「真の愛で結ばれた相手がいるから一年のみの結婚だ」と言う奴に嫁ぐあの子が可哀そうだから、俺が変装して嫁いでやる
緩い設定の平安時代風の世界観です。
久遠元年、早苗月の終わりごろ。
白藤の当主 満の君とホタルの結納の義が行われた。
参列者は少ないだろうと思っていたが、結構な人数が揃っていた。なんと帝の家臣まで参列している。
さすが帝よりも金と武力のあると豪語している最大派閥 藤派を率いる一族。仮初で一年契約の結婚だとしても、質素にやるつもりはないらしい。
白藤の当主 満の君……、もう『の君』なんてやめよう。俺と同じくらいの年ほどの満の野郎はものすごく面倒な顔で白無垢姿の花嫁を見ている。来賓の方がいるんだから、ちょっとくらい演技しろよ!
そして満の野郎はチラッと奥の来賓席にいる白と桃色の白無垢のような十二単を着て、顔には絹を被った女性を見る。何となく嫁ぐのは私だと言わんばかりの衣装だ。
満の野郎の目は、その女性を愛おしそうに見ている。まるで名残惜しそうで、そちらに行きたいのが丸わかりだ。演技が出来ない、素直な奴と言えるんだろう。
厳かな雅楽の曲が響く室内で、花婿である満の野郎と花嫁は神主の所へと向かう。神主もしっかりした口調で祝詞を言い、粛々と、厳かに行われている。
だが目の前にいる花婿である満の野郎も知らないし、来賓もきっと普通の結納としか思っていないだろう。
真実を知っているのは俺とホタルだけ。
そう、花婿の満の野郎に澄ました顔して隣になっている花嫁は、ホタルじゃない。俺、セツナ。
つまり男だって事だ! フハハハハハ!
本当に愛している人間は別にいるのに、こんな女と結婚しないといけないなんて、と満の野郎は思っているだろうが、お前の横にいるのは男なんだぞ! やーい、満の野郎の阿呆!
*
さて、俺は決して男色〈現代で言うゲイ〉ではない。これは俺が愛するホタルのために行った勇気ある身代わりだ。
まずは久遠と言う女帝について話そう。
花の香りが溢れる都、イヅル。国を治める帝とその家臣たちが住まい、政治を行う場所だ。
先代の帝は本妻の子供を二人ほど生んだが一人は清らかに育たず、残りの一人が次の帝となるのだが、その子は後の久遠の君と呼ばれる女の子だった。
女の子でも帝になれるのだが、数は少ない上に周辺諸国や別の家臣から軽く見られてしまう。
そのため彼女を帝にするのを反対する者も多かったのだが、先代は彼女を次の帝と宣言していた。
だが困難は続く。先代が三年前に亡くなってしまい、その時点で彼女はまだ成人していなかったのだ。その場合、摂政〈幼帝の代わりに政治を取り仕切る〉を行う。死ぬ間際、先代の叔父で信頼していた家臣 夜桜 十六夜にお願いした。十六夜も帝の子が成人になったら、彼女に政治を譲ると明言した。
これで彼女の地位が確立出来たとはいかず、相変わらず女が帝に……と重箱の隅をつつくような理由を言う奴から彼女の命を狙う奴と言う不届き物が多かった。
そして事件が起こる。
去年、イヅルの皇居で祭りを執り行っていた時、久遠を狙った矢が放たれたのだ。矢は久遠から外れたが久遠の世話をしている女の童 ホタルに当たってしまったのだ。
ホタルは一週間以上も熱が下がらず、久遠が帝についても穢れが残ってしまった。
穢れと言うのは病や呪いなど広い意味でつかわれる。ずっと春になると鼻水がずっと出ているとか、毎日頭が痛くなるなどの病から、ホタルのように容姿が変わる、奇妙な能力に目覚めるなどの奇々怪々のものまで、様々だ。そしてほとんどが原因不明だから人は避けてしまうのだ。
イヅルは穢れを嫌う者が多い。別に感染する訳ではないのだか、やはり穢れが無い清らかな者の方が良いと言われている。
だからここでは穢れを持つ者は表舞台に立たないで裏の仕事か雑用の仕事をするか、イヅルから出て行くかのどちらかだ。
ホタルが奉公に出された時からよく話していた。というか俺の方がずうっと愚痴を喋って、ホタルがその話しをニコニコと聞いていた。黙々と仕事をして優しくて良い子だった。
こんな子が穢れを受けてしまって、俺は悲しかった。
「あたしね、多分、イヅルを、出ると思う」
拙い口調でホタルは他の建物と隔離された居住の一部屋で座って俯いて話し出した。
「こんな、姿じゃ、もう、ここではお仕事が、出来ない」
「……じゃあ、どうするんだ?」
「あのね、穢れの人が、集まる島があるん、だって。だから、そこに、行こうかな、って」
穢れの者達を集めている島と聞こえがいいが、俺的には体のいい島流しにしか聞こえない。どんな島か分からないけど、一人でホタルを行かせたくなかった。
「分かった。俺も行く!」
「え? だってお仕事は?」
「仕事もやめる。どうせ、下働きばっかりでつまらないし」
「……でも、どういう島か、分からないし」
「だからだよ! そんな島にホタル一人で行かせたくない。だから一緒に行こう!」
俺がそう言うと笑ってホタルは頷いた。
ところがである。俺が仕事をやめた日に、白藤のクソ野郎の使者がやってきたのだ。
「ああ、久遠の君の女の童で穢れの負った者の家か?」
「おう、そうだが」
「ちょうど良かった。では、これを渡してくれ」
そう言って手紙を渡すと使者はそそくさと帰って行った。
早速、ホタルと俺は手紙を読んだが、これが長くて大変だった。要約するとこんな感じ。
【お前が穢れを負った祭りの時に警備をしていたのは白藤の者達だった。そのせいで周囲の者達から責任問題を問われていて、非常に煩わしい。更に帝の久遠の方が、あのままだと哀れだと非常に嘆いておられて肩身が狭すぎる。
だから非常に不本意ではあるが、身寄りがなく帝の代わりに穢れを負った不幸なお前を白藤の当主 満の嫁にしてやる。
ただし、一年のみだ。
それは満には許嫁の真の愛で結ばれた緑藤の桔梗の方がいる。帝の側室の子供で非常に優秀な方なのだ。今年、結婚するつもりだったが一年待ってくれると約束してくれた。
だから一年後、お前とは離縁する予定になる。
祭りなど嫁と一緒に同伴しないといけない時は仕方がないがお前を連れて行く。
だがそれ以外の仕事はやらなくていい。というか満の君の前に立つな、会うな、部屋で引っ込んでおれ。ついでに子作りについても心配しなくてもいい。するつもりも無いからな。
そして一年間、問題なく務めたら、生涯世話をしてくれる仕事場や婚約相手を探してやろう。
不幸なお前のため結婚を一年も待っていただく高貴な桔梗の方に感謝して、一年間嫁として精進しろ。
明日、白藤家に来い】
悪意があるから、こんな要約になってしまっているのかもしれないが最低にも程がある。
こんな愛もクソも無い恋文〈現代で言うラブレター〉には周りが煩わしいからお前と結婚してやると嫌な気持ちが、文面と行間から溢れている。
そもそも! 責任があるんだったら【ちゃんと警備できなくて済まない】くらいの一言書いておけ! というか! 仕事場の移動を命令する感じで明日、来いとか書くな! そして一番、言いたいのは! ホタルの名前くらい調べて書け!
と、読んでいて腹正しい恋文だった。
「これはいかないといけないね」
ホタルも読み終わり、ちょっと悲しそうな顔でそう言った。
「久遠様の名前が書いてあるし、ある意味、あの方の命令なんだと思う」
「そうか? 帝の命令は絶対だけど、直接言われていないだろ?」
「だけど面子〈現代で言うプライド〉ってものが白藤の当主にもあるでしょ。もし、行かないで久遠様直々は私に命令じゃ無いけど、お話しするかもしれない。そうなると白藤どころか藤派の人達は嫌な思いをすると思う」
帝は久遠になったけど、まだまだ不穏な気配はある。ホタルに当たった穢れの矢を放った者は自害しているが、こいつがすべてを計画したわけじゃないだろう。恐らく裏でほくそ笑んで暗殺を考えている奴がまだいるかもしれない。
そうなると、帝と家臣との間に不穏な空気が流れているのは不味いだろう。
だが最大派閥である藤派を率いる白藤の当主の嫁。一年間限定とは言っても、ねえ……。
「……よし! 俺が嫁になろう!」
「……? どういう事?」
怪訝そうな顔でホタルが聞いてきたので、「だから、俺がホタルと偽って嫁に行く!」と言うと目を丸くしてホタルは「ダメだよ!」と言った。
「絶対にバレちゃうよ!」
「大丈夫だろ。祭りの時だけ同伴で、それ以外は部屋で引っ込んでいろって書いてあるんだから、ほとんど外に出なくてもいいんだよ。それにホタルの穢れが何か知らないようだし」
「それでも!」
「お前だって嫌だろ。こんな上から目線でしょうがねえから結婚してやるって言ってくる奴に嫁ぐのは。それにホタルの姿を見たら嫌味の一つや二つを言うだろ、あいつら」
「……それは、そうだけど」
「だから俺がホタルの代わりに嫁として行くよ」
「えー……、それは不安しかない」
ホタルを説得するのには時間がかかったが、女の童として一緒に行く条件で納得してくれた。
*
結納が終わり、来賓たちは宴会をしているが俺は「具合が悪い」と言ってすぐに退出した。嫁が居なくても来賓たちや使用人たちはどうでもいいらしく、酒などでご機嫌に楽しんでいる。
何はともあれ、俺が男と分からずに済んだ。
「誰も分からなかったよな、俺って事! いやあ、面白かったな。ホタル」
「セツナ、私はずっと怖かったよ」
俺は白無垢を脱いで簡単な着物を着て顔を隠すための布を被って、すぐさまホタルと一緒に用意されていた屋敷に入った。
白藤の屋敷の隅にホタル専用の住居があった。ホタル専用の屋敷は元々穢れなどの病の人間を隔離する屋敷のようだ。
白藤家の屋敷は、帝邸と同じくらいの広さの寝殿造り〈複数の建物によって構成されて、土塀に囲まれた敷地内には池などの豪華で広大な庭がある屋敷〉だ。
庭には豪華で美しく手入れされた藤の花が見事らしいが、ホタル専用の屋敷では見られない。というか日の当たらない隅っこに佇んでいる上に、誰も見ねえだろってばかりに周辺は手入れされていない。
表だけ美しくしているだけだな、と思った。
寝室に布団を敷いて胡坐で座りながら空を見上げる。まだ日が高く、幽かに宴会をしている人達の声が聞こえてきた。昼間からお酒か、いいな。
「……俺もお酒が飲みたいな」
「お酒は持って来れるか分からないけど、宴会の残りをもらえるか聞いて来るね」
そう言ってホタルは屋敷を出て行った。
ホタルが出て行った後、俺は大あくびをした。結納の義の準備は日も出ていない朝早くから、やっていたので眠くなってしまった。
宴会の残りをもらってきてくれるホタルには悪いけど、ちょっとひと眠りするか。
そう思って横になって俺は目をつぶる。
うつらうつらと目を閉じると俺は夢を見ていた。最悪な事に文〈現代で言う手紙〉運びの仕事をしている時だった。もはや面倒くさいので塀の上を走って運ぶ。
パタパタと走って行くと俺が塀の上を走っているのを見て、眉をひそめている奴もいた。
「あ、セツナ」
道を歩いているナズナが塀の上の俺を見つけて、目を丸くしていた。ヒョイッと塀から降りてホタルの所に向かった。
「危ないよ、セツナ」
「大丈夫、大丈夫」
ちょっと呆れたように「……もう」とホタルは良い、俺はえへへと笑う。
ホタルは「どこに行くの?」と聞いてきたので「文を届けるんだ」と言って宛先を言うとホタルは首を傾げる。
「セツナ、ここの通りにその方の家は無いよ」
「え? あれ?」
「また文違え〈文を間違ったところに送る事〉しているよ」
「あちゃあ」
ホタルは「私と一緒に行こう」と言った。
「あれ? ホタルは別の仕事があるんだろ? 遅くなるぞ」
「それよりもセツナが変な場所に文を出すのが怖いよ。それに急ぎの用事じゃ無いから」
そう言って俺とホタルは歩いていく。次の帝が女になるから大丈夫か? とかそう言った不安のような物があったけど、そこそこ平和だったイヅルの都。事件も穢れも無い、どこかで花の香りが風に乗ってやってくる場所だったのに。
昔の夢を見て楽しい気持ちになったが、同時に切ない気持ちにもなって、俺は目覚めた。
暖簾で隠された外を見ると空は暗く、西の方は幽かに赤かった。夕方か、もう。
その時、バタバタと足音が聞こえてきた。ああ、何だ。ホタルか。宴会の残りをもらう前に白藤の使用人共から色々と手伝わされて、時間がかかったのかもしれない
……ただ、足音が重い気がするけど。ああ、結構たくさんもらってきたのかな?
恐らく満の野郎は絶対に来ないはずだ。なぜなら子作りしないと手紙に書いていたんだから、そう言う行為をするためにこの屋敷には来るはず無いのだ。
そう思いつつ俺は再び、目を閉じた瞬間だった。
「誰だ! お前は!」
ホタルじゃない野太い声。目を開けると白藤の当主 満の野郎が立っていた。
ええええ! なんで満の野郎が来てんだよ!
*
何とも怒りに満ちた白藤の当主の前にして、ホタルは額を床につけて土下座をした。何となく頭と手足をひっこめた子亀みたいで愛らしい。もしくはこういう形で寝ている猫もいるよな。可愛い。
そう思いながら俺はホタルの隣で胡坐になって座っていた。
「んで? お前は何者だ」
満の野郎の質問に「ホタルだが」と平然とした態度で大嘘を言った。すると「そんな訳、あるか!」と満の野郎は怒鳴った。
「こんな態度のデカい元女の童が居てたまるか! 何者だ!」
「だからホタルだって! 俺は……、いや、私は……」
「あの、ホタル様は穢れの呪いで男性になってしまい、このような荒くれ者のような言動になってしまわれたのです」
いいぞ! ホタル! その言い訳! そう思っていると満の野郎はホタルをじっと見る。いや、ジロジロと見るんじゃねえ!
そして満の野郎は指さして「いや、お前がホタルだろ」と言った。
「いや……違いますよ」
「いや、絶対にそうだ! 先ほどお主は白藤の台所でお手伝いをしていただろ。穢れた嫁の女の童にしておくにはもったいないくらい、良く動いていたって使用人共が言っていたぞ」
「……違います」
「いや、絶対にそうだ! こんな手際よく動ける幼い女の童なんていないはずだ!」
立ち上がって俺達を見下ろして宣言する満の野郎にホタルは「はい、そうです」とゆるゆると額に床をつけて再び土下座をした。もう、すぐに白状するなよ……。
得意げな笑みを浮かべて満の野郎の「ふん、私は勘が鋭いからな」と言った。こいつの得意げな顔、なんか腹立つ。
再びホタルをジロジロと眺める満の野郎は口を開く。
「それにしても随分と小さいな。十も満たない幼子のようだ。確かにこれでは白無垢を着るのは無理そうだ」
「はい。私の穢れは幼くなる呪いがあるのです。だから姿を見せたくなかったのです」
「……なるほど。それで男を代役に立てたのか。……まるで意味が分からないぞ」
そう言って満の野郎は何かを考え込んで黙った。そして「とりあえず」と言った。
「そなたに穢れの痣があるか確認してもいいか?」
「え?」
「呪いの穢れがある者は、体に痣がついているはずだ。それを確認……ぐえ!」
最低な事を言い放つ前に満の野郎を俺は蹴る。体勢を崩した満の野郎はカエルの鳴き声みたいな悲鳴を上げて仰向けで倒れた。
「何すんだ! 貴様!」
「お前が何言ってんだよ! 変態が! こんな小さくかわいい女の子に、裸を見せろなんて言うなんて! そもそも子供を作らないんだから、ここに来るな!」
「裸を見せろなんて言っていねえよ! 痣を見せろって言ってんの! 幼いのは穢れのせいだし、ホタルは俺の妻だ!」
「違うだろ! ホタルは結納の義でお前の隣に立っていなかっただろ! お前の隣にいたのは、俺だあああ!」
犬同士の喧嘩の如く吠えまくる俺と満の野郎に「あ、あのちょっと落ち着いて」とホタルは仲裁に入った。
「あの満様。セツナについて話す前に聞きたいことがあります!」
質問をする前に俺の名前を出すんじゃない! ホタル! そう言いたかったが、ホタルは矢継ぎ早に質問をする。
「どうして私と結婚なんてしたのですか? 私は名のある一族の者でもないですし、久遠様の身の回りのお世話をしていたに過ぎません。満様に釣りあう身分では無いはずです。もし、私の穢れで後ろめたい気持ちがあっても、結婚相手か仕事先を紹介だけで十分なはずです。それなのに、どうして私を……」
「本当は私も嫌だった。だが……」
そう言って満の野郎はある事情を話しだした。
*
帝の住まいの斜め後ろにひっそりとたたずんでいる屋敷が夜桜邸である。決して目立たない場所であるにも関わらず庭はどこも手入れが行き届いている。
夜桜の当主 十六夜は庭で優雅に月を眺めていた。四十代くらいの細身の男性だ。
さて、この男を驚かすにはどうやろうか……と考えていたら「セツナか」と十六夜は月を見続けて、俺の名を言った。
「こちらに来なくていい。どうせ、門から来ず塀を超えて入ってきたから、使用人は知らないだろう。私と一緒にいる所を見つかったら説明が面倒だ。このまま隠れて話そう」
「フン。十六夜殿、この度の満の君とホタルの結納はどう思われました?」
「私の代理の者に話しを聞いたのだが、なんでお前が白無垢を着ていたのか疑問だった」
月を見ながら、不思議そうな表情を見せる十六夜。俺は「なんで疑問なんですか」とちょっと怒り気味で聞く。
「お前がホタルに惚れている事は知っている。そして誰かに取られるのはきっと我慢ならない。だからきっと一緒に白藤の家に入り込むだろうとは思っていた。だがどうしてお前が白無垢を着るのかが分からない。本当になんで着たんだ?」
「白無垢って女にとって特別じゃないですか。それなのに好きじゃ無いってはっきり言ってくる奴の隣で白無垢を着て嬉しいですか? 俺は嫌です」
「それはホタルがお願いしたのか?」
「いや、俺が着るって言って」
「……なるほど。だからお前が代わりに白無垢を。ふむ……。理解が出来ないな」
俺は「そうですか」と返した。もう理解してくれなんて思わないさ。
不貞腐れている俺に十六夜は「冗談はやめよう」と軽く笑って話し出す。
「二人の結納は葦の君の占い通り、と言ったところだ」
ここイヅルの都の貴族や帝は占いや言い伝えをかなりかなり重要だ。縁起が悪い日に当たれば仕事をしないで、家に引きこもるほどだ。いいご身分だぜ。ちなみに葦の君は宮廷占い師である。
「葦の君が占って、満の君にそれを教えたのですか?」
「そうだな。最初から婚約者の桔梗の君はやめておけと、満の君にずっと言い続けていた」
結婚相手の占いで決めるのは一般的だ。予め親や親戚、一族の者たちが候補を選んで占いで決めて、本人同士で顔合わせをするのだ。そして結婚が近づくと再び、宮廷の占い師に占ってもらって結納の日などの日程を決めてもらうのだ。
でもはっきり言って宮廷の占い師と言うのは牽制のような物だ。結納と言うのは貴族同士の結びつきを高め、いざこざになりかねない。
だが満の野郎は占いを信じずに、桔梗の君の結婚を推し進めていた。そもそも他の藤派も認めているようだ。占いなんて迷信で、宮廷の占い師がケチを言っているようなものだと。
「白藤の当主は桔梗の君と真の愛で結ばれていていると言って聞かない」
「別によかったのでは? このまま二人が結婚していても。真の愛で結ばれているようですし」
「この阿呆。このまま二人を結ばれてもロクなことにならない。現に帝が命を狙われた時、警備をしていたのは白藤だ。何かしらの災いがあるのかもしれない。だから桔梗の君の結納の前に、穢れを持ったホタルを結納させろ、そうすれば穢れの方に災いが引き寄せられる」
穢れは人に避けられるが、家の中の災いを引き付けて受けてくれると言われている。そのため災いが起こった家では、わざと穢れを持った人間に仕事をさせたりホタルのように期間限定の結婚をさせられる事もある。
白藤の当主 満の野郎も宮廷の占い師にそう言われて従ったが、かなり不満で延々とその愚痴を俺の正体がばれた時に聞かされた。
だからってなんでホタルが、と思っていると苛立った感じで十六夜は話す。
「お前、ホタルと一緒にイヅルを出ようと思っていただろ」
「出ちゃいけないのか? 久遠は帝になれたんだから、もういいだろ」
「この阿呆。帝になれたからと言って、その地位が揺るぎないと思い込むなよ」
十六夜は更に厳しい声で言う。
「もし久遠が居なくなった際、誰が帝になるのか考えろ。そしてあの時の先代の帝の言葉を忘れるな」
「……はい」
そう言われたら従うしかない。
「それにせっかく藤派の屋敷に入り込めたんだ。お前の絶望を背負わせた犯人でも捜せ」
「はい」
十六夜は「下がれ」と言ったので、俺はすぐさま夜桜邸を出て行った。俺が言いたいことを全然言えなくて少し腹立つし、ホタルは災いの身代わりとして嫁にされたのは可哀そうだ。
そして白藤は俺が思っている以上にヤバいようだ。
ホタルのいる屋敷に変えると満の野郎は帰っていた。駆け寄ってきたホタルの頭を撫でる。
「お帰りなさい。セツナ」
「ただいま、ホタル。満の野郎はまた来なかったか?」
「来なかったよ。宴会に戻ったみたい」
ホタルが持ってきた宴会の残りを二人で食べながら、満の野郎と十六夜の話しをする。
「桔梗の君と結婚すれば災いが起こる。それを避けるためにホタルと結婚した。まあ、聞こえはいいけど、宮廷の占い師、帝の周辺が桔梗の君を怪しんでいるって事だよな」
「帝に何かあった場合、つまり久遠様が居なくなってしまうと次の帝は……って事になります。恐らく次の帝は夜桜様になりますが辞退するでしょう。すると次の帝は……、桔梗様の兄上になりますね」
「そうなると藤派がさらに強固になるな」
そう言いながらホタルと俺はため息をついた。
帝は側室との間に男児はいる。だが帝が久遠を帝と決めた後、彼らはイヅルを出てお寺に出している。帝からの命令で無駄な権力争いを避けるためらしい。
だが久遠に何かあればイヅルの地に戻ってくるだろう。そして苛烈な権力争いが勃発する。争いが無くても帝の世話をしている周辺の者達が、お役目御免で出て行かないといけないかもしれない。
*
結納の義を終えて数日、ホタルは満の野郎が用意した屋敷の掃除や白藤の屋敷のお手伝いを始めた。別にしなくてもいいじゃね? と思って俺は屋敷でゴロゴロしていたら、満の野郎がやってきて使用人の服を放り投げられた。
「何すんだ!」
「妻が幼くなっているから、男を代役に立てたと言う事は無理やり納得した。どうせ期間限定の結婚だし、愛していない妻が口が悪くて礼儀がなっていない間男を連れてきても寛大な私は許す! だがお前がここでゴロゴロしているのは我慢ならない! ここにいたかったら庭掃除しろ!」
「誰が間男だ!」
「とにかく仕事しろ!」
そう言って満の野郎は出て行った。くっそ! と思いつつ使用人の服に来てひとまず庭掃除を始めた。
という事で俺は庭掃除人として仕事をする事になった。藤棚と言う藤の花が垂れ下がって美しい屋根を作るのだが、花がよく散ってしまうので念入りに綺麗にしろと庭師に言われて掃いている。庭師についていきながら掃除をしていると、これから梅祭りがあるから梅の実を収穫しておけと言われた。また梅の実には、そのまま食べると毒による穢れが出るため地面に落ちている物は必ず捨てておけとも言われた。全くやる事が多いな。
庭師の指示に従いながら庭掃除をしていくと、お昼ごろにホタルが走ってきた。
「大変! 桔梗様がホタル様の挨拶にいらっしゃった!」
「え!」
すぐさま庭師に事情を話して、俺は隅っこの屋敷まで走り、布団に包まる。満の野郎にお願いして、周囲にはホタルは具合を悪いから屋敷にこもっていると言う事にしてある。当のホタルはホノリと言う偽名を使って白藤の屋敷の手伝いを勝手にやっているけど。
そもそも知らない奴が勝手に入りこんで屋敷の手伝いをしていても、白藤の者達は気にならないのだ。それくらい使用人が多いし、仕事も無駄に多い。
そんな事を考えていると「こちらです」とホタルの声と着物を引きずる音と足音が聞こえてきた。
「ホタル様、桔梗様がお見えになりました」
「あ、ありがとう」
そう言ってホタル、今は偽名のホノリが桔梗の君を部屋に通した。と思ったら、桔梗の君は部屋の前で入ろうとしない。ホタルが部屋に通そうとするが「ここでよい」と断った。
布団にくるまって隙間から桔梗の君を見る。深い紫の小袿〈十二単より丈の短い着物〉で青系統の袴を着ていて涼やかだ。
未婚の女性は顔に外出するときは、薄絹を被るのが決まりだ。だが女性同士になればすぐに取る。桔梗の君も薄絹を取ると、金に近い茶髪と真っ青な瞳、肌が白く神々しい雰囲気の女性が現れた。
なるほど、満の野郎じゃなくても気高くて優雅で美しいと言う感想が出てきそうだ。
ホタルも桔梗の姿を見て、はあ……とため息をしている。
桔梗の君の形の綺麗な口から「そなたがホタルかい?」と聞いた。
「はい。申し訳ございません。ずっと具合が悪くて、ご挨拶に行けず……」
「別にいいのよ。穢れがウロチョロとされたら、そっちの方が迷惑だから」
そう言って扇を広げて口と鼻を隠す。目はまさに汚いものを見るようにひそめている。結構、穢れに対して強い嫌悪があるようだ。
ちょっと嫌な女と思いつつ、俺は「あ、はあ」と曖昧に返事をした。
その後も桔梗の君は、出した茶を「穢れがあるからいらぬ」とケチを言ったり、俺の声が随分と野太いとか、ここの屋敷が薄暗くて夏には風流だとか皮肉を言ったり、正直、何しに来たんだと思えるような発言をしていた。
高貴なのは面だけだな。
「あの、何しに来たんですか?」
だんだん俺はイラつてそう聞くと、桔梗の君は優雅に「ああ、そうだった」と話し出した。
「梅祭りについて話そうと思っていましたわ。実にこの屋敷が風流で忘れそうになったわ」
「それで梅まつりとは?」
「藤家では梅の収穫時期にちょっとした催しをしていて、梅まつりと銘打っているんですよ」
そう言えば藤の一族は季節の変わり目に何かと催しをしている事を思い出した。イヅルの都自体でも毎月一回やるお祭りよりも華やかだ。
「ホタル様はその祭りに参加しません?」
「うーん……、満のや……ゲホゲホ、満様にお聞きしたいと思います」
うっかり満の野郎と言いそうになったが、うまく誤魔化せた。梅まつりと言うのも返事は保留にしておこう。
だが桔梗の君は「いえ、ぜひホタル様にも参加してほしいのですが」と言った。
「満様から家から出るなと言われておりますので、参加は……」
「参加して久遠の君をお呼びしてほしいのです」
かなり食い気味になって桔梗の君は言った。……ほう、狙いはそこだな。
「ホタル様は久遠様の女の童をやっていらしたのでしょう。でしたら……」
「無理です」
ここはスパッと断ろう。
「この時期の久遠様はイヅルの都を出て視察に行かれます。それからこの時期は天候が安定しない事が多いです。日照りになってもまずいですし、大雨になってもいけないので帝の仕事の一つとして天候の安定をする祈祷も毎日しないといけないのです」
「つまり最大派閥である藤派を束ねる白藤家の祭りに参加できないと?」
「そうですね。無理です」
最大派閥とかなんだか知らねえけど、無理なものは無理だ。
その後の桔梗は忌々しそうに、脅しも含んで帝を誘おうとしたが俺は「無理です!」と断った。お前らのよく分からないお祭りに行くほど、久遠は暇じゃねえんだよ! と言いたかったが堪えた。
しばらくして桔梗は「フン、分かりました」と言って、帰って行った。
桔梗が帰った後、ホタルと少しだけ作戦会議をする事になった。
「何と言うか久遠様を呼び出したかったみたいだね、桔梗様」
「だな」
そう言って穢れがつくからと言って桔梗が飲まなかったお茶をすする。うむ、うまい。
「桔梗は自分を差し置いて満の野郎と結婚したホタルについて怒りが無いのは、久遠と繋がりを持ちたいからだろうな」
「でしょうね」
うんうんと頷くホタル。短い会議が終わったら俺は庭掃除に、ホタルは白藤家のお手伝いに向かった。
そしてその夜、満の野郎がやってきた。
*
「聞いたぞ、お前ら」
俺達の屋敷に来た満の野郎は言った。
「桔梗の君が帝の久遠の君を連れてきてほしいと頼んだのに、無理と断ったそうだな」
「無理に決まっているだろ」
「阿呆! 桔梗の君は白藤と帝に強いつながりを持てると思って、ホタルと私を結婚するのを許したんだぞ」
「じゃあ、その目論見は外れたな。さっさと離縁してくれ」
「……なあ、帝を連れて来られないのか?」
情けない声を出して満の野郎は頼み込むが、俺の代わりにホタルが「無理だと思います」と返した。
「帝の公務はたくさんあるんです。それに梅まつりは藤派の集まりのような催しだから、派閥の集まりに帝は来ませんよ」
「だけど! 最大派閥だぞ!」
「無理です。帝は一派に肩入れは出来ません」
これなんだよな。結局、最大派閥とか言っているけど帝から見れば家臣の一族なんだよ。一つの派閥を贔屓は、久遠はしたくないだろうし。
満の野郎が色々と言うが俺達は無理! と断る。それがしばらく続いた時、満の野郎は「あのさ……」と語りかける。
「桔梗は帝と腹違いの妹なんだよ」
「……はあ。まあ、そうだな」
「でも直接、会った事が無いって可哀そうだろ」
「どの側室の子供もそうだぞ」
「でもさ!」
面倒くさいなとホタルを見る。ホタルもうんざりした顔をして俺を見ていた。どうしようかと考えていると、良い事を思いついた。
「あ、そうだ。俺が帝に変装すればいいんだ」
「だから、なんでそう言う考えになるの? セツナ」
「だってホタル、考えて見ろよ。帝は来れない、でも桔梗は会いたい。だったら俺が変装すればいい」
俺の素晴らしい提案に、真っ青な顔になって満の野郎は「阿呆かああ!」と怒鳴る。
「絶対にやめろおおおおおお!」
そして、梅祭り当日
「どうして、実行しているんだよおおおおお!」
満の野郎のうるさい叫びに眉をひそめながら、俺はホタルに化粧をしてもらっている。もちろん女帝である久遠の変装だ。
ホタルも「えー、やるの?」と言いつつも、化粧や着付けの手伝いをしてくれた。
「おい、満。今回、久遠はお忍びで梅まつりに来たって言う設定だ。だから声高らかに久遠様とか呼ぶな。桔梗にもそう伝えておけ」
「その前にお前を止める」
「えー、もう桔梗にも言っちゃったんだよね。昨日も来られるかな? って聞いてきたから」
「なんでだよ!」
「会うのを期待しているみたいだぜ、真の愛で結ばれたお前の愛おしい人!」
俺がそう言うと「ウガアアア!」と化け物の咆哮みたいな声を出した。ここまで行ったら、俺が行くしかねえなあ!
「それじゃ、俺は行くぞ。ああ、お前の嫁のホタルは具合が悪くて休んでいるって言ってあるから」
頭を抱えて膝をつく満の野郎に「早く来いよ」と言った。
お忍び用の小袿と絹を顔に被ってホタルと一緒に藤棚の下で白藤の庭を楽しむ。庭掃除をしているが、こうしてゆっくり眺めると綺麗だな。
そして園庭では藤派の人々が集まり、お酒を楽しんでいる。
「ふん、帝の命を狙う者を未然に防げなかった白藤が、こうして自分の祭りで浮かれているのはどうかと思うわね」
俺はそう独り言をつぶやいていると、ホノリに扮したホタルは「ねえ、久遠様」と役に入り込んで、俺に話しかけた。
「何か企んでません?」
「企んではいないよ。ただね……」
少し高めの声で俺は語る。
「やっぱり白藤には穢れの元となる災いがあるんじゃないかって思うのよ。それを見つければ、ホタルの敵をうてるんじゃないかしら」
「ホタル様は別に仇討ちなんてしてほしくないと思いますよ。身近な人が幸せであればいいと思っています」
「そうね。だけどやっぱり災いは鎮めておかなければいけないわ」
ホタルが「久遠様」と呟く。そしてちょっとためらいがちにこう言った。
「やっぱり、声が枯れているようですね。のどを痛めていると言う事で、私が代理でお話ししましょう」
「……お願い」
うーん、やっぱり声は野太いか……。
庭にある池で自分の姿を覗くが、見た目はやっぱり女性っぽいし、久遠と近しい人でも勘違いする気がする。だけど、やっぱり喉仏から発せられる野太い声は変えられない。
しばらく庭を歩いていると桔梗の使いの者が現れた。
「ようこそ、こちらに」
そう言って、桔梗の元に案内してもらった。
「ああ、久遠の君。お待ちしておりました」
正座をしてお茶の準備をしていた桔梗はほほ笑みながら俺に綺麗な一礼をする。俺も黙って会釈だけはする。
ホノリと偽名を使っているホタルが一礼をして桔梗に話す。
「桔梗の君。久遠の君はのどを痛めているので、小声でしか会話が出来ないので代わりに私がお話ししましょう」
「そうですか。お労しいですわ」
含みを持った笑みで桔梗にそう言った。それを聞きながら桔梗の前に座った。
白藤の庭が一望できる一室で、桔梗の君は梅酒を出したのでホタルが「あ、お酒はちょっと」と言って断った。俺は飲んでもいいけど、久遠はお酒をほとんど飲まないからな。とりあえず、顔にかけていた絹を取った。
「では、梅のお茶をお出ししますね」
桔梗の使いの者が梅の爽やかな香りがするお茶を持ってきてくれた。
俺はお茶を飲まずに白藤の庭を見ていた。それに気が付いた桔梗はほほ笑みながら、口を開いた。
「素敵なお庭でしょう。帝の宮廷でも藤棚は無いですからね。ほら、あそこの木々もとても珍しいものなんですよ」
「……」
「じっくり見てください」
嫌みったらしくそう言うと桔梗におれはほほ笑んでホタルに小声で話をする。ホタルは「えー」と嫌そうな顔になったが、桔梗に伝えるために俺の代弁をする。
「久遠様は、……えーっと、庭にいる仕事も出来ないくせに、祭りでは見事な浮かれっぷりの藤派の人々が滑稽で面白い、と言っておられます」
「仕事が、出来ない?」
「えーっと、宮廷に穢れを放った不届き者を見逃した警備の人間は、浮かれっぷりも見事である……と、久遠様はおっしゃっています」
ものすごく嫌味を言っているが桔梗の君は大笑いをした。
「何か、面白いのか? と久遠様は聞いています」
「申し訳ございません。あなたは随分、何も見えていないのですね」
俺は首を傾げて、桔梗の言葉を待った。
「はっきり言いましょう。あなたに白藤の意見や苦言なんて申せる立場の者なのでしょうか?」
俺ではなくホタルが「あの? それはどういう事でしょうか?」と聞いた。
「あなたは帝の本妻の子供であるけど、女。本来は帝の地位を持てないはずよ。本当だったら、側室の子供である私の兄が帝になんですよ」
「……」
「恐らく藤の者に権力を持たせたくないから、無理やり本妻の子供を帝にしたのでしょうけどね」
馬鹿にしたようにそう言って桔梗は扇を出す。
この言葉にホタルが嫌な顔をして何かを言おうとしたが、俺は制した。そしてゆっくりと優雅に言葉を紡ぐ。
「知っていますか? 父上は生涯、本妻しか愛さないと決めていたらしいんですよ」
俺は思わず声を出した。低い声だったため桔梗は眉をひそめて「本当に酷い声」と笑って、口を開いた。
「ええ、知っていますよ。帝と本妻は真の愛で結ばれていた。だから本妻の子供を帝とすると決めたらしいですね。それで側室をすべて実家に帰させた。私の母親も大変だったと言っていました。だって突然、私を身ごもっていたのに宮廷を追い出されたんですもの。それで母は精神的に参ってしまって私を出産した後、亡くなってしまったんです」
俺は「それはお悔やみを申し上げます」と無感動に言い、更に口を開く。
「まあ、真の愛なんて物は建前だったらしいですけど」
「あら、そうなんですか?」
「元々、我は双子だったんですよ。片割れは男で帝は大層喜んだそうです。だけど赤ん坊の時に穢れでいなくなってしまったのです」
「ああ、それは……。赤ん坊はちょっとの穢れが命取りになりますからね」
そこで俺は笑って、「だけど、おかしいんですよね」と言った。
「宮廷では穢れを大層、注意していたそうです。自然発生した穢れは小さいものでも、すぐに取り除きます。だが男児の穢れはまるで誰かに付けられたようなものだったそうです」
「ああ、可哀そうに。あまりの不幸に誰かのせいにして傷つけようとしていますね、久遠の君」
扇で顔を隠して悲しげな声を出して、桔梗は語る。
「その時の乳母は藤派の者でした。そして責任と罪の意識を持って自害してしまいました。でも彼女は決してそんな事をしません。それなのに宮廷が穢れをつけたと彼女を糾弾して……、死んでしまいました」
「……」
「もう、この話しはやめにしませんか? 誰も喜びません。終わった事です」
「まだ、終わっていないんだよ」
俺の低い声が響く。
「何、勝手に、終わらせてんだよ」
あまりの暴言に桔梗は呆然としていたが、すぐに平常心を装って優雅に笑う。そして自分が飲んでいた梅酒を口にした。
「本当に恐ろしい声と言葉……、え?」
桔梗は顔を引きつらせて、持っていたお酒を手に払い、悲鳴を上げた。桔梗の使いの者も悲鳴を上げて、桔梗から離れていく。
俺の言葉に驚いたわけではない。
桔梗は真っ黒に染まった自分の爪を見たのだ。
この様子に俺は満足げにほほ笑んだ。桔梗が俺を睨みながら、「何をした!」と怒鳴った。
「何もしていないですよ」
「嘘おっしゃい!」
「どうでしょう?」
「あ、あの子が穢れを入れたんでしょう!」
ホタルを指差した桔梗に俺は「入れてませんよ」と呆れながら言い、更に「原因は分かります」と話し出した。
「恐らく穢れが共鳴しているのかもしれないですね」
「はあ? 共鳴?」
「そうです。穢れを意図的に放った者は自分の手も穢れで汚れている物です。そうして自分が放った穢れを持つ人間が同じ部屋で飲食すると、穢れが見えてしまうのです」
「私は、祭り中に帝の命を狙っていない! やったのは別の者だ! 私が指示したわけじゃない! 藤派の中の誰かだ!」
思わず上品さを忘れて「ハハハ、自白しやがったな!」と大笑いする。それを見て桔梗が睨んで怒鳴る。
「自白を引き出すために、穢れを私に飲ませたな!」
「穢れなんて持ち込まないよ」
「じゃあ、お前は何者だ! 帝ではあるまい!」
「そうだな。私は帝ではない。だが、お前の兄妹ではあるぞ。腹は違ってもな」
「まさか、でも、あの子は死んだって……、母上が」
ぶつぶつと呟く桔梗は目が泳ぎ、震えている。
「それに私は、帝よりも遅く生まれた。穢れが共鳴する訳ない」
俺は軽く笑って「だとすると、可能性は一つだけだ」と話し出した。
「お前の母親が帝の男児の俺に穢れを入れたんだな」
ゾワッと俺の体が変化する。口は耳まで裂けて、目はヘビのように瞳孔が細くなり、指はかぎ爪になり、所々肌は鱗が浮き出ている。
俺の変化に桔梗は震え、悲鳴を上げて使いの者が逃げて行ってしまった。部屋にいるのは俺とホタル、そして桔梗だけだ。
避けた口で俺は「お前の母親が穢れを放ったのだろう」と説明する。
「何の話をしているの?」
「帝の側室であるお前の母親が、久遠の片割れである俺に穢れをつけたんだろう。穢れは親族同士で受け継がれる。お前は母親の穢れを受け継いだのだ」
「嘘だ!」
「悲しいけど真実のようだな。ほら、お前の指は俺と同じかぎ爪になって、肌も鱗が出ておるぞ」
桔梗は手を見て、目を見開いて「いやああああ」と悲鳴を上げる。
「どうしたら、治るの?」
「俺がこの部屋を出て行けば、自然と治るだろう。だが俺とまた再会して飲食をすれば、お前は穢れが浮き出てくるだろうよ」
「いや、いやだあああ!」
桔梗は床に突っ伏して泣き崩れた。
それを見ながらホタルに「帰ろうか」と呟いて、桔梗の元を去った。
*
梅まつりの日の夜、夜桜邸の庭に向かった。ホタルをおんぶして、トカゲのように鋭い爪で壁を引っ掻きながら登って、静かに手入れの行き届いた庭に降り立つ。
「ねえ、十六夜様に会いに行くのにいつもこうして行くの?」
「うん」
「……バレたら、不味くない?」
「だからって表から入ると色々と面倒じゃん。俺は穢れがあるから、檻みたいな隔離された場所に入って、十六夜の使者が伝言を言って返しての繰り返しするんだぞ」
「……確かに」
十六夜自身は穢れをあまり気にしない人間だが、お付きの人間がうるさいのだ。
十六夜は遠い目をして庭を見ていたが、俺が近づくと「セツナとホタルか」と呟いた。
「また忍び込んだか」
「すいません」
「面倒だったので」
俺達の言葉に十六夜はため息をついて、語り出した。
「聞いたぞ、桔梗の君がご乱心のようだ。私には穢れがあると部屋に引きこもって暴れているそうだ」
「大変そうですね」
「お前達、何かやっただろ?」
「どうでしょうか?」
「フン。恐らくセツナが帝のフリをしてお忍びとして桔梗の君と会っていた。それで桔梗の母親がお前に穢れをつけさせた罪が浮き出たんだろう。ちょっと前まで隠れて女帝の久遠の影武者をしていたお前だ。声を出さなければ完璧に化けられる。桔梗の君も警戒心はあっただろうが、まさか自分の親の罪が浮き出るなんて思いもよらなかっただろうよ」
見て来たんじゃないかってくらい、十六夜は知っていて俺達は黙り込んだ。
その反応に十六夜は「まあ、良い」と言いながら十六夜は少し笑う。
「所詮、お前たちが暴いたのは上澄みに過ぎないさ。白藤の当主、満の君は何にも考えていないからその周りが色々と画策しているんだろう」
「じゃあ、満の君は何にも知らないのか」
「知らぬな。あいつの頭は何にも入っていない。藤派を統率していると言う優越感を浸っているだけで、周りの家臣の動きなんて見ていないのさ。まあ、そう育てたんだろう。神輿は軽い方がいいって言うしな」
十六夜、すごく辛辣な事を言っている。
「お前ら、知っているか? 藤の花は小まめに手入れをしなければいけない樹木なんだぞ。藤の枝は横に伸びて、棚に絡めれば美しくなる。だが手入れを怠れば、藤の木の枝は他の樹木に巻き付いて枯らしてしまうのさ」
「……」
「ここ、イヅルの都の藤も手入れが必要かもな」
そう言って庭にある梅の木に触れた。
「セツナ。お前は穢れを受けて帝の座を降りたが、ここイヅルの都から出ることは許さん。先代の帝の言った通り、穢れがあろうとも帝を支えよ。それからホタル、お前もだ。安易に逃げ出すことは許さん」
重々しく十六夜がそう言い、俺達は静かに返事をした。すべて十六夜の手のひらで動いていたと思うと悔しい気持ちと諦めの気持ちが合わさっていく。
そして梅まつりから数日が経った。相変わらず妻のホタルは屋敷に引っ込んでいると言う事にして、俺達は白藤の手伝いをやらされている。
そして白藤の当主 満は全く会っていなかった。
「満の野郎、何してんだろうな」
満月を見ながら、俺とホタルは梅酒を飲む。
「桔梗の君の精神が安定していないようですので、そちらに向かっているのかもしれません。だから最近、私はよく相談を受けますね。桔梗の君を元気づけるにはどうしたらいいかって」
「ふうん、そうなんだ」
そんな会話をして梅酒を飲む。これは先日行った時に餞別と言ってもらった十六夜家の梅酒である。梅の爽やかな香りが鼻をくすぐり、飲むとほろ酔い気分になる。
「桔梗の君は穢れについて、俺達の事を話さないんだな」
「話したら母親についても話さないといけませんからね。言っても藤派は隠し通そうとしますでしょう」
俺は「それもそうだな」と酒を煽る。
ふっと満月がホタルを照らす。満月の光は穢れを消してくれる。だからホタルの姿は幼子ではなく、黒髪と真っ白い肌、たれ目の優し気な瞳が愛らしい女性になっている。
「ホタル」
「何ですか? セツナ」
顔を近づけて「もっと、顔を見せて」と言う。するとホタルは真っ赤になってそっぽを向いた。
「顔を見せてよ」
「顔が近いもの。恥ずかしい」
「俺は恥ずかしくない」
俺の穢れもどんどんと消えている。背中には醜いトカゲの鱗があって、怒りが増すとトカゲのような醜い姿になるのだ。
それでも彼女は俺の傍に居る。愛らしくて優しい子だ。
そっとホタルを抱き寄せて「ホタル」と呼ぶ。ホタルも俺の方を向いてほほ笑んでいる。
この後の様々な楽しい事を考えながら、ホタルに口づけをした時だった。
バン、ダンダンダンダン!
「ホタルウウウウウウウウ」
屋敷の中に入ってきたのは満の野郎だった。目は涙をためて、情けない声をあげていた。
「桔梗の君が俺なんか嫌いだってえええええ!」
「……」
「俺は、これから、どうしたらいいんだよおおおお」
これから楽しい事をしようとしていたのに、こいつのせいで台無しになった。というか、なんでホタルにそれを言うんだ? あ、そう言えば、さっき満の野郎に相談を時々聞いているってホタルが言っていたな。
「ホタルウウウウウウウウ! ん?」
大人になったホタルを見て「どちら様?」と聞いたので、よせばいいのにホタルは「あ、ホタルです」と答えた。
「満月の夜だけ、こうして元の姿に戻るのです」
「……」
「納得できたか? だったら、さっさと帰れ。今、お楽しみ……ぐげ!」
満の野郎は俺を足蹴にして、俺のいた所に座った。
「ホタル、私はお主を愛している」
満の野郎の言葉に俺だけでなくホタルまで「は?」と言った。
「お主の美しさに一目ぼれをした。きっと真の愛で結ば……」
「んなわけねえだろ!」
俺は立ち上がって満の野郎を突き飛ばす。
「何、ほざいてんだよ! 今の今までお前はホタルを蔑ろにしていただろうが!」
「貴様はなんで、ここにいる! この間男! 私はホタルと結婚しているんだぞ!」
「お前と結婚したのは俺だ! この阿呆! そして愛のない一年の婚約だ! 今さら、真の愛なんて言ってんじゃねえ! お前の真の愛は軽すぎる!」
犬の喧嘩の如くギャンギャンと吠えて俺と満の野郎は取っ組み合いをする。このしょうもない喧嘩を見ているのは呆然としているホタルと満月だけだった。