鎮めると浄める(12)
沼の地の隅々にまで届く声を出しながら、男の子が雪の結晶の形をした六華の門を通り抜けてきた。
「ここだな、雪神様が言ってたのは。みんなあ、帰ってきたぞ。あそこだ」
男の子を先頭に、六華の門からは異形の集団が続いていた。秩序をもって進む集団を、秋人と隼斗が眼を開いたまま見送っている。
「これは邪鬼だ。神がいる場所を目指している。いけない!」
漣が集団を止めようとして構えをとったが、夕帰魅に止められてそのまま集団を見送った。
男の子を先頭に邪鬼の集団は整列を崩すことなく、みなもの方に向かって進んでいった。
「あーっ、いたいた。やっと会えた。みなものかみー!」
みなもの姿を見た男の子が、すたこらと駆け寄ってくる。
『なんじゃ。 水闍喜ではないか。久しいのう。ちーっと、逞しくなったかのう』
そばにきて眼を輝かせる水闍喜を、みなもは、透きとおった涼やかな笑みで迎えた。
水闍喜はその昔、人を貶めることができないことから、役立たずとして邪鬼の集団から嬲られ、殺される寸前にみなもに助けられた邪鬼である。
みなもに迎えられた水闍喜は、照れながら胸を張って「もっと褒めて」とアピールをしていた。その水闍喜の背中には女の子が隠れながら、みなもの様子を窺っていた。
さらに女の子の後ろには、邪鬼の長老が女の子の姿を隠すように立っていた。神々を前にして長老の顔は血の気を失い、眼は恐怖を映したように瞳孔が開いて身を固めていた。
(何ということだ……ここにいるのはユウナミの神の守護神、桃瑚売命。それに死神までおるではないか。我らを葬るということか……せめて、この子だけは)
桃瑚売命と死神の姿に覚悟を決めた長老は、女の子を護ろうと水闍喜の背中に身体を寄せていった。
「おっと……おっちゃん、そんなに怯えなくてもいいぜ。眼の前にいる神様を誰だと思ってるんだい」
後ろから押され前のめりになった水闍喜が、長老の慌てぶりに気づいて声高らかに叫んだ。
「いいかい。眼の前にいるのは、地上の世界を治めるアサナミの神、そしてその子である水波野菜乃女神の妹の水面の神だ。その名は、天上から大海の神々、さては物の怪にまで広く知れ渡り、敬愛されている神様だ。邪鬼でさえも護ってくれる神様。ビクビクしなくてもいいんだよ。大船に乗ったつもりでいなよ」
水闍喜の堂々たる褒め口上に、みなもの笑みが苦笑いに代わっていた。
『水闍喜、水面の神の紹介はそれくらいでいいでしょう。長老、何も恐れることはありません。あなた達を傷つけるために、ここに呼んだわけではありません』
紗雪の柔らかく凛とした声が、水闍喜と邪鬼の長老を落ちつかせた。ざわめきが収まると、紗雪が女の子を実菜穂の前に連れ出した。
『そういうことじゃな……』
実菜穂の横にいたみなもは、女の子を見た瞬間に全てを理解した。
みなもは、ぱあーっと水色の瞳を明るく輝かせて紗雪を見つめた。紗雪は、みなもの心安らいだ姿を見て喜びに満ちた笑みを浮かべると、みなもに頷いてから実菜穂に声をかけた。
『実菜穂、この子に見覚えはありませんか?』
紗雪に肩を抱かれた女の子を実菜穂がてっぺんからつま先まで、ゆっくりと見つめていった。肩まで届かない黒い髪は、月明りを受けて天使の輪のような輝きを得ていた。背丈は小学三、四年生くらいだろうか。ちょっと細い手足は、綺麗な白い肌をしている。人である姿なのだが、敏捷な印象を与える体つきをしていた。
(この子の瞳、私、見覚えがある)
実菜穂が女の子を見て一番に惹きつけられたのは、瞳であった。可愛い姿の女の子でありながら、その瞳は凛とした美しさを持っていた。
『これは……サナ……サナの瞳……もしかして』
実菜穂が女の子に手を差し伸べながら、紗雪の顔を見上げた。
『はい。この子は、サナの娘です。村の掟に背き、サナがその身をもって護り抜こうとした子供。巫女として、母として、人として我が子を護ろうとしたサナの心を受け取ったキナと神が匿った子供です』
紗雪の言葉を聞きながら、実菜穂が女の子を優しく抱きしめた。女の子と頬を合わせた実菜穂が、大粒の涙を流した。
「サナ。サナの想いがここにある……良かった。よかったよー。ああ……サナ……キナ……二人が護った命がここにある」
実菜穂が声を上げて泣いた。大粒の涙を流して泣いた。実菜穂の泣き声はナナガシラを駆け巡っていった。その声はけして悲しい声ではなかった。サナとキナの想いに報いる泣き声は、この地の神に、物の怪に、巫女に、秋人、隼斗に届き、心の中に小さな明かりを灯していった。
「お母さん」
女の子が実菜穂の胸の中で呟いた。実菜穂の胸の中で、女の子の眼は凛とした輝きを纏い、巫女の顔へと変わっていった。それは、実菜穂からサナとキナの想いを女の子が受け取ったということだった。その様子を見ていた紗雪が女の子の頭を撫でた。
『さて、ナナガシラは、人にとっては存在しない世界となりました。この地に人が足を踏み入れることはありません。そうなると、この地の神々は力を強めることはできません。ですから、ここにいる邪鬼たちをこの世界に受け入れてはどうかと思っています』
この場にいる神と巫女に紗雪は、一つの提案をした。実菜穂、陽向、霞は紗雪の言葉に頷いているが、他の巫女は互いに顔を見合わせて迷っていた。火の神やシーナでさえ、紗雪の提案には不安の表情を見せた。この場に存在する神のなかで唯一、紗雪の提案を理解できているのは、みなもだけであった。
「なんと……いま……なんとおっしゃったのですか」
恐れ多いという顔で邪鬼の長老が、紗雪に訊いた。紗雪は雪神のオーラを纏わせ、邪鬼の集団を見渡していた。




