終わりと始まり(5)
アサナミが顔をあげると、長い髪がゆったりと揺れた。重たさは感じない。絹のような光沢を放つ髪を、夥多琶は見上げていた。
「朝霧の神。この柱は、私の命で御霊を授けたまま天津が原に戻しました。地上界に足を踏み入れることは、二度とありません。次に星の神である季良來と輝良利は、月の神が預かることになりました。姉妹は、此度のこと深く反省をし、務めに邁進することを私に誓いました」
夥多琶は、アサナミの言葉を聞いて、安心している自分に気がついた。それは、自分の処遇があまりにも幸福なことの申し訳なさが、二柱のことを聞いて薄れていったのだ。
突然、アサナミのオーラが変わった。
「古樹桜の神、綬然は、自ら黄泉の世界に入りました。申したい儀があるかと訊きましたら、『しばらくは、動くつもりはない』とのことです。どうやら、縁ある場所から愛しき者を見守るつもりのようで」
アサナミが綬然の意志を宿らせた瞳を死神に向けた。死神は、視線を受けると表情の無い顔に僅かであるが、面映げな色を見せた。
『雷鳴の神、嶺漸は、自ら天津が原の獄に入りました。こちらの柱も『見ていたい者がいる』と言うばかりで、獄から出るつもりはないようです。天上界の暴れ者がどういう風の吹き回しか大人しくなったことに、天津が原は少々騒がしくなっていました。さて、雷鳴の神はいったい何を見ようとしているのでしょう』
アサナミは惚けているが、全て見通されていることをひしひしと感じている火の神は、今更ながら説明もできず、身を固めたまま目を伏せた。やはりこの場にユウナミがいないことだけが、救いであった。
『狭間の神、御命途姫は、己の務めを返すことを申し出ました。神であることを放棄することで、己を罰しようとしたようです。ですがそのような勝手なことで、私は罪を許すことなどできません。神とはいえ犯した罪には、その償いをしなければなりません。たとえ務めを返上しても、神として存在しなければなりません。神は何者にもなれないのです。とはいえ、綬然、嶺漸と同じように、御命途姫の御霊も私が預かっています。神としての力ありません。そこで、御命途姫には、新しい務めとして神になる前の童子が纏う絣の着物を織る務めを与えました。新しく生まれいずる神のために、延々と機を織り続けるのです』
淡々としたアサナミの声に、夥多琶の震えがピタリと止まった。
(延々と機を織ると。誇り高く、美しく、黄龍から寵愛されていた御命途姫が、アサナミの神様が命じたとはいえ……)
「そのような務めを果たすのか」
アサナミの声に夥多琶がビクリとして、見上げた。アサナミが、いたずら好きな女の子のような笑みを浮かべて、驚く夥多琶を見ていた。
「御命途姫は受けました。人を助ける神となる童子のために、何千、何万と機を織り続ける務めを受けました。理由はこれです」
アサナミが、小さな玉を掌に取り出した。黄龍の御霊である。
「本来であれば黄龍の御霊、力を削ぐために私が小さくするところでした。ですが、黄龍自ら御霊を砕き、記憶と力を削いだことで御霊は小さくなってしまいました。いずれにしろ、この御霊は童子に授けることになります。どの童子が黄龍になるのか分かりません」
「……?」
アサナミの言葉の意味を、夥多琶はよく理解できなかった。
「御命途姫は、黄龍のために機を織り続けるのじゃ。どの童子が黄龍となるか分からぬ。じゃから、いつまでも懸命に織り続けるのじゃ」
戸惑っている夥多琶の横で、みなもがアサナミの真意を説いた。ようやく理解できた夥多琶は、眼を大きくしてアサナミを見上げた。その眼の色は、アサナミへの驚きとともに、御命途姫への憐れの色も含めていた。アサナミが、初めて優しい笑みを夥多琶に見せた。
「御命途姫に力がなくとも、神であり続けることはけして悲しいことではありません。私が黄龍の御霊を童子に受けるのは、そう遠いことではありません。二柱が離れ離れになっていても、神であれば会える場があります」
アサナミが夥多琶を見つめている。答えが出ない夥多琶が、助けを求めて、みなもを見た。
みなもが、ゆっくりと夥多琶に頷いた。
「神謀りじゃ。そこは、全ての神が集まる場じゃ。御命途姫は、そこに着物を納めることになるじゃろう。アサナミの神に御霊を授けられた童子は、黄龍となり神謀りに参上する。二柱は、年に一度そこで会えるのじゃ。御命途姫もさぞ機織りに力が入ることじゃろう」
みなもが答えると、夥多琶が眼を輝かせてアサナミを見上げた。
「夥多琶。これで、よろしいでしょうか」
アサナミが改めて、夥多琶に尋ねた。
「もったいないお言葉、ありがとうございます。夥多琶、誠心誠意、務めに励みます」
小さな女の子の姿の神が、アサナミの前に心からひれ伏していた。
みなもが夥多琶を見て頷くと、水色の瞳でアサナミを見上げた。
「アサナミの神、お願いしたい儀がございます」
見上げるみなもを、アサナミは深く静かな光を放つ瞳で見下ろしていた。




