開いた人は、要介護になるなら死を選ぶのもあるのでは?となり、その分老後必要だったお金は教団にストックされるわけです」
「それ無茶苦茶問題じゃないですか?」
「ええだから、この点の厳格さはものすごく丁寧に管理されています。ただ大乗仏教が生まれざる得なかった背景を考えると、こういう大きな問題があるわけで避けて通れない部分があります」
何だこの人?確かにここで説明を受けないと僕の覚悟は決まらない、だがちょっと詳しすぎやしないか?
「ひょっとして入信しています?」
「はい、僧侶じゃないですが、在家信者です」
「ああそれで」
「一般的な感覚だと案内でこれだけ詳しいと引いてしまいますよね。この施設の仕組みを知ると詐欺集団だからこういう人が居るのか?まで発展しかねない疑惑があったりもします」
「本来なら保険ってのは良くないのかもしれませんが、僕は住居も引き払って住み込みをしたいので、中途半端な在家信者の立場じゃなくて入りたいんです。もちろんあなたを批判してるわけじゃないですよ」
「いや僧侶の方が仕事量は減りますよ?それゆえに貯金ないのですから」
「最低賃金とか問題になりませんでした?」
「ああその点大乗仏教に関する法律がすでにあるので、その辺りをこの新しい宗派に合わせていろいろしたそうですが、私はそこまでは知りません。結局若者は基本採用しないと言うのがあります。この施設で働く若い人の圧倒的多数が在家信者だと思ってください」
「在家信者から始めたほうが無難と言う事ですね?」
「ただしその場合住み込みと言うのは無いですよ?そんなにもらえないので金銭的苦労はすると思います。無収入よりマシと言うだけで住居や食事生活の一切までを考えると思い切っての気持ちは分からないでもないです」
「分かりました、弟子として入信します」
思い切ったというか、そもそも既存の寺に弟子入りを考えていて、ここでは労働に値する部分が絶対発生するって点で特殊なだけで、弟子と言うのが基本無収入は知っていた。
悟りを開いたと自称してる僧侶も死ぬわけではなく、あくまで要介護を必要とするその時期までは生きている。そのため自分の必要量の仕事を終えると、その人たちといろいろと対話可能だが、敢えてごく少数の先輩に話を聞いた。それはこの施設について仏教的視点からの意見が聞きたかったから。
悟りについて語るための人にはそのためまだの人に伝える時間がある。それを邪魔したくなかった。僕が今聞きたいのは多分ピントがずれてる。疑ってるのか?なら疑ってる。だが既存の大乗仏教の寺よりは何倍もマシだから入っただけで、どれだけマシなのか?確認したいんだ。
先輩「君から質問が楽ではあるのだが、そもそも君はこの組織の情報が無い、それゆえ私の経歴を交えて流れを話そうと思う。私は元々は普通に日本の修行僧だった。意味は分かるね?」
誠二「大乗仏教の修行僧だったと言う意味でしょうか?」
「そうなる、先輩風を吹かすつもりはない。君の経歴は大体把握してる。年も大きく年上と言うほどでもない。そもそもだ、そういった俗世から離れた姿が修行僧のあるべき姿だと思うのだよ」
「まあじゃそういう事で」
「すでに僧侶として活動していたのがこの教団の創始者なら、私は良く似てるが自分でも当時は半人前だったと思う。今ではそれで良かったと思う。他の宗派の否定はいけないが、批判するべきだと考えている。存在価値が無いとは言わないそれで救われてる人もいる。ただそれで救われない人のためには批判をしなくちゃいけないんだ」
「この教団は小乗に近い。だが小乗ではない、仏教の歴史はある程度は知ってるね?」
「はい」
「ならその前提で話すけど、竜樹が起こした頃に戻ってやり直す、それがこの教団の第一の目的かな。小乗は問題解決をせずそのままやった結果が今の形だ。だからって竜樹の解決はあまりに酷かった。大乗の経典を小乗では儀典と言う人もいるが私もそれに賛成だ」
「僕もです。なんか滅茶苦茶ですよね」
「ただあまりに過度に使用される輪廻転生自体は仏陀もまるでその存在を否定してない」
「それは神学論争になるかじゃないですか?」
「そうじゃない、私も昔はそう思っていた。だがそれにしてはこれは常識としてもう何の抵抗もなく使ってるなと分かるので、その点は大きな問題が無かった点と、当時の常識だから社会的時代的価値観に引きずられたな」
「そういうのなさそうな人ですけど」
「大きな問題が無いからだ。一見問題に見えるが、なんというのだろうか、2乗する虚数に似てるんだ。計算途中で出てるが、最終的に2乗されてー1として処理されてるんだ。これはあくまで比喩だからね。実際これ真面目に考えると、じゃ虚数使う必要なくない?ってなるから。例外的な一部の計算で2乗してー1として消えてしまう計算もある」
「だが仏教はその計算がごくごく一部の例外じゃないだけ」
「最終的にもっと輪廻転生で否定したい部分は否定してるから、あっても問題ないんだ。天国への執着の否定だな、ただしこれは西洋の物とは違う。バラモンの天国は別の世界への生まれ変わるため死があるんだ。永遠に天国と言うゴールの世界じゃない。その点本当に天国なのか?となるが、これは輪廻転生が悪事から人を縛るための物だったからだろうと見てる」
「どういう意味です?」
「どっちかと言うと悪事、問題のある業の積み重ねによって悪しき道に落ちる方がメインなのかと思う。ただご褒美もないと頑張らないだろ?」
「なるほど」
「偉い坊さんは否定すると思うが、浄土真宗の浄土ってこの天国のようにとらえてる人多いかなと見てる」
「ああそんな感じしますね」
「数多くの後付けのヒンズーからの流入が多い大乗だけど、これは在家信者を騙して入信させるためだと思う。この西洋との違いが大きくて、このせいで現世の生とあまり変わらないと仏陀は見てるんだ。ゆえに天国さえも否定して、輪廻からの解放を軸にできたんだよ」
「ああ輪廻の否定と輪廻の解放、はっきり違いはありますが、確かにやってる事は似ていますね」
「まあ天国や地獄などの6道へ行く結果が気になって執着のようになる苦痛からね。当時じゃなくても、こういった妄想めいた思想は論理の遡上に乗らないが、確実に執着の原因になるから処理しておかないといけないんだ。だから輪廻転生は仏教の大前提だと言って良い」
「大乗の問題はこれを利用する点なんだよね…、儀典の話はここまでで良いかな。竜樹の中論自体も結果論だという点がある。今量子力学の常識から先見の明があったと言われてるのだが、私はまぐれたあたりに過ぎないと思ってる」
「一つだけ、これは素晴らしいってのは、竜樹より仏陀の視点で、物質の境界線の無さかな。これは西洋では真逆の思想で、しかも仏陀は確信的にこれを話してる。アートマンに否定的だから。ただ竜樹がまぐれ当たりだと言うのは、仏陀はこれ死体の火葬や腐敗、氷や砂の彫像のようなものから連想してる」
「これ化学的変化で、根幹の原子は永遠不滅だからアートマンにむしろ近いんだよ」
「当時分かるわけないから、まぐれ当たりとして発想は素晴らしいぐらいに捉えておくのが良いのかな?」
「うん、発想と検証が別個なので科学は優れた知見が多かったと思う。西洋の原子論に対して、発想はやはりかなり優れてるな。万物流転はギリシャ哲学にもあるけど主流にならなかったのは当たり前か、インドでも議論が多かったのだから。発想のすばらしさは手放しで褒めらるけど、先見性については先ほども話した通り、まぐれ当たりなので」
「まあそこは重要じゃない、大事なのは、量子もつれだね。まぐれ当たりでもハズレではなかったのだから」
「じゃ仏陀が量子もつれしてるとなるのですか?」
「無いね、仏陀自身空はかなり気に入ってて一生否定することはなかった。むしろ年を食ってさらに実感してた。大事なのはこの仏陀が最後まで説法を捨てなかった。何故か?」
「空から悟りを導く存在になるなんて論理考えてなかった」
「そそ、おそらくだがこれ、欠席裁判…、仏陀は竜樹に利用された。生きてたらどう返すか見ものだよ。だってそれは仏陀がずっと自身にはないと否定してきた超常的な力に近いのだから」
「仏陀が生きてたら肯定してくれるって希望的観測による、故人に対する悪用だね。結局ね目的ありきの論理が大乗仏教の論理的なプロセスの失敗だと思う。ただここで、うちの教団の話に入る。大乗の問題は、在家信者が救われないって点をあまりに安直な方法で解決した点。その未だ小乗が抱えている問題の解決したいって動機自体は否定されるべきじゃない」
「ああそれで過去に戻ってやり直しですか」
「うんそうなる。法律改正で踏み切ったわけだけど、じゃこの教団は人の死を利用して金儲けしてるのか?ならそれは違う。単純に金儲けじゃない。仏教ってそもそも組織が全く向いてない。何故か分かる?」
「いえ」
「組織って生き物とよく似てない?人がまさに細胞。細胞が入れ替わっても組織全体は残る。問題は組織って例外なく、存続のため強い執着を持つことが多い」
「ああその手の事って美談より醜い話の方が多いですね」
「人の命に比べて、組織って執着から来る害をまき散らすぐらいなら壊してしまっても良いんでは?ってより強く思えるからね」
「じゃ矛盾に対する両立のためですか?」
「うんそうなる。かなり余裕がないと教義に忠実なほど組織として不味い事になるからね。問題は運用する実際の個人が私腹を肥やす事だよね…」
「そこは温床になるのですが、どうにかするしかないですね」
「かつかつで頑張りすぎると、信長に滅ぼされた仏教組織に似てくるからね。あの人たち普通に商売の欲得で動いてるからね。お金の工面を坊主が頑張っちゃダメなんだよ…」
「一見酷い命を金に換える行為に見えるが、そうじゃない方法ならもっと酷い事になるからですね?」
「そそ、多分安楽死が無くても成りたつ。プールするお金を増やすため、普通なら未来のためのプールは税金でごっそりになるけど、それは宗教法人なので…」
知る事で後悔にならずにやっぱり思い切ってよかったと思えた。こうやって様々な中の人と話す事でよりその気持ちが強くなっていけば良いな。ただこれは余談に過ぎない悟り自身は小乗のように自分で成し遂げる必要があるのだから。それは今回の対話でさっぱりだった。
先輩も当然そんな事は分かってて話してくれたし、一応聞いてみたら、悟ってないし、普通に死が怖いよって言ってくれた。そもそも何故若者原則禁止なのか?で、今すぐに迫ってるって死を感じないからだろうな。年食った人も同じだが、だがそれでも若者よりは、いつ死んでもおかしくはないって気持ちは確実に強くなるだろう。
そういう話はすでに年配の人からたくさん聞いている。皆が皆悟って死ぬ施設じゃないのだ…。




