安心はほど遠い
※怖くないかもしれません。ご了承ください。
グイッと後ろに引っ張られた。突然のことで花梨はバランスを崩して後ろに転倒しかけたが、何かが背中にあたり転倒は免れた。振り向くとにやにやと笑う大輔がいた。花梨の子にアルコールの匂いが混ざったぬるい息が顔にかかった。安心するのは早かったようだった。
「もう一軒行こうよ!」
「すみません。明日、バイトがありますので……」
咄嗟に嘘を言った。断らなければ朝まで飲まされる気がした。すると大輔は「そっか」と納得した。今なら帰れると判断して花梨は掴まれている手を解こうと振った。
「じゃあ、飲みはやめて、心霊スポットに行こうぜ!」
「は?」
振り払うことに失敗した上に、大輔の発言に呆然としているうちに勝手に指を絡まれてしまった。指を動かして拒絶を表したが、大輔は気がついていないのか無視しているのかさらに強く指を絡めてきた。
勝手に手を繋ぐ行為もそうだが、心霊スポットに行こうと言い出すのも常識を逸している。
例えば、お互いに想い合っていて恋人の一歩前や恋人であるなら手を繋ぐのは普通だ。心霊スポットに行くこともお互いに同意した上で行くことが普通だろう。花梨は大輔と出会って間もない、そしてどちらかと言えば嫌悪感の方が強い。
だが、アルコールが回っているのか三人は花梨の表情に気がついていない。
「あはは、いいね! まだ帰るには早い時間だしね。面白そう!」
「いいじゃん! どこにあんの? この近く?」
「よっしゃ、決まり! このバーの近くにあんだよ」
「もしかして……お前、最初からそっちが目的だっただろー!」
「あ、バレた?」
大輔と祐人はゲラゲラと笑いあった。あれよあれよと心霊スポットに行くことに決まってしまった。花梨は不安になって楽しそうにはしゃいでいる愛菜に小声で聞いてみた。
「愛菜ちゃん、ほんとに行くの……?」
「当たり前じゃん。行くに決まってるでしょー!」
「私、そういうのはちょっと……」
「だーめ。花梨も行くの。大輔は花梨に良いとこ見せたいんだよ」
「そんなこと言われても……」
愉快そうに目を弧にしながら内緒話するように花梨の耳に手を当てて言った。愛菜は花梨と大輔をくっつけたいと目論んでいるようだった。
「ふふん、だいじょーぶ! 私が恋のキューピッドになってあげる!」
自信に満ち溢れた顔で見当違いなことを言ってのけた。そして、花梨の気持ちを無視して、大輔の良い所を言い出した。
「大輔はね、高校の時も成績良かったしモテモテだったんだよ。花梨も頭良いし、お似合いだと思うんだよね」
「そうそう、今度サークルで試合があるらしいから応援に行きなよ! 大輔も喜ぶし、今日とのギャップに惚れちゃうかもよ~?」
花梨は顔を引きつらせて笑った。くっつけようとしてくる人に対しては、はっきりと断ることが適切な対応である。しかし、花梨はどうすればいいのか分からなかった。
「花梨、行こうぜ! 幽霊なんざ俺が倒してやるよ」
「え……」
大輔は勝手に花梨の名前を呼び捨てにして、我が物顔で花梨の肩を抱いた。あまりの気持ち悪さに鳥肌が立ち、吐き気がした。肩を動かしたり、自由になった手で押したりしたがやはり離れることはなかった。
「大輔、張り切ってんな!」
「きゃー! 良い感じじゃん!」
祐人と愛菜は大輔を止めることなく楽しそうに囃し立てていた。その二人も同じようにくっついていた。近くを通る人からは、花梨と愛菜の表情の違いがはっきりと分かっただろう。生憎と近くを通る人はスマホを見て歩いていた。例え見ていたとしても、嫌がっているというより彼女が拗ねていると思うかもしれない。
「最悪……」
花梨の心中を表した小さな呟きも三人は気がつくことはなかった。
花梨は友にも神にも見放されてしまった。
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