いままでとこれから(14)
みなもの耳元でシーナが囁いた。それは、風の調べと呼べばよいのか、みなもの心根まで響くように言葉を伝えた。風の囁きは多くの場合、相手を翻弄させるものである。だけど、この時ばかりは冷静さを保つ力をシーナは注いでいた。
「…………スサノオウが人を恐れておるから、巴瑞季を殺めたというのか」
シーナの耳元で、みなもの重みのある濡れた声が揺れた。みなもが突き上げられるはずの感情を抑えていることは、シーナの耳とみなもの肩を抱く腕から伝わっていた。
「ナナガシラで人の力を知ったスサノオウは、黄龍に始末を託して天上に帰った。その後のことは、ナナガシラで知ってのとおりだよ」
「じゃから、なぜじゃ! なぜ、天上神の力あるスサノオウが、巴瑞季を殺めたのじゃ。太古神の巫女でもない、ましてや現人神でもないのじゃ。たかが末座の神の巫女じゃ」
「そうだよ。たかが末座の神の巫女だよ。でも、その末座の神が、みなもだから」
「なんじゃと? どういうことじゃ」
風と水、二柱の女神が視線を合わせると、互いのオーラがぶつかった。暗闇のなか、あたりは一瞬、新緑色と水色の光が混ざりミントグリーンの明るい光が弾けた。鮮やかな色の光とは裏腹に、みなもが、険しい表情でシーナを見ていた。
「みなもは、何も分かってないよ。スサノオウは、確かに人の怖さを知った神だよ。でも、それ以上に恐れているのは、みなもの存在なんだよ」
「儂が……何の権限もない末座の神じゃ。お主の申すことが、分からぬ」
みなものオーラの圧を受けながら、シーナのオーラは退いていた。憂いを含めた瞳を見せ、シーナが溜息をついた。
「末座で何の権限もない神であるはずのみなも。でも、みなもは、天上の太古神たちが最高神に相応しいと認めたアサナミの神の子である水波野菜乃女神の分霊なの。その分霊が、天上の神々を震えさせる力を持つ雪神に慕われ、大海の護り神といわれる真波姫を鎮め、地上の太古神までもが心を寄せている。その神が、人と交わり巫女を取った。そりゃあ、いくらスサノオウでも怖いでしょうよ」
シーナが再び溜息をついた。鮮やかな緑色の瞳は、みなもを想う色に染まっていた。
「なんじゃ。それならば、儂を狙えばよかろう。人を殺めるなど器が小さいにもほどがあるわ」
「できるわけないよ。みなもは、水波野菜乃女神の分霊だよ。みなもを殺めることは、水波野菜乃女神を殺めたのと同じ。そうなれば、アサナミの神は決して許しはしないよ。天上地上の多くの神々に慕われるアサナミの神を敵にすることなど、いくらスサノオウでもできないよ。スサノオウは横暴な性格だけど、頭は繊細で計算高い柱だよ。だから考えた」
「何をじゃ」
「どうすれば、みなもが消えるかを。それで、みなもの巫女を殺めた。その結果、みなもは神議りには参上しなくなり、時を重ねて人の心から忘れ去られていった。そして、自ら消えようとした……。すべては、スサノオウの思いのとおりになった……はず」
シーナは、瞳から溢れそうになるものを堪えて顔を上げた。伝えなくてはいけないことがまだあったが、みなもを想うとこれ以上は言葉にできなかった。
「みなも、これだけは忘れないでよ。みなもが消えて、ほくそ笑む神がいるってことを」
みなもに視線を向けたシーナが、顔を背けると、瞳から緑の雫が光となって散らばった。吹き抜ける風と共にシーナの姿は消えていた。




