終わりと始まり(6)
アサナミとみなもの間にピーンと張りつめてた空気が、あたりにも伝わった。
(なんだあ。アサナミの神様とみなもの神のこの緊張した空気は。私まで身体が震えてしまう……)
みなもの横にいた夥多琶が、二柱の間に張りつめる空気に身を固めていた。
それは、命を出した者と受けた者、高みにある者と低みにある者、母と子、どれもが当てはまるようで、どれも違っていた。
「水面の神、何か?」
アサナミがみなもを見下ろしている。その瞳は明らかに穏やかさが消え、含みのある圧があった。アサナミがそのような圧を放つことは、滅多にないことである。
その圧の中で、みなもが真意を秘めた瞳でアサナミを見上げていた。
「はい。黄龍、六柱のことは承知いたしました。じゃが、大鉤については、まだ話を聞いておりませぬ」
背筋を正したみなもが、アサナミに問う。張りつめる空気の中にあっても、みなもは揺れることなく美しさを保っていた。それを見るアサナミもまた、清らかで、みなもですら惹きつけられる美しさを放っていた。
「大鉤。天上のハゲワシの神のことですか」
「はい」
みなもが頭を下げ、アサナミの声を待った。
「大鉤は、ナナガシラでの争いで討たれたはず。ですが、私のもとに御霊が届いておりません。それなのに、神として存在していた。大方、討たれた御霊を別の神の御霊と合わせて、新たに生まれ変わっていたというところでしょう。母となったのは、沼の神」
「はい」
アサナミの瞳の光を受け、みなもが畏まり返事をした。
「御霊が戻らない理由は、以前から分かっていました。ですが、その母となった神が誰なのかは、定かではありませんでした。ナナガシラより粟の神がもたらした書で、全てが分かりました。成り行きは、みなもの神も知っていることでしょう。そのうえで、大鉤の何を訊きたいのでしょうか」
全てを見通しているという柔らかくも鋭い瞳の光に、みなもは、身を正してアサナミを見上げた。
「はい。全てを知ったうえで、お尋ねします。大鉤の処遇は既に決まっておるのでしょうか」
「もちろんです。このアサナミを誑かし、神の御霊を使い新たに生を受けようとは。これが他の神々に知られれば、とてつもない混乱が起こります。大鉤が存在していること。その罪は途方もなく大きいのです」
「じゃが、それは大鉤ではなく、大鉤を従えていた神が行ったこと。大鉤に罪はないはず」
アサナミの圧を受けながらも、それ以上の強い意志でみなもは、言葉を返した。
「ほう。水面の神は、大鉤に罪はないと言うのですか。ですが、大鉤は生まれたことが、罪なのです。本来、あってはならない手段で生まれたのです。これを見過ごすことができるとでも思っているのですか」
「そのことは充分に承知しております。じゃが、その罪があるとしても、もう罰は受けておる。それに大鉤を憂いておるのは、母である沼の神じゃ。ナナガシラをもとのように栄えた地にするためには、沼の神の憂いを祓わねばなりませぬ。ナナガシラでは、どの柱が欠けても繁栄はありません。アサナミの神、どうか大鉤を沼の神のもとに帰すようお許しいただきたいのです」
みなもが深く頭を下げるのを、アサナミは瞬きもなく見つめていた。
「水面の神、願いとはそのことですか」
透きとおっていながら重く鋭いアサナミの声に、みなもだけでなく、火の神も、死神も、そしてシーナまでもが、身体に力が入り固くなった。
「ところで、水面の神。あなたは今、御霊はどうしているのでしょう」
みなもの全てを見つめている瞳の光に、みなもは逆らうことなく頭を下げていた。
「私が水面の神の願いを受け入れなければ、その御霊を砕くというのですか。それで、事が済むと本当に思っているのですか」
「それで済むとは思っておらぬ。それでも、沼の神の憂いを祓うのに儂にできることは、御霊を懸けることだけじゃった」
みなもは、自分の覚悟を素直に表した。アサナミは、みなもの姿を静かな瞳で見つめて微かに息をもらした。
「水面の神、一つ聞いておきたいことがあります。実菜穂は、あなたが御霊を懸けることを知ってどのような顔をしましたか」
みなもは、その言葉に鮮明に実菜穂の苦笑いの顔を思い出していた。
「実菜穂は、儂に呆れておりました」
「呆れていた……本当にそう思っているのですか」
アサナミの声が、矢のようにみなもの心を突きさした。
「そうじゃと思うておる」
「思うておる。ずいぶんとお気楽なのですね。もし、そうだとすれば、あなたが御霊を懸けて沼の神の憂いを祓うことは、真に意味のないことです」
「それは……」
アサナミの社に強い風が吹いた。それは、アサナミの微かな怒りでもあった。
「水面の神、あなたは本当に実菜穂の気持ちが分からないと言うつもりですか。だとすれば、今すぐにでもあなたの御霊を母である私の手で砕きます」
アサナミの言葉に触れなくても、みなもは、実菜穂の苦笑いの本当の意味を知っていた。痛いほど知っていた。なぜならそれは、かつて自分も同じ気持ちを味わったからだ。みなもは、それを口に出すことは今までに一度もなかった。アサナミの言葉に、噛み締めていた唇を震わせた。
「知っております。実菜穂は、悲しんでいました」
「知っていましたか。当然でしょう。かつて、巫女をとっていたあなたは、神謀りに参上している間に、何があったのか分かりませんが巫女は命を失ってしまった。その悲しみゆえ、あなたは神謀りに二度と参上しなくなりました」
「はい」
みなもは、小さくはっきりと返事をした。シーナが、アサナミを止めようと腰を上げようとしたが、死神に止められた。
俯くみなもに、アサナミが容赦なく言葉を続けた。
「神が巫女を失うのは、己の身を引き裂かれるほど辛いことです。それなら、巫女が神を失うのは、御霊を砕かれるほど辛のです。ましてや、神霊同体となる巫女と神であれば、言わずとも分かることでしょう」
「……」
「水面の神は、実菜穂にその思いをさせたのです。そのうえで『沼の神の憂いを祓う』などとよくも言えたことです。あなたは、御霊を懸けたことで三つの過ちを犯しました」
「過ち……」
「そうです。これは、私の神命を果たした礼として伝えましょう。水面の神、あなたが犯した過ちの一つは、御霊を授けた私との約束を果たさなかったこと。二つは、姉である水波野菜乃女神の願いを無残にも砕いたこと。そして三つめは、実菜穂に巫女になるよう頼んでおきながら、自ら去っていこうとしたこと」
「母さ、姉さ、実菜穂……儂は」
計り知れない悲しみと苦しみが、みなもを覆いつくした。清らかであればあるほど、純真であればあるほどその苦しみは深くなっていった。それでも沼の神との契りを無にすることは、みなもには、できなかった。
「水面の神、それだけではありません。あなたを慕い、崇める人をも捨て去ることになるのです。それこそ神としての罪は、大鉤よりも重いものとなります」
みなもは顔を伏せ、どの神にも知られることなく水色の瞳から美しい玉をこぼしていた。かつてナナガシラの六柱と巫女が受けた罪という苦しみを、みなもは、いま感じていた。その苦しみが、みなもに確かな答えを選択させた。
「アサナミの神、その罪を負ってでも、儂は……儂はやはり沼の神を救いたいのじゃ」
みなもが顔を上げ、アサナミを見た。アサナミの瞳は深い青色の光を帯び、みなもを見下ろしている。それは、恐ろしいほど冷たい光であった。
「分かりました。水面の神、その罪を負ってでも大鉤を帰したいというのであればそうしましょう。死神、水面の神の御霊をここに」
アサナミの声に応えて、死神が立ちあがった。
(あっ、ばか! おすまし)
アサナミのもとに行く死神を捕まえ損ねたシーナが、恨めしく死神の背中を見ながら、新緑色の髪を揺らせて立ちあがった。
「アサナミの神、あたしにもお願いしたい義があります」
みなもに並んで、シーナがアサナミを見上げた。




