霞と隼斗(4)
隼斗が自分の生死を掴まれ霞とやりとりをしている間、誰も気がつかずに空を見上げている。
隼斗の身体からは全ての力が抜けており、完全に霞に身を委ねていた。身体だけではない。心までも反撃の意志を解いている。
(威圧、殺気・・・・・・そんなものではない。完全に勝てないと分かっている。それなのに、恐ろしさよりも安らぎを感じるのはなぜだ。いままでに何人も女と触れたはずだ。だけど、こんな気持ちにさせた女はいない)
隼斗の瞳は霞の光を受け、瞳孔が開いていく。
生まれ、まだ目さえ開いていない小さな小さな赤子の隼斗がいる。這うことはおろか、うごめくことしかできない隼斗。その隼斗が怯えることなく、温かさを感じ、安心して眠っている場所がある。手のひらの上だ。柔らかく、優しく、心地よい場所。その隼斗を見つめる優しい瞳があった。緑色に輝く瞳。霞が優しく隼斗を見つめていた。
隼斗の脳裏にその光景が浮かぶ。ほんの僅かな時間なのに、安心して長い時間眠っていたように思えた。顎を掴まれ、霞に見下ろされている自分に意識がようやく帰ったのだ。
霞が優しく笑ってゆっくりと頷いた。隼斗も理解して頷いた。
「おい、お前たち、いつまで空を見上げているんだ。大将はこのとおりだ」
霞の声がビルの屋上を駆けめぐっていく。空を見上げていた顔が一斉に霞の方に向くと、信じられない光景に皆が息を飲み動きを止めた。隼斗が顎を掴まれ押さえつけられていた。
「誰も動かないでよ。この子の顎を喉から引き離すよ。ほら、大将からの命令よ。隼斗、全員に動かないように命令として右手を上げて」
霞の言葉を受けて隼斗の右腕はゆっくりと上がった。隼斗の命令を受け、殺気立っていた人たちは物音一つたてずに固まった。あの坊主頭の男までが声を上げることなく石のように固まっている。隼斗はリーダーとして強い影響力を持っているということだ。
「いいチームね」
霞が笑みを浮かべた瞬間、血気に逸った男が金属バットを振りかざし霞に襲いかかった。
「ばかやろう」
隼斗の側にいたサブリーダーが叫び、取り押さえるよりも早く、霞が目を光らせた。振り上げられた金属バットは一瞬にして粉々になり消え失せた。
「大将の命令を無視するなんてね。いまので隼斗、もう一度死んでるよ。でも、あなたその眼、嫌いじゃないから今のはなしにしてあげる。あいつは後で締めた方がいいよ。後々、詰まらないところで裏切られるから。いいこと、わたしはあなたたちには何もしない。だから、金輪際、わたしには関わらないこと。私の周りにも出てこないで。分かったら左手あげて」
霞の言葉に隼斗は左手を上げた。その様子を心を奪われたように全員が見つめている。霞はゆっくりと立ち上がり、堂々と出入口に向かっていった。霞が通る先は潮が引くように道ができた。それはまさに正中を歩む神と同じである。男も女もただ霞の歩む姿を見つめている。目に見えない光を感じ、出て行く霞に心を奪われジッと見つめていた。
霞の姿が見えなくなっても、全員が呆然としていた。
「早瀬霞。彼女には金輪際、手を出すな。チーム全員に伝えておけ。それと見かけたらすぐに連絡をしろ」
隼斗は側にいたサブリーダーに耳打ちをした。さっきまで強力な力で押さえられていた顎には力が入らず、まともに話すことができなかった。
(早瀬霞。躊躇いもなく一瞬で命を奪おうとする冷酷な気を放つ一方で、優しく安らぐ気で俺を包み込んでいた。本当に不思議な女。本当に霞は人なのか)
隼斗は微睡む眼で空を見上げ、街の明かりで見えるはずのない星を探していた。




