鎮めると浄める(11)
高みの見物のように遠巻きに眺めていた紗雪を、桃湖売命が眉を少し上げて見ていた。
「紗雪、実菜穂がやったというのは、何をやったの?」
陽向が実菜穂を横目で見ながら、紗雪に問いかけた。陽向の視線の先で、ばつが悪そうに実菜穂が苦笑いをしている。
『私の口から言うのは、少しおこがましいのですが。実菜穂は、このナナガシラの記憶を秋人に伝えたのです。まあ、伝える力が強すぎて隣にいた隼斗も受け取ってしまいましたけど』
紗雪がにっこりと笑みを浮かべたまま、実菜穂を見ていた。
紗雪の顔をまともに見ることができない実菜穂が、仕方なく陽向と霞の方に視線を逸らせていた。
『実菜穂、それはつまり……』
「あーっ、うん。私が持っていたナナガシラの記憶を秋人に伝えたの。みなも、ずっと前に私に教えてくれたよね。『人は二度死ぬって』一度目はその身体が死んだ時、そして二度目は、人の記憶から消え去った時だって。だから私は忘れない。このナナガシラで生まれ、戦い、傷つきながらも生きた人たちを絶対に忘れない。秋人にそれを伝えたかった。この舞は、そのための舞だって。あっ、ちょと失敗して隼斗さんにもあげちゃったみたいだけど……」
いたずらをした子供が叱られるのを待つように実菜穂は、みなもを見上げた。みなもは、ポカンとしていたが、実菜穂の「申し訳ない」という気持ちが滲み出ている姿を河合らしく思い抱きしめた。
『お主は、とんでもないことをするのう。人に記憶を与えたのなら、ここに生きた人の御霊も死なぬということじゃ。実菜穂、どこでそのような力を身につけたのじゃ』
「ううん。私にそんな力はないよ。でも、記憶を伝えようと思った出来事はあるよ。あれは、みなもを連れ戻そうとアサナミの神の神社にお礼参りに行った時かな。私、アサナミの神の記憶の一部を授かったの。みなもが神様になった時の記憶。だから、あれと同じことをしてみようって、みなもの力を借りてやってみたら、あんな事になっちゃって……」
『お主は、凄いのう』
「違うよ。みなもの力があったから、できたことなんだよ」
叱られると思っていた実菜穂は、驚いて自分を見るみなもに恐縮するばかりで、小さくなっていた。
陽向も霞も、みなもと同じようにポカンとして実菜穂を眺めている。実菜穂は、その視線に耐えられず自分の指を突きながら、モジモジしていた。
『まあ、秋人さんと隼斗さんのお二人には、その記憶の意味を判断する時がいずれ来るでしょう。それは、けして悪しきことではありません。お二人なら、自分で納得する答えを出すはずです。それよりも……水面の神』
見かねた紗雪が実菜穂に助け舟を出した。一度、瞳をゆっくりと閉じてから、紗雪は柔らかい笑みを浮かべて、みなもを見た。
みなもは、紗雪の意図したことを理解して遠くを眺めた。
『水面の神、実菜穂が言ってました水面の神の力。どうやら、いい方向に働きました』
紗雪が野の地につながる道の方に顔を向けた。他の神々や実菜穂たちは、みなもと紗雪の行動が理解できず、同じように野の地の道を眺めた。
『なんだ、あれは?』
火の神が声を上げた。月が輝くなか、遠くに何やら集団がゾロゾロと動いているのが見えた。数はよく分からないが、多くの影が近づいて来ている。しかもガヤガヤと喜びに満ちた声を上げながら、移動していた。なかでも幼い女の子の元気な声が、集団の先頭から実菜穂たちの耳に届いてきた。
『おーっ、ここじゃ、ここじゃ。ここにおったぞ』
集団の先頭には絣の着物を着た童子が、元気よく集団を導いていた。
『見よ、ここは凄いではないかあ。水の浄め、光の浄め、風も土も生も、なんと終の浄めまで済んでおる。どおりで、田も川も山も野も活き活きとしておるわけじゃあ。ここは、まさに儂らにとっての桃源郷じゃあ。地上の天津が原よ。みな、ここが今より儂らの住む世界じゃ。さあ、礼を述べよ』
集団を率いていた童子は、絣の神であった。
『おお絣の神ではないか。これはどうしたことじゃ』
元気にはしゃいでいる絣の神を、みなもが呼び止めた。みなもを見つけた絣の神が、ピョンピョン飛び跳ねながら駆け寄ってきた。
『水面の神、会いたかったぞ。これはな、人の世界で行き場を失くして困っておった物の怪や神じゃ。雪神が、みなを連れて来いと言うので、光を目指して来たんじゃ。そしたら、水面の神がこの地を浄めて、儂らを迎えてくれておるではないか。もう、嬉しいぞ』
絣の神がみなもの膝に抱きついて、喜んでいる。あまりに強くしがみつくので、みなもがオロッとよろめきそうになった。
『雪神、これはいったいどういうことじゃ』
絣の神の後から次々と取り囲んでくる物の怪の集団を、みなもは、優しく瞳を光らて眺めていた。
『はい。ここにいる者は、以前に水面の神の祠に挨拶に来た物の怪たちです。まあ、少し数も増えていますが、みな人が住処を広げるなか、行き場を失くし、落ち着く地も見つからぬ者たちです。このままではいずれ、人の世界で闇に落ちましょう。いっそ、白新地で受け入れようかと考えましたけど、この地の方が残った神々を支えることができるかと思いまして連れてきました』
紗雪はみなもが安心する姿を見て、心からの喜びで光る白銀の瞳を細めて笑った。その姿はみなもに並ぶほど美しい笑顔であった。
『おお、それは確かに、この者たちならこの地の神々の良き僕になるじゃろう。それに、人から忘れられた神も、このなかにはおるようじゃ。人に知られぬ土地だけに、心静かに過ごせよう。良き事じゃ。雪神、お主は本当に良き神じゃな。何と礼をすればよいか』
子供のように抱きついて離れない絣の神を宥めながら、みなもが紗雪に礼を述べた。紗雪は、ゆっくりと首を振り、柔らかい笑みを浮かべたままみなもを見つめていた。
『水面の神、まだ終わりじゃありません。この世界、人の記憶から消えたからには、これから先、人が入ることはないでしょう。ですがそれではこの地にいる神が栄えることはありません。人の崇拝がなければ、神は力を増すことができません。ここに集まる神は、地上の世界では必要な神です。ですから……』
紗雪がちらりと夕帰魅に視線を向けた。夕帰魅が跪き頭を下げると、その場で六華の模様を宙に刻んだ。
六華が白い光を放つと、その部分だけが別の世界に繋がる門となっていた。
神と物の怪たちが集う沼の地に、門の中から男の子の賑やかな声が響いてきた。




