004 着る重機
OMS、オーバー・マッスル・スーツ。
またの名を装着型重機。
ジナイーダからごくわずかなレクチャーを受けただけで、それがいったいどんな代物なのか俺はまだよくわかっていない。
でも記憶を失う前の俺は──”勇者”としての俺はそのOMSを使いこなしていたという。
だったら、やるしかない。
うずくまった男の背中を引き裂いて生えてきた肉の鞭は、ジナイーダの四肢と細い首に恐ろしい力で絡みついている。彼女が窒息死するなんて絶対にだめだ。
果たして、鉄骨組みのごついハンガーにいくつかの”スーツ”が吊るしてあった。
サイボーグ化されたゴリラの剥製、というのが第一印象だった。
呪文らしい文様を刻まれた金属製のパイプやシリンダーでつないだ分厚い肉襦袢で、下半身も同様の作りだ。
魔法と機械の両方でサポートされたパワードスーツ、といったところだろうか。装着型重機というならそれが一番的確な呼び名だと感じた。
おそらくほんの数日前までは普通に作業に用いられていたらしく、寒さで薄く降りた霜の下に砂や泥の汚れが見え隠れしている。
で、だ。
これを──どうする?
決まっている、これを着込んでジナイーダを苦しめる肉の鞭を引きちぎるのだ。
だが、どうやって?
動かし方がわからない。
俺の頭はOMSがどんなものかを推測することはできても、それを扱っていた頃の記憶がない。本当に扱えていたのか、確かめることさえできない。
《……ハル、さま》
苦痛に満ちたテレパシーが錐のように食い込んできた。
《お、ねがい……はやく、にげて……》
「ジナイーダ!!」
肉の鞭で吊るし上げられたナイーダはぐったりとして、完全に手足の自由を奪われている。鞭はミミズのように這い回って、彼女の防寒着を引き裂こうと躍起になっているようだった。
心拍数が跳ね上がって──俺は──そう、こういう感じか、と妙に落ち着いて、手近のスーツに手をかざした。
どくん。
”理解した”のか”思い出した”のか、俺には判別できなかった。
そんなことは後回しでいい。
ジナイーダを助ける。それが唯一で他は些細なことだ。
無骨なOMSを装着し起動させると、俺は跳躍した。
跳んだのだ。
おそらく相当重量のあるスーツを着込んだまま高跳び、頭をぶつけるぎりぎりで姿勢を入れ替えて逆さまに工事中の天井に両足を着き、反動で眼下のジナイーダのところまで一息に飛び降り、距離を詰めた。全部無意識だ。
重い音を立てて着地した俺の眼前に、濡れ光る肉の鞭がざわめいていた。
うずくまった男の背中から一本、また一本と生えてくる。冬虫夏草という言葉が脳裏をよぎった。
気づけば俺はグローブをはめた指先を繊細に動かし、ジナイーダに絡みつく鞭をつかみ取っていた。
にじむ怒りをこぶしに込めて、一気に鞭を引きちぎった。
変異した血肉が強引に引き裂かれる嫌な音が耳をかすめるが、そんなことにかまってはいられない。
ジナイーダ。
彼女を助けるんだ。
どす濁った体液を撒き散らしてちぎれた肉の鞭。その残骸を投げ捨てて俺はOMSの力を引き出して、ぐったりと四肢を投げ出すジナイーダを化物の束縛から奪い返した。
強引だが慎重に。パワーの増幅率を上げすぎるとジナイーダまで傷つけてしまう。
俺にはできる──なぜかわからないが確信があった。そして、実際にできている。頭の芯が冴え冴えと的確な操作を指示している。
OMSのパワーがあれば、女を一人片手で担ぐことなどわけもない。
ジナイーダを抱え上げつつ、俺は背中から肉の鞭を生やした哀れな男の──ネクロボーンの髑髏面につま先をかけ、一思いに踏み潰した。
それは死んだ。
結局、ここにも生存者はいなかった。
*
「ジナイーダ! ジナイーダ!!」
意識を失った美しい魔女を抱きかかえ、俺は彼女の肩を揺さぶった。OMSはすでに脱ぎ捨てている。
細い首には幾筋も赤黒いアザが浮いていた。彼女の白い肌にこんな痕を残した化物に対し苛立ちがつのる。
「う……」
「ジナイーダ!?」
「あ……ハルさま……?」
ジナイーダはうっすらまぶたを開いた。碧の目が俺の顔を捉えている。
安心感に体中の力が抜けた。
彼女が──もし彼女がいなかったら俺は死んでいた。記憶もなく、凍死するか化物に殺されるかの2つしか残されていなかった。彼女が俺を生かしてくれた。その相手に死なれたらと考えると、心がちぎれそうになる。生きていてくれて本当によかった。
「ハル様……」
ぼんやりとした顔で、ジナイーダが俺の頬に手を伸ばし、触れた。
そして。
「んっ……」
いきなりだった。
わずかに上半身を起こしたジナイーダに、俺は唇を奪われた。
「んむぅ……!?」
舌が入ってきた。やわらかい。あたたかい。踊るように絡んで、くすぐってくる。
とまどいはすぐに吹っ飛んで、俺は彼女の中に溶けていくような心地がした。
わずかだけど、確かな時間。
「ぷぁ……」
名残惜しげに唇が離れた。頭がクラクラした──いったいこれはどういう展開なんだ?
「ジナ、イーダ……?」
どう反応したらいいかわからず俺は呆然として、あやうく舌なめずりするのだけは我慢した。
彼女は穏やかに微笑むだけで何も言ってくれなかった。
なんだよ。
どういうことだよ。
でもまあ、それでいいかという気分になった。
俺は彼女のことが好きになっているらしい。
*
「OMSの使い心地はどうでした、ハル様?」
肉の鞭に引き裂かれそうになった防寒服を魔法で修復しながら、鼻歌交じりにジナイーダが言った。
首のあざは、回復魔法の力で何事もなかったかのようにつるりと消えてしまっている。なんの説明もないがとんでもない能力の持ち主だ。
「正直何が何だか自分でも……」俺は肩をすくめて、「気がついたらあれを着て跳んでた。すごいんだな、あんな力を出せるなんて」
「すごいのはハル様です」
ジナイーダはきっぱりと言い切った。防寒服はすっかり新品同様になっている。
「OMSの流体腱筋は、使用者の筋電位とテレパシー……意志の力で動きます」
「うん……ってよくわかんないけど」
「筋力が増幅されて装着型重機の名の通りのパワーを発揮するわけですが、ふつう天井まで飛び跳ねるほどの瞬発力は出せません」
「でも」
「ハル様が特別なんです。ほら」
ジナイーダは、俺が脱ぎ捨てたOMSの膝関節あたりを指さした。スーツの表面が内側から破れ、どろりとしたもの──たぶんこれが流体腱筋なのだろう──があふれ出している。
「負荷に耐えきれず壊れているでしょう? OMSからリミッターを超えた力を引き出したのです。それが異世界から召喚された勇者の能力の一つ」
「勇者の……」
「はい」
美しい金髪の魔女はぱっと顔をほころばせた。俺が勇者であるらしいということがうれしくて仕方がない、という表情だ。
装着型重機はその名の通り着込むことで重機並みの力を出せる魔導機械、なのだそうだ。本来は人間サイズの汎用重機の域を出ず、飛んだり跳ねたりはできないのが普通だという。ショベルカーがジャンプできないのと同じ──ということだろうか。
これに例外がある。
異世界から──つまり地球から──召喚された異世界人には、OMSに使われている人工筋肉・流体腱筋を活性化させる資質があるのだという。させすぎてスーツ自体が壊れてしまうほどに。
異世界人がOMSをまとえばそれは重機を超えた代物になる。それを操る異世界人が”勇者”と呼ばれるようになるくらいには強力なようだ。
地球に生まれただけで勇者扱い──というのはやや複雑な心境だが、うまく使えばネクロボーンとも戦えると考えれば悪くない。ジナイーダに守られてばかりではなく、彼女を守ることができるのならどんな力でも拒まない。
俺は短く白い息を吐き出して気合を入れてから、ハンガーに掛けられていたもうひとつのOMSを装着し、起動させた。
今はとにかくこの冷え切った施設から脱出し、安全な場所で熱いシャワーを浴びたい。
このとき俺は当たり前のようにそんな事を考えていた。
気合一つで乗り切れる。待ち受ける困難をそんなふうに見積もっていた。
ジナイーダと一緒なら。