S.S お主も悪よのう
儂の目の前には、バザール・セールス男爵領で昨年仕込まれたブランデーの一年物、そしてバザールの町長が最初に儂に持ってきた時の仕込みで三年物のブランデーの容器が並んでいた。どちらの容器も素晴らしい造形になっておりこれだけで芸術品のようだ。
勿論中身はもっと素晴らしいのだが。
「セバス」
名を呼ぶだけで意味を理解した執事が働き、一年物と三年物のブランデーをそれぞれのグラスに注ぐと、毒味を済ませて儂の元へ。
並んだグラスを見ると良くわかるが、一年物はまだ色も薄く僅かに色付いている程度だが、三年物は琥珀色に色付いておる。
「どれ」
一年物を手に取り、口元に運ぶ……強いアルコールの臭気に、僅かに香るフルーティーな香り。だが、これまでに飲んだ事のない酒で、美味い酒である事は間違いない。
次に、三年物を手に取る。ふと顔を上げると、執事の目がジッとグラスを見つめておる。グラスを口に運ぶと、アルコールの香りもあるがフルーティーな香りとフレーバーが口の中を満たす。
「三年で此処まで変わるものか……」
「如何でしょう」
それまで控えていたバザール・セール男爵が話しかけるが、この場所で礼儀などは問題にはしない。儂と執事と男爵の三人しか居らぬのだから。
「素晴らしいな、特に三年物はどれだけの値を付ければ良いのか分からん程に最上の品だ」
「ありがとうございます。しかし、この三年物はゴウが持っている樽の分しかございません。伯爵様にお届けできるのは、こちらの一年物をもう二年。待って頂く必要があります」
それを聞いて一瞬怒りを覚えるが、元を正せばゴウがこの酒を最初に作り、儂の元に届けさせたのが始まりなのだ。そこから一年掛けて蒸留所を作り、昨年からやっとウイスキーとブランデーの生産を始める事が出来るようになったのだ。
「それから、こちらを伯爵様に見て頂きたく存じます」
男爵が横に置いていた書箱を持ち上げて執事へと渡す。執事が中身を確認し……おい、儂へ渡さんか。
「セバス?」
呼ばれてハッと気が付いたセバスが、手紙を渡してくる。
「なになに? ブランデー先物取引証書? 何だこれは……」
書いてある内容にさらに目を通すと。なるほど、ブランデーを樽で購入し、希望する期間熟成させたブランデーを自分の物として取って置けるのか。
期間は……五年、十年、十五年に三十年!
一樽で、このブランデーが入っている容器で二百本分入っているそうだが。それぞれ金額が、五年で金貨百枚、十年は金貨三百枚、十五年は金貨四百枚で、三十年が何! 金貨千枚だと!!
「おい男爵よ! これはいくら何でも取りすぎではないか?!」
「いえいえ、伯爵様。これでも大変お手頃な金額になっているのですよ? 考えてみて下さい。三年物でもこのブランデーの価値は幾らになるか。それを売らずに五年、十年私共は寝かせて保管しなければなりません。それを更に三十年ともなると、例え金貨千枚だとしても欲しいと言う人は大勢いるでしょうね」
男爵は、これでも安いと言い放ちおった。さらには……。
「樽で寝かせているブランデーは、その年数に寄って中身が減ってゆきます。それは酒の神様の取り分として自然に減ってゆく物なので、三十年以上寝かせたブランデーは、この容器で百程に減ってしまうだろうと言うのがゴウの説明です」
金貨千枚で、この容器で百しか取れぬのか? ブランデー一本が金貨十枚……?
「待て……三十年寝かせたブランデーが一本で金貨十枚とは安くないか?」
「はい、ですからそう申し上げております」
したり顔の男爵だが、金貨十枚で三十年寝かせたブランデーが手に入るのだ。それは安いと言って良いだろう!
そう思い執事の顔を見るが。執事は渋い顔をして首を横に振る。
「何故だセバス! この酒の三十年物だぞ! それが僅か金貨十枚で手に入るのだ、とても安い買い物であろう?!」
「ご主人様……この酒は、今買われても三十年後にしか手に入らぬ事をお忘れなき様。しかも、三十年後であれば、我々の口には到底入りませぬ」
「何故だ?!」
「我々の年齢にございます」
年齢と言われてハッとした、儂の年は四十七になる。三十年後は七十七!? 何処の化け物爺だ。となると十年物でも自分の口に入るか厳しくなる、三十年物は孫にでも贈れと言うのか!?
「男爵よ、この三十年物には何の企みがあるのだ?」
男爵は、ゆっくりと姿勢を正し話し始める。
「これも、ゴウからの入れ知恵なのですが……」
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何と! この先物取引証書を持っておれば、誰であろうと記載された年数以降にブランデーの樽を受け取る権利が発生する。希望すれば樽から瓶詰め、独自のラベル付けまで行えるが。必ず蒸留所の名前と年数は誤魔化さずに書く事。瓶も一本金貨一枚から用意する。そして何より、この証書については所有者の名前は記載されず途中の売買は持ち主に権利がある。
「つまり、途中で誰に幾らで売ろうが、問題ないと言う事か」
「はい、例え伯爵様が国王陛下に金貨一万枚で売っても差し支えありません」
「いちまっ!?」
例えの金額がおかしいであろう?!
「それでも三十年物のブランデーが金貨百枚ですよ? この国どころか、他国も含めて何処にもない三十年物のブランデーです。金貨百枚程度の価値で収まりますでしょうか?」
男爵め、この男は何処まで考えておるのか、いやこの場合はゴウの考えか!
「まずは伯爵様、どれを如何ほどご用意致しましょう?」
ぐぬぬぬぬ、この腹黒男爵め!
「私は、五年を一樽お願い致します」
「セバス!?」
何とセバスが主人の儂を差し置いて、男爵に交渉しおった!
「まてまてセバス! 儂を置いて何を言っておる!」
慌てて儂も考える。
「セバスよ。三十年物の証書は然るべき所に売るとして、他に売れる場所はあるか?」
それからセバスと共に証書の取り扱いについて議論し、アストリア伯爵家として金貨五千枚分、五年を十一樽、十年を三樽そして三十年物を二樽注文する事にした。
セバスによると、一昨年までの蒸留所とガラス工房への資金提供でかなり公庫の金貨が減っておったが、三十年物を王家に金貨一万枚で売れれば、ここで五千枚を使っても十分に元が取れるとの事。
「フッフッフッ。セバスよ、お主も悪よのう」
◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆
その日、バザール・セールス男爵の応接室には、ある領の領主と執事が訪れていた。
「この度は、領主様直々に足をお運び頂きありがとうございます」
上等なソファに座ったままだが、深々と頭を下げる男爵。
「いえ、爵位は上と言え、傾きかけた家の領主です。今日の要件も少しでも金になればと思い、恥ずかしながらお伺いさせて頂きました」
「では、拝見させて頂きます」
執事が差し出した書簡に入っている証書を取り出して内容を確認する男爵。手元の何かのリストと照らし合わせ頷くと。
「間違いなく、我がバザール・セールス領で発行したブランデーの先物取引証書ですね、確認させて頂きました」
そう言うと、証書を書簡に戻して執事へと返す。ホッとした表情の領主と執事。
「この証書は、亡くなられたお祖父様の隠し扉の中から出てきたとか?」
「そうなのだ、父にも知らされていなかった祖父の部屋のある場所にあった隠し扉をたまたま見つけてな。それでもウイスキーやブランデーの先物取引証書など、今では何処の蒸留所を持つ領主は行っているありきたりの物、だがバザール・セールス領の物と言うのが万が一と思ってな」
男爵はふと頭を上げて遠い目をすると。
「そうですね、先物取引証書など今では何処の蒸留所でも行っているありきたりの方法です。数十年前、我がバザール・セールス領の初代男爵、私の曾祖父様が始めたと聞いております」
「それでは」
「ただし、残念ながらこの証書にある三十年物のブランデーはご用意出来ません」
男爵の話を聞き、立ち上がり怒り出す領主。
「何だと! その証書には三十年後にブランデーを一樽引き渡すと書かれているではないか! その方は、その約束を守らないと言うのか!」
その様子を見ても、全く慌てる様子もない男爵。
「落ち着いて下さい領主様。この証書に書かれているのは今から四十年前の日付、領主様にお渡し出来るのは四十年物のブランデーとなります」
怒っていたかと思うと、急に真顔になって腰を落とす領主の男。
「よん、じゅう……ねん?」
「左様で御座います。バザール・セールス蒸留所にて管理しておりました三十年物の最後の一樽でございます。十年お待ちしておりました、無事に引き取りに来て下さって感謝申し上げます」
再度、深々と頭を下げる男爵。
その後、樽の引き渡し方法などの話を纏めて契約し、領主はホクホクした顔で帰って行った。
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翌年、王室の謁見の間ではこの世界に一樽だけの四十年物のブランデーが献上されると聞いて各地から領主が集まっていた。
「ウォルター子爵、前へ」
大勢の貴族の目に晒される中、緊張してガチガチになった子爵が王の面前へと進む。
粛々と献上品の目録の読み上げ、王からの言葉が進むなか貴族のやっかみの言葉も漏れ聞こえてくる。
「うまくやりおったな」「子爵如きが」「バザール・セールス男爵もこれで幾ら儲けたのやら」「いや男爵の所は四十年前に受け取った金貨千枚だけで、他は容器やラベルの費用しか貰ってないと聞きたぞ」
ウォルター子爵は、近年金策に追われていたが。この功績による王からの褒賞で領の復興を果たしたと言う。
◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆◇◇◇ ◆◆◆
「あれから十年か……感慨深いな」
王城での謁見が終わり、アストリア家も領地へと戻って来ていた。我が伯爵家も献上されたブランデー七十本の内、三本を褒賞として頂いたのだ。
「十年前ですね、お祖父様が亡くなられる直前に三十年物を飲ませて頂いたのは」
息子と共に四十年物のブランデーを目の前にして、儂も十年前を思い出す。
父上は、三十年前に買ったブランデーを一口でも飲みたいと言う意地で七十七才まで生きた。そして、本当に一口飲むと「甘露だ」と言葉を残してポックリと亡くなった。
「まさか、四十年物を飲めるとはな」
十年前に樽を開けたブランデーは、瓶詰めして手元に残す分以外は、献上したり隣領との友好に利用し。残りは噂を聞きつけた商人へと売り渡し、我が領の蓄えとしてかなり潤して貰えたものだ。
そのブランデーもとうの昔に無くなっていたので、本当に久しぶりに口にする。もちろん五年物や十年物は証書を購入していつでも手に入る様にしているが、これは四十年なのだ、香りを嗅げば父上も墓から出てくるのではないだろうか。
家宝になっているブランデーグラスを持ち出し、三つのグラスにブランデーを注ぐ。
「親父よ、四十年物だしっかり味わってくれ」
S.S追加公開致しました。
今回は大人な話題となっています。
ゴウの活躍はありませんが、長い目でゴウの働きが役に立っていると言う事で。