水と鼓動(18)
バタン!
勢いよく個室の扉を開け、実菜穂が出ていく。左手には弓を持ち、右手には札を持っている。札には、錆びた鉄色の斑点の上に赤い筋が垂れていた。拳から滴る血が札を染めていたのだ。
少し前までサナから見つからないように逃げていたのに、いまはそのサナを探している。廊下を歩き、意識を集中して気配を探っていた。
(サナが私を襲った理由は分かる。そして、卯の神の三つの遊びの意味も分かった)
実菜穂は奥のフロアに入り、陽向と霞が無事なことを確認すると廊下へ戻りサナを探した。
(陽向が遊んだ「かごめかごめ」これは巫女を選ぶための儀式だ。サナもキナもこれで巫女になった。そして、霞ちゃんが遊んだ「鬼ごっこ」これはサナが子を神に捧げる役目だ。自分の痛み、苦しみから解放されたければ、それを他の者にすりつけなければならない。真綿で首を絞められたのは、サナが幽閉された状態なんだ。そして、「かくれんぼ」これはキナがサナの子を見つけたこと。だけど、私は肝心なことが分かっていない。サナをどうすれば救えるのか)
廊下を歩いていると向かい側にサナが現れた。襲い来る邪鬼や物の怪を切り祓っていた巫女としての気迫を持ちながら、愛するものを奪われた無念の情が黒い炎となってサナを覆っている。その姿に実菜穂は身体が堅くなった。強烈な負のオーラが実菜穂を圧倒したのだ。何も知らないままであれば、強烈な負の感情を持った物の怪として討つこともできたかもしれない。だが、サナの悲しい性を知ってしまったいま、実菜穂にはそれができなかった。
実菜穂を見るサナの眼が鋭く光ると一心不乱に襲いかかってきた。実菜穂は弓を構え、弦を引いた。鉄の矢が現れ、射る体勢をとった。
(どこ、どこを狙えばいい。だめだ。狙いが定まらない。サナが私を襲うのは、私が巫女だからだ。子を殺しに来た巫女だと思っているからだ。いまのサナには私がそう見える。サナは子供を護りたいだけなんだ。そんなサナを私は討てない)
上下左右に弓を振るい狙いを定めらずにいる実菜穂にサナは素早く距離を縮め、飛びかかってきた。実菜穂はサナを討つことができず、咄嗟に放った矢は大きく逸れて壁を突き抜けていった。
襲いかかるサナが振り下ろす刃を実菜穂は弓で受け止めた。凄まじい気迫と力で弓を押していく。刃は弓でかろうじて防いでいるが、押し負けている実菜穂の顔にジリジリと近づいていった。
(だめ、討てない)
目の前まで刃が迫り、取るべき手段が見つからずに苦悶の表情を浮かべたそのとき、サナは何かに弾き飛ばされていった。
事態が理解できない実菜穂の目に、後ろ髪を大きなリボンで束ね、大鎌を持った少女が立っている姿が映っていた。琴美だ。
大鎌を持つ琴美が実菜穂の方に振りむいた。
「サナさんの御霊は私が刈ります。この業は私が引き受けます。だからお願いです。どうかサナさんの御霊を祓ってください」
「私が祓う?そんなことできるの」
「できます。ううん、実菜穂さんにしかできません。水面の神の巫女である実菜穂さんだからできることなのです」
潤う琴美の瞳は実菜穂に向けられた。いまの琴美は、恥ずかしがって真奈美の後に隠れていた少女ではなかった。ゴシックドレスに身を包み、手にはその身体で扱えるのかと思えるほどの大鎌を持ち、構えている。それはまさに御霊を刈るアリスという表現がピタリとした。可愛らしい姿でありながら御霊を刈る業を背負う少女である。
「私にしかできないこと。私がサナを救えるの?」
「はい。私を救ってくれた時と同じ思いがあるのなら、水面の神の力を使うことができるはずです」
琴美が優しい笑顔で大きく頷いた。
(琴美ちゃんがこんなに逞しく見えるなんて。いったいどれほど死神の勤めを果たしたのだろう。そうだ、私はサナを救いたい。それなら自分を信じるしかない)
「琴美ちゃん、やってみる」
琴美を見る実菜穂の瞳が水色に輝いた。




