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035 次なる目的

 その夜。


 俺は会議の後もトレーニングで心身を酷使して、総本部の一角に用意された部屋でぐったりしていた。


 シャワーを浴びた後ベッドにうつ伏せになり、半分眠っていると、スローネの胸に顔を突っ込んだ記憶が脳裏をよぎる。3年前のことはちっとも思い出さないがこういうことはしっかりと刻みこまれるのだから、脳みそとはいいかげんなものだ。


 ……しかし、よかった。


 ふんわりと柔らかくかつ程よい弾力があって、いい匂いがして……。


「うう……いかん、いかんぞ……」


 俺は枕に顔を埋めたままうめいた。


 何がいかんかといえば、ジナイーダのことだ。


 ここまでの情報を客観的に見ると、ジナイーダは3年前から俺を慕ってくれている。


 おそらく3年前の俺も同じようにジナイーダのことを想っていたはずだ。


 そしていま現在の俺も、そんなジナイーダに好意を持っている。


 まだはっきりと気持ちを言葉にしたわけじゃないけど、お互いの特別な絆を感じているのは間違いないはずだ。


 そのはずなのに。


 スローネに鼻の下を伸ばしていていいのか、俺。


 3年間幽閉されながらも俺の目覚めを待ち続け、ピンチを救うためにテレポートで北端聖域まで飛んできたというジナイーダ。胸の谷間に顔を突っ込んだくらいで気持ちが揺らいでいいのか、俺。


 よくない。よくはない。よくはないが、しかしいいものはいいものだ……。


「何がいいのですか?」


「何がってそりゃあおっ……わあ!」


 気がついたらベッドのそばにジナイーダが立っていた。俺はうつ伏せのままひっくり返りそうになった──何しろいまはパンツ一枚しか身に着けていないのだ。


「いいいいつの間に入ってきたの?」


「『いかん、いかんぞ……』のあたりからです、ハル様。ノックしても返事がなくって……鍵も開いていたので何かあったのかと思って」


 俺は再度枕に突っ伏した。鼻先に残る余韻に体をくねくねさせていた最中に入ってこられてる……つまり見られていたということか。最悪だ。


「えっと……それで、どうかした?」


「はい。グレナズム船長から言付けを。明日、ハイテレス総帥を始めとしたアイレム機関首脳陣の会議に、ハル様も参加してほしいとのことです」


「会議」


「はい」


 言いながら、ジナイーダはベッドに腰掛け、うつ伏せになった俺の首の後に指を当てた。ひんやりとなめらかな感触がして、気持ちいい。


「特訓もいいですが、あまり無理はなさらないでくださいね、ハル様」


 ジナイーダは優しく首の後をもみほぐしてくれた。たぶん何か魔法的な効果も込めているのだろう、こわばった筋肉がほぐれ、体の隅々まで浄化された血液が行き渡っていくように感じた。


「でも、早く強くならないといけないかなって」


「どうしてですか?」


「なんだか半端だもん、今の状態。勇者と呼ばれてるけど記憶は戻らないし。飛び抜けて強いかって言われるとそうでもないし」


「ハル様はハル様です。いままでも、これからも」


 ジナイーダの声は優しい。指先にこもる力も優しい。優しい言葉が胸に染み入る。


「だけど、ジナイーダだって今の俺より……」


 言いかけて、俺は口をつぐんだ。今の俺より、3年前の俺のほうが好きなんだろ──そんなことをうっかり口にしそうになった。


「ハル様?」


「あ、ううん、なんでもない。ま、単純なことだよ。努力したら強くなれる気がするけど、努力しても思い出せる気がしないっていうね。この世界の人達に何かできることがあるとして、特訓して強くなって戦って、〈業魔〉を追い払えることができるならそっちに全振りしたほうが、たぶん気が楽なんだ」


「……わかりました。ハル様がそうおっしゃるなら、私も協力します」


「うん。ありがと」


「はい。それと……」


 ジナイーダはマッサージの手を休め、身をかがめて俺の耳元に唇を寄せた。


「……スローネほどじゃないですけど、私も少しは自信あるんですよ?」


 むにゅん、と右の肩甲骨に柔らかな感触が押し付けられた。


「ではハル様、明日の会議忘れないでくださいね♪」


 あっけにとられる俺を尻目に、ジナイーダは部屋を出ていった。


 あとに残された俺は……。


「う、うおお、うおおお……!」


 枕に顔を押し付けたまま、じたばたと暴れることしかできなかった。




     *




「反転攻勢に出ます」


 アイレム機関総帥、ハイテレス=ヴェターは、一堂に会した俺たち──機関の首脳陣、グレナズム船長、俺やジナイーダたちに向けて朗々と言い切った。


 会議室がざわついた。


 その空気は、歓迎ムードではなく疑いに満ちたものだった。


「総帥、勇者ハルの帰還はたしかに朗報ですが、いくらなんでもそれは時期尚早ではないかと……」首脳のひとり、白髪を後ろにまとめた老婦人が苦々しい表情で手を挙げた。「聞けば勇者は3年前の記憶を失っているとか。そのような状態でわれわれに打って出る余裕があるとはとても思えません」


 老婦人の言葉は、その場にいた大半の人間の感想を代弁したものだと思う。


 実際、勇者であるされている俺自身、〈業魔〉に対して反撃を仕掛けられるとは思えない。


 スローネとの模擬戦でかなり動けるようになったとはいえ、まだまだ完全にネイキッドOMSの能力を引き出しているわけではない。それに、たとえ俺ひとりがいくら突出して強くなったとしても、〈方舟〉まで歩いていくわけにはいかないのだ。空に浮かぶ敵の巣の中に突っ込んでいける移動手段が必要だし、〈方舟〉を制圧するだけの戦力がなければ奪い返すことは出来ない。


 それだけの手はずは、まだ整っていないはずだ。


「もちろんその通り」ハイテレス総帥はにこやかな表情を崩すことなく”抑えて”のジェスチャーをした。「私もいきなり第2次〈方舟〉奪還作戦を実行しようなどとは言いません。ご安心を」


 と、総帥は美青年──副官のイサクラに視線を投げた。


 イサクラは無言でうなずき、手元の小さな装置を操作した。すると会議室の天井に埋め込まれた幻光投射球ホロスフィアから立体幻像が降りてくる。


 緑色の光の格子で編まれた世界地図が浮かび上がり、そのいくつかの箇所にドットが明滅していた。


 この世界の地理になじみのない俺には、それぞれの光が何を意味しているのかわからないが、ひときわ大きく輝いているのが俺が今いるアイレム機関総本部で、赤く脈動しているのが〈方舟〉を差しているようだ。


「この世界の行く末を左右する重要なポイントを示しました。これをひとつずつ攻略していきます。ついては勇者ハル、あなたに力をふるってもらいたい」


 やっぱりそうなるよね。


 俺はわずかに緊張しながらうなずいた。


「ありがとうございます。われわれには時間的な余裕があるとは言いがたい。調整が済み次第、さっそくこのうちどれかに向かっていただきます。ゾンネンブルーメ船長グレナズム、引き続き勇者の運び手を務めていただきたいのですが、いかがでしょう」


「喜んで拝命いたします、総帥」とグレナズム。


「ありがとうございます。ではまずどこに向かうか、ですが……」ハイテレスは立体地図に視線をやって、「デルフィニウム聖域跡地、ローズクォーツの塔、デンダー砦。候補はこのいずれかですね」


 それぞれのポイントがクローズアップされ、名前の入ったタグがポップアップする。まるでCGコンピュータ・グラフィックスのような処理だがこれも幻術魔法の応用であるらしい。


「それぞれを攻略する利点と根拠は?」


 魔法使い然としたヤギひげの老人が言った。


「近いからです」


「え?」


「この総本部と物理的距離が近いこと。これは輸送コストの観点から大きな利点です。そしていずれの場所も”彼我にとって重要ではあるが最優先ではない”拠点であること。つまり〈業魔〉側の防御も、比較的手薄と考えられます。勇者ハルの再デビュー戦は必ず勝たねばなりません。ですからそういう場所をまず最初に選定したわけです」


 ハイテレスの説明は一言一句なめらかで、淀みがなかった。


「勇者ハルは現在、3年前の記憶を失っています。その結果、かつてほどにはOMSを自在に操ることができるわけではありません。ですから記憶が戻るか、そうでなければ再訓練して力を取り戻していただく必要がある。それが済むまで実戦に出させない、ということであればそれもひとつの考えですが、私はそれほど人類に猶予があるとは思っていません。となれば」


 ハイテレスが言葉を切ると、イサクラは次の立体幻像を映し出した。


 ネイキッドOMSがネクロボーンと戦っている幻像だ。


 形は俺がこの二日間悪戦苦闘したものと同じタイプ。だがその動きたるや、いまの俺が神経を100%張り詰めて全力を振り絞ってようやく出せるか出せないか、というスピードを軽く凌駕している。


「勇者ハル、あなたの動きです。3年前のね」


 俺は無意識に息を呑んだ。OMSの操作、制御、反応速度、格闘能力。いずれも今の俺より3年前のほうが上──いや、ひとつふたつ次元が違うといったほうがいい。


「”これ”を、この動きを、我々は求めています。このレベルの活躍を。もちろん、いきなりやれと言われても難しいでしょう。3年前のあなただって、はじめから”これ”をやれたわけではない。訓練と実戦経験があってここまでのパフォーマンスを発揮できたのです。ならばもう一度鍛え直せば良いと私は考えます。それだけのポテンシャルがあると信じている。なぜなら」


「……なぜなら?」


「あなたはここに映っている勇者と同一人物なのですから」


「う……」


 殺し文句だ。


「われわれには時間の猶予がなく、残念ながらあなたに十分な訓練期間を用意できません。ならばできるだけ多く実戦に参加していただいて、戦いながら鍛え上げるのが取るべきみちだと私は考えています。ひとつでも多くの拠点を奪還して人類の生存可能領域を広げるという我々の目的とも合致していますから、これは一石二鳥なわけです」


 不思議なもので、はじめは懐疑的だった部屋の空気がハイテレス総帥の言葉に引き寄せられている。いまや多数決を取るまでもなく賛成に傾いていることが目に見えるようだった。


 総帥の案に乗って、いうなれば”経験値”を積んでいくのが強くなる一番の近道のように俺自身も思える。


 話は大筋でまとまった。


 俺たちの次なる目的は、デルフィニウム聖域跡地の奪還に決まった。







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