「日本死ね」がヘイトスピーチでないなら「韓国死ね」もヘイトスピーチではないのだろう
戯言としてお読みください。
「日本死ね」という言葉がヘイトスピーチでないなら、「韓国死ね」もヘイトスピーチに当たらない気がします。
日本人が日本で「日本死ね」と言うからヘイトスピーチではないのであって、日本人が日本で「韓国死ね」はヘイトスピーチに当たるのでしょうか?
では、日本人が韓国で「日本死ね」はヘイトスピーチ?
日本人が韓国で「韓国死ね」は?
逆に、韓国人が日本で「日本死ね」は?
韓国人が日本で「韓国死ね」は?
また、中国人が日本で「韓国死ね」はどうなるのでしょうか?
そもそもヘイトスピーチとは、個人には容易に変えられない属性に対する差別的言動や侮辱、脅迫であって、国家に対する侮辱はそれに当たらない筈です。
それに日本人の中には帰化した韓国籍の人もいる訳で、日本人が日本で言った「日本死ね」がヘイトスピーチに当たらないのなら、元は韓国籍の日本人による日本での「韓国死ね」であれば、同じようにヘイトスピーチに当たらないのでは?
ネット上におけるヘイトスピーチは誰が言っているのか分からないので、軽々しくヘイトスピーチだなんだと言わない方が無難な気がします。
言っているのは同国人かもしれないですよね?
また、韓国人が韓国で「韓国死ね」と言われたと騒いでいるとして、日本人がヘイトスピーチだと問題視するのは適切なのでしょうか?
言われた本人が言った相手を告発する以外、ヘイトスピーチだなんだと第三者が騒いでも意味がないと思います。
例えば私がアンドロメダ星人に対し、「殺すぞこのアンドロメダ野郎」とか、「とっとと母星に帰りやがれ! 帰らないならたたき出すぞ!」とかエッセイで言ったとします。
勿論アンドロメダ星人なんて地球にいませんから、ヘイトスピーチだとして告発されない筈ですし、運営にも警告はされないでしょう。
ヘイトスピーチ云々とは、された相手がした相手を訴えなければ成り立たないと思うのです。
読者の方が、それはアンドロメダ星人へのヘイトスピーチだと問題視しても、そもそもアンドロメダ星人はいないのですから、私の妄言で終わる筈です。
そう考えれば「日本死ね」は、特定の誰かが言われた訳でもありませんからヘイトスピーチには当たらないと思います。
同じように「韓国死ね」も、特定の韓国人に対して言っている訳ではありませんから、同じようにヘイトスピーチには当たらないと。
仮に「日本死ね」が問題ないのなら、同じように「韓国死ね」も問題視すべきではありません。
大切なのはダブルスタンダードにならない姿勢です。
誰が言ったのか分からない「日本死ね」がOKならば、同じように誰が言ったか分からない「韓国死ね」もOKにしないとバランスが取れません。
韓国人が日本で「日本死ね」と言った可能性もありますし、中国人が日本で「韓国死ね」と言った可能性も捨てきれないからです。
日本人が日本で「日本死ね」は大丈夫で、日本人が日本で「韓国死ね」は駄目ならば、韓国人が韓国で「日本死ね」もアウトですし、中国人が日本で「韓国死ね」もアウトな筈です。
それは本当にヘイトスピーチなのかと問う、その姿勢も必要だと思います。
人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動なのかと。
また、自分が言われた事なのかと。
例えばドMの日本人Aさんがいるとして、韓国人の女王様BさんとツイッターでSMプレイをしていたとします。
BさんがAさんに呟いた「このパンチョッパリ!」を目にした誰かが、これは日本人への重大なヘイトスピーチだと騒いでも、当人達はプレイだからと取り合わないでしょう。
やるならライン等でやれとしか思いませんが、いくら周りにはヘイトスピーチに見えても、された方がヘイトスピーチだと訴えなければ、それはヘイトスピーチにならないのではありませんか?
だって、ヘイトスピーチかどうかは、訴えられて初めて裁判が開かれ、裁判官が判断するのですよね?
ただのプレイである限り、ドMのAさんがBさんを訴える事はないでしょう。
罵倒が足りない、払った代金分をしっかりと罵倒して欲しいと訴える可能性はありますが、それはサービスに対する訴えであって、ヘイトスピーチとは無関係です。
言われてもいない周りが騒ぎ、問題視する必要はないと思います。
差別表現や憎悪表現を受けた当事者が訴えない限り、第三者は見守るだけに留めるべき事柄の筈です。
今の社会に見られる、ヘイトスピーチだなんだという騒ぎは、周りが勝手に問題視しているに過ぎない気がします。
「それはヘイトスピーチだ!」と簡単に言い切って良いのでしょうか?
「それはヘイトスピーチではないのか?」に止めるべきでは?
もしもヘイトスピーチの定義が欧米基準のモノであるなら、ヘイトスピーチには断固反対です!
日本の場合はちょっと意味不明なので保留です。
印象でしかありませんが、ヘイトスピーチってのはそんな軽いモノじゃない気がします。
軽々しく口にして良い言葉ではないのではと。
アメリカで「それは人種差別だ!」は、有色人種が白人を黙らせるのに都合の良い言葉になっていたと聞きます。
「それはヘイトスピーチだ!」は、それと似た空気を感じます。
相手の反論を封じる卑怯な手段として。