009 顛末
雪上クロウラーの天井はそれなりに頑丈に作られているはずだ。
ネクロボーンにいつ襲撃されるかわからない環境下を走るのだから、そうするだけの理由がある。
にもかかわらず、いま走行中のクロウラーにしがみついている何者かは、殴打を加えて天井部分をへこませてしまった。
「ハ、ハンドルが! ブレーキも! 利かない!」
運転席で無精ひげの男が青ざめた。必死にクロウラーの速度を落とそうとしているが言うことを聞いてくれないようだ。
「クロウラーを制御している魔導機械が操られているようです」
ジナイーダが深刻な表情になった。
つまりコンピュータを乗っ取られて勝手に動かされているという状況だろう。
いま走っているのはただっぴろい雪原の真っ只中だ。こんなところでクロウラーが立ち往生したらどうなるか。アラスカの大地に生身で放り出されるようなものだ。とてもじゃないが生き残れない。
「ハル様はスーツの用意を……わたしは敵を引き剥がしてみます」
言うやいなやジナイーダは助手席に飛び移り、ダッシュボードに埋め込まれた航法儀に手をかざした。淡く手の甲が光り、俺には理解の及ばない方法で制御用魔導機械との接続が行われる。
俺はジナイーダの指示通り、後ろの方に積んであるOMSの装着に取りかかった。
「勇者様、お願いします……どうかお助けを」
包帯姿の女がすがるような目で俺に訴えてきた。隣には不安げな姉弟もいる。
俺には気の利いたことを言えるほどの余裕はなかった。苦笑いしかできない。彼女らの不安を払拭するには至らないだろうが、こっちも必死なんだ。
何しろこれから雪原のど真ん中で化物と殴り合いをしなけりゃならないんだから。
*
案の定、クロウラーの上にへばりついていたのはネクロボーンだった。
手足が異常に長く、それぞれ2メートルくらいあり、全身真っ白な体毛に覆われている。
ジナイーダの活躍で車体の制御を奪い返し、クロウラーは急ブレーキをかけて分厚い雪溜まりに突っ込む形で停まった。
振り落とされたネクロボーンは雪まみれになってもんどり打ちながらも起き上がり、こいつらの共通ポイントである髑髏面をぐるりと巡らせてクロウラーへと狙いを定めた。
その後部ハッチが開いていることにネクロボーンが気づいた瞬間、俺は蹴り足を叩き込んだ。
「おっらぁッ!」
流体腱筋によって増幅された筋力と自重が乗ったかかとが脇腹に激突、テナガイエティをふっとばした。
「あああああさっぶいぜえ!」
歯の根の合わない俺の叫びが雪原に響いた。OMSに気密性があればいいのだが、少なくともいま装着しているスーツには期待できない。がっちりと防寒服を着込んでから身につけるのがセオリーらしい。マフラーにニット帽にゴーグル、他にも用意できる分の装備はしてきているが、それでもなお寒さがきびしい。
こうなれば一秒でも早くネクロボーンを倒し、車中に戻る。それしかない。
「シュハアアァァッ!!」
手足の長いイエティは髑髏面の口を大きく開き、ぞろりと生えた牙をむき出しにした。
そしてとんでもないバネを発揮して高くジャンプ、放物線を描いて俺の頭上へと降ってきた。
俺は妙なくらい落ち着いていた。冷静に、スーツの腰のところにくくりつけていた即席の鉄パイプ製こん棒を取り出し、カウンターのフルスイングを叩き込んだ。
ドグッ、という湿った打撃音がした。
髑髏面への直撃は避けられたものの、肩の骨を砕くほどの一撃だ。ネクロボーンにも痛覚があるらしいのはいままでの経験で理解している。化物が元人間であることを考えるとものすごく嫌な話だが、そのことを掘り下げると俺は戦えなくなりそうなので棚上げしている。
ともかく、戦意はトガッているけど頭は冷静というちょうどいい精神状態が維持できていて、俺は狙い通りに動き、戦うことができた。
これが勇者に求められる働きなのかどうかはわからない。でも、いまはこれしかできないのだからやるしかない。そう思った。
「すっだァぁぁッ!」
左のジャブが髑髏面を捉え、長い手足の化物がよろめいた。そこに頭上から振り下ろした渾身の鉄パイプのがめり込んで、髑髏面が砕け散った。面を破壊されるとネクロボーンは動かなくなる。死という概念がこの化物にも適用されるのかどうかわからないがとりあえず活動は停止する。
「……終わった」
倒した敵はこれで何体目だろうか。俺は多少なれてきた自分を感じつつ、クロウラーに戻ろうと振り返ろうとした。
その直前に、銃声が聞こえた。
*
生存者の姉弟のうち弟が食い殺された。
ネクロボーンに変異した自分の姉に。
突然のことに車内にいたジナイーダも反応が遅れた。
結界が張ってあったはずのクロウラーでなぜ変異が起こったのかはわからない。ネクロボーンに襲われて天井が破壊された時に波動が結界をすり抜け姉に取り憑いた──というのがありそうな話だ。あるいは、そもそも北端聖域で立て籠もっていたときには変異が始まっていたのかもしれない。もはや確かめようのないことだ。
いずれにせよ。
車内は幼い弟の頸動脈から吹き出た血で真っ赤に染まり、次いで近くにいた包帯姿の女が襲われた。
悲鳴が飛び交い混乱する車内で、ジナイーダは化物になってしまった少女を討とうとした。彼女の魔法はいつも的確なはずだが、このときばかりは指先が迷った。包帯姿の女ともみ合いになっている上に、姉の方はほとんど人間の姿を留めていたからだ。
ネクロボーンと言っても多種多様で、ヒトとはかけ離れた姿になる場合もあれば、ヒトのふりをできるほど変異度が低いこともあるという。
そういうことだ。ジナイーダはためらってしまった。
おかげで興奮した運転席の無精髭の男が懐の拳銃を抜き、発砲することになった。
つらい話をするのにふさわしい態度というものがあるかもしれないが、事実だけを述べると、包帯姿の女は死んだ。流れ弾があたってのことだ。
衝撃を受けながらも意を決したジナイーダが、少女だった化物を灼いた。
たった4人の生存者は、この時点でひとりだけになってしまった。
そして、ここからもまた厳しい話が続く。
雪原の中、クロウラーに襲いかかってきたネクロボーンは一体だけではなかった。
俺たちは取り囲まれていた。そう、囲まれるほど大勢の化物、テナガイエティ型と俺が勝手に分類したやつらがいたんだ。
「ジナイーダ、なんとかなりそう?」
「……何があっても、ハル様の命はわたしが守ります」
どうも”なんとかなる”の意味するところが俺と彼女との間でずれているようだった。
「ハル様おひとりなら、わたしの遠距離転送魔法で南にある聖域にテレポートさせることができ……」
「だめだって! 俺ひとり助かったってしょうがないよ!」
「ハル様……」
「この化物共と戦って勝つ方法、生き残る方法! それを考えよう」
「はい……ですが、この数となると簡単には」
理知的なジナイーダが、弱気を見せていた。想像するに、俺をなんとか生かす方法を優先すべきか、ふたりで戦って活路を見出すべきかを迷っているからだろう。俺がもっと頼りになる存在なら──と考えずにはいられない。頼りになる存在なら、迷うことなく徹底抗戦の道を選ぶはずだ。
だがためらっている時間はなかった。
ネクロボーンたちはじわりと包囲の輪を狭め、ついに最初の一体が飛びかかってきた。
ジナイーダの魔法の閃光が北端の冷え切った空気を薙いで、化物の左半身を吹き飛ばした。
一瞬、ネクロボーンたちは身構えたあと、呼吸をはかってから連携して襲いかかってきた。
「来るなッ!」
鉄パイプを握る手に力を込め、打ち返した。
装着型重機の別名通り、流体腱筋のパワーで振り回される鉄パイプの威力はちょっとしたコンクリートなら粉砕してしまう。テナガイエティの節足動物のように長い腕をへし折り、内臓破裂必至の衝撃を胴体にまで与えた。
まず二体。肩から上腕、肘、前腕から手首にかけての負荷を推し量る。俺にはOMSの流体腱筋にリミッターを無視した出力を要求できる能力が備わっているというが、力を出しすぎればスーツが破損してしまう。それを見極めなければならない。
ぶん殴り、牽制し、膝蹴りを入れてから鉄パイプを突き立てる。
いける、これなら少々数が多くても……。
「ハル様ッ!?」
ジナイーダが叫んだ。
油断があった。
テナガイエティたちの腕が、集中して俺に襲いかかった。かわしきれず、いくつもの手に掴まれて俺は凍った地面に引き倒された。
「うわあああ!?」
長い手足の殴る蹴るが一斉に俺を打ちすえた。打撃。打撃打撃。OMSのフレームが悲鳴を上げる。流体腱筋をほぼ無意識に衝撃吸収力の高い状態に変移させているから生身の俺にはまだダメージは少ない。しかし機械的構造が壊されたらOMSとしての機能を保てなくなってしまう。
視界の端で、ジナイーダが俺を助けようと魔法を発動させる。しかし同じようにネクロボーンの手に捕まり、動きを封じられた。
「やめろ……! ジナイーダをはなせ!!」
が、そんな俺の声をかき消すかのような打撃の雨。スーツの各所が火花を散らし、黒煙が立ち上る。
どくん。
このままでは。
このままでは、本当に死んでしまう。
俺だけじゃない、ジナイーダが、彼女までもが、こんな化物に理不尽に殺されてしまう。
俺は何のためにこんなところにいるんだ……。
バアン、と破裂音が雪原に響き渡った。
同時に俺を押させつけていたネクロボーンの一体が吹き飛び、血の詰まった肉塊になって崩れ落ちた。
銃声? まさか無精髭の男が銃で撃ったのか? それにしては威力が大きすぎる。
その答えは空から舞い降りた。
ローター音と魔法的な浮遊に伴う奇怪な音を上げながら、大きな飛行機械が虹色の被膜を剥ぎ取って姿を現したのだ。
「霊学迷彩……」
ジナイーダの声がかすかに聞こえた。
こいつはいったい、どうなってるんだ?