037 墓標
青色と、灰色と。
上空から見るデルフィニウム聖域跡地は、ホコリを被った市松模様のレンガ置き場のように見えた。
『降下60秒前』
オペレーターの念波通信が、ジナイーダのくれたペンダントを通して聞こえた。
俺はネイキッドOMSの窮屈なヘルメット部の中で深呼吸をすると、全身に均一な膜が張られるイメージを心に描いた。
OMSを形作る流体腱筋が反応し、頭頂からかかとまでさざなみが起こった。うまくシンクロしている。皮膚感覚が拡張し、OMSと自分の体の境界線が消えていく。
スーツを左右から支えているハンガーから離れ、格納庫のハッチ手前まで足を進めた。スーツの自重と、スーツの発揮するパワーの釣り合いをうまく取るように意識をとどめ置くと、自分の手足を動かしているのと変わらない感覚で歩くことができる。いい調子だ。
『降下30秒前』
念波でのカウントダウンが始まる。
ハッチが開き始め、突風が格納庫に吹き荒れる。赤いマギライトが回転し、ワイヤーロープがハッチから投下された。
俺はOMSにつけられたハーネスに”繊細作業モード”にした手を伸ばし、滑車を使ってワイヤーロープと接続した。
『10秒前』
接続に問題がないことを確認し、最後の数秒がカウントされるのを待つ。
『5、4、3、2、1、降下』
俺は開かれたハッチから空に躍り出た──。
*
ラペリング降下の経験なんて俺にはない──少なくとも今の俺の記憶にはない──のだが、たとえ落ちてもネイキッドOMSなら衝撃吸収モードにしてしまえばまずケガすることはない高さからの降下なので、さほど緊張感はない。まったくないと言ったらウソになるが、ティルトローターで地上10メートル以上の高さにとどまるゾンネンブルーメからロープで滑り降りてもパニックにはならなかった。
ずんぐりしたシルエットのスーツで脚から着地すると、軽減しきれなかった重みと衝撃が足裏に響いた。
ローターの風圧で舞い上がる砂埃で視界が遮られ、一瞬めまいにも似た感覚に襲われた。かぶりをふって方向感覚を取り戻すと、俺はあらかじめ指示されていたとおり小走りで崩れかけた廃屋の陰に身を隠した。いまのところ周囲にネクロボーンの反応は見られないが、着地直後は敵から狙われやすいからというグレナズムからの命令だ。
『無事降りられたようだな』そのグレナズムから念波通信が入った。『追ってバックアップを降下させる。周囲に変化はないかね、勇者どの?』
「今のところは何も。ここからどこに向かえばいい?」
『ブリーフィングどおりだ。北に向かうとかつての中心地だった聖堂跡地がある』
「……北ってどっち?」
『……その建物を背にして右手側だ。方向音痴かね、勇者どの』
「今度からOMSに方位磁石を埋め込んでおくよ」
『そうしてくれ。以上』
グレナズムからの通信終話を受けて、俺は周囲を警戒しながら瓦礫の街の中心部に向かった。
*
デルフィニウムは港町で、かつての町並みは白と青とのツートンカラーに塗り分けられた美しいものだったらしい。
地球で例えるなら地中海沿岸の風光明媚な観光地といったところだろう。
だがそれは昔の話だ。かつてネクロボーンとの戦場になったときに破壊され、いまは静寂だけが広がっている。白と青の瓦礫の山は物悲しくて、おまけに今の季節は冬で、空は薄曇りだ。
俺はひとり突出して廃墟を進み、クリアリングというのだろうか、先々の安全を確認しては念波通信でゾンネンブルーメに報告を送っていく。後ろから軍用OMSで完全武装した小隊がついてくるが彼らは俺と違って〈業魔〉の波動に弱い。携帯結界発生装置を展開しながら出ないと、廃墟の中を進むことは困難だ。
異世界地球から呼び出された俺は霊学異性体といわれる存在で、波動に汚染されない。リスクを考えて俺が前に出て待ち構えているであろうネクロボーンをなぎ倒していくのが効率が良い──ということらしい。
ていよく死地に送り込まれているという気がしないでもない。
が、波動を受けてもネクロボーン化しない存在が敵を制圧できるなら他に犠牲が出ることを減らすことはできる。
それこそ”勇者”と呼ばれる役割だといえる。
と、頭上から小さなプロペラ音が聞こえてきた。
『ハルさん、ドローンを援護につけたのです』
リトル・ジョーからの通信だ。振り仰ぐと、利発な少女が遠隔操作する寸詰まりのタコに似た飛行ドローンが付かず離れずの場所を浮遊しているのが見えた。
「うん、見えるよ。何か見つけたら教えてくれ」
俺は首のペンダントを意識して、上空のドローンに話しかけた。
『わかったのです! リトル・ジョーにお任せなのです!』
元気いっぱいの返事が微笑ましい。
瓦礫だらけの通りを北に進んでいくと、やがて十字路に出た。
道幅は広いが、倒壊した建物が斜めに道を塞いでいた。乗り越えるか迂回するか。単純に高く飛んで乗り越えるだけなら可能だ。今の俺ならネイキッドOMSを制御して爆発的な跳躍力を引き出すことができる。
でも後続のOMS部隊はそうはいかない。
こっちの世界の人間は俺みたいに流体腱筋を過剰活性させることができないからだ。
となれば迂回しかない。
「聞こえる?」俺はペンダントに語りかけた。「障害物がある。建物が倒れててまっすぐ通れない。別の道を探してくれ、リトル・ジョー」
『合点承知なのです』
すぐにレスポンスがあり、頭上斜め後ろについてきていたドローンがほとんど音を立てずに高度を上げた。
組み込まれた魔導眼球がギョロギョロと動いて周囲の地形を探査し、ゾンネンブルーメにいるリトル・ジョーのもとに情報が送られる。
その間、俺も何か変わったものがないか視線をめぐらし──骨をみつけた。
骨。頭蓋骨。人間のどくろだ。
緊張が走る。髑髏面といえばネクロボーン。敵の象徴だからだ。
だが、化物に貼り付いている一種の戯画化されたシンボルマークではなく、年月にさらされて真っ白くなった本物の頭蓋骨であるらしい。
瓦礫のなかに混じって転がっているそれを、俺は何の気なしに拾い上げた。ぽろりと下あごが外れ、石畳に落ちて少し砕けた。
ここで誰かが死んだ。生きていた。その証拠だ。
ネクロボーンに殺されたのか。それとも建物の倒壊に巻き込まれたのか。これだけの部位では判別つかない。
さらに周りをつぶさに見ると、その頭蓋骨だけでなく人骨らしきものがあちらこちらに散らばっていることに気づいた。
ああ、と思わず声が漏れた。
ここは古戦場なのだから、そういう場所があって当然だ。
ネクロボーンに変異する住民たち。
襲われるまだ人間でいられた人たち。
必死の抵抗。銃声。剣戟。叫び。断末魔。化物による殺戮。
そういう光景が想像できた。
『ハルさん、そこから右手に回ってほしいのです。廃墟を通り抜けて大通りに戻るルートが見つかったのです』
リトル・ジョーからの通信を聞いて、手にした頭蓋骨に下あごを慎重に組み合わせ、瓦礫の上を手で払ってから静置した。
この世界で意味がある行為かどうかわからないけど、合掌して頭を下げた。なんでもいい、弔いの気持ちを表しておかないといけない気がした。
俺は数秒そうしたあと、リトル・ジョーの指示に従って窓も戸も残っていない建物の入り口をくぐり抜けた。




