水と鼓動(7)
個室に飛び込み鍵をかける。これで隠れられたとは思わないが、次に逃げる隙をつくることができる。
ドアを閉めたままジッと外の様子に意識を集中する。音がいっさい聞こえないので、中からほとんど外の状況が分からない。実菜穂は閉めたドアのわずかな隙間に顔を近づけて覗くと、必死で女の気配を感じ取ろうとした。
自分の鼓動がやけに大きく響く。治めようと意識すればするほど、大きく波打っていく。実菜穂が動揺するのも無理はなかった。かくれんぼで青の神を探しているなか、いきなり得体の知れない白い着物の女が鏡に映って現れたのだ。それだけでも十分恐怖を感じるのに、いきなり切りつけてきた。これで冷静でいられる方がよっぽどどうかしている。
(あれ?音は聞こえない筈なのに、自分の鼓動は聞こえるんだね。いかん、また余計なことを考えてしまった)
またもやいらぬことを考えていた。どうやらこれは、実菜穂の癖のようなものである。あることに集中しながらも、散りばめられた情報を無意識に集めているのだ。それが現実逃避であると実菜穂は思っていた。
音は聞こえないなか、隙間から白いものが通っていくのが見えた。実菜穂が入っているのは、三つある個室のうちの二番目だ。だが、白い物体はもう一度通り過ぎていったきり戻ってこなかった。
(あれっ?どうして通り過ぎたんだろう。まさか)
実菜穂は慌てて上を見上げたが、天上が見えるだけだった。意を決して慎重に鍵を開けると、ソ~っと顔を出す。この時点で見つかれば一溜まりもない。幸いにも女は出て行ったようだ。だが、まだ油断は出来なかった。廊下をうろついていれば、見つからないように身を隠さねばならなかった。同じように廊下に顔を出して女の姿がないか確認した。
◇◇◇
「これは、重いのう。死神が動いたのはこれがあるからか」
「あれは、迷い御霊か。だが、なぜこの場におるのだ。確かに混沌とした場所ではあるが、卯の神がいる場に現れるのはおかしいだろう。迷い御霊が神が座するところには簡単には入れないはずだ」
みなもの言葉に火の神が合点がいかず、声を上げた。
「入ってきたのではない。端からおったのじゃ。卯の神が匿っておったのじゃろう。おかげで儂もいままで気づかずにおった」
「匿っていたって、何からだ?死神か?」
「それもあろうが、違うのお。もっと大きなものなんじゃろうな。例えば、ナナガシラとやらに関係するものとか」
みなもがシーナをチラリと見ると、シーナは表情を変えずにビルを見ていた。火の神がみなもの視線の行き先に気がついて、表情を堅くした。
「俺にはよく分からないことがある。なぜ、人の迷い御霊を卯の神が匿うのだ。なぜ、実菜穂殿を襲うのだ。そもそも迷い御霊は、強い思念を持った御霊がその思念を肉体の代わりとして成るものだ。それを許さぬためにも死神が御霊を刈る。これはこの世界の理だ。神がなぜそれを見過ごす」
火の神が訳が分からぬと言わんばかりにみなもを見る。みなもは僅かに眼を伏せて首を振った。
「そうじゃな。お主の申すとおりじゃ。迷い御霊、人は幽霊とも呼ぶがのう。琴美がここに現れたのも、お主が申す死神の勤めとやらのためじゃ。じゃが、死神も相当迷うておるのう。『ことはここだけでは済まぬとな』」
「ここだけでは済まないとは、大きくなるということか。ちょっと待て、おまえの話が早すぎて飲み込めぬ。まずは、あの迷い御霊は何なのだ」
「あの迷い御霊は母じゃ。儂らがこの場に来たことで、均衡が崩れたんじゃ」
「すまん、お前がなにを言っているのか分からぬ。あほうの覚悟で聞く。何がどうなっているのだ。母とは何だ」
混乱する火の神にみなもは、優しくそして悲しげな言の音を響かせた。
「実菜穂は知らぬことじゃが、陽向と霞は下の部屋で会っておる。その者の母じゃ」
「陽向だけではなく霞殿もか。二人が見たものといえば邪鬼・・・・・・まさか」
◇◇◇
実菜穂が廊下に出る。まだ入っていない部屋がないか慎重に見ている。不意に女が飛び出してこないか気を張り巡らせながら歩く。
(白い着物の女性は見えるものだけに反応するのだとすれば、見つからずに隠れたら、もしかしたら逃げられるかもしれない。あっ、待てよ。それなら、陽向や霞ちゃんが見つかればまずいぞ)
実菜穂は顔色を変えると、はじめにいたフロアへと走っていった。




